第1話「巫女姫と護衛、追放される」
「我が姪、紫堂杏樹を本家より追放する。これは州候代行としての命令である」
大広間に、紫州候代理の声が響き渡った。
広い板の間。
奥には祭壇がある。紫州の土地神を祀るものだ。
その前には、白衣に緋袴を身につけた、ふたりの少女。
ひとりは現州候の一人娘で、俺の主君の杏樹さま。
もうひとりは州候代理の娘、沙緒里だ。
杏樹さまはひとり、祭壇の前に立っている。
だが、沙緒里の肩には、赤い羽根を持つ鳥が乗っている。
「州候である我が兄が病に伏せっている間、弟のワシ……副堂勇作が州候代理を務めておる」
州候代理の副堂勇作は胸を反らし、堂々とした口調で、
「我が名のもとに、ふたりの巫女が『霊鳥継承の儀』を行った。その結果、霊鳥『緋羽根』が選んだのは我が娘である沙緒里だったのだ」
なにが『霊鳥継承の儀』だ。
杏樹さまを祭壇に近づけなかったのはあんただろうが。
俺は紫州に来てまだ一ヶ月だけど、この儀式が異常だということはわかる。
州候代理の娘、沙緒里のまわりには、数名の神官が控えている。
儀式の間、沙緒里をサポートし続けた連中だ。
なのに、杏樹さまの隣には誰もいない。
護衛役の俺でさえ、近づくのを禁じられた。
しかも霊鳥のまわりには注連縄が張られている。その内側にいるのは副堂沙緒里だけ。注連縄はたぶん、杏樹さまを霊鳥と接触させないための結界だ。
これじゃ杏樹さまが不利なのは当然だ。
「知っての通り、霊鳥『緋羽根』は紫堂の血と霊力に反応する。その紫堂の者が受け継ぐべき霊鳥が沙緒里を選んだということは、我が娘にその継承権があるということだ。選ばれなかった杏樹には、その資格はない。混乱を避けるために、紫州の鬼門の関の向こうへ、追放すべきである!」
あ、だめだ。
これ、出来レースだ。
大広間に集まっているのは、俺を含めた屋敷の使用人たち。
入り切らなかった兵士たちは、庭の方に整列してる。
彼らの服装を見ていると時代を感じる。州候代理の副堂勇作は紋付き袴姿。屋敷の者たちもすべて和装だ。
けれど兵士たちは洋装。
杏樹さまの護衛役の俺は、彼女に合わせて和装──着流しに羽織だ。
和洋折衷。
今は前世の世界での時代でいえば、文明が開花して十数年後。
ここは前世の日本に似た、東洋風の世界だ。
だけどこの世界には霊力があり、霊獣や霊鳥、精霊がいる。
だから、文明の進み方がかなり違う。そもそも土地の形が違う。島国なのは同じだけれど、広さも、国の制度も異なっている。
この国は8人の州候に治められている。
州はそれぞれに土地神を拝し、州候は独自の霊獣・霊鳥を持つ。その力を使って、土地と民を守っている。
彼らの上に、国の最高位である皇帝がいる。
もっとも、俺は会ったことがないし、この国の首都である煌都にも行ったことはないんだけど。
転生した俺が16年間過ごしたのは、こういう世界だ。
だから代理とはいえ、州候の言葉は絶対だ。
逆らえる者なんかいるはずがない。それがこの世界の常識だ。
そんなことは、みんなわかっているはずだ。
「我が意見に不服な者。それでも杏樹の味方をしたい者がいたら手を挙げるがいい」
うん。これもよくある奴だ。
前世の世界でもいたもんな。みんなの前で「不満な者は手を挙げろ」とか言う奴。
あれって、できないとわかってて言ってたんだろうな。
上司や役員の言葉に堂々と不満を述べるなんて、仕事を辞めるときくらいだったもんな。
特に、この世界は権力者が強い。
州候代理の言葉に逆らえる奴なんているはずがない。
みんな生活があるんだから。
俺だって、一ヶ月前にこの屋敷に来たばかりだ。
俺の父親と杏樹さまの父──紫州候との約束のおかげで、紫堂の家に雇ってもらったばかり。
この仕事を失うなんてありえない。
賃金もまだ数回しかもらっていない。
州候の家は面倒なことが多いけれど、給料の払いは悪くない。
しかも高齢になるまで努めれば、恩給がもらえるらしい。いわゆる年金だ。
いいよね。年金って。
前世ではもらう前に死んじゃったもんな。
病弱だったから老後が心配で、厚生年金の他にも、個人年金にも入ってた。
60年計画で積み立てもしていたんだ。
若くして死んだせいで、すべてパーになったけど。
今生ではそんなことがないようにしないといけない。
老後のためにも、紫堂の家での勤めは重要だ。絶対に逃すわけにはいかない。
これは、確定事項なんだ……。
「──き、貴様!? 月潟零! お前は州候代理の意見に異を唱えるというのか!!」
──ということを、手を挙げてから考えた。
うん。失敗した。
でも、これは仕方がない。
生まれ育った村を勢力争いのせいで追放されて、次の職場で守るべき相手が追放されるのを見過ごす──そんなのは後味が悪すぎる。
俺は、そんなことを考えていたのだった。
俺は16年前にこの世界に生を受けた、転生者だ。
前世では日本に住んでいた。あと、病弱だった。
だから老後を心配して、個人年金にお金をかけた。
健康保険にも入って、入院したときも心配がないようにした。
そしたら、20代前半に事故死した。
死ぬ間際に、俺は『今度生まれ変わるときは健康でありますように』と願った。
そうしたら、この世界の武術家の子どもに生まれ変わっていたんだ。
俺の故郷『虚炉村』は、かつて忍者の村だったらしい。
それがどういう歴史をたどったのか、いつの間にか正々堂々とした立ち会いを好む、武術家の村になっていた。
『虚炉村』に生まれた子どもたちは、みんな体術や剣術、格闘術を仕込まれる。
俺も父親から武術を教わった。
ついていけるか心配だったけれど、なんとかなった。
というより、他の子どもたちよりも覚えが早かった。
たぶん、俺が健康だったからだろう。
誰かが、俺の『健康』という願いを叶えてくれたんだ。
疲れても回復は早かったし、怪我の治りも早かった。
おかげで、たくさんの技を受け継ぐことができたんだ。
父は村で最強だったけれど、村長ではなかった。
村長は、俺の祖父だ。
祖父は本当に強くて、若い頃は首都で皇帝の護衛役を勤めたこともあるらしい。というか、それが自慢で、酒を飲むといつも『いかに若い頃の自分が優れていたか』について語り続けていた。
『虚炉村』の者たちは、州候や貴族、商人などの護衛を生業としている。
この世界には魔獣──モンスターのようなものがいて、人をおびやかしていたからだ。
「なんで妖怪や妖魔じゃないの?」と父さんに聞いたことがある。
答えは簡単「そんな親しみやすい相手じゃないからだ」らしい。
魔獣は、初めは妖怪と呼ばれていた。
次に妖物。さらには妖魔と。
けれど妖怪・妖物・妖魔と呼ばれるほど生やさしいものではなかった。
だから妖魔の『魔』だけが残り、『魔の獣』──魔獣となった。
そんな危険な生物がうようよしているのが、この世界だ。
俺も、父さんと一緒に護衛の任務についたとき、魔獣と出会ったことがある。
よく覚えている。
護衛任務の最中に、魔獣を操る盗賊に襲われて、父さんが死んだからだ。
紫堂の親子──杏樹さまと、その父君を護衛しているときだった。
州候さま──紫堂暦一さんは、命を救ってくれた父と俺に感謝していた。
そのお礼として、俺が成人したら雇ってくれると約束してくれた。書状つきで。
でも、その後『虚炉村』は荒れた。
次の村長になるはずだった父が、死んでしまったからだ。
その後、祖父が推す村長候補と、別の勢力が推す村長候補の対立が始まった。
村はまっぷたつに割れて、俺の居場所はなくなった。
そうなると思っていた。
村長の孫で、次期村長候補だった者の息子で、でも村長になるには若すぎる。
そんな奴は邪魔でしょうがないだろう。
俺は村での居場所がなくなり──
16歳になり、成人したのを機に、紫堂の家への就職を試みた。
約束の書状のおかげで、州候さまと会うことはできた。
杏樹さま立ち会いのもとで、『娘の杏樹の護衛を頼む』という言葉をもらった。
それで俺は、杏樹さまの護衛となったのだった。
正直、安心した。
俺は健康だ。つまり、長生きするはず。
となると、老後が心配だ。
この世界には年金制度もないし、高齢者ができるような仕事もあまりない。
だけど、州候の元で数十年間働けば、辞めたあとで恩給がもらえる。
ぶっちゃけ、年金のようなものだ。
それをもらえば、高齢になっても生活できる。
前世では叶わなかった、年金生活ができるんだ。
で、それが一ヶ月前のこと。
今のところ、護衛らしいことはなにもしていない。
せいぜい、杏樹さまの話し相手になったくらいだ。
杏樹さまは平民の俺にも礼儀正しい、優しい人だ。ただ、食が細くて、少し痩せ気味なのが心配だけど。
杏樹さまが、俺が忠誠を誓うべき相手かどうかは、まだわからない。
というか、俺が望むのは年金だ。
ここで州候代理に逆らうのは下策だってわかってる。
だけど……ふと、前世のことを思い出してしまったんだ。
前世にも嫌な上司はいた。
こいつの元で、定年まで働くのは絶対に嫌だ。吐き気がする、と思うような奴も。
でも「俺は病弱だから仕方ない」「ここで仕事をやめて、もっと辛い仕事に就いたら、身体を壊すかもしれない」と思って、我慢していた。
健康だったら絶対に我慢しないって、心に決めていたんだ。
で、今の俺は健康だ。
ぶっちゃけると、神とか超越存在のせいで、めっちゃ健康になってる。
だから、我慢する理由が、なくなってしまったんだ。
恩給は欲しいけど。
これで仕事を辞めることになったら、めっちゃ老後が心配だけど!
「俺──月潟零は、州候である紫堂暦一さまより、杏樹さまの護衛を命じられております」
そして、現在。
俺は州候代理を見据えて、告げた。
「ですから、杏樹さまへの不当なあつかいを見過ごすわけには参りません」
「無礼な!」
「それはお詫びいたします。ですが、俺は紫堂暦一さまより正式に雇われております。書状もいただいているのです。俺の主人はあくまでも州候さまであり、代理の方ではないのです」
これで『無礼な、出て行け』と言われたら、素直に立ち去ろう。
次の仕事があるかどうかはわからないけれど。
ただ、俺には健康がある。前世では得られなかったものだ。
健康があればなんとかなるだろう。たぶん、だけど。
「ありがとうございます。零さま」
不意に、声がした。
気づくと、巫女服姿の杏樹さまが、俺の側に来ていた。
「部下の非礼をお詫びいたします。叔父さま」
杏樹さまは、州候代理である叔父に一礼した。
それから、俺の方を見て、
「零さまの言葉は嬉しく思います」
「……杏樹さま」
「けれど、わたくしが霊鳥『緋羽根』と契約できなかったのは事実です。それは受け止めなければなりません」
杏樹さまはきっぱりと言い切った。
真面目な人だった。
この世界の州候……いや、貴族というのはそういうものなんだろうか。
「叔父さま……いえ、州候代理におうかがいします」
「なんだ。杏樹」
「わたくしが鬼門へと向かうことは、民の役に立つのでしょうか」
杏樹さまは言った。
周囲の者たちが、おぉ、と声をあげる。
「ご存じの通り、鬼門は魔獣が侵入しやすい場所です。巫女の力を持つわたくしが行けば、民を守ることに繋がる。州候代理は、そのようにお考えなのでしょうか?」
「あ、ああ」
「鬼門の邪鬼を祓い、魔獣の侵入を防ぐ、それがわたくしの役目だと?」
「その通り。その通りだ!」
州候代理は声をあげた。
表情は苦虫をかみつぶしたようだ。
たぶん、州候代理は、杏樹さまが無様な姿をさらすことを期待していたんだろう。
そうすれば州候代理にふさわしくないと言い切れる。
追放する理由づけにもなる。
でも、杏樹さまは『自分が行くことが民のためになるのか』と訊ねた。
そこでまさか『いや、ワシはお前を追放したいだけ』とは言えない。
そのせいで、かたちだけでも『杏樹さまは自ら民のために、鬼門行きに同意した』と言えるようになったんだ。
なかなかやるな。この世界の貴族も。
「では、わたくしは鬼門に参りましょう」
「……あ、ああ。そうするがよい」
「ただ、ひとつお願いがございます」
「なんだ?」
「わたくしが鬼門にて、州候代理に評価されるような成果を上げた場合──」
「い、いいだろう。そうなったら、州都に戻すことも考えよう」
「いえ、部下の者たちが州都に戻れるようにしていただきたいのです」
州候代理の言葉を遮り、杏樹さまは宣言した。
「鬼門に派遣されるのが、わたくし一人というわけではないはず。同行を命じられる者もいるでしょう。そういう者たちに、戻る場所を与えて欲しいのです」
完璧だった。
毅然とした表情。気品に満ちた物腰。
そして、慈愛あふれる言葉。
紫堂家の者たちは、杏樹さまの言葉に心を奪われているようだった。
対象的に、州候代理の娘である沙緒里は、歯がみしている。
気持ちはわかる。
霊鳥と契約して、紫堂の巫女姫として華々しくデビューするべき場面で、皆の視線をすべて、杏樹さまに持って行かれちゃったんだから。
「よかろう。ただし、それはワシがお主の働きを認めた場合だ」
「お心遣いに感謝いたします」
「すぐに出立の用意をせよ。馬車を仕立てて、明日には鬼門へとお前を送る。同行する者は──」
州候代理が舌打ちした。
俺がまた、手を挙げたからだな。
でも、俺が同行するのは当たり前だ。
魔獣が出る地に行くのに、護衛無しなんてあり得ない。
というより、今は魔獣よりも人間が怖い。
杏樹さまはやり過ぎた。貴族としての誇りを示すのはいいけれど、州候代理と娘の沙緒里の顔を潰してしまった。
州候代理はたぶん、紫州の乗っ取りを企んでいる。
最終的には杏樹さまをどこかに嫁がせるか……あるいは、殺すことを考えているのかもしれない。
注意しておこう。俺の老後のためにも。
「では、これにて霊鳥継承の儀を終了とする。皆、持ち場に戻るがよい」
州候代理は皆を見回して、宣言した。
こうして俺の主君は州都を追放され、北東にある鬼門の村へと向かうことになった。
護衛の俺も、一緒に。
用語解説
・『霊獣』『霊鳥』
この世界に存在する、霊力を持った動物たち。
炎・風・水・地・光などの属性を持っている。自分と契約した人間に、その力を分け与えることができる。
強力なものは州候 (この世界の貴族)などの権威の象徴としても扱われる。
このお話を気に入ってくださった方、「続きが読みたい」と思ってくださった方は、ブックマークや、広告の下にある評価をよろしくお願いします。更新のはげみになります!