第11話「州都の陰謀(前編)」
──その頃、紫州の州都では──
「これで、紫州は我らのものとなった」
ここは、紫州の州都。
州候の間の椅子で、州候代理の副堂勇作はくつろいでいた。
「兄は病で倒れ、動ける状態ではないと聞いている。ならば、近いうちにワシが正式に州候の地位を引き継ぐことになろう」
満足そうな表情で、副堂勇作は州候の間を見回す。
部屋が洋風のしつらえになっているのは、州候、紫堂暦一の趣味によるものだ。
和洋折衷。
使えそうなものは偏見なく取り入れる。
それが副堂勇作の兄、紫堂暦一の考えだった。
結局、兄は小物だったのだろう。州候としての品格や、気品に欠けていた。だからこそ庶民から妻を選んだ。そうして生まれた娘の杏樹は、副堂勇作の娘──沙緒里に勝てなかったのだ。
「霊鳥『緋羽根』は沙緒里のものとなりましたよ。兄上」
ここにはいない兄に向けて、州候代理はつぶやいた。
「あなたの娘と、うちの沙緒里では、格が違ったのです。沙緒里の母は煌都の巫女衆のひとり。煌都の高官とも繋がりが深い。だからこそ、彼らはワシに力を借してくれた。ワシが紫州を受け継ぐ助けとなった。これが結果だ」
杏樹は、そろそろ鬼門に着くころだろうか。
彼女はなにも知るまい。知らなくていい。
「自分がすぐに、紫州を追われることになるなど、知る必要はない。だが、ご安心ください、兄上。紫州は私が発展させてみせます」
「お父さま。見てください。儀式用の振り袖です!」
ノックもなく、娘の沙緒里が飛び込んでくる。
沙緒里が身にまとっているのは、杏樹の部屋から持ち出した小振袖だ。
美しいつくりだった。
袖は紫色。染め上げた模様が翼のかたちになっているの。
霊鳥『緋羽根』を有する紫州の巫女にふさわしい。
そう思い、州候代理は手を叩く。
「すばらしいよ。沙緒里。客人を迎えるのに、これ以上のものはない」
「けれど、帯留めの趣味が悪いんですの」
「どういうことかな?」
「杏樹お姉さまが使っていた帯留めは、狐のような尻尾がついているのよ? そんなの、炎の霊鳥『緋羽根』を操る私にはふさわしくないと思いません?」
『クルル』
同意するように、沙緒里の肩の上で、霊獣『緋羽根』が声をあげる。
『緋羽根』は炎を操る霊獣だ。
巫女姫を守る存在であり、紫州の象徴でもある。
それを操る巫女姫ならば、『鳥』『翼』をかたどるものを身につけるのが当然だ。
「そうだね。ふさわしくないものは、処分するといい」
「さすがお父さまです!」
「それより『緋羽根』を大切にしなさい。苦労して手に入れたものなのだからね。お前を『緋羽根』と契約させるために、どれだけの費用が必要だったと思う? 煌都の神官に来ていただくのも、大変だったのだからね」
「あら、お父さま。『緋羽根』は、私が実力で手に入れたものですのよ?」
「……ああ、そうだったね」
霊獣との契約には、多くの条件が必要となる。
霊力の相性。
祭壇。術具。祝詞。
契約を後押しする術者。
条件が揃えば揃うほど、契約を有利に進められる。
だから副堂勇作は、あらゆるものを揃えて、沙緒里と『緋羽根』との契約を実現した。
杏樹には、一切を与えなかった。
それは、間違いではなかったと思う。
杏樹に巫女姫として強い力があれば、補助なしでも契約できたはずだ。
だが、霊鳥『緋羽根』は、沙緒里を選んだ。
それで副堂勇作は、自分に州候を受け継ぐ権利があると確信したのだ。
「でも、杏樹姉さまはまだ生きていらっしゃるのよね?」
楽しそうに袖を揺らしながら、沙緒里は笑う。
「『邪霊は鬼に食わせろ』という言葉もあるわ。せっかく鬼門に追放したのですもの、鬼が杏樹姉さまを食べてくれないかしら」
「めったなことを言うものではないよ」
「あら、それは今さらでは?」
「杏樹を排除するための手は打った。錬州の方々も協力してくださった。それで、十分ではないかね?」
そう。これは不可抗力。
──州候代理は自分に言い聞かせる。
自分は決して、杏樹を殺そうとしてはいない。
鬼門の兵を減らしたのは、隣州と合同の軍事訓練をするため。
杏樹に随行していた兵士を呼び戻すのも、同じ理由だ。
別に杏樹に危害を加えようとしているわけではない。自分は、なにもしていない。
合同軍事訓練を呼びかけているのは、紫州の隣にある州だ。
序列第2位にある強力な州であり、副堂親子にとっては重要な協力者でもある。
その依頼を断ることなど、できるわけがないのだから。
「ああ。錬州の方々はすばらしいわ」
感動したように、沙緒里が声をあげる。
「お父さま。沙緒里は早く、蒼錬将呉さまの元へ行きたいわ。あの人がすべてをくれたのですもの。お父さまの地位も、杏樹姉さまを、本当の意味で追放するための──」
「──静かに」
副堂勇作は、娘の口を押さえた。
廊下から、足音が聞こえたからだ。
「──州候代理。お嬢さま。お客さまがいらっしゃいました」
ドアの向こうから、声がした。
「州候と呼びなさい!」
即座に、副堂勇作は言い返す。
「来客の前で、私を『代理』と呼ぶつもりか。少しは体裁を考えろ」
「お父さまのおっしゃる通りよ」
父の言葉を、沙緒里が引き継いだ。
「わきまえなさい。錬州候の嫡子でいらっしゃる蒼錬将呉さまは、この沙緒里の夫となる方なのよ?」
「失礼いたしました。州候さま……巫女姫さま」
訂正された言葉に、副堂勇作と沙緒里は満足そうにうなずく。
来客を迎える準備はできている。
そのために数刻前から、副堂勇作は州候の間で待っていた。
沙緒里が巫女姫の振り袖を着ているのも、そのためだ。
紫州の隣にある錬州──その地の州候の息子と、今後について話し合うために。
「錬州候嫡子、蒼錬将呉だ。ごぶさたしている。紫州候、それに沙緒里どの」
しばらくして、背の高い少年が部屋に入ってきた。
無造作に伸ばした黒髪。それを首の後ろでまとめている。
手足は太く、がっしりとした印象だ。
着ているのは青色の着流し。その上に錬州の紋が入った羽織を身に着けている。
彼が、紫州の隣にある州──錬州候の嫡子、蒼錬将呉だった。
「無事に紫州候に就任されたこと、お祝い申し上げる」
蒼錬将呉は腕を伸ばして、副堂勇作の手を握った。
不思議そうな顔をする副堂勇作に、彼は、
「これは異国の挨拶だ。紫州ではまだ一般的ではないようだな。握手といって、互いの腕を封じることで、戦えない状態にするものらしい」
「さすがは錬州候のご子息だ。異国の風習にもお詳しいとは」
「錬州は交易が盛んなものでな。異国から様々なものが入って来る。風習にも詳しくなろうというものだ」
「その学習意欲は見習いたいものです」
「変化の大きい時代、そうでなければ生き残れないからな」
蒼錬将呉は腕を広げて、笑ってみせた。
「お久しゅうございます。将呉さま」
話が途切れたのを機に、振袖姿の沙緒里が前に出る。
「紫州候の娘、副堂沙緒里でございます」
「おぉ。沙緒里どのか。久しいな」
「はい。無事に霊鳥『緋羽根』との契約を済ませ、紫州の巫女姫となりました」
「それはめでたい」
「昨年の正月に錬州にうかがったとき……おどろきました」
沙緒里は頬を染めて、
「あれほどの穀倉地帯を初めて見ました。山地の多い紫州とは比べものになりません。将呉さまが案内してくださった海も、目を見張るほどの迫力でした。大きな港に、次々とお船が入ってくるんですもの。海のない紫州としては、うらやましい限りです」
「正月だから初荷の船が多かっただけのこと。おどろくほどでもないよ」
「……ああ」
沙緒里は感動したような声をあげる。
不躾なのがわかっていても、目の前の男性から目が離せない。
海の男を思わせる赤銅色の肌。
沙緒里の前で大きな荷を担いでみせた、太い腕。
序列第2位の州候の嫡子というだけでも見とれてしまう。
なにより、この人は父を助けてくれた。
資金も、人も、すでに発動を待つだけの術式も、すべて錬州が与えてくれたものだ。
もちろん、利益を見込んでのことだとは知っている。
副堂勇作が紫州候になれば、錬州は強力な同盟者を得られるのだから。
沙緒里が将呉の妻となれば、その同盟はより強固なものとなる。
ふたりの子が、錬州と紫州を継ぐことになるのだ。
「それで……将呉どの」
話を変えるように、副堂勇作はせきばらいをした。
「州候交替の件について、お父上は」
「無論。副堂さまを支援いたします」
「で、では」
「次の州候会議において、副堂さまを正式に、次の紫州候へと推すこととなるでしょう。州候である紫堂暦一さまに、執務遂行能力なし。ゆえに正式に、副堂さまが紫州候になるべし、と」
「おぉ……」
沙緒里の父、副堂勇作は感極まったような声をあげた。
父の気持ちは、沙緒里にはよくわかる。
紫州候の地位は、本来、父が得るべきものだったからだ。
副堂の家は、紫堂の分家にあたる。
そして州候の紫堂暦一と、沙緒里の父である副堂勇作は、腹違いの兄弟だ。
本家である紫堂の家に子どもが生まれなかったことから、兄である暦一が引き取られた。それはただ年上というだけが理由だ。暦一が側室の子で、勇作が本妻の子だったというのに、それは考慮されなかった。
──霊力が強い。
──適性がある。
──霊鳥『緋羽根』との相性がいい。
そんなのはごまかしだ。
現に、勇作の娘である沙緒里は、『緋羽根』との契約に成功している。
それに、沙緒里はずっと母から言い聞かされてきた。
『情けない』
『煌都の巫女衆の地位を捨てて嫁いできたのは、代官の妻になるためじゃない』
『ああ、沙緒里。あなたは母の願いを叶えてくれるでしょう?』
『見せて、見せて。あなたが杏樹よりも優れているところを見せて』
『ほぅら──』
『あなたが成果を見せてくれないから、母はこんなことになってしまった』
『────てあげるわ、沙緒里。あなたが杏樹を超えられるように』
「──沙緒里どの。どうされた?」
気づくと、蒼錬将呉が沙緒里をじっと見ていた。
あわてて沙緒里は一礼する。
不調法なことをしてしまった。
蒼錬将呉がいる前で、別のことを考えてしまうなんて。
沙緒里は頭を振り、さっきまでの考えを追い払う。
「いえ、将呉さまとの未来を考えていたのです」
「それはまだ早かろう」
「いいえ、お父さまが州候となり、杏樹姉さまは紫州から消えると決まったのです。先のことを考えてもいいではありませんか」
そう。杏樹は紫州から消えることになる。
近いうちに。鬼門の地で起こる事件によって。
その事件を前にして、杏樹はどんな顔をするだろうか。
彼女の手勢では対処できないはずだ。
鬼門の兵士たちは引き上げた。強力の武官はすべて、こちらで押さえている。
杏樹に力を貸す者など、誰もいない──
(……いえ、ひとりいましたね)
『霊鳥継承の儀』で、抗議の声を上げた少年がいた。
新参者で、確か、名前を月潟零と言ったはずだ。
だが、ひとりでなにができるというのだろう。
すでに勝負はついている。あとは、詰め将棋のようなものだ。
こちらには序列第2位の錬州候と、その嫡子がついているのだから。
「将呉さま。沙緒里は、錬州の海が見とうございます」
沙緒里は袖で口元を隠しながら、言った。
「沙緒里が錬州にお邪魔するのは、いつ頃になりましょうか」
「父君の肩書きから『代理』の文字が取れた頃になろう。ああ、そのようなことより、重要な用件があったのだった」
不意に蒼錬将呉は、話題を変えた。
「我が父は紫州の歴史に興味があってな。常々、紫堂暦一どのの蔵書を拝見したいと言っていたのだ」
彼は室内を見回し、告げる。
「そこで頼みがあるのだが」
「……は、はぁ」
「父の代わりに、ぜひとも蔵書を拝見したい。この執務室にも書物はあるようだが……しばらくの間、ここでひとりで過ごさせてもらうことは可能だろうか? 本を読むだけなのだから、特に迷惑はかからぬと思うのだが?」
蒼錬将呉は、人好きのする笑顔を浮かべてみせた。
反射的にうなずきかけた沙緒里は、父に止められる。
副堂勇作は、少し考え込むようなしぐさをしてから、
「申し訳ありません。この部屋には重要な書類もありますのでな。まだ引き継ぎも不完全な今、錬州候のご嫡子にお見せできるものではありませぬよ」
「そうか。ならば仕方あるまい」
あっさりと、蒼錬将呉は引き下がる。
「無理を言ってすまなかったな。副堂どの」
「い、いえ」
「ならば、ひとつだけ聞こう。父からも訊ねるように言われていた言葉だ。
『紫州がいつから現在の姿になったか、州候代理はご存じか』──と」
「…………はぁ」
副堂勇作が、ぽかん、とした顔になる。
その表情を確認した蒼錬将呉は、副堂勇作の肩を叩いて、
「いや、済まぬ。父のたわごとだ。忘れてくれ」
──ごまかすように、笑ってみせた。
「それより、重要な話題があったはずだ。そちらの話をしよう」
「は、はい。合同の軍事訓練についてですな」
「そうだ。魔獣対策は緊急の課題。それに、錬州と紫州とは兄弟以上の関係になるのだ。連携は強めておかなくては」
蒼錬将呉は横目で、沙緒里を見た。
『錬州と紫州とは兄弟以上の関係になる』
言葉の意味を理解して、沙緒里は胸をときめかせる。
(なんという運命でしょう。この沙緒里が、未来の錬州候の妻になるなんて……)
高鳴る胸を押さえながら、沙緒里は父と将呉のやりとりを聞いていた。
けれど、ふたりの言葉は頭に入ってこない。
見ているのは将呉だけ。それだけで、胸がいっぱいになる。
──合同軍事訓練のあと、自分は将呉と一緒に錬州候にあいさつに行く。
──蒼錬将呉の──未来の錬州候の妻となるために。
沙緒里の頭の中には、それしかなかった。
だから、さっきの胸をよぎった母の言葉は──忘れてしまったのだった。
次回、第12話は、今日の夕方くらいに更新する予定です。
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