第24話「護衛、鬼門の呪詛(じゅそ)を破壊する」
──零視点──
「あれが、呪詛の中心か」
『邪気払いの社』は壊されていた。
鳥居は倒れ、邪気の侵入を防ぐはずの注連縄も、地に落ちている。
本来は清浄であるはずの社のまわりは、濃密な邪気であふれている。
まるで黒い霧の中を進んでいるようだ。
俺のまわりにはたくさんの精霊『灯』がいて、道を照らしてくれている。
杏樹の結界も、邪気を弱めてくれている。
だからなんとか、先に進めている状態だ。
「……いるな」
気配がする。
魔獣よりも巨大なものが、この先にいる。
俺は霊力を込めた太刀を手に、前に進む。
やがて、巨大な影が見えてくる。
人に似た姿。ただし、身体は人の数倍。
異常に長い腕。
全身を覆う、トゲのような体毛。
むき出しの歯。
そして、頭部には金属製の輪。
副堂沙緒里が喚びだしたものが、そこにいた。
『斉天大聖』という名で呼ばれる、巨大な猿猴が。
『グゥルルルルルルウルルルルルウルウルゥ!!』
奴は吠えている。荒ぶってる。
鬼門の最奥から、出てこようとしている。
けれど、まだ完全にこっちの世界には現れていない。
出現しているのは、巨大な猿猴の上半身だけだ。
下半身は、黒い渦のようなものの向こうにいる。
奴がこの世界に完全に現れるのを、杏樹の結界が邪魔しているんだ。
副堂沙緒里は、巨大なものを喚んだ。
それは杏樹が鬼門に到着するのと同時に、この場所に出現するはずだった。
そうして杏樹に襲いかかり、ついでに鬼門の村々を破壊する予定だったんだろう。
沙緒里にとって誤算だったのは、杏樹が『四尾妖狐』と契約したことだ。
そのおかげで杏樹は、多数の精霊を味方にした。
精霊たちの力を借りて、鬼門に巨大な結界を張ることができたんだ。
その結界が、巨大な猿猴が、こちらに出てくるのを邪魔している。
奴は完全に出現できずに、もがいているんだ。
結界を張るのがもう少し遅ければ、あいつは砦に向かって飛び出していただろう。
本当にぎりぎりのタイミングだったんだ。
「これが副堂沙緒里が喚びだしたものか……」
目の前にいるのは、上半身だけで3メートルを超える、大猿猴だ。
全身は膨大な邪気に覆われている。
身体は漆黒。
長い2本の腕が握っているのは、金棒だ。
顔には真っ赤な目。額には、金色の輪がはまっている。
そして、胸の中心には小さな紙──呪符が貼り付いている。
呪符から杏樹が読み取った名前は──『■天大聖』。
正式名称は、おそらく『斉天大聖』。
前世の世界で言う、孫悟空だ。
それが禍いの神──『禍神』として、この世界に現れようとしている。
「なんで、こんなものがいるんだよ……」
前世の世界には精霊も霊獣もいなかった。
神も精霊も、物語や伝説の中だけの存在だった。
もちろん、こっちの世界には精霊も霊獣も土地神も存在する。
だけど『斉天大聖 孫悟空』の物語は聞いたことがない。
実際に物語として存在するのかもわからない。
少なくとも杏樹は『斉天大聖』という言葉を知らなかった。だとすると、『孫悟空』の物語はこの国には入ってきていないか……存在しないと考えるべきだろう。
じゃあ、副堂沙緒里は、どこからこれを召喚したんだ?
……わからない。
わかるのは、術を破壊する方法だけだ。
それは精霊を通して、杏樹から教わってる。
────────────────────
「杏樹さまにうかがいます。禍神を倒すのに一番いい方法は、呪符を破壊することですか?」
『そうです』
精霊を通して、杏樹の答えが返って来る。
『あの禍神と、術者である沙緒里さまは霊力で繋がっております。呪符を破壊すれば、接続は消えます。呪詛は消滅するでしょう』
「禍神の手足や首を落とすのは?」
『それでも構いませんが……大変ではありませんか?』
「……確かに、そうですね」
【禍神・斉天大聖】の首は、樹木のような太さがある。
太刀で斬り落とすのは難しいだろう。
「呪符を破壊したら、術者はどうなりますか?」
『……呪詛は術者へと返ります。おそらくは、身体や精神への痛み、病、傷として』
杏樹が口ごもるのが、わかった。
『ただ、呪符の壊し方によって「呪詛返し」の強さは変わります。例えば……呪符を霊力の流れに沿って、きれいに断ち切ることができれば、影響は最小限にとどまるでしょう』
「杏樹さまは、どちらを望まれますか?」
呪符の破壊の仕方によって、副堂沙緒里が受けるダメージは変わるらしい。
死か、身体が壊れるほどの影響を与えるか。
そこまで行かない程度のダメージにするか。
杏樹は、どんな結果を望んでいるのだろう。
『わたくしは、沙緒里さまを裁かなければなりません』
迷いのない答えが返って来る。
『ですから、わたくしは、沙緒里さまと話ができて、どうして「二重追儺」の儀式を行ったのか問いただせるような結果を望んでおります』
「承知しました」
『ただし、零さまの安全が最優先です』
杏樹は続ける。
『絶対に無理はしないでください。まもなく、砦のまわりにいる魔獣たちの掃討が終わります。そうすれば、柏木さまの部隊をそちらに向かわせることができます。集団で戦えば、零さまの負担も少なくなるはずです』
「承知しました」
────────────────────
移動中、俺と杏樹はそんな話をしていた。
杏樹は副堂沙緒里と話をして、彼女を裁くことを望んでいる。
でも、優先するべきは俺の安全。
それが杏樹の結論だった。
杏樹は支援も送ってくれた。
待っていれば衛士の『柏木隊』が来るはずだ。
そうすれば俺も、楽に戦えるはずだけど……。
『グルゥアアアアアアアアアォォォアアアア!!』
だぁん!
【禍神・斉天大聖】が両腕で地面を叩いた。
奴はそのまま地面に爪を立て、身体の半分を、こっちの世界へ引きずり出そうとしている。
ずるり、ずるり、と……猿猴の身体が出現していく。
今はまだ、現れているのは上半身だけ。
そのおかげで、奴の動きは制限されている。
『柏木隊』が来れば、楽に倒せるかもしれないけれど……この場所は邪気が濃すぎる。
『朱鞘』の柏木さん以外の人は、耐えられないかもしれない。
『ウルゥォォォォアアアアア────────────!!』
【禍神・斉天大聖】が、吠えた。
空気が震えた。
衝撃で樹木が倒れ、家の屋根が飛んでいく。
飛んでいた鳥が落ちて、周囲にいる『灯』も震え出す。
精霊たちが逃げないのは、上位霊獣の『四尾妖狐』と繋がっているからだろう。
でも、時間をかければ杏樹の負担が増えていく。
『柏木隊』を待つ時間はないな。さっさと呪符を破壊しよう。
「……やれるだけ、やってみよう」
俺は『軽身功』と『無音転身』を同時発動。
気配を消したまま、真横に跳んだ。
そのまま樹木の間を縫って、【禍神・斉天大聖】に接近する。
だけど──
ぶんっ!!
「──っと!」
【禍神・斉天大聖】は俺に向かって、金棒を振った。
俺は手近な木を蹴って方向転換。後ろに跳ぶ。
直後、俺が足場にしていた樹を、金棒が吹き飛ばした。
金棒は微妙に伸び縮みしている。
いかにも『如意棒』って感じだ。ただ、突然数倍の長さになったり、空まで伸びたりはしていない。そのあたりは術者の霊力の強さによるのかもしれない。副堂沙緒里の霊力では、この程度の力を出すのが限界なんだろう。
副堂沙緒里の霊力が杏樹と同じくらいだったら……完全体の【斉天大聖】が出現していたかもしれない。
この程度で済んでるのは助かるけど──
「間合いが読めず、『無音転身』が効かないとなると、面倒だな」
すぐ近くに、巨大な猿猴の顔がある。
眼球が高速で動いている。奴は、目が良さそうだ。
たとえ気配がなくとも、敵の姿は絶対に見逃さない──そんな意思を感じる。
だったら──
「『虚炉流・邪道』──『影縫い』」
俺は【禍神・斉天大聖】の邪気に向かって、棒手裏剣を飛ばす。
楔状の霊力を絡みつかせた棒手裏剣だ。
これで奴の邪気を絡め取れば──
『──クダラヌ』
──がつん。
奴は一歩、動いただけ。
それで邪気を地面に縫い付けたはずの棒手裏剣が、引き抜かれた。
禍神クラスを『影縫い』で止めるのは無理か。
「めんどくさいから、もう帰ってくれないかな」
『…………ヒトノネガイヲ、キイタ』
【禍神・斉天大聖】は、言った。
『喚バレタ。カナエル。贄ヲ……ココヘ』
「杏樹さまを食っても、誰も幸せにならないと思うけど」
『ネエサマハ……ワタシヲ…………ミテクレナイ』
声がした。
【禍神・斉天大聖】の口からだ。
甲高い声だ。副堂沙緒里のものだろうか。
霊力を通して、彼女の感情が漏れ出したのかもしれない。
『霊獣と話す力しかないくせに、みんなに慕われている。許せない。ワタシヲ見テ。アナタヨリ上ノ存在ニナッタワタシヲ見テ。見て、見て見て見て見て見て見て見て見て──』
『……これは、沙緒里さまの声……』
杏樹の声が聞こえた。
『沙緒里さまはこれほど、わたくしを憎んでいたのですか……』
「いえ、それは違うと思います」
俺は答える。
「逆です。あの人は杏樹さまが気になって仕方なかったんじゃないでしょうか」
『わたくしは……沙緒里さまとお友だちになりたかったのですが』
「副堂勇作が許さなかった?」
『はい。それと、沙緒里さまのお母さまが』
「……なるほど」
『二重追儺の儀』は、杏樹を殺すために行われたのだと思っていた。
でも、違うのかもしれない。
副堂沙緒里の目的が杏樹を超えることなら、彼女を殺したら意味がない。
目障りだから『二重追儺の儀』で紫州から追い払うとか、そういうことをするはずだ。
だったら、こんな巨大な禍神を呼び出す必要はない。
ぶんっ!
『小癪ナ! 我ガ贄ヲ喰ラウ邪魔ヲスルカ!』
【禍神・斉天大聖】が腕を振る。
俺が後ろに跳ぶと、奴の棒が樹木をなぎ倒した。
ついでのように、社と鳥居の残骸まで粉々にする。
こいつは間違いなく、杏樹を殺そうとしている。
でも、それでは副堂沙緒里の願いは叶わない。
さっき聞こえた言葉が副堂沙緒里の本音なら、彼女の願いは杏樹を越えることだ。
というよりも、杏樹を見下して、自分をうらやましがらせることだろう。
でも、杏樹を殺してしまったら、それは不可能になる。
兵士長は言ってた。沙緒里が呼び出そうとしたのは【ヨミクラノヤミオニ】だと。
それは目の前にいる【禍神・斉天大聖】とは別者だ。
となると……誰かが呪詛を書き換えたのか、副堂沙緒里をだましたのか……。
……わからない。情報が少なすぎる。
まぁ、今考えても仕方ないか。
『天界最強ノ我ヲ縛ルカ! 人間!!』
【禍神・斉天大聖】が、金棒を振り下ろす。
どぉん、と、地面が揺れる。
俺が距離を取ると、奴はまた地面を掻いて、闇から身体を引きずり出そうとする。
さっきからこの繰り返しだ。
胸の呪符に近づけない。
でも、これ以上時間をかけるわけにはいかない。
ここは……杏樹の力を借りよう。
「聞こえますか。杏樹さま」
俺は精霊を通して、杏樹に呼びかけた。
「すみません。ちょっと杏樹さまの力をお借りしたいんですが」
『は、はい! なんでもおっしゃってください。零さま!』
「では、俺の姿を思い浮かべてください」
『……え?』
「この世界の鏡……じゃなかった、俺はいい鏡を持ってないので、自分がどんな姿をしているのか、はっきりとはわからないんです。杏樹さまから見た俺の姿を思い浮かべてみてください」
『わ、わかりました……えいっ』
杏樹から見た、俺のイメージが伝わってくる。
……なんだかキラキラしてるのが不思議だけど……まぁいいか。
これを借りよう。
「戦いに集中するので、しばらく返事はできなくなります」
俺は杏樹に伝えた。
「杏樹さまは、結界の維持に集中してください。あなたが鬼門の村を守ったのだと、みんなにはっきりとわかるように」
『承知しました。それより、零さま』
「はい」
『無事に帰ってきてください』
必死な言葉が返って来る。
『戻ってくるまで、わたくしは狐耳と尻尾を生やしたままでおります。だからどうか、ご無事に戻ってきてください。お願いです……』
そっか。
さっき『狐耳もふもふの杏樹が見たい』って思ったの、伝わってたんだね……。
「戻ります。ですから、お心安らかに」
そう言って、俺は通信を切った。
さて、と。
俺の基本スペックは忍者だ。正面からの斬り合いは得意じゃない。
だから、基本に立ち返ることにしよう。
不意打ち。卑怯。トラップ上等だ。
「協力してくれ。『灯』たち」
ふよふよ、ふよ。
周囲に、十数体の『灯』が集まってくる。
俺は意識を集中して、彼らに指示を伝える。
そして再び『軽身功』を発動。
地面を蹴り、【禍神・斉天大聖】に向かって、跳んだ。
『グゥオオオオオオァアァァァァ!!』
【禍神・斉天大聖】が金棒を振り回す。
でも、問題ない。奴の動きは見えている。
俺は十数体の『灯』の視界を借りている。
だから【禍神・斉天大聖】の動きがよく見える。
前、横、後ろ、上、下、斜め前、斜め後ろ。文字通りに、四方八方から。
脳みそをフルに使っての情報分析。
頭が熱くなる。めちゃくちゃ負担がかかってるのがわかる。
でも、なんとか頭痛は起こさずに済んでる。健康で良かった。
『シャラクサイ! オレサマヲ──マドワスカ────ッ!』
がつん。がつんっ!
金棒が地面を叩く。
俺はその間を縫って【禍神・斉天大聖】に近づく。
懐に入りこむ。
邪気の壁の向こう──禍神の胸元にある呪符が……見えた。
「『虚炉流・邪道』──」
【禍神・斉天大聖】が、こっちを見た。
巨大な深紅の目が、まっすぐに俺を捉えている。
ガゴォンッ!
奴が金棒を手放す。自由になった両腕を振り上げる。
懐に入った俺を、叩き潰すつもりか。
でも、もう遅い。
『虚炉流』原初の技の用意は、もうできている。
──霊力を、精霊『灯』たちに注ぎ込む。
──杏樹がくれたイメージを、精霊たちに伝える。
──精霊がそれを受け取り、理解する。
その結果、生み出された技は──
「『虚炉流・邪道』奥義────『影分身』!!」
『──ガ、ガァッ!?』
次の瞬間、俺が十八人になった。
上を見ても横を見ても、俺、俺、俺だ。
着流しを身にまとい、太刀を構えた俺の姿が大量にある。
それらが一斉に地面を蹴って、飛んだ。
『…………キサマ! ヨクモ……コノヨウナ技ヲ!!』
【禍神・斉天大聖】が腕を振る。
虚像の俺が、風圧に押されて、ふわり、と、浮き上がる。
そこにいるのは精霊『灯』だ。
身体は羽根のように軽い。金棒が起こす空気の流れで、簡単に飛ばされる。
だから、【禍神・斉天大聖】の攻撃は当たらない。
『影分身』は『虚炉流』の原初の奥義のひとつだ。
発動条件は、光を操る霊獣か精霊を使役していること。
目に見えている光景は結局のところ、光の集合体だ。
だから光を操る精霊なら、俺の虚像を作ることができる。
それを大量にばらまけば、分身の術が実現するんだ。
そして【禍神・斉天大聖】は目がいい。
無機物だろうとなんだろうと、こいつは動くものに反応している。
それと、俺は『影分身』──『分身の術』を使うことで、禍神の正体を確認することができる。
前世の世界の物語で『斉天大聖』──孫悟空は分身を操っていた。
こいつが孫悟空と無関係なら、淡々と攻撃してくるはず。
もしも技を真似されたことに怒って荒ぶるなら、奴が俺の世界の物語に出てくる孫悟空と関係があるという証明になる。少なくとも、手がかりにはなる。
そして、結果は──
『グゥォオオアアアアアアアアアアア! ギザマ、ギサマアアアアアア!!』
あ、怒った。
奴は腕を振り回して、暴れ回ってる。
『零さま!』
こっちを見ている杏樹が、叫ぶ。
でも、大丈夫。返事はできないけれど、問題なしだ。
もう、奴の呪符は、俺の間合いに入っているから。
「『虚炉流・邪道』──『神斬り』」
ざくり。
俺の太刀が【禍神・斉天大聖】の胸にある呪符を、断ち切った。
呪詛の源がふたつになって、落ちる。
『…………キサマ? ナ、ナゼ。ソコニ…………?』
【禍神・斉天大聖】は、信じられないものを見るような顔をしていた。
まぁ、びっくりするよな。
分身がいない場所から、攻撃が飛んで来たんだから。
「俺は、地面に化けた『灯』の後ろを走ってただけなんだけど」
『────!?』
【禍神・斉天大聖】が目を見開く。
俺は『灯』に命じて、自分の分身を作らせた。
でも、数体の『灯』には、地面に擬態してもらってたんだ。
茶色い、湿った、むき出しの土に。
俺は地面に化けた『灯』の真下を走って、【禍神・斉天大聖】に接近した。
そうして呪符を断ち切ったんだ。
【禍神・斉天大聖】は目がいい。
それだけに、分身の俺に注意を奪われていた。
地面の虚像を作った『灯』と、その下にいる俺のことは気にも留めなかったんだ。
やっぱり、戦いは不意打ちに限るな。
正々堂々とか、向いてないもんな。身体に負担がかかるし。
そもそも、俺は肉体労働はしたくないんだ。早く頭脳労働に転職したいな……。
「最後に教えてくれ。あんたはどこの世界の【斉天大聖】なんだ?」
こいつは【禍神・斉天大聖】という名を持ち、前世で見たの物語によく似た姿で現れた。
しかも、邪気をまとった禍神として。
だとすると……一体、こいつはどこから召喚されたんだ?
『…………アガ…………ガァ』
【禍神・斉天大聖】は答えない。
凝り固まっていた邪気が、ほどけて、散っていく。
巨大な猿猴の身体は、邪気とともに崩れていく。
やがて、やわらかな光が降ってきた。
杏樹の結界が生み出した光だ。
それが邪気ごと【禍神・斉天大聖】を消し去っていく。
夜風が吹き抜けた。
かすかな風に吹き散らされて、【禍神・斉天大聖】は跡形もなく消え去った。
社があった場所にわだかまっていた、邪気も。
残ったのは、ふたつに割れた呪符だけ。
これは重要な証拠品だ。
持って帰って、杏樹に渡そう。
「終わりましたよ。杏樹さま」
『────ご無事ですか!? 返事をしてください。零さま!!』
あ、通信を切ってたのを忘れてた。
ずっと、俺の名前を呼んでいたみたいだ。心配かけてごめん。
「【禍神・斉天大聖】は倒しました。呪符は霊力に沿って、まっぷたつにしました」
俺が使ったのは原初の技のひとつ、『神斬り』。
相手の霊力を断ち切る技だ。
初級の中では、最もレベルが高いものでもある。
俺も杏樹も、副堂沙緒里を裁くことを望んでいる。
だから俺は、呪符に宿った霊力の流れに沿って、呪符を断ち切った。
術を生み出している霊力そのものを、断ち切った。それで解呪ができると思った。
これでどうなるかは、わからない。
破られた呪詛は術者に返っていくと言われている。
副堂沙緒里にどれくらいのダメージが行くかは、不明だ。
まぁ『人を呪わば穴二つ』と言うからな。
こればっかりは、どうにもできないんだろうな。
『零さまは……呪符を粉砕したりはしなかったのですね』
「して欲しかったですか?」
『……いいえ』
杏樹が首を横に振る気配。
『叔父さまと、沙緒里さまには責任を取っていただかねばなりません。叔父さまも州候代理を名乗ったお方です。ご息女が禍神を呼び出し、民を害しようとしたのなら、逃げ隠れはしないでしょう』
「だったら、話ができる状態でなきゃいけませんね」
『そうです。ですから、零さまは正しいご判断をされました』
しばらく、沈黙があった。
杏樹は深々と頭を下げている、と、精霊たちが教えてくれる。
『鬼門周辺が落ち着き次第、州都に戻ります』
やがて、杏樹はそう宣言した。
もう、州候代理の命令に従う必要はない。
沙緒里が鬼門で怪しい儀式をしていたことは、兵士長から聞き出している。
手元には【禍神・斉天大聖】の呪符がある。
奴を呼び出したのは沙緒里だとしても、彼女ひとりで鬼門まで来るのは無理だ。必ず、州候代理が手助けしているはず。
つまり、今回の事件の責任は、すべて副堂親子にある。
それを追及するという名目なら、杏樹は大手を振って、州都に戻れるんだ。
被害を受けた民もいる。
彼らは杏樹が結界を張って、自分たちを守ってくれたことを知っている。
証拠も、証人も、十分だ。
それに、沙緒里にもそれなりの呪詛が返っているはず。
呪詛に関わっていたなら、おそらくは、州候代理にも。
それは彼女が、呪詛を行ったことの証拠になるはずだ。
俺は呪符をきれいに断ち切ったけど……それでも『返し』は行く。
副堂沙緒里は、多少の怪我では済まないだろう。
彼女が杏樹に対して呪詛の儀式を行ったことは、間違いないんだから。
『……ですが、その前に、零さまにはご相談があるのです』
ふと気づくと、慌てたような杏樹の声。
「どうしましたか?」
『実は……』
「はい」
『零さまが戻られるまではこの姿でいようと思っていたのですが……そもそも、狐耳と尻尾の消し方がわからないのです。どうすれば「四尾霊狐」さまと分離できるのかも……』
「……そんなことになってたんですか」
意識を、砦の方にいる『灯』に向けてみる。
視界を共有すると……あ、本当だ。
巫女服を着た杏樹の頭には、大きな狐耳が、お尻には九本の大きな尻尾が生えている。
杏樹は真っ赤になって、頭を抱えてる。
なるほど。これは大変だ。
「すぐに戻ります。それまで部屋から出ないようにしてください」
『は、はい……それと』
「なんでしょうか?」
『零さまは、狐耳と尻尾の生えた女の子が、お好みなのですか?』
「……声に出てました?」
『……声には、出ていませんでした』
…………そっか。
『四尾霊狐』と融合した杏樹って、ここまで感覚が鋭くなるんだね。
………………急いで戻ろう。うん。
『…………あ、あの、零さま?』
「気にしないでください。すぐに戻ります」
俺は霊力展開して、『軽身功』を発動。
そのまま、大急ぎで杏樹の元へと戻ったのだった。
次回、第25話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




