第17話「巫女姫と護衛、最強の霊獣と出会う」
『きゅうぅ』
狐はなにかを訴えかけるように、俺を見てる。
ここは『隠された霊域』の近くで、まわりにはたくさんの精霊がいる。
そんなところにいるんだから、ただの獣じゃない。
じっと見ていると、狐の身体のまわりには、ほわほわした霊力を感じる。
やっぱりあれは、霊獣なのかな。
「あそこにいる4本尻尾の狐って、お前たちの仲間か?」
俺は精霊の『灯』と『泡』と『晴』に訊ねた。
ふわわ。るるる。ろろろ。
……わからん。
俺に精霊や霊獣の言葉はわからないからなぁ。
杏樹に翻訳をお願いしようかとも思ったけど、やめた。
水音がする。彼女はまだ、身を清めている最中だ。
杏樹のことだから、呼んだらそのままこっちに来る。あぶない。
「もしかして……霊域の近くで料理をしたのを怒ってるのか?」
俺がそう言うと、狐は不思議そうに首をかしげた。
それから狐は川に向かって、地面を蹴った。
浅い流れの中、水面から出ている岩を足場に、こっちに渡ってくる。
『きゅうう』
狐は俺の顔を見上げながら、なにかを訴えかけるように鳴いてる。
じっと見てるのは……俺が手に持っている皿だな。
「もしかして、焼き飯を食べたいのか?」
『きゅうっ!』
勢いよくうなずく狐。
どうしよう。
野生の獣に人間の食べ物を与えるのは良くないけど、霊獣はどうなんだろう?
とりあえず、知ってそうな人に聞いてみよう。
「杏樹さま。ちょっとうかがいたいことが……っと、その前に、身支度は大丈夫ですか?」
声をかけるとすぐに、ぺたぺたと近づいてくる足音。
セリフの最後に『身支度』と追加すると、その足が止まる。ささっ、と、身体を複音と、衣擦れの音がして、それから、
「はい。大丈夫です。どうしましたか、零さま」
「霊獣らしきものが来てます。話をしてもらえますか?」
「すぐに参ります!」
振り返ると、杏樹は巫女装束の襟元を直しているところだった。
緋袴の裾を整え、小走りに、俺の方へとやってくる。
それから、4本尻尾の狐を見て、
「確かにこれは……狐の霊獣ですね。しかもかわいい尻尾が4本も」
「川向こうから来ました」
「彼岸から? わかりました。話をしてみます」
杏樹はしゃがんで、4本尻尾の狐と視線を合わせる。
『きゅぅ』「あ、そうなのですか」
『きゅきゅ』「……ふむふむ」
『……きゅ』「なるほど。そういうこともあるのですね……」
……わからない。
杏樹はしばらく話をしていたと思ったら、俺を方を見て、
「わかりました。零さま。この子は川向こうの『失われた霊域』から来たようです。おいしそうなにおいがしたので、つい、来ちゃった、とのことです」
「これですか?」
俺は焼き飯が入った皿を示した。
『きゅきゅ』「それです」
『きゅぅ』「とても美味しそうだそうです」
『きゅうぅん』「ぜひ、いただきたいと」
一生懸命訴えかける狐と、目を輝かせる杏樹。
ふたりとも、俺が手にした皿をじーっと見てる。
「霊獣に、人間の食べ物をあげても大丈夫なんですか?」
「あ、それは大丈夫です」
俺が訊ねると、杏樹は「問題ないです」って感じでうなずいた。
「3文字以上の霊獣は、人間と同じものを食べても大丈夫です。本人が望むなら、食べさせてもいいですよ」
「……あの、杏樹さま」
「はい。零さま」
「この子って、3文字以上の霊獣なんですか?」
「はい。本人が名乗っていました」
杏樹は4本尻尾の狐と目を合わせて、うなずく。
「この子は『四尾霊狐』というそうです」
『きゅうん』
──『四尾霊狐』。
つまり、4文字の霊獣だ。
1文字のものは精霊。
2文字以上が霊獣。
3文字は、州候や貴族が使役する高位の霊獣。
そしてこの狐の名前は『四尾霊狐』。
つまり、副堂沙緒里が契約した霊鳥『陽羽根』より高位の霊獣ということになる。
「じゃあ、この子が……『隠された霊域』の主なんですか?」
「えっと、それはごはんを食べてから教えてくれるそうです」
『きゅぅん』
真っ赤な目で、じーっと皿を見つめている霊獣『四尾霊狐』。
4本の尻尾を、それぞれ前後左右に振ってる。器用だ。
「零さまの焼き飯を、この子にあげてもよろしいですか?」
「構いません。でも、それで主従契約成立ってことにはならないですよね?」
「大丈夫です」
「……念のため、杏樹さまが食べさせてあげてください」
俺は木皿を、杏樹の方に押しやった。
俺がこの地に来たのは『柏木隊』に与える霊獣を探すためだ。
その霊獣と俺が契約してしまったら、意味がないからな。
ここは専門家に任せよう。
「わかりました」
杏樹は匙を手に、焼き飯をすくっていく。
それを差し出すと、銀色狐は──ぱくり、と、食べた。
『きゅうきゅ、きゅう』
「おいしいそうです」
「よかったです」
「それと、この先の霊域に、案内してくれると言っています」
杏樹は真剣な顔で、そう告げた。
「この先の洞窟が『失われた霊域』の中枢だそうです。そこには強力な霊獣と、その配下がいるとのこと。今ならまだ間に合うので来て欲しいと、この子は言っています」
「今ならまだ間に合う?」
「はい。意味は、よくわからないのですが」
不穏なセリフだった。
でも、すぐに動いた方がよさそうだ。
焼き飯の皿は『四尾霊狐』に預けて、俺たちは荷物の片付けを始めた。
洗い物は、精霊たちに任せれば大丈夫らしい。
水の精霊『泡』と、風の精霊『晴』が、きれいにしてくれるそうだ。
念のため、俺も川の側で手足を清めておく。
木陰で肌脱ぎになって、濡らした布で身体を拭く。濡れた身体はすぐに精霊が乾かしてくれた。杏樹が木の向こうで精霊に指示を出していたから、少し緊張したけど。
そうして、俺はまた杏樹を背負って、霊力展開。
『軽身功』で川を渡った。
川は此岸と彼岸──現世と異界を分ける。
この先は彼岸──つまり、通常の世界ではない。
俺は霊域に入ったことがない。
だから、ここからの判断は杏樹任せだ。
気を引き締めていこう。
銀色狐の『四尾霊狐』の案内で、俺と杏樹は川向こうの洞窟に入った。
中は、巨大な空間になっていた。
山の頂上付近──その内側をすべてくりぬいて作ったようにも見える。
壁が、淡い光を放っていた。
天井からは、鍾乳石が垂れ下がっている。水晶のように半透明で、触れるとぼんのりと温かい。
『これも霊力を含んでいるようです』というのは、杏樹の言葉だ。
地面には、柔らかそうな草が生えている。
まるで絨毯のように、ふんわりと、俺の体重を受け止めてくれる。
ほんのりと温かい。この上で眠ったら気持ちがいいだろうな。
そうして進んだ先には……巨大な狐がいた。
色は薄紫。
真っ赤な目で、俺と杏樹を見つめている。
尻尾は九本。前世の知識で言うなら、九尾の狐だ。
おどろくのは、その大きさだ。
霊獣にしては、巨大すぎる。ちょっとした小屋くらいの大きさがある。
こんなに大きな霊獣を見たのは、初めてだ。
「こんな大きな霊獣がいるのか……?」
『きゅう』
俺がつぶやくと、足元で『四尾霊狐』が答えた。
「この子のお母さんだそうです」
その言葉を、杏樹が翻訳してくれる。
「名前は『九尾紫炎陽狐』……だそうです」
「6文字の霊獣!?」
「……そのようです」
杏樹も目を丸くしている。
「6文字……これは霊獣というより、神に近いのではないでしょうか……」
霊獣は名前の長さで位階が決まる。
『灯』『泡』『晴』は、最も位階が低い。定まったかたちも持たない。
だから霊獣とは呼ばれない。
火や水や風の源──エッセンスのようなものだから精霊と呼ばれる。
2文字になると、獣や鳥の姿を取るようになる。
霊獣と呼ばれるのは、そういう理由だ。
3文字以上はかなり貴重だ。
州候や、あるいは煌都の金持ちなら、どんな代価を支払ってでも手に入れようとするだろう。
でも、この九尾の狐は、それ以上だ。
6文字の霊獣なんて、聞いたことがない。
「5文字以上の霊獣って……そんなものがあり得るんですか……?」
「初代の皇帝陛下が、5文字の霊獣を連れていたという伝承があります」
杏樹は目を輝かせて、九尾の狐を見つめている。
「6文字となると、それはもう人がどうこうできるものではありません。むしろ、人をどうこうしてしまうものです……ど、どうしましょう……」
「落ち着いてください。杏樹さま」
「……は、はい」
「杏樹さまのお父上は、この場所のことを知っていたんですよね?」
「はい。でも、6文字の霊獣がいることまでは聞いていません」
「……契約できますか?」
「……わかりません」
『失われた霊域』の言い伝えは、正しかった。
杏樹の父親が言った通りの場所に霊域があり、そこには、霊獣がいた。
でも、それは桁違いの存在だった。
『隠された神社があるよ』と言われて訪ねたら、そこに本物の神様が住んでいたようなものだ。正直、困る。
俺にできるのは、なにかあったときに杏樹を連れて逃げることくらいだ。
とりあえず『軽身功』は常時発動しておこう。
「杏樹さま。ここにいる『四尾霊狐』と契約するのはどうですか?」
「それは……いいかもしれません」
杏樹は真剣な表情で、
「ただ、この子はおそらく『九尾紫炎陽狐』の眷属です。本体の許可なく契約することはできません。怒らせてしまいます」
「となると……6文字の霊獣と話をするしかないですか」
「そうですね」
巫女装束の杏樹は、一歩、前に出た。
手に持った神楽鈴を、しゃらん、と鳴らす。
杏樹は白衣の袖を揺らして、深呼吸。
それから、4本尻尾の銀色狐──『四尾霊狐』の方を見て、
「あなたのおかあさんと、話をさせていただいてもいいですか?」
『きゅいい』
『四尾霊狐』は頭を振った。
その声を聞いた杏樹が、不思議そうな顔になる。
「……この子はなんと言ってるんですか?」
俺が訊ねると、杏樹は、
「『どうぞ。おかあさんの、残ってるところが消える前に』だそうです」
「残ってるところが消える前に?」
「ここにいるのは霊体だそうです。本体はもう、死んでいると」
俺は九尾の狐に視線を向けた。
言われてはじめて気づいた。
九尾の狐からは、生き物の気配を感じない。
霊力はある。でも、存在感がまったくない。
よく見ると、うっすらと透けている部分もある。
ここにいる九尾の狐は、実体じゃないのか。
『きゅいい』
銀狐が、九尾の狐のいる方に歩き出す。
その身体が、霊体の九尾の狐に、重なる。
『憑依』『御霊下ろし』──と、杏樹がつぶやく。
生きている者に別の者の霊を重ねて、その意思と意識を宿らせる。
そういう、上位存在と話すための技があるらしい。
いわゆる『イタコ』のようなものだ。
『四尾霊狐』はそれをやろうとしているのだと、杏樹は教えてくれる。
やがて──銀色狐の身体が、ふくらんでいく。
霊体が銀狐の実体と重なり、その姿が、ぶれて──
──目の前には、実体を帯びた九尾の狐が、姿を現した。
『やれやれ。なんとか間に合ったかい。紫堂の子よ』
九尾の狐『九尾紫炎陽狐』は言った。
俺にも、理解できる言葉だった。
『あたしが死ぬ前にはあいさつに来るという約束だったんだけど、遅すぎやしないかい、紫堂の子。それに、鬼門の方角の霊力が、異常に乱れているんだけどね。人間たちは一体、鬼門でなにをやらかしたんだい?』
九尾の狐は女性っぽい声で、そんなことを言ったのだった。
次回、第18話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




