教会と信仰
代官に話をして一つの懸念事項がなくなった。だけどもう一つ気になっていることが有る。日本と違うことは理解している。ここ農村にも宗教施設があり、信仰が行われている。思想宗教が違った場合に新しいことは受け入れられるのかが気がかりである。あたらしいこと事態が異端として取られるのではないか。そういった危険をもちろん想定する必要がある。どれが禁忌に触れそうか、どこまで話して良いのだろうか。
昔、天上は完璧な世界で地上の世界と違う法則で動いているという考えがあった。この天上とは見上げた空の太陽、月、星、惑星の話である。地動説を唱えるとガリレオ・ガリレイは宗教に弾圧された。天上と地上で同じ法則という考えがダメであれば、力学を教えることが禁忌に触れそうである。惑星を関係なく、ただ地上の事柄だけで説明すれば住むのだろう。
代官のすすめもあり、この農村の神官に会う事になった。単刀直入に懸念していたことを伝えた。
「この国の常識と違った物事があればあなたは、それが広がることに反対しますか。」
神官「昔とある国に王がいました。その王は病気の王子を抱え、王子の病気を治したものに褒美を与えました。その神官が敬虔な信徒であったために、国教が厳格に行われるようになりました。姿勢が保守的で新しいことを取り入れなかったために。周辺国との差が多くなりやがて国力に差が出てきてしまいました。そして国は次第に傾き人々は去っていきました。」
「このことからわかることは何でしょう」
神官「私の口からはいいにくいですが、新しい知識を受け入れる人受けれ入れない人はいます。ここの領主は受け入れる人だということで・・・。この村以外もそうだとは思わないほうが良いとは言っておく。」
諸宗教も栄枯盛衰があるようで、新しい技術や考えを取り入れた方が隆盛して。古い考えの習慣を維持したものが国ごと滅び僻地に追いやられているようだ。そういうこともあってか、新しいことに対する拒否感はすくなくなっている。
代官から紹介された神官は、科学を宗教の言葉に無理矢理書き換えてる人であった。科学なのになぜか精霊とか出てくる言葉に変換され、法則の名前を聖人として呼び崇め出した。法則名を人の名前にしているのが悪いのだろうか。ニュートン力学が聖人ニュートンの話になってしまった。物理を理解することを神の意思を理解することとらえているようだ。発言はでたらめに聞こえるのだが、よく考えるとあっていそうなのが悔しいところである。
かんたんな物理実験で、力学の法則を見せる。振り子、加速度運動、位置エネルギー。
ナビ「スキルに力学を取得しました。」
久々にスキルが付いたが、やはり知識だけじゃなくて実践しないといけないのだろう。
四つの基本相互作用が4代精霊と変換されてしまった。1つめの力である重力を精霊グラビトンと名付けてしまった。そうすると、電磁気力はエレクトロンと呼ばれそう。そこは5大精霊じゃなくて良いのだろうか、火水風とか有るんじゃなくて。
神官「また神についての話をしてください」とのたまった。
絶対わかっててやっている気がするが、特に反対する理由が見当たらない。これが民衆にも受け入れられれば、行動しやすくなることがわかっているのだから。
力学について計算を入れたかったが、少し時間が足りなかった。




