第27話「護衛と巫女姫、州都へと帰還する」
──零視点 (事件から数十日後の州都で)──
「紫州候、紫堂暦一さまの元から書状が届きました」
俺と杏樹のところにそんな報告が来たのは、州都に戻って数日後のことだった。
【禍神・斉天大聖】を祓ったあと、俺たちは事件の後始末をした。
最初にしたのは、杏樹と『四尾妖狐』を分離することだった。
結構大変だった。
ふたりを分離するには、色々な手順が必要だったからだ。
杏樹は分離を終えたあと、真っ赤になって、
「『四尾妖狐』さまとは合体するのは、零さまがいらっしゃるときだけにします……」
と、言い切った。
俺としては、杏樹が『四尾霊狐』とひとつになる機会がないことを祈ってる。
ふたりを分離する間、平静を保つのに必死だったからね。
あの事件の後、俺と杏樹は後始末に追われた。
【禍神】を祓うと、すぐに魔獣たちは姿を消した。
けれど、俺も杏樹も、すぐには動けなかった。
まずは被害の状況を確認する必要があったからだ。
だから、俺たちが動き出したのは、朝になってから。
陽の光の下で、鬼門の村々がどんな状態なのかを、ふたりで確認したんだ。
一番、被害がひどかったのは、『邪気払いの社』の周辺だった。
【禍神・斉天大聖】のせいで、その地が邪気のたまり場になってしまったからだ。
邪気は山から魔獣たちを呼びよせ、暴走させた。
大量の【クロヨウカミ】と【コクエンコウ】はご丁寧にも社を破壊してから、村に向かったんだ。そうして奴らは周囲の家を壊し、火を点けて、作物を荒らし回った。
後に残ったのは、荒らされた田畑と、食い尽くされた家畜たち。
人間の犠牲者がいなかったのは、奇跡みたいなものだ。
村の代官がすぐに住民を砦に避難させたのが良かったんだろう。
さすがは先代の紫州候から仕えている人だけのことはある。
『民を守ることを優先する』
それは杏樹の家に伝わる、家訓のようなものらしい。
だから朝になって、砦の人たちと話をした杏樹は、即座に決断を下した。
「すぐに炊き出しをいたしましょう」
砦の食料庫を確認して、そう杏樹は言った。
「お腹が減っているときは、いい考えは浮かびません。それは、零さまが教えてくれたことです」
「そうなんですか?」
「温かいご飯と、雨露をしのぐ屋根。それと、優しい人の体温があれば、人は安心して過ごせるものですよ」
そんな感じで杏樹は、砦の者たちに炊き出しを命じた。
さらに、近隣の村々から食料を買い集めるために、使者を出した。
物資はすぐに届くことになった。
俺たちが助けた商人の須月さんが、すでに動いていてくれたからだ。
「我々は杏樹さまと零どのに救われております。恩を返さなくては、商人の名がすたります!」
須月さんはすぐに、食料や衣服など、生活必需品を乗せた荷馬車を連ねてやってきた。
おかげで、すごく助かった。
厄災の後に、食料を載せた大量の馬車がやってくること……それはみんなに「あなたたちを助けます」という意思を示すものだったからだ。
みんなは須月さんを大喜びで出迎えた。
そうして、須月さんを呼び寄せた杏樹の名声も高まった。
同時にそれは、州候代理への怒りを生む結果にもなった。
鬼門の人たちは、1ヶ月と少し前に副堂沙緒里がやってきたのを覚えていた。
彼女がいる間、『邪気払いの社』が封鎖されていたことも知っていた。
今回の事件に彼女が関わっていることには、薄々、気づいていたんだ。
「──杏樹さまを次の州候に!!」
「──魔獣を呼び込む者を、州候代理になどしておけるか!!」
「──鬼門は紫州の要だ! この地で邪気を祓うことで、魔獣を防いでいるのだ!! 鬼門の声を州都に届けるのだ!!」
「「「州候の地位は、紫堂杏樹さまに!!」」」
そんな言葉がうねりとなって、鬼門周辺の村を包み込んでいた。
でも杏樹は、あまり気にしていなかった。
俺も同じだ。
放っておいても、州候代理はもう、終わりだ。
【禍神】召喚の術が破られた以上、沙緒里はその代償を支払うことになる。
命を失うことはないだろうけど、それなりのものを。
おそらく霊鳥『緋羽根』との契約も維持できなくなるだろう。
それは州候代理が、彼女の力を失うことを意味する。
まぁ、実際にどうなったのかは、確認しなければわからないんだけど。
そんな話をしたあと、俺は『軽身功』を発動。
杏樹の護衛を『柏木隊』に任せて、一足先に州都へと向かった。
目的は、事件のことを州都の者に伝えること。
それと副堂親子の身柄を押さえることだ。
でも、少し遅かった。
副堂親子は事件の翌朝には、州都から姿を消していたからだ。
州候の屋敷の者から、俺は、話を聞くことができた。
予想通り、沙緒里は術が破られたことで、相当なダメージを受けたらしい。
絶叫し、のたうちまわったあと、意識を失ったそうだ。
その後で、医師が診察した結果、沙緒里が霊力と記憶の一部をなくしていることがわかった。
その日の夜、屋敷の庭で火事が起きた。
不審火だった。
屋敷の者たちは全員で、必死に火を消した。
火はすぐに消えたけれど、その間に、副堂親子は屋敷から姿を消していた。
火を付けたのは州候代理──副堂勇作だったのだろう。
皆が火事に気を取られている間に、荷物をまとめて逃げたのだ。
霊力と記憶を失った、娘の沙緒里と一緒に。
残されたのは、机の上に置かれた、『州候代理に任ずる』という、煌都からの委任状だけ。
行き先は誰も知らない。
彼らは文字通り、消えてしまったんだ。
州都の役人たちは慌てた。
自分たちの上に立つ者が、いなくなってしまったからだ。
しかも、彼らの話によると、州候代理は隣の州の──錬州の人間を、屋敷に引き入れていたらしい。その目的は不明だが、奴らがなにか仕掛けてくる可能性もある。
だから、州都の者たちは、杏樹の帰還を望んだ。
今回の事件は、州候代理が他州の力を借りて行った『紫州の乗っ取り』だった。
紫州を治める役人たちも、心から州候代理を支持していたわけじゃない。
というか、やっぱり杏樹の人望は高かった。
そんなわけで、州都の役人たちは、杏樹の帰還を望む書状を、俺に託したんだ。
「どうしますか? 杏樹さま」
精霊経由で、俺は訪ねた。
さすがに距離はあるけれど、なんとか繋がった。
移動中、『灯』『泡』『晴』たちを、一定間隔で配置しておいたからだ。
しばらく、杏樹からの返事はなかった。
迷っているのかな……と思って、『四尾霊狐』に聞いてみると、
『杏樹さま、炊き出し中ですー』
って、返事が来た。映像つきで。
割烹着姿の杏樹が、必死に握り飯を作っているところだった。
商人の娘さんの須月茜も一緒だ。
ぎこちない手つきだった。
まるで壊れ物をあつかってるみたいに、杏樹は必死に、握り飯を作ってる。
でも、杏樹の作った握り飯はいびつで、形もバラバラだ。
梅干しや漬物を入れ忘れたり、それらがご飯から飛び出してたりもする。
その『杏樹さまの握り飯』は、大人気だった。
皆の前に並んだ瞬間、民も兵士たちも先を争って手を伸ばしてた。
きれいな三角形をしてる握り飯は須月茜のものだけど、そっちは残ってる。なんだか泣きそうな顔をしてる彼女を、杏樹がなぐさめてる。「料理を教えてください」って交渉してる。杏樹は料理が作れるようになりたいらしい。将来のために……って付け加えてるのが、気になったけど。
その後、すぐに杏樹からは返事が来た。
『申し訳ありません。炊き出しに夢中になってしまいました』というお詫びがあって、それから──
『お話はわかりました。すぐに州都に戻る準備をいたしましょう』
──杏樹の、迷いのない言葉が返ってきた。
杏樹の目的は、民を守ること。
そのために力を尽くす。州候の娘としての、責任を果たす。
追放されても、【禍神】に狙われても、関係ない。
それは杏樹の、揺らぐことのない、本心だったんだ。
それに、鬼門の村々を復興するためには、予算を動かす必要がある。
予算を動かすには、州候代理の権限が必要だ。
それには、州候代理に就任するのがてっとり早い。
あとは──
「零さまに十分な恩給をお支払いするためには、州候代理くらいにはなっておきませんと」
杏樹は真面目な口調で、そんなことを言ったのだった。
話をしたあと、俺は大急ぎで鬼門に戻った。
州都に凱旋する杏樹の側にいたかったからだ。
州候代理は他州の者と関わっていたらしいからな。
そいつらが手を出してくるかもしれない。
州都に戻るまでは……いや、戻った後だって、油断はできないんだ。
そんなわけで、
「ただいま戻りました」
「は、早すぎです! 零さま!! 無理はしないでくださいね……」
「はい。俺の目的は長生きして、恩給をもらうことですから」
──俺は杏樹と合流してから、改めて州都に向かうことにした。
鬼門には杖也老が居残ることになった。
彼は鬼門の村の代官と協力して、村々の復興に務めるそうだ。
復興には、商人の須月さんも協力してくれることになった。彼はしばらくの間、頻繁に鬼門の村に来てもらうということになっている。食料と物資の補給のためだ。
ただ、須月さんの方からもお願いはあるようで──
「うちの娘を、月潟零さまの弟子にしてはいただけませんか」
復興の協力を約束したあと、商人の須月さんはそんなことを言い出した。
隣では娘の茜さんが、深々と頭を下げて、
「お願いします。師匠!」
「うちの娘は思い込んだら聞かないところがありまして……できれば本人の気が済むまでやらせてみたいのです。もちろん、お礼はいたします。どうでしょうか?」
──ということだった。
この状況で持ち出すのはずるいけど……断る理由はなかった。
女性の護衛がいた方が、杏樹のためにはいいからだ。
須月茜は、正統派の剣術を身につけている。
ただ、霊力の使い方がうまくない。
そこを補えば、いい護衛になってくれるかもしれない。
着替えの時とか……俺が杏樹の側にいられないこともあるからね。
女性の護衛がいれば、色々と助かりそうだ。
そんなわけで、俺は杏樹と話し合って、須月茜──茜を、弟子とすることを決めた。
茜は飛び跳ねるみたいにして喜んでいた。
まぁ、すぐに『虚炉流・邪道』は教えられないんだけど。
まずは基本の霊力運用から仕込んでいこう。
そんな感じで準備は進み、出発の当日になり──
『くるる────っ』
その日、杏樹のところに、霊鳥『緋羽根』がやってきた。
「『緋羽根』……来てくれたのですか」
『……くるるん』
「はい。お話を聞かせてください」
しばらく、杏樹と霊鳥『緋羽根』は顔を寄せて、話をしていた。
それが終わると──彼女は前を向いて、
「それでは皆さま、出発いたしましょう」
そんなことを、宣言した。
『緋羽根』となにを話したのかを、口にしなかった。
ただ、心で、
『……沙緒里さまとは、いつか、話をしなければいけませんね』
──そんなことを、俺に伝えてくれた。
『それと……煌都と錬州の者には気をつけなければいけません。今回の事件には、そのふたつの勢力が関わっているようです。零さまも、ご注意を』
『承知しました』
煌都と錬州か……。
錬州には行ったことがない。
『虚炉村』からは意外と近い距離だったから、村の者が行くことはあったけど。でも、俺は父さんが死んでから、外の仕事はしなかったからな。行く機会はなかったんだ。
ただ、海がある豊かな州だとは聞いている。
そんな錬州が、紫州にちょっかいを出してくる理由は、俺にはわからない。
煌都になると、さらに謎だ。
あの地は開花した文明の中心地で、夜でも明るく、音楽が絶えない場所らしい。
うちの祖父が自慢してたからな。「煌都の最先端の『かふぇー』で一服した」って。
それでいて陰陽師や巫女衆なんてものがいる、不思議な場所だ。
正直……関わりたくはないな。安定した老後のためにも。
そんなことを考えながら、俺たちは州都への道を進み続けた。
馬車には杏樹と、小間使いの桔梗。
その隣を歩くのが、護衛役の俺。
さらに前後を、衛士の『柏木隊』が固めている。
兵士長に従っていた兵たちは、今では杏樹の部下になっている。
ちなみに、兵士長は荷馬車の上だ。副堂親子が消えたことを伝えたあとは、あいつもすっかり抵抗をやめてしまった。縛り上げられた状態で、荷物と一緒に、おとなしく運ばれている。
街道の民は、すでに鬼門の事件を知っていた。
杏樹が州都に戻ることも聞きつけて、街道に集まってきていた。
みんな、杏樹の馬車に手を振ってる。
こうして杏樹の一行は、皆の歓迎を受けながら、街道を進み──
数日かけて、州都にたどりついた。
もちろん、州都に戻ったからって、すべてが解決したわけじゃない。
州候代理がなにをやらかしたのか調べる必要もあるし、紫州の情報がどれだけ他州に流れたのかも調査しなきゃいけない。仕事の引き継ぎや、人材の再配置。そうした様々な仕事をこなしていると──
杏樹の父、紫堂暦一がいる病院から、連絡が来たのだった。
「父の意識は……まだ、戻っていないようです」
書状を読んだあと、杏樹は落ち着いた口調で、つぶやいた。
俺と杏樹がいるのは、州候の屋敷にある、杏樹の自室。
畳敷きの和室だった。
俺たちは正座して向かい合い、病院から届いた手紙を読んでいる。
書状を書いたのは、杏樹の母方の縁者だそうだ。
信頼できる人で、杏樹の父の主治医をしているらしい。
庶民だから、杏樹の追放に際しては、なにもできなかったそうだけど。
「父は、音州の病院におります」
「音州というと……この国の最北にある州ですね」
「わたくしの母の出身地でもあります。紫州からは距離がありますから、父を隠すにはちょうどよかったのですよ」
杏樹の父は、できるだけ副堂親子から遠ざける必要があった。
だから、北の果てにある音州へと移送したそうだ。
「紫州が落ち着くまでは、音州の病院にいていただいた方がいいかもしれません」
「いいのですか、杏樹さま? 父君に、お目に掛かりたいのでは……?」
「それは……もう少し紫州が落ち着いてからにします」
杏樹は決意に満ちた表情で、
「今回の事件のせいで、紫州はまだ混乱しております。それに錬州や……煌都のこともありますからね」
「霊鳥『緋羽根』が教えてくれたことですね」
「そうです」
「杏樹さまは、錬州と煌都のどちらを警戒すべきだとお考えですか?」
「煌都です」
迷いなく答える杏樹。
「沙緒里さまのお母上は、煌都の巫女衆の出身でした。そのつてを利用して叔父さま──副堂勇作さまは、煌都から州候代理の認可を得たのでしょう」
「州候代理は煌都の権威を利用した、ということですね」
「ただ……本当に利用したのはどちらなのでしょう?」
沈黙が落ちた。
書状を前に、杏樹は考え込んでいるようだった。
「利用したのは、煌都の力を借りた叔父さまでしょうか。それとも、叔父さまを利用した誰かが……」
「…………杏樹さま?」
「……以前、父から聞いた言葉があります」
杏樹はじっと、俺を見ている。
「父は言っていたのです。『今の煌都には関わるな』と」
「……え?」
「理由はわかりません。ただ『先帝が亡くなられてから、煌都は変わった』『煌都の中枢に関わる者は、州候制を憎んでいる』ともおっしゃっていました。いずれにせよ、父が煌都を警戒していたのは確かです」
「……そうだったのですか」
煌都は、この国の首都だ。
この国で一番、文化が発達している場所でもある。
開花した文明を享受しているのも煌都だ。
あの都にはガス灯がともり、さまざまな店が列をなしている。
路面電車の建設計画があって、道路も整備されている。
少数だけれど、自動車も走っているそうだ。
人々は洋装をまとい、生活に余裕のあるものは、カフェーで珈琲や紅茶を楽しむ。
夜でも音楽と歌声が絶えない。
そういう、文明の町だと聞いている。
なにより、あの地には魔獣がいない。
5文字の名を持つ霊獣が北東を守護し、都の結界を維持する巫女衆・陰陽寮、さらには霊獣を従えた近衛衆が、徹底した防御を展開している。
彼らの強さは、祖父と父から聞かされている。
『虚炉流』最強のひとりである祖父でさえ、近衛衆にはなれなかった。
先帝の護衛を務めはしたけれど、1年で村に帰ってきた。
それでも一生の自慢にはなる。
煌都とは、そういう場所だ。
「先の皇帝陛下は、おだやかな方だったようです」
「確かに……うちの祖父を護衛に雇ってくれるようなお方ですからね」
俺は深刻さを消すような感じで、言ってみた。
「それでもうちの祖父は、煌都の水が合わずに、1年で帰ってきたそうですけど」
「まぁ」
「でも、今上帝になってから変わった、と」
「……父は、そう言っていました。それに今回の件です。警戒するべきでしょう」
杏樹は、俺の手を握った。
「叔父さまと沙緒里さまについては、捜索を出しております。いずれ、おふたりから話を聞くことはできましょう。けれど……どちらにしても、警戒は必要です。ですから……零さま」
「はい。杏樹さま」
「わたくしの側に、いてくださいませ」
杏樹の大きな目が、俺を見ていた。
「あなたが側にいてくだされば、わたくしは……たとえ煌都が相手でも、がんばれるような気がするのです。ですから、どうか、わたくしの側にいてください。零さま」
「俺は杏樹さまの護衛です」
俺は言った。
「恩給の約束もありますからね。それがもらえるまでは、ずっとお側にいます。それに」
「それに?」
「『四尾霊狐』との共同契約の件も、ありますから」
「そ、そうでしたね」
「そういえば、あの子は?」
「だ……押し入れの中で待っているように、命じてあります」
「そうなのですか?」
「大事なお話なので、ふたりきりになりたかったのです」
「でも、『四尾霊狐』……怒ってません?」
「ちょっと、怒っているようです」
「……ですね」
俺と杏樹は顔を見合わせた。
それから、
「「出てきても (いいよ) (いいですよ)」」
『キュキュ────ッ!』
押し入れの襖が開き、四本尻尾の銀色狐が飛び出してくる。
霊獣『四尾霊狐』は真っ赤な目を怒らせて、杏樹の胸に飛び込む。
そのまま杏樹の部屋着の襟元にもぐりこんで──
「……あ、あの。『四尾霊狐』さま? くすぐったいです!」
「仲間外れにされたのを怒ってるみたいです。杏樹さまの体温と霊力を、補給したいようですね」
「で、でも……だ、駄目です。『四尾霊狐』さま。暴れたら着物がほどけてしまいます!」
慌てて部屋着の帯を押さえる杏樹。
思わず視線を逸らす俺に向かって、彼女は、
「えっと……『四尾霊狐』さまがおっしゃっています。『ごはんをくれたらゆるしてあげる』と」
「わかりました。桔梗さんにお願いして用意を……」
「『零さまのやきめしがいい』だそうです」
「…………杏樹さま」
「…………はい」
「それは『四尾霊狐』と杏樹さま、どちらの希望ですか?」
「…………両方です」
杏樹は服の中から『四尾霊狐』を引っ張り出す。
とりあえずは『四尾霊狐』を畳の上に置いて、それから部屋着を整えて、彼女は、
「わ、わたくしと『四尾霊狐』さまは一体化しましたから、ときどき一緒の気持ちになってしまうようなのです。ですから、わたくしも……零さまのご飯が食べたくなってしまったのです」
「承知しました。準備しますね」
「作るところを拝見しても?」
「はい。いいですよ」
「…………うれしいです」
そう言って杏樹は立ち上がる。
『四尾霊狐』もうれしそうに『きゅきゅぃ』と鳴いて、走り出す。
素早く俺の服に手を掛けて、身体を登り始める。
そのまま俺の襟元に身体を滑り込ませて、反転。服の衿から顔だけ出して、満足そうにうなずいてる。杏樹さまの体温や霊力を欲しがったように、俺の体温と霊力も補給したがっているのかもしれない。
「あ、あわわ……」
「どうしました。杏樹さま」
「い、いえ、『四尾霊狐』さまが、零さまの中に……」
「厨房に行く前に取り出しますから問題ないです。料理の前には、ちゃんと手も洗いますからね。邪魔にはなりませんよ」
「……そ、そうではなくて」
杏樹は真っ赤な顔で、一言、
「……『四尾霊狐』さまが零さまの中に入ったのは、わたくしの感情のせいでありません。わ、わたくしはそこまではしたないことは考えていないと……申し上げておきましょう」
「ですよね」
「…………はい」
「先を歩いてくださいますか。俺が杏樹さまの前を歩くわけにはいきませんから」
「…………心臓が落ち着くまでお待ちください」
そうして杏樹と俺は、連れだって厨房へと向かったのだった。
杏樹の追放から始まった、紫州乗っ取り事件は、こうして幕を閉じた。
副堂親子の行方はわからない。
けれど、沙緒里が霊力を失った以上、彼らにたいしたことはできないはずだ。
問題は──副堂勇作を州候代理に任命した、煌都にいる、誰か。
それと、杏樹と俺が不在の間、紫州を何度も訪ねて来たという、錬州の嫡子だ。
錬州は確実に、今回の紫州乗っ取りに関与している。
杏樹の推測が正しければ、煌都も。
これから州候を治める杏樹には、2方向の敵がいることになる。
だから、俺はどんな手段を使っても、杏樹を守る。
『虚炉流』の技も、前世の知識も……いざとなったら、『虚炉村』に残ったあいつの力を借りてでも。
めざすは、身体を大切にできる頭脳労働。
そして老後は夢の恩給生活だ。
恩給でつつましく暮らしながら、小さな料理屋をやる。
食材を確保して、前世で食べたかった料理を作る。
身体が弱くて、食べられる料理が限られてたからな、前世の俺は。
今世ではその分を取り戻す。
この世界の和食はたくさん食べたから、次は前世で食べたかった料理を作ろう。
そうして、のんびりと暮らしていければいい。
そのためにも、紫州は平和でいて欲しい。
若いうちはがんばって、杏樹の手助けをしよう。
俺の、力が及ぶ限り。
そんなことを考えながら、俺は厨房で、杏樹と『四尾霊狐』のための料理を作り始めるのだった。
第1章、おしまい。
第2章に続きます。
これで第1章はおしまいとなります。
第2章は、ただいま準備中です。まとまり次第更新しますので、少しだけ、お待ちください。
読者の皆さまの応援のおかげで、「最強の護衛」の書籍化が決定しました。
レーベルとイラストレーターさまについては、後ほどお知らせします。
発表できるようになったら、詳しいことをお伝えしますので、これからも、「最強の護衛」の物語を、よろしくお願いします。




