第18話「最強の霊獣、隠された歴史を語る」
「……『九尾紫炎陽狐』さま」
杏樹が問いかけると、狐は優しい口調で、
『「お方さま」でいいよ。あんたの祖先はそう呼んでたからね』
「では、お方さま……あなたは、人の言葉がわかるのですか?」
杏樹、びっくりしてる。
俺も意外だった。
九尾の狐は、俺にもわかる言葉で話しているんだ。
『おどろくことはないさ。長く生きていれば、そういうこともある』
「長いというと、どのくらいでしょうか」
『「前州候時代」からさ。まぁ、それはいいよ。紫堂の子』
九尾の狐は、杏樹に顔を近づける。
赤い目を光らせながら、狐は、
『どうして鬼門の兵を引き上げた? 鬼門周辺で怪しい儀式を行ったのはなぜだ? そのせいで、あたしの寿命が縮まったんだけど』
「……え」
『紫州が今のかたちになったとき、紫堂と約束したはずだ。鬼門は邪気が強く、魔獣が発生しやすい場所。だからあたしが邪気を祓い、民を守る。代わりに紫州候は鬼門に人を配し、魔獣討伐を行う。人と霊獣、その双方の協力関係こそが、紫州のあり方じゃなかったのかい?』
怒ったように歯をむき出す、九尾の狐。
『鬼門の社で怪しい儀式を行い、その上、兵士を減らすとはどういう了見だ。そのせいで、鬼門では邪気があふれてるんだけど。そのせいで鬼門を守護していたあたしは霊力を削られて、寿命が縮まったんだけど? というか、鬼門やばいんだけど!?』
「落ち着いてくださいませ。お方さま」
「これが落ち着いていられるかい! 時に邪気を祓い、時に結界を張って鬼門を守ってきたあたしの立場はどうなるんだ。紫堂の家が、よもやこんなにいいかげんな連中だとは──」
「──お鎮まりください」
杏樹は草の上に、膝を揃えて座った。
しゃらん、と、神楽鈴を鳴らし、両袖を揃えて、頭を下げる。
「紫州の巫女姫、紫堂杏樹が願い奉ります。どうか、お気を鎮めてください」
しゃらん。
「紫堂の家に不調法があったのでしたら、謹んでお詫びいたします」
『…………ん』
九尾の狐が、落ち着いていく。
尻尾を立てて、歯をむき出していたのが、四肢を伸ばしてくつろいだ様子になる。
杏樹は、神を鎮めるための術を使ったらしい。
「父である州候が倒れたことにより、引き継ぎがゆきとどかなかったようです。お詫び申し上げます」
『……ん。そうなのか?』
「まずは名乗ることをお許しください。お方さま」
『…………んん。仕方ないな。許そう』
九尾狐の目から、怒りが消えていく。
杏樹はただ、座り、鈴を鳴らしただけのように見えるけど、違う。
武術を学んだ俺にはわかる。
杏樹の動作、呼吸、視線、ひとつひとつに霊力がこもっている。
なにかの儀式を、形作っている。
巨大な存在──霊獣や土地神を鎮める力……これが、杏樹の能力なのか。
「わたくしは紫州候、紫堂暦一の一人娘、杏樹と申します。こちらはわたくしの腹心である、月潟零さまです。以後、お見知りおきを」
『君が紫堂の血筋の杏樹。変なのが零だね。わかったよ』
「おそれながら申し上げます」
不意に、杏樹は顔を上げた。
「零さまを『変なの』とは、いかに6文字の霊獣さまでも、お言葉が過ぎます。零さまはわたくしの腹心であり、わたくしが心から信じるお方です。改めてください」
『将来でも誓ったのかい』
「まったくその通りです」
そうだね。将来、恩給をもらうまで仕えるって誓ったね。
でも言い方ってものがあるからね。気をつけてね。
『わかった。詫びよう』
「ありがとうございます」
杏樹はうなずく。
「先も申し上げました通り、わたくしの父、紫堂暦一は急な病に倒れ、意識不明となっております。そのため、様々な引き継ぎが、うまく行っていないのです」
『州候ならば、なにかの記録は残しておくものじゃないのかい?』
「現在はわたくしの叔父、副堂勇作が州候代理を務めています。父の部屋は叔父のものとなり、わたくしには立ち入ることは許されていません。それに、わたくしは追放された身ですので」
『ああ! そういうことか!』
九尾の狐は大きく口を開き、からからと笑った。
『謎が解けた! なにも知らぬ者が紫州を受け継いだのなら、この愚行も得心がいく。あたしが死を迎え、次世代に引き継ぐ大事なときに、なんと! なんと愚かな!』
「お方さま?」
『あたしの代替わりには数ヶ月かかる。この混乱を抑えるのには間に合わない。なんと……なんとまぁ。不運なこと。まぁ、これも定命と思えば──』
「お方さま?」
『はは。はははは。仕方ない。どうにもこれは仕方がな──』
「わかるようにお話しください。お方さま」
しゃらん。
杏樹はまた、神楽鈴を鳴らした。
笑い続けていたお方さまが、元に戻る。
本当にすごいな……。
杏樹は6文字の霊獣と、当たり前に話をしている。まったく、恐れてない。
「わたくしには責任があります」
杏樹はきっぱりと、宣言した。
「ですから、お聞かせください。わたくしの知らない紫州の歴史を。あなたさまが過去の紫州候と交わした約束を。そして、今、鬼門の村でなにが起きているのかを」
『ああ。そうだね。あたしも、それほど時間は残っていないのだった』
遠い目をして、お方さまは言った。
『君と、そこの変な霊力持ち──いや、杏樹の腹心には聞く権利がある。教えてあげるよ。この紫州の歴史を。それと、これから起こるであろう厄災についてもね』
そう言って、お方さまは自分と紫州候との関わりについて、語り始めたのだった。
──『九尾紫炎妖狐』の話──
最初に言っておくけど、あたしは霊獣の、残り香のようなものだよ。
亡霊……あるいは、霊体の残骸のようなもので──
ん? 『残留思念』?
変な霊力持ち……じゃなかった、零は妙なことを言うね。
いや、君の言葉は正しい。
あたしは意識だけが残ったものだからね。残留思念で間違いないよ。
変なことを知っているね。君は、変な霊力を持っているからかい?
まぁいいや。話を戻そう。
さて、杏樹。
今の紫州が、ふたつの州が合体した姿だということは知っているかな?
……そうか。知らないか。
杏樹のお父さんは、まだ、そこまで教えていないんだね。
元々この地には、ふたつの州があったのさ。
ひとつは緋州。もうひとつは、鬼州さ。
隣り合った、ふたつの小さな州がね。
鬼州は邪気が溜まりやすく、魔獣の多い土地だった。
だから、土地を守護する霊獣として『九尾紫炎妖狐』──つまり、あたしが生まれたんだ。
逆に、緋州は土地が広く、人も多かったけれど、霊域がなかった。霊獣も数が少なかった。
当時は力がすべてを決める、戦国時代だったからね。
霊獣の数が、そのまま戦力に直結したんだ。
だから、ふたつの州を治める主は約束をした。
家をひとつにすることで、州をまとめることを。
あたしこと『九尾紫炎陽狐』を、新たな州の守護者とすることを。
鬼州の主はあたしと協力して借りて、緋州領内に霊域を作った。
緋州は鬼門を守る兵力を差し出した。
そうして生まれたのが、ひとつの大きな『紫州』さ。
……ああ、そうだよ。
紫州の名前は『九尾紫炎陽狐』から来ているんだ。
あたしはどうでもいいって言ったんだけど、州の主たちは『ぜひとも』と言って譲らなかった。今思えば、あれは儀式のひとつだったんだろう。
名前を冠するというのには、意味がある。
紫という名前を冠した州なら、『九尾紫炎妖狐』が守らなければいけない。そういう術が、込められていたんだろう。
それから数百年経つけど、紫州は平和だったね。
歴代の州候は、約束を守ってくれたから。
彼らは鬼州に兵をたくさん常駐させて、砦を作り、関を作り、人を守ったんだ。
……ふむ。
杏樹のお父さんは、別に鬼州を『忌むべき場所』だとは思っていなかったんだね。
だから君はここに来ることに抵抗がなかったわけだ。
でも、州候の地位を奪った君の叔父は、そのことを知らなかった。
君を鬼門に追放したのはそういうことなんだろう。
あたしの存在を知っていたら、絶対に接触させないようにしただろうからね。
あたしはずっと、鬼門の周辺を守ってきたんだ。
鬼門に邪気が溜まりそうなときは、行って祓ったり。
鬼門から強力な魔獣が出現したときは、人を守る結界を張ったり、こっそり魔獣を倒したりもしていたね。
まぁ、しょうがないよね。守護の霊獣なんだから。
眷属もたくさんいるし、精霊の『灯』『泡』『晴』もいたから、さびしくはなかったね。
ほら、そこに、真っ赤な毛並みの狐たちがいるだろう?
2文字の霊獣『火狐』だよ。お察しの通り、この『九尾紫炎陽狐』の眷属だね。火を扱う霊獣で、あたしの手足となってくれる者たちさ。
彼らの力も借りて、あたしは鬼門の周辺を守ってきたんだ。
でもね、霊獣にも、寿命ってものがある。
齢を取ったあたしは、自分の分身を残すことにしたんだよ。
それが『四尾霊狐』。
そこにいる、四本尻尾の狐だよ。
まだ小さいけどね、結界のほころびを直すくらいはできるさ。
契約に値する主人がいれば、もっと大きな力も使えるけどね。
でも、代替わりには時間がかかる。
だから、それまでは鬼門は平和でいてほしかったんだけど……誰かが鬼門の社で、妙な儀式を行ったようなんだ。それで邪気があふれて、魔獣が活性化しはじめた。
おまけに鬼門を守る兵士も減らされただろう?
しょうがないから、あたしはがんばって、あふれる邪気を浄化し続けたんだ。
でも、あたしも齢だったからね。無理をしすぎた。
そのせいで、寿命が尽きてしまったんだよ。
あと1年は生きるはずだったのに、あっさりと死んじゃったんだ。
……うん。そうだよ。
ここにあるのは、『九尾紫炎霊狐』の残留思念だけ。
できるのは、話をすることだけさ。魔獣を討伐することも、邪気を消すこともできないんだ。
『四尾霊狐』は、まだ生まれたばかりだからね。
普段の鬼門の状態ならまだしも、おかしくなった鬼門の浄化はできない。『火狐』たちにも無理だね。この子たちにできるのは情報収集くらいかな。
……おや、ふもとを偵察していた『火狐』が戻ってきたようだ。
ふむふむ。なるほど。
杏樹。君が連れてきた兵士たちが、夕方から魔獣討伐をするようだね。
兵士長は『誰が民の味方か知らしめる』とか言ってるよ。
でも、どうかなぁ。
鬼門に向かう街道は、今、強力な魔獣がうろついてる。
危ないけど……大丈夫かな。まぁ、あたしが心配することじゃないけどね。
……え? 誰が、どんな儀式をやったのか?
わからない。
あたしも齢だからね。
鬼門の中枢に向かうことはできなかった。力尽きる前に、この霊域に戻ってくるのがやっとだったんだ。
だから、儀式の内容については知らない。
でも、杏樹が追放されたことと、その儀式は繋がっているのかもしれないね。
とにかく、言うべきことは言ったよ。
紫州候が約束を破ったのかと思ったけれど、そうじゃなかったんだね。
病気なら仕方がない。人間の寿命は、霊獣よりも短いからね。
それで、杏樹はどうする?
君には選択肢があるよ。
ひとつは、紫州の運命なんて忘れてしまうこと。
君は追放されたんだからね。
紫州のことなんか忘れて、幸せになってもいい。別にそれでもいいんだよ。
ひとつは、あたしの子どもと部下を率いて、鬼門に向かうこと。
『四尾霊狐』は、それほどまだ強くはないけれど、君に力を貸すことはできる。
鬼門の一角……狭い範囲なら、守れるかもしれない。
『四尾霊狐』が強くなるのを待って、鬼門を平和な状態に戻すのもいいね。
それから州候の地位を取り戻せばいいだろう。
え?
君が『四尾霊狐』と契約するのはどうかって?
確かに、君の霊力はすごく強い。
『緋羽根』が君との契約を拒否したのも、それが理由だろう。
君は奇妙な先祖返りだ。
戦国時代の巫女姫と同じくらいの霊力を備えている。
だけど、将来『九尾紫炎陽狐』になる霊獣と契約するには、まだ足りない。
自分で言うのもなんだけど、あたしは神さまみたいなものだからね。
契約するには、それなりの力が必要なんだ。
神と縁を結べるほどの力を持つ者は、そうそういないからね。
それで、どうするのかな?
時間はないよ。夕刻まで──兵士たちが、魔獣討伐をする前に決めた方がいい。
討伐が始まってしまえば、事態がどう推移するのか、まったく読めなくなる。
例の怪しい儀式が、悪さをやらかすかもしれない。今の鬼門は、なにが起きるかわからないんだ。
だから、早めに、決めてね。
残留思念のあたしが消える前に、杏樹の答えを聞かせて欲しいな。
次回、第19話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




