第21話「護衛、気配を消す」
──杏樹視点──
「火狐と火縄銃の組み合わせは効果があるようですね。よかったです……」
『ご主人さま。心配、しすぎ』
杏樹の腕の中で、4本尻尾の狐が答えた。
『あたしの部下の霊獣、火狐なら、銃弾に霊力、こめられるもの』
「ありがとうございます。『四尾霊狐』さま」
杏樹は四尾の狐を抱きしめた。
契約は成功した。
杏樹は零と霊力を合わせて、『四尾妖狐』と繋がることができたのだ。
契約方法は『九尾紫炎陽狐』が指導してくれた。
霊力と鼓動と体温を合わせる儀式は、『九尾紫炎陽狐』が見守る前で、霊域において行われた。
奥に小さな泉があって、そこで霊力にあふれた清浄な水に浸かりながら、杏樹と零は儀式を成立させた。
『──それでは、あたしの子を、よろしく頼むね』
それが『九尾紫炎陽狐』の最後の言葉だった。
儀式の成立を見届けた彼女は──満足そうな表情で、姿を消した。
彼女は霊獣の残留思念だ。すでに、寿命は尽きている。
きっと、誰かが自分の想いを引き継いでくれるまで、がんばって存在し続けていたのだろう。
だから杏樹と零が『四尾霊狐』と契約したことに満足して、消えていったのだ。
とにかく、杏樹と零は『四尾霊狐』と繋がることができた。
杏樹の方に、色々と副作用は出てしまったが、それでも構わない。
こうして、兵士たちを助けることができたのだから。
「火狐と柏木さまたちも、契約がうまくいきましたね」
火狐と精霊たちは、『四尾霊狐』の眷属になった。
それは彼らが、杏樹と零の部下になったことを意味する。
だから、杏樹が間を取り持つことで、火狐と柏木たちを契約させることができた。
その結果、『柏木隊』は念願の霊獣を手に入れた。
そうして彼らは杏樹に忠誠を誓い、彼女の直属兵となることを約束したのだった。
「火狐は役に立っていますか? 柏木さま」
「もちろんでさぁ。むしろ、ひとりだけ馬車に乗っているオレの方が、役立たずなくらいで」
「お怪我をされているのです。気になさらないで」
「まったく。あなたさまも零どのも、とんでもないお方ですよ……」
荷馬車の上で、朱鞘の衛士、柏木は姿勢を正した。
「オレらが『霊獣が欲しい』と言ったら、すぐに連れてくるんですからね。それで契約まで取り持ってもらったら、もう忠誠を誓うしかありません。朱鞘の衛士、柏木幽玄の名において、杏樹さまに、この命をお預けすることとを約束します」
柏木は馬車の荷台に太刀を置き、深々と頭を下げた。
「オレと『柏木隊』を今後とも、どうか、お見捨てなきよう」
『ココン』
「ああ。すまねぇな。オレがこんな有様だからな。お前の出番はねぇんだ」
苦笑いして、柏木は隣に座る狐を撫でた。
尻尾から霊力の炎を発するその霊獣は、火狐という。
四尾霊狐の眷属にして、火の力を操るものだ。
『隠された霊域』には10体以上の火狐がいた。
今はそのすべてが柏木や、彼の部下と契約している。
火縄銃と火狐は相性がいい。
炎を操る火狐がいれば、火種もいらない。
引き金を引いた瞬間に火狐が火縄の代わりに、火薬に火を点ける。
火狐の霊力は弾丸に宿り、『邪気衣』を破る力となる。
これまでは威嚇にしか使えなかった銃が、魔獣を倒す武器となったのだ。
『柏木隊』の喜びようは、杏樹がおどろくほどだった。
「【オオクロヨウカミ】に効かなかった……銃弾が【コクエンコウ】を貫いてるぞ」
「邪気に当たっても、銃弾の勢いが落ちない。鎧さえも貫通していく!」
「これなら魔獣も怖くねぇ! これが、霊獣の力か……」
「ありがとうございます。杏樹さま! おれたちは杏樹さまにこの命を捧げますぜ!!」
街道に『柏木隊』の歓声が響いた。
「直属兵になっていただけるだけで十分です。命は、大切にしてくださいね」
杏樹は優しい声で、答えた。
衛士たちの気持ちはわかる。
火狐は『四尾妖狐』の眷属だ。
『四尾妖狐』が杏樹の元にいる以上、許可なく離れることはできない。
仮に『柏木隊』が杏樹の元を去った場合、彼らと火狐の契約は解除されてしまう。
彼らはせっかく手にした霊獣を、失いたくない。
霊獣の主でいるために、彼らは命懸けで戦うつもりなのだろう。
でも、杏樹としては、無理はして欲しくない。
杏樹が霊獣を探しに行ったのは、彼らを直属兵にするためと、彼らになるべく生き延びてもらうためなのだから。
「お前ら! 浮かれてるんじゃねぇ!! 杏樹さまの前で無駄弾は許さねぇぞ!!」
「「「承知!!」」」
柏木の一喝に、衛士たちは声をあげる。
「「「次弾装填完了!!」」」
「撃て──────っ!!」
再び火縄銃が火を噴き、霊力を宿した弾丸が【コクエンコウ】が打ち倒す。
数は減らした。残りは3体。
だが──
「……賢い魔獣ってのは厄介ですな。連中、兵士を盾にしはじめましたぜ」
衛士の柏木は吐き捨てた。
彼の言う通りだった。
視界の先で、黒い巨大な猿猴──『コクエンコウ』が、傷ついた兵士を抱え上げていた。足を掴み、胴を支え、兵士の身体を『柏木隊』のいる方に向けている。
奴らは兵士を、弾よけに使うつもりなのだ。
「どうされますか。杏樹さま」
「大丈夫です」
杏樹は落ち着いた声で、答えた。
「だって、零さまがおりますもの」
「あの方も不思議ですな。あれほどの強さなのに、いまだに『白鞘』とは」
「零さまは、強さには興味がないのでしょうね」
「あれほど強いのに、ですかい?」
「強さ一時。齢を得れば失うものと、あの方はおっしゃっていました」
「……そこまで達観しているとは」
柏木は青い顔でつぶやいた。
「道を究めた人とは、そういうものなんですかい。オレらは絶対に、あの方には逆らわないようにしますよ。まさに最強ですな……」
(……零さまは、そういうお方ではありませんよ。柏木さま)
そんなふうに、杏樹は思う。
けれど、詳しい説明をする気にはならなかった。
本当の零のことは、自分だけが知っていればいい。不思議と杏樹は、そんな想いを抱き始めていたからだ。
「はいはい! あたし、師匠のようになりたいです!!」
「……そういえば、あなたもいらしたのですね。須月茜さま」
「はい! 師匠の弟子になれるまで、がんばります!」
馬車の隣に立っている小柄な少女は、商人の娘の須月茜だ。
怪我をした柏木の面倒を見るという名目で、彼女もついてきていたのだ。
「茜さま。本当に鬼門まで同行されるおつもりなのですか?」
「父さんの許可はいただきました。それに父さんは『杏樹さまはいずれ大成するお方だから、お側についていなさい』って」
「わたくしは追放された身なのですが……」
「そんなの関係ありません! だって、みなさん杏樹さまを慕ってらっしゃるじゃないですか!」
むん、と胸を張る須月茜。
その隣では、柏木が苦笑している。
馬車の前方には難しい顔の杖也老と、小間使いの桔梗がいる。
不思議だった。
追放されて、危険な場所に追いやられているというのに、不安はなにもない。
むしろ、州都にいたときよりも、心が安らぐ。
信頼できる人たちに、囲まれているような気がする。
(この安心は……零さまがくださったものです)
零がいなければ茜を助けることも、『柏木隊』を仲間にすることもできなかった。
こんなに気持ちが安らぐこともなかっただろう。
その零は、今は、姿が見えない。
見えないからこそ、杏樹は安心する。
すべては作戦通りに進んでいるのだと、わかる。
戦場にいるのは兵士と、【コクエンコウ】、無数の『灯』たち。
遠距離戦は終わった。
『柏木隊』は槍を手に、火狐と共に駆け出している。
対する【コクエンコウ】は傷ついた兵士たちを盾に、『柏木隊』を迎え撃つ構えだ。
巨大な猿猴──【コクエンコウ】が笑う。
彼らは真っ赤な目で、迫り来る『柏木隊』を見据えている。
気絶した兵士を抱え上げ、投げつけようとしている。
盾となった者を最大限に利用して、反撃するつもりなのだ。
『ギギィ。キッキッキッ!!』
「かかれ──っ!!」
【コクエンコウ】と『柏木隊』が叫ぶ。
やがて、ふたつの勢力は、徐々に近づき──
『────ギャ?』
次の瞬間、兵士を盾にしていた【コクエンコウ】の首が、落ちた。
『──キ? ギギ──────ッ!!』
「『虚炉流・邪道』──『無音転身』」
【コクエンコウ】の背後に現れたのは、黒い影。
気配を消したまま太刀を振るった少年──月潟零だった。
──零視点──
「『虚炉流・邪道』──『無音転身』」
俺は気配を消したまま、【コクエンコウ】に向かって太刀を振った。
奴らは接近する『柏木隊』に気を取られていた。
俺に対しては、無防備な背中をさらしていた。
だから俺の太刀は、あっさりと【コクエンコウ】の首を落とすことができた。
たぶん、自分が死んだことにも気づかなかったんじゃないだろうか。
『ギィィ!? キキ────ッ!!』
隣にいた【コクエンコウ】が叫び声をあげた。
奴は目を見開いて仲間を見て……その視線を、俺の方に向けた。
さすがに気づかれたか。
じゃあ、もう一度『無音転身』っと。
──呼吸がゆるやかになる。
──体温が下がる。
──心臓と脈拍が、変化する。
『無音転身』は『虚炉流』の原初の技のひとつだ。
限界まで肉体を鎮めることで、気配を消す。
呼吸音、心臓の鼓動、体温、霊力までも変化させる。
結果、気配と存在感を完全に消し去ることができるんだ。
その状態のまま、俺は相手の背後に回り、影から影へと移動する。
だから、太刀の間合いまで近づいても【コクエンコウ】は気づかない。
今も、奴らは俺を見失ってる。目の前を、黒い猿猴の背中が通り過ぎてる。
俺は狙いを定めて、太刀を振った。
『────ギィ……ァ!?』
邪気をまとった【コクエンコウ】の首が落ちた。
『無音転身』の弱点は、長時間使えないことだ。
呼吸や体温、心臓に霊力までいじるから身体に負担がかかるんだ。
使いすぎると無機物のような状態になって、そのまま絶命することもあるらしい。
だから、封印されてた。
俺の場合は……身体には特に問題はない。
俺は転生したあと、すごく健康になってるからな。
『軽身功』と同じで、『無音転身』を使っても、特に問題はないんだ。
健康でよかった。
まぁ、この技が使えるのも、若いうちだろうけど。
「ひ、ひぃ。た、助けてくれ!」
最後の一体は、兵士長を盾にしていた。
気絶していたみたいだけど、ちょうど目を覚ましたらしい。
『ギィ!? ガガガッ! ギィアアアアアア!!』
1匹になった【コクエンコウ】は、必死にあたりを見回してる。
背後に敵が回り込んでるんじゃないかって、恐怖にとらわれているみたいだ。
後ろを見て、横を見て、また背後を見る。
目線の位置は、俺の頭の高さくらい。
だったら姿勢を低くして、足元から近づいて──っと。
「よっと」
俺は奴の影に隠れたまま、太刀を突き出した。
『邪気衣』に守られた、魔獣の心臓に向かって。
『──ギィアアアアアア!? キギキィィアアアアアアアアアア!!』
魔獣が絶叫する。
巨大な猿猴は身体を、びくん、と、数回震わせて──倒れた。
その身体の下に、兵士長を巻き込んで。
「……やっぱり、それなりに疲れるな」
肉体労働は体力を使うからな。早く頭脳労働に転職したい。
そのためにも──
「兵士たちを巻き込んで、こんな事態を引き起こしたからには……知ってることをすべて話してもらう。いいな。兵士長」
俺は倒れた兵士長に向かって、訊ねた。
兵士長は魔獣の下敷きになってるけど、生きてる。というか、ほぼ無傷だ。
意外と運がいいんだな。この人は。
「州候代理は杏樹さまを、護衛なしで鬼門に送り込もうとしていた。その意図はなんだ? 州候代理の側にいるあんたなら、事情を知ってるはずだ」
「…………ぐ」
「州候代理と、その娘の沙緒里はなにを企んでいるんだ? 鬼門の異常には、あの連中が関わっているんじゃないのか?」
「…………」
「わかった。言わないならいい」
俺は兵士長の目の前で、適当に指を動かした。
「実は『虚炉流』には、人を自白させるための方法があるんだ。数百年間、武術を極めてきた村の秘伝だ。身体を傷つけずに、対象の魂だけを攻撃する方法で……それは、そこにあるような魔獣の遺体を利用するもので……」
「わかった! 言う! 言うからやめてくれ!!」
兵士長は叫んだ。
よっしゃ。
もちろん、人を自白させるための技というのは嘘だ。
いくら『虚炉流』でも、そんなものはない。というか、人間には使えない。
でもまぁ、村の名前も、少しは役に立つものだな。うん。
「……沙緒里さまは、鬼門で『二重追儺』の儀式をされたのだ」
「『二重追儺』?」
「追儺については知っているか……?」
「ああ。節分に豆をまいたりする奴だろ」
「それは祭りの時のものだ。本来の追儺は、違う」
(そうなんですか? 杏樹さま)
俺は側に『灯』の精霊がいるのを確認してから、頭の中で杏樹に語りかける。
すぐに──「そうです」と、答えが返って来る。
俺と杏樹は『四尾霊狐』を通して、すべての精霊と繋がっている。
そのせいで、精霊を経由して、話をすることができるようになったんだ。
元の世界で例えるなら、精霊を基地局にして通話するみたいなものだ。
『九尾紫炎陽狐』によると、これは契約の副作用らしい。
ふたり分の霊力を合わせて、むりやり契約しちゃったからな。
まぁ、杏樹は気にしてないみたいだから、いいんだけど。
『そうですね……節分の豆まきなどは、「追儺」が変化したものです。ですが、霊的な儀式としての「追儺」には、別の意味があるのです』
精霊を経由して、杏樹の言葉が伝わってくる。
霊的な儀式としての追儺は『鬼と見なした者を、この世から追い払う』という意味があるらしい。
村に来る災厄は、鬼のせい。
凶作も、はやり病も、鬼のせい。
だから村人ひとりを選んだ、鬼を憑かせた『鬼役』を作る。
その『鬼役』を村から追い払い──あるいは、この世から追い払うことで、厄を祓う。
そういう儀式もあるらしい。
「……沙緒里さまは、より強力な追儺の儀式をされたのだ。それは鬼門に……『鬼』を召喚して、それを高貴な方に取り憑かせるというものだった」
兵士長は語り続ける。
「鬼がその人を傷つけても、喰らっても構わない。その後で、その人と鬼を祓うことで、紫州に福を呼び込む。それが『二重追儺』の儀式だ」
「その人って……まさか」
「………………」
兵士長は答えない。
ただ、横目で杏樹がいる方向を見ただけだ。
『おそらく「二重追儺」とは、鬼と、鬼の生け贄となる人間をこの世から追い払う儀式なのでしょう』
杏樹の言葉が、伝わって来る。
『沙緒里さまはそういう儀式を、紫州の鬼門で行ったのだと思われます』──と。
そうすることで、紫州に巨大な福を呼び込もうとしたのかもしれない。
それは豊作か、あるいは霊獣の大いなる強化か。
もしかしたら、副堂勇作や沙緒里にとっての幸福かもしれない。
その生け贄に選ばれたのが、杏樹。
おそらく鬼門には、沙緒里が儀式で呼んだ【鬼】のようなものが現れているのだろう。
このあたりの魔獣が荒ぶっているのは、その【鬼】の影響を受けているから。
──それが、杏樹の推測だった。
「だ、だが、猿猴の魔獣が暴走している理由は……わからない」
青い顔で、兵士長は言った。
「沙緒里さまが『二重追儺』で呼んだのは……ただの鬼のはずだ。猿猴の魔獣に知恵を与えるようなものではない! 沙緒里さまは……いったいなにを召喚されたのだ……」
「あんたは説明されてないのか?」
「あ、ああ。沙緒里さまと州候代理は、私には、絶対に鬼門の関所は越えるな……とだけ……」
兵士長は両手で顔をおおった。
「わかった。今の話を、皆の前でしてもらう」
俺は兵士長の襟首をつかんだ。
そのまま杏樹の元へと引きずって行く。
今の話は、すでに杏樹には伝わっている。
でも、兵士長の口から、みんなに向かって説明させる必要がある。
責任を明確にするためと、今の状況を正しく伝えるためだ。
『──鬼門に行き、沙緒里さまが施した術を解きます』
そして、杏樹の答えは、もう決まっている。
『召喚された者が、なにをするかわかりません。鬼か……もしかしたら霊獣や、神に近いものが呼び出された可能性もあります』
『「九尾紫炎陽狐」が言っていた儀式が、それですか」』
『おそらく、そうでしょう』
杏樹の怒りが伝わってくる。
それを『四尾妖狐』も感じたのだろう。毛を逆立てて、怒ってる。
『……それがお方さまの寿命を縮めたのだとしたら、許せません』
『わかりました。このまま鬼門へと向かいましょう』
州都に戻っている暇はない。
本当は州候代理と副堂沙緒里を締め上げたいけど、それは後回しだ。
魔獣【コクエンコウ】は関を越えて、街道に出てきている。
州都に戻って、州候代理を締め上げて……兵を連れてきたら、すでに鬼門近くが壊滅状態になっていた……という可能性もある。
まずは鬼門の関所で、周囲の状況を確認しよう。
それに、杏樹なら鬼門に施された『二重追儺の儀』を解除できるかもしれない。
なぜなら──
『「九尾紫炎陽狐」さまの記憶の中に、「二重追儺」の知識がありました。術は、解くことができます』
杏樹は──ずっと鬼門を守ってきた、最強の霊獣の知識を受け継いでいるからだ。
次回、第22話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




