第23話「巫女姫、霊獣の力を解放する」
──零視点──
俺たちはそのまま、鬼門の関所に向かった。
兵士長は縛り上げて、そのまま連れて行くことにした。奴は副堂沙緒里のしたことの、貴重な証人だからだ。
兵士たちは、俺たちに同行することを選んだ。
彼らは皆、病気の子どもがいたり、年老いた家族がいる者たちだ。だから州候代理には逆らえなかったんだけど、でも、状況は変わった。
州候代理と沙緒里──副堂親子は怪しい儀式を行い、魔獣を暴走させた。
彼らは紫州を乱そうとしている。
そんな連中に従い続けていては、逆に家族が危険になる。
兵士たちは、そう考えたみたいだ。
そうして俺と杏樹、執事の杖也老に小間使いの桔梗、『柏木隊』と兵士たち、それに商人の娘の須月茜を加えた一行は、鬼門の関所をめざしたんだけど──
「……ひどいな……これは」
鬼門の関所には誰もいなかった。
あるのは、争った跡だけだ。
地面には血の跡があり、黒い体毛がちらばってる。
体毛は漆黒の猿猴──【コクエンコウ】のものだろう。
死体はない。
兵士たちは早々と撤退したのかもしれない。
州候代理のせいで兵の数が激減したからな。多勢に無勢なら、しょうがないよな。
「これからどうなさいますか。お嬢さま」
杖也老は言った。
「このまま関所を越えて鬼門に入りますか? 村に戻り、周囲の村々から兵を集めるという手もございますぞ」
「関所の向こうに行かれるなら、オレが案内できます。ただ、どこが安全なのかは……わからねぇですが」
柏木さんも戸惑ったような表情だった。
【柏木隊】の人たちも、兵士たちも同じだ。
関所は無人。なのに戦いの痕跡は残っている。
町の灯りはほとんど見えない。
わずかに見える光も、人間のものか、魔獣が放った火なのかわからない。
この状況じゃ、みんなが不安に思うのも当然だ。
その上、日は暮れかけている。
先に進むのか、戻るのか、すぐに決める必要があるんだ。
「皆の不安はわかります。では、少しお待ちください」
杏樹は、皆を見回しながら、そう言った。
表情にはゆとりがある。
彼女は俺に向かってうなずき、優しい笑顔を浮かべて、
「まずはわたくしが、周囲の状況を確認いたします」
杏樹が言うと、周囲に光の精霊『灯』が集まり始める。
彼女は目を細めて、精霊たちに語りかける。
「周囲を見てきてください。安全な場所……あるいは、皆が避難している場所を見つけてきて欲しいのです」
『『『ふるふる、ふるふる!』』』
うなずくように、光の精霊『灯』たちが震えた。
彼らは勢いよく、四方八方へと飛んでいく。
薄闇の中、花火のように光の点が、ばらけて、遠ざかる。
それを見ていた杖也老は、不思議そうに、
「お嬢さま。『灯』は1文字の精霊ですぞ。戦闘能力はないはずでは?」
「はい。ですが、あの子たちはわたくしの目になってくれるのです」
杏樹は狐の霊獣『四尾霊狐』を抱きながら、そう言った。
「『灯』は光の精霊です。なので光を発して……暗闇の中でも、周囲の光景を見ることができます」
杏樹は、皆を安心させるような口調で、
「そして、彼らは霊獣『四尾霊狐』の眷属です。つまり、『四尾霊狐』を通して、わたくしは精霊たちと繋がっていることになります。ですから、『灯』の精霊が見た光……光景を、わたくしも見ることができるのです」
「なんと!?」
「そ、そんなことができるんですかい!!」
「はい。できるのです」
杏樹はうなずいた。
「今まさに、わたくしには『灯』の周辺の風景が見えております。鬼門の周辺でなにが起きているのか、居ながらにして知ることができるのですよ」
「「「………………」」」
杖也老も、柏木さんも、衛士の人たちも絶句してる。
うん。まぁ、びっくりするよね。
前世の知識で例えるなら、杏樹は、無数のカメラつきドローンを飛ばしているようなものだ。それらが送ってくる映像を、彼女は頭の中で見ている。
前世の知識がある俺は別として、この世界の人たちは驚くよな。
『隠された霊域』には、たくさんの精霊たちがいた。
光の精霊『灯』。
水の精霊『泡』。
風の精霊『晴』。
そのすべてが『九尾紫炎陽狐』の眷属だった。
『九尾紫炎陽狐』は彼らの視覚や聴覚を借りて、まわりの状況を把握していたんだ。
その子どもである『四尾霊狐』と契約した杏樹は、同じ力を使うことができる。ついでに言うと、俺も。共同契約の副作用として。
杏樹ひとりで数十体の分の視界をチェックするのは大変だから、ちょうどいいんだけど。
「杏樹さま」「零さま」
俺と杏樹の声が重なった。
『灯』を通して、同じものを見つけたからだ。
それから杏樹は、柏木さんの方を見て、
「柏木さまにうかがいます。関所の近くに砦がありますが、そこまでの道はわかりますか?」
「なんと!? ほ、本当に、見えてらっしゃるとは!?」
「柏木さま?」
「あ、はい。砦までですな。もちろん、道案内できますぜ!」
「お願いします。そこに兵と民が避難しているようです。合流いたしましょう」
「が、がってん承知!」
「もうひとつうかがいます。その砦に祭壇はございますか?」
「はいはい! お正月に来たとき、新年の儀式をやってるのを見たことがあります!」
声を上げたのは、商人の娘の須月茜だった。
「砦は大事な防御拠点だから、結界を張れるように祭壇があるそうです。父さんが言ってました!」
「ありがとうございます。茜さま。では、すぐに向かいましょう」
そう言って、杏樹は俺の方を見た。
巫女服姿のまま、ゆっくりと近づいてくる。
俺に、指示を出すために。
俺と杏樹は『四尾霊狐』を通して繋がってる。
口にしなくても、話はできる。
でも、杏樹のことだから、きちんと皆の前で、言葉にしておきたいんだろう。
──それが州候の娘としての責任。
そんなことを、杏樹は考えているのだろう。
「零さま。あなたには、危険なことをお願いしなければなりません」
「承知しております。杏樹さま」
「今回の事件には、邪悪な儀式が関わっております」
「はい。それが魔獣の邪気を強め、彼らを暴走させているんですね?」
「そうです。邪気の源はおわかりですか?」
「北東……文字通り鬼門の最奥。邪気払いの社がある場所ですね」
鬼門の北東には、魔獣や邪気を祓い、封じ込めるための社がある。
かつて『九尾紫炎陽狐』はその社を利用して、鬼門の邪気を祓っていた。魔獣が現れたときには、住民に気づかれないように結界を張ったこともあるらしい。
でも今、その社には──
「そうです。鬼門の最奥──北東にある『邪気払いの社』に、今回の騒ぎを起こしている、呪詛の源があると思われます」
杏樹は一言一言、はっきりと口にした。
『柏木隊』と兵士たちは、真剣な表情でうなずく。
副堂沙緒里が鬼門で怪しい儀式を行ったことは、すでに兵士長が話している。
その儀式について杏樹が口にしたことで、皆がその事実を実感したのだろう。
「零さまには、現地の様子を見に行っていただきたいのです」
杏樹はまっすぐに、俺を見ながら、そう言った。
ん?
『様子を見に行って』……?
「呪詛の源を排除しなくてもいいのですか?」
違和感に気づいたから、俺は問い返す。
「…………それは、砦の兵士たちと合流してからにいたします」
ためらいながら、杏樹が答える。
言葉と同時に、彼女の考えが伝わって来る。
『あぶないです』
『この呪詛は、危険』
『零さまに、もしものことが……』
──と。
『二重追儺』の解き方は、杏樹が教えてくれた。
儀式の場所にある召喚用の呪符を破壊すればいいらしい。
そうすれば儀式は破壊されて、呪詛は解ける。
兵士長は、召喚されたのは【鬼】だと言っていた。
あいつは『沙緒里さまは【ヨミクラノヤミオニ】を喚ばれた』と証言したんだ。【ヨミクラノヤミオニ】とは身長2メートルくらいの鬼で、派手な角が生えていて、しつこく追いかけてくる習性があるらしい。
『二重追儺』は特定の人に対して行う呪詛だ。
呼び出された【鬼】は、どこまでも杏樹を追いかけてくる。
たとえ杏樹がここで逃げたとしても、呪詛は消えない。
ただ……やっかいな存在ではあるけれど、その【鬼】に、魔獣に異常行動を起こさせるほどの力があるとは思えない。
狼の魔獣【クロヨウカミ】が暴走して、猿猴の魔獣【コクエンコウ】が知恵をつけたんだ。「ただのしつこい鬼」が召喚されたにしては、影響力が大きすぎる。
『……召喚されたのは【鬼】ではありません。もっと、危険なものです』
杏樹の思考が伝わって来る。
『魔獣を変化させられるのは、神の領域にいるものです。できれば、多くの衛士と兵士、それに霊獣を連れて、集団で倒すべきものです』
『……でも、時間がありません』
『民は砦に逃げ込んでいます。周囲を、魔獣が囲んでいます。すぐに助けなければ……』
『ですが、それでは社にいる者を止められません。呪詛の中心にいる存在が、本格的に動き出したら……民と、鬼門の村々がどうなるか……』
杏樹が迷っているのが、わかる。
彼女は、俺ならば儀式の中心にある呪符を、破壊できると思ってる。
でも、召喚されたものの正体がわからない。だから、危険もある。
だから杏樹は心配してくれてるんだ。
まぁ、そんな主君だから、恩給をもらえるまで仕えよう、って思ってるんだけど。
だから、俺は杏樹を安心させるように、はっきりと、
「大丈夫です。無茶はしません」
──穏やかな声で、そう言った。
「呪符を壊せそうなら壊せます。でも、無理だと思ったら戻ってきますから」
「本当ですね?」
「俺は年金……じゃなかった、恩給をもらうまでは死にませんよ」
ここで死んだら、恩給がパーだからな。
それに、杏樹に危害を加える呪詛を放ってはおけない。
最優先で破壊するべきだろう。
「そういうわけなので、行ってきます。杏樹さまは、砦に向かってください」
「承知いたしました。零さま」
杏樹は、うなずいてくれた。
「わたくしは砦の祭壇を借りて、一差し舞うつもりです。うまくいけば、魔獣の動きを抑えることができましょう」
「杏樹さまの舞いですか。それは……見たかったです」
「いつでもお見せいたしますよ。零さま」
薄闇の中、杏樹は頬を染めた。
そんな彼女に、俺は声を潜めて、
「……必要だと思ったら、すぐに『四尾霊狐』の力を解放してください。俺に負担がかかるとかは、考えなくていいです」
「……わかりました。零さま、霊獣はお連れになりますか?」
「……できれば『灯』を、十数体」
「……承知いたしました」
俺と杏樹は、軽く手を合わせてから、別れた。
まるで、ずっと一緒にいると誓った相棒のように。
それから、杏樹は皆の方を向いて、
「わたくしたちは砦に向かいましょう。こんなことはすぐに終わらせなければいけません。紫州の巫女姫、紫堂杏樹の名において、鬼門をおおう呪詛を祓ってみせます!」
その宣言は、杏樹の覚悟でもあったんだろう。
杏樹は自分を『元巫女姫』ではなく、『巫女姫』と呼んだ。
それは紫州も、巫女姫の地位も取り戻すのだという決意の言葉だ。
「がんばりましょう。杏樹さま」
『──はい。零さま』
彼女の決意を背に、俺は鬼門の北東を目指して走り出したのだった。
──杏樹視点──
杏樹は『柏木隊』と兵士たちを率いて、魔獣に包囲された砦へと突入した。
包囲を突破するのは、難しくなかった。
精霊『灯』は周囲を偵察して、魔獣の数が少ない場所を見つけてくれたからだ。そこに背後から火縄銃で攻撃を加えて、包囲網に穴を作った。
そうして杏樹たちは、鬼門の砦へと入ったのだった。
砦には、多くの民が避難していた。
民に指示を出していたのは村の代官だった。彼とも、話をすることができた。
代官は杏樹の祖父の代から仕えている老人だった。
彼はこれまで問題なく、周辺の村を治めてきたのだという。
異変が起きたのは、杏樹が追放された日だった。
邪気払いの社から、巨大な咆哮が聞こえたのだという。
調査に向かった者が見たのは、濃密な邪気の霧。
目の前も見えないような真っ黒な霧を前に、どうすることもできなかった。
村の代官はすぐに、州都に使者を送ることを決めた。
たが、その直前に、周辺は【クロヨウカミ】の襲撃を受けた。
州候代理によって守備兵が引き上げられたため、魔獣の対処に時間を取られた。とにかく、住民を避難させるのが最優先だったのだ。
なんとか砦に逃げ込むことはできたが、その砦を【コクエンコウ】に囲まれてしまった。
幸い、砦は川に囲まれていた。
地下の伏流水から流れ出る、清らかな水だ。
川は此岸と彼岸を分けるもの。
水の流れが、簡易的な結界となり、魔獣の侵攻を抑えてくれた。
だから、杏樹たちが来るまで、持ちこたえることができた。
けれど、それもいつまで保つかはわからない。
度重なる戦闘の結果として、魔獣の血が、川へと流れ込んでいるからだ。
それが邪気となり、川は濁りはじめている。
浄化の力が消える前に脱出するか、留まるかを決めなければいけない。
そんなことを話し合っていた矢先に、杏樹たちが囲みを破り、救援にやって来たのだった。
「状況はわかりました」
ここは、砦の指揮官室。
代官の話を聞き終えた杏樹は、納得したようにうなずいた。
彼女の周囲には、無数の精霊がいる。
代官や杖也老、柏木たちは慣れないようだが、杏樹は精霊が共にいることを、もう、当たり前に受け入れている。逆に、繋がっていることに安心する。
(『四尾霊狐』さんも、わたくしを受け入れてくださっていますから)
杏樹は膝の上に乗せた、銀色の毛並みを撫でた。
四尾の狐の『四尾霊狐』は、気持ち良さそうに目を細めている。
この子がいつか成長して、再び『九尾紫炎陽狐』になるのだろう。
その頃には零に恩給を払える立場になっていなければ……そんなことを思いながら、杏樹は周囲を見回す。
杏樹の言葉を待っている者たちの顔を見て、州候の娘としての立場を自覚する。覚悟を決める。
「まずは、状況を確認いたします」
杏樹は『四尾霊狐』を膝に乗せたまま、告げた。
「代官にうかがいます。村人たちの状況ですが、今は落ち着いているのですね?」
「はい。杏樹さまがいらしたことで、士気も回復しております」
代官の男性が答える。
「これで囲みを破れる。砦を出て、逃げることができる、と」
「確かに、協力すれば魔獣の囲みを破ることはできましょう。ですが、夜間の脱出は危険です。夜の間は防御に徹するべきでしょう」
「道理ですな」
「防衛の指揮は、柏木さまにお願いいたします」
杏樹は、衛士の柏木の方を見た。
「霊獣『火狐』の力があれば、弾丸に霊力を宿し、魔獣の『邪気衣』を貫くことができます。それを利用して、できるだけ遠距離で魔獣を倒してください」
「できるだけ遠距離で、ですか?」
「そうすれば川に血と邪気が混ざるのを防げましょう」
「承知しました。巫女姫さま」
柏木は一礼した。
それから、手を振って部下を呼ぶ。
数分の間があり、銃を手に部下がやってくる。
長い銃だった。柏木たちが使っている火縄とは違うものだ。
「これは『ミニエー銃』と呼ばれるものでして、異国の技術による『らいふりんぐ』……いや、とにかく射程距離が火縄の数倍あります。ただ、銃弾が高価なので、使用には巫女姫さまの許可が欲しいんでさぁ」
「使っていただいて構いません。でも、どうしてこのようなものが?」
「お父上の暦一さまが用意されたものだと聞いています」
不意に、代官の男性が口を挟んだ。
その言葉に、杖也老が、ぽん、と手を叩く。
「思い出しましたぞ。州候さまは鬼門の守りについて、常に検討されておられた。通常の銃では魔獣の邪気を突破することはできませんが、最新型の銃なら可能ではないかとお考えだったのです。これは、そのひとつでしょう!」
「……お父さまが」
「ご立派な方ですよ。暦一さまは」
「…………はい」
杏樹は力強く、うなずいた。
負けられない。
自分には零と、父と、付き従ってくれる仲間がついている。
沙緒里の呪詛に膝を屈するわけにはいかないのだ。
「わたくしは砦の祭壇を使って、鬼門に結界を張ります」
杏樹は立ち上がり、皆に宣言した。
「周囲には『灯』の精霊がおります。彼らと繋がることで、巨大な霊力の網を作り出すことができるはずです。もしかしたら……鬼門の村々すべてを包み込めるかもしれません」
「それほどの結界を!?」
「できる……と、思います」
『きゅぅきゅぅ』
杏樹の言葉に応じるように、『四尾霊狐』が鳴いた。
「このことは皆に伝えても構いません。その方が、士気も上がるでしょう」
杏樹は皆を見回して、宣言した。
「承知しましたぞ。杏樹さま」
「『柏木隊』は魔獣討伐に徹します」
「気をつけてください。お嬢さま」
「我々も、できる限りのことをいたします!」
杖也老、衛士の柏木、代官、それに兵士たちが一斉に声を上げる。
零の言葉がないのが、少しだけさみしかった。
(……大丈夫です。零さまとは、今も繋がっています)
零は走っている。戦っている。鬼門の最奥にある社に向かっている。
はっきりと見えるわけではない。
主従の問題があるからだ。零との共同契約は、霊力の強さで主従が決まってしまった。
結局、杏樹の霊力は零には及ばなかったのだ。
でも、構わない。
逆に零には、これから自分のすることを見ていて欲しい。
杏樹がするべきことは、彼の援護。
結界を張り、零の道を開く。それだけだ。
そんなことを思いながら、杏樹は砦の最上階の部屋に入る。
広く窓が取られた部屋だ。
高台にあるのは、風と、陽の光が入りやすいようにするためだろう。
壁には、大きな祭壇がある。
土地神の名も、刻まれている。
『九曜神那龍神』──と。
けれど、龍神は現れない。
杏樹を助けてくれるのは零と、霊獣や精霊たちだ。
降臨しない神に頼ることはできない。
今ある力で、人々を守らなければいけないのだ。
「お力をお貸し下さい。『四尾霊狐』さま」
杏樹は優しく、霊獣の狐を床に降ろした。
『コンコン』──と鳴く霊獣に笑いかけながら、杏樹は、
「では、一差し舞わせていただきますね」
しゃらん、と、神楽鈴を鳴らした。
「──『邪気を追い、呪詛を無に。祓い給え、清め給え』」
踏み出す。鳴らす。
息を吸い、吐く。
「『紫州候、紫堂暦一の一子、杏樹の名において、この場を我らが社と為す。四方を護持し、邪鬼と邪気を祓い、地の清浄を守らんことを』」
感覚が広がって行く。
砦から飛び立つ精霊たちと、精神を同調させる。
杏樹が舞っているのは、魔獣避けの舞いだ。
先日街道で舞ったものと同じだが、今は呪符を使っていない。
呪符の代わりをするのは精霊たちだ。
鬼門のあちこちに配置した彼らが、霊力と術式を伝える枝となる。
杏樹は彼らを通して、魔獣避けの術式を展開する。
霊力の網を、鬼門いっぱいに広げていく。
そうすれば結界は、周辺すべてを覆ってくれる。
魔獣たちは動きを止め、呪詛の中心にいる者の力も弱まる。
それは、零の助けにもなるはずだ。
「『──我が領地に邪なる者は入れず、災厄の者は地に伏す。其は巫女姫──紫堂杏樹の──っ』」
身体が重い。
霊力が急速に吸われていくのを感じる。
村々を覆うほどの結界を張ろうとしているのだから当然だ。
『四尾霊狐』も助けてくれている。
杏樹の隣で、言葉にならない祝詞を唱えている。
けれど、苦しそうだ。
『四尾霊狐』は、無数の『灯』『泡』『晴』たちと繋がっている。
霊力と、術を伝えている。
そうやって結界を広げているのだ。
「……でも、波長が……少しだけずれております」
『……キュゥ』
「なるほど。わたくしと『四尾霊狐』さまが、ふたつであるからですね」
『……キュキュ』
こくん、と、うなずく『四尾霊狐』。
杏樹に訴えかけるように、四本の尻尾を振っている。
感覚を広げると、周囲の状況が伝わって来る。
砦の外縁部では『柏木隊』と兵士が、魔獣と戦っている。
柏木の『ミニエー銃』はいい仕事をしている。
川を越えさせることなく、魔獣たちを倒している。
杏樹の結界で動きがにぶった魔獣たちは、『柏木隊』のいい的だ。
でも、銃弾には限りがある。
魔獣の数は多い。銃弾が尽きれば、次は接近戦だ。
その時になったら川は血と邪気にまみれ、守りの力を失うだろう。
周囲の村々も見える。
田畑は魔獣に踏み荒らされて、作物は無残な状態だ。
斜面に作った段々畑も崩れている。
酷い光景を目にして、杏樹の胸が痛くなる。
鬼門周辺は、霊獣『九尾紫炎陽狐』が守っていた。段々畑も、彼女の加護のもと、苦労して作ったもののはずだ。
それを無残な姿にしてしまったことを申し訳なく思ってしまう。
村の家が燃えている。【コクエンコウ】が火を放ったのだろう。
魔獣は火を恐れない。だから獣とは異なる『魔の獣』──魔獣と呼ばれる。
食らうためだけではなく、楽しみのためだけに人を襲う。
(……こんなことは、すぐに終わらせなければいけません)
杏樹は意識を凝らす。
北東──呪詛の中枢が見えてくる。
沙緒里がどんな思いで儀式を行ったのか、杏樹にはわからない。
けれど、彼女が呼びだしたのは、この世界にいてはいけないものだ。
邪気払いの社に、巨大な存在が立っていた。
濃密な邪気を感じる。その存在の、異質さがわかる。
どうして【コクエンコウ】が荒ぶっているのかも理解した。
呪詛の中枢にいるのは、猿猴の姿をしている。
あれは神──荒魂、あるいは禍神と呼ばれるものだ。
漆黒の身体。
身長は10尺 (3メートル)以上。
頭には、金色の輪をつけている。
手には巨大な棍棒を持っている。
胸に呪符がある。あれが、呪詛の源だ。
呪符に書かれている名前は『──天大聖』。邪気が強すぎて、完全には読み取れない。
奴はこちらの世界に出て来ようとしている。
まだ、完全ではない。
あと少し──1時間足らずで完全に出現して、この世界を荒らしはじめるだろう。
その前に、呪詛を解除しなければいけない。
「迷っている場合ではありませんね」
『きゅうぅ…………ここん』
「わたくしとあなたがふたつであるから、力を十全に使えないのでしょう? ならば、ひとつになりましょう、『四尾霊狐』さま!」
『きゅう!』
杏樹は霊獣『四尾霊狐』を抱き上げた。
「『紫州の巫女姫──杏樹が願いたてまつる』」
『キュキュ』
「『我が霊獣と我が身はひとつ。この身を器とし「九尾紫炎陽狐」の力を解放す。魂魄、霊力、心を合わせ、天地の清浄を守らんことを! 急々如律令!!』」
『キューッ!』
杏樹と、四尾の狐の姿が、重なる。
光が周囲を見たし、膨らんでいく。
それが消えて、現れたのは──
狐耳と、九本の尻尾を生やした、杏樹の姿だった。
「これが『九尾紫炎陽狐』さまのお力──」
あふれそうなほど、強い霊力を感じる。
零のものだけではない。今まで感じたことのない膨大な霊力は、杏樹自身のものだ。
人の身体では限界があったのだろう。これが、杏樹の最大霊力なのだ。
「紫州の守護者『九尾紫炎陽狐』さまの名のもとに、結界を!!」
言葉と、霊力が、広がって行く。
光る球体──『灯』に似た粒子のようなものが、砦と、周囲を包み込む。
それに触れた魔獣たちは──
『ギ、ギギッ?』
『ガ、ガガガガ!?』
『────!?』
一斉に、その動きを止めた。
光の中心近くにいる者は、凍り付いたように。
光の周辺にいる者は、震えながらも動けなくなる。
「巫女姫さまの結界だ! 魔獣の動きが止まった!!」
「「「今だ! 撃て──────!!」」」
『柏木隊』の銃が火を噴き、魔獣をなぎ倒す。
倒された魔獣たちは、動けない。
致命傷を受けたものも、軽傷の者も、身動きひとつ取ることはできない。
『九尾紫炎陽狐』とひとつになった杏樹の結界は、魔獣たちを完全に縛っていた。
そして──
「さすが杏樹さまだ」
北東に向かって走る零の道が、開けた。
邪魔しようとしていた魔獣たちの動きが、ゆっくりとしたものに変わっている。
これなら『無音転身』を使うまでもない。
霊力展開して、『軽身功』で飛べば、魔獣との接触を避けられる。
「……でも、猿猴の魔獣で、超大型。金の輪をつけていて、武器は棒で、名前が『──天大聖』か」
似たようなものは、前世の物語にいた。
正式名称は『斉天大聖 孫悟空』。
西遊記に登場する存在で、最終的には神になるものだ。
それがこの世界では魔獣──いや荒ぶる神になっている。
というか、この世界にも『西遊記』の物語ってあるのか?
……読んだことないなぁ。
でも、どうして『斉天大聖』がこの世界に出現しているんだ?
「……考えても仕方がないか」
呪詛の解き方は教わった。
あとは、それを試すだけだ。
「でも、狐耳で尻尾もふもふの杏樹は見てみたいな。精霊を通してじゃなくて、この目で直に……うん」
そんなことを (杏樹に伝わらないように、こっそりと)思いながら、零は『邪気払いの社』を目指すのだった。
次回、第24話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。
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