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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

SEEK

作者: 織倉こた

 もっと、もっと。

 足りない、足りない、タリナイ。

 脳の伝達を無視して身体は本能のままに欲する。

 瞳に映るのは怯えた少女の顔だ。

 そして、その少女の顔に映るのは完全に歪みきった自分の顔。

 否。自分の顔だったもの。

 それはもうかつての自分とは言えないほどに変形していて、己で己を認識できないほどに狂っていた。

 ああ、なんて醜い。

 理性と本能が完全に分離して、理性が本能に乗っとられた我が身を冷静に見下しているかのようだ。

 ジリジリと少女との間を詰め、その細い身体を羽交い締めにし、そして───




「なんでこんなにか弱い一般人がそんな猟奇的な現場に駆り出されなきゃいけないんですかね」

 尻を伝う振動に身体をガタガタと揺らしながら、忙しなく流れる景色を眺めてボヤく。見えるのは道路を挟んで左側の景色だけ、つまり助手席に縛り付けられるように僕は座っていた。至って普通に座らされているのだから、縛り付けられるようにとは少し語弊はあるだろうが実際窮屈なシートベルトは、自分の命を守ってくれるとはいうものの動けないように座席に磔にされているのと同義なのではないかと思う。

 僕の抗議と言わんばかりのぼやきが聞こえたのか乾いた笑い声が耳を撫でた。

「だーれがか弱い一般人だ。今回はお前向けの現場だろう」

 ハンドルを握るその人は窓を開けて風を一身に浴びながら、カラカラと笑う。その笑顔はひとっつも笑っていなくて、目が死んでいるように映るのは多分これから先被害を被る僕だけだろう。

「老若男女構わず喰らう人喰い鬼。被害が出てから四日で街は全滅、もぬけの殻。いかにもお前の出番だろうに」

「人を桃太郎か誰かと勘違いしてませんかね。鬼退治は専門外……ていうか、自宅警備がお仕事なんですけど」

 日光浴びると溶けちゃうなんておどけて言うと、日光浴びて溶けるやつは一般人じゃねえとまっとうなツッコミを受けた。

「ともかくだ。お前にはその街に出向いてもらってその鬼の正体、もしくは退治をお願いしたいわけだ」

 そのことを車内で言っている時点で僕には拒否権なんてものは存在しない。お願いなんて可愛く言ってもこれはすでに命令だった。警備すべき我が家は遥か彼方。もうニ時間は車を走らせているのだから。

 歩いて帰るといっても道はわからないし、寝ているところを運ばれてきたものだから財布や連絡手段なんてものはない。あるのはこの可愛い寝起きそのままの我が身だけだ。

「何度も言うがお前は異常だ。そして相手も異常だ。目には目を歯には歯を。異常には異常をって昔から言うだろ?」

 今初めて聞きました。

 そもそも僕が異常なわけがない。異常は正常という比べるものがあるからにして、異常とわかるのであって、例え異常であってもそれが常ならばそれはその人にとっての正常なのである。

 体調不良というのも普段の体調というものがあるからにして体調不良というのだ。つまり普段の体調が周りの体調不良と同じレベルの人がいれば、周りの人にとっての異常でもその人にとってはいつも通りなのである。

 まあ、そんな屁理屈をこの人にぶつけてもいつも通り笑って蹴飛ばして終わりだろう。笑い飛ばすのではなく、笑いながら本当に蹴飛ばすのだこの人は。

「それで、そっちが動くってことはそれなりに検討はついてるんですよね?」

「ん? 珍しく乗り気じゃあないか。いいね、いつもそれぐらい素直ならいいのに」

 人を捻くれたヤツみたいに言うなよ。

「拒否権は賢くお留守番しているんですから、ここでは使い物にならないでしょ。ならサクッと終わらせて帰りたい。情報ある方がやりやすいし」

 事実、こういった類は情報がモノをいうことの方が多い。どんな些細なことでもここぞという時に助けになったりすることがあるのでバカにできない。過去にバカにして薄らげに聞いていた情報で首の皮一枚を繋いだ僕が言うんだから間違いない。

 素直に協力する気になった僕を見て機嫌をよくしたのか、またカラカラと笑った。そして視線を外さずに二本に立てた指だけをこちらに向けた。

「こっちが掴んだ情報は二つ。一つはこれがマの字の仕業である事。二つ、オニの元はまだ身元の取れてない地元の高校生……らしい」

「らしいって、その情報源はどこから?」

「さあ。そこまで追求する余裕はなかった。なにせ四日で人口を三分のニに減らした殺人鬼だ。早急な対処が必要だった」

 そんな適当な。僕の命がかかってるのに。

 まあ、それでも貴重な情報であるのには違いない。ないよりマシ程度ではあるが、あるに越した事はないのだ。

 それにしてもこうも立て続けにマの字関係の事件が続くとは僕にも予想できなかった。マの字、もとい魔女はもっと怠惰で僕のように引きこもるのが好きなタイプだと思っていたから。

 これでは魔女のイメージを改めなくてはならないな、なんて思っていると進入禁止を意味する黄色いテープとその近くに立つ警官が二人、目に入った。

 二人は止まるように警棒で指示すると、車は大人しくその指示に従い二人の前でピタリと止まった。

「この先は進入禁止区になっています。急いで引き返してください」

 道の先にもう街は見えており、あと五分も走らせれば街の端には着くだろうという距離である。

「すまない、連絡があったと思うが私が緒方だ。そしてこいつが例の」

 クイッと僕の方を顎でしゃくる緒方さん。警官の顔がみるみると青くなる。

 まったく、僕の事をなんて伝えてるんだこの人は。無害な一般人ですよ〜。

 という意向を伝えるようにこれほどにない笑顔で手を振ってみせるとさらに顔を引きつらせる。

 なんで失礼な人たちなんだ。僕の笑顔に不満でもあるのだろうか。

 そんな言葉を飲み込みながら僕は澄ました顔で前へ向き直った。

「失礼いたしました! どうぞよろしくお願いします!」

 二人が車から離れながら敬礼をする。

 ぶうん、とエンジンが回る音がして車は発進する。

 二人の姿がバックミラー越しに小さくなるのを見ていると風に乗って聞こえてきた会話が耳を突いた。

「アレが魔女の手先……」

「あんな幼い子がねえ」

 最後まで本当に失礼な人たちだ。

 僕は今年で二十歳だってのに。




 ガタガタと揺れていた体がふと安定して街並みが変わる。

 塗装された道、つまり街に入ったのだろう。しかしそこにかつて───来たことのない街なので恐らくだが───の活気はなくシンとしている。すれ違う車もなければ人も犬っころ一匹もいない街。

 見てくれだけはどこにでもありそうな量産型住宅街。今すぐにでもご近所付き合い大好きな隣人が集まって鬼の話をしながら笑ってそうなそんな場所。なのに人がいない。

 空虚な街だ。

 聞こえるハズの生活音はなく、あるのはこの車のエンジン音だけだ。

 それもじきに止まり街は完全な静寂を迎えた。

「さて、私が送れるのはここまでだ。降りな」

 その沈黙を破るように緒方さんと僕は座席を立つ。

 空気は異様で生活感がまるでなく、自然なようで自然じゃない。ようするに気持ち悪いものだった。

 シートベルトの束縛を逃れ、自由になるとまるで体が鉛のように重い。普段引きこもりの僕にとって、長時間太陽に浴びたり車に揺られるのは不慣れ……それこそ異常な事で、身体は悲鳴をあげていた。

 そんな僕には目もくれず、後部座席に座らされていたリュックサックを持ち出す緒方さん。

「この中にこの街の地図と水、携帯端末が入っている。終わったらそれで呼び出せ。迎えに来てやる」

 つまり終わるまで連絡してくるな、と。

 おそらく携帯端末とはいえど、期待しているような携帯電話、ではなくトランシーバーのように個人通話に適した連絡ツールなのだろう。

「鬼さんの居場所は?」

「んなの掴んでるワケがねえだろうが。鬼をちゃんと見たヤツァ片っ端から喰われてりゃあ。こうバリバリっと」

「げぇ」

 貪り食うような真似をする緒方さん。それがあまりにもリアルで長く車で揺られていた頭に響いた。

 吐きそう。

 最悪な気分のままリュックサックを受け取ると、じゃあなと言い残してさっさと踵を返し車は元来た道を戻って行ってしまった。

 それを見送ってから一つ大きなため息。

 やっと嵐が去ってくれたという安堵とこれからどうしようかという不安。

 まあ、かれこれこんな事も三度目で、前者によるため息の方が大きい。

「さてと。そんじゃま、サクッと終わらせたいね」

 受け取ったリュックサックを背負って気合の掛け声を入れたところで、溝口に今朝食ったコンビニ製サンドイッチを全てリバースした。




 波留崎と呼ばれるこの街は僕が暮らしている街と同じぐらいの大きさで、街としてはそれなりに栄えていたようだ。都心部に向かうにつれて、高く並ぶビルとともによく聞くブランドのお店がチラホラと目に付いた。

 しかし、そこに人はいない。

 普段ならどこにでも自由に入って待ち時間なし! 最高! と手放しで喜べるのだろうが、人がいないということは店員がいない、つまり店としての機能は失われているも同然なので、それを喜べるほど道化ではない。

 地図と一緒に入っていた街のパンフレットをめくりながら目ぼしい店がないかと探す。その眼光はさながら盗人のそれに見えると言われても否定はできないだろう。

 が、探している店は金目のものがある店ではない。

 どちらかといえば新鮮な食材を探す主婦のような視線だ。

 本当に犯人が人喰い鬼だとして、そこから食材である人が居なくなったらどう食いつなぐか。それを推理しての結果が精肉店だ。

 人肉がないなら豚肉を食べればいいじゃない。牛肉を食べればいいじゃない。鶏肉を食べればいいじゃない。

 まあこの推理は一般的な思考を持つ人にしか通用しないので、人を食べようなんてとち狂った鬼になんて通用しないかもしれないが、居なくなった人(食料)を追って郊外に出たという情報は幸いにもまだない。

 なら、この可能性もなきにしもあらずだと思うのだ。

 しかし四日でほとんどの街人を喰らい尽くした殺人鬼である。もうとっくにここいらの肉は食い切って、情報が回っていないだけで外に出ているのかもしれない。

 そうなったらここも終わりだなぁなんて他人事のようにおもいながら、もう一度地図に目を落とした。

 その時だ。

 何処かから子供が啜り泣く声が聞こえてきた。

 耳を澄まさなくては聞き逃してしまいそうな小さな小さな声は壁に反響し、響いているようだ。

 音を頼りに路地裏へ足を踏み入れると、そこにはどっかの初等部らしき制服をきた少年がわんわんと声をあげて泣いていた。

 少年を囲むビルの壁は赤黒く、二重影が出来ている。それは影というには歪で、まるでバケツをひっくり返したかのようなそれがなんなのか。

 確かめるまでもなく血だ。

 血溜まりの中で、齢十そこらの少年は泣いていた。

 まだ、泣けるだけの元気はあったと前向きに考えるのが良いだろうか。それぐらい、この絵は地獄のようだった。

 少年は僕に気がついたのだろう。叫び声をあげて立ち上がると、血塗れなのを気にせずにタックルをかましてくる。鳴き声なのか叫び声なのか判らない奇声を嗚咽と共に繰り返すと、ぐしゃぐしゃな顔を僕の服で拭った。

 なにすんだこのガキ。

 なんて素直な言葉を口にしようものなら、今のこの子の状態から考えて逃げられるのは目に見えていたので、大人しくなるまで好きにさせているとようやく落ち着いた少年が「お兄さん誰?」なんて順序を幾分もすっ飛ばした質問を掛けてきた。

「こういう時はね、先に自分の名前を言うものなんだよ少年」

 できるだけ怒りを抑えた口調かつ冷静を装ったフェイスで問いかける。

 一度だけびくりと肩を震わせたが、躾は出来ているらしい。おずおずといった感じだが、名を告げた。

「羽島陽一。小学三年生」

 じっと今度はお前の番だと言わんばかりの視線をこちらに向け、もじもじと身体をくねらせる。

 その様子を見てこいつ、このケがあるんじゃねーかな。なんておもいながら、視線に耐えられずに短く名前だけを告げるとキラキラとした目で何度もその名を繰り返した。

「カナタお兄さん、カナタお兄さんかあ」

 正直名前なんて呼び止めるための便宜上あるだけみたいなものなので興味はないが、そう何度も呼ばれると少しくすぐったい気もする。特にこの名前になんの思い入れもないが、自分のことを指していると理解しているとやっぱり他人事ではないのだ。

 と、そうだ。こんな簡易すぎる自己紹介に脱している場合じゃない。僕がこの少年を探したのは理由があったのだ。

 一つ。この子が噂の食人鬼なのではないか。

 一つ。この子は食人鬼とかかわりがあったのではないか。

 一つ。食人鬼について何か知らないか。

 以上の三つを聞くために、情報入手のためにこのべたべたの血塗れにされたのにも黙っておいたのだ。

 さてさて、小学三年生にもなれば小学校折り返しも近い。高学年ほどではなくともそれなりに会話を理解して聞けるはずだ。

 さっさと情報を入手して鬼退治といこうではないか。

 どれどれ、なにから聞いていこうかと考えていた矢先、陽一はあっと何かを思い出したように表へと駆ける。

 一瞬の間だった。

 子供ってそんな早く走れたんだなと感心している自分の憶測が甘かったのが転じ、陽一の背中は光に照らされる。

 瞬きも許されないそんな刹那で、陽一は空を飛んだ。

 正しくは、誰かに抱えられて宙を舞った。

 ぐんぐんと遠くなる背中。

 呆気としている僕。

 陽一を軽々と引っ掛け空を舞うその誰かはもう、わかっていた。むしろ、そんな言葉通り地面から30mほど離れた空中を飛ぶように舞えるのはこの街には一人、いや一匹しかいないだろう。

 食人鬼。

 そいつは急のことで意識を失った陽一を抱えながらにいっと口を半月型に歪める。まるでぼうっとしているこちらに挑戦するように。挑発するように。

 長い髪の隙間から見える眼光がこちらを捉え、ビルの間へと姿を消した。

 さっきの、ほんの十分前までからはありえないほどの静寂。

 嵐の前のなんとやら、って多分こういうことを言うのだろう。

 僕は唖然としながらポツリ呟く。

「あーあ、ダメだ。めんどくせえ」

 陽一にはなんの思い入れもないが、しょうがない。

 挑戦状を叩きつけられて、喧嘩を売られて、僕は黙っていられる性分ではないのだから。




 ここまで来るのに何度引き返そうとしたことか。

 早く終わらせたいという気持ちと余計なことをこれ以上背負い込みたくないという気持ちがシーソーゲームをして、なんとか前者の方が重い状態を維持し続けられた結果である。

 目の前には、犯人がよく身を隠す場所に選ぶ廃ビル。

 今の街には誰もいないからビルなんて選び放題なのにわざわざこんなところに身を隠すあたり、固定概念がなかなか離れないやつなんだろうなぁと推測をしてみたりする。あくまで推測なので、それこそ固定概念に引き込まれないようにしなくてはいけない。

 さて、僕がこの場所を見つけられたのは鬼が飛んだ跡をつけて行ったからではない。むしろあいつは何処か理性的で、街にはできるだけ傷がつかないように心がけていた。

 ので、追うための痕跡が少なく捜査は難航したけれど、生き物が生きていく上で絶対必要な呼吸だけは、鬼になっても必要らしい。かなりかなりかなり耳を澄ませてその呼吸音を頼り、そして居場所を割り出した。

 この力が緒方さんに本日推薦された一端でもあるのだろう。まったくいい迷惑だ。

 もう僕頑張ったよねパトラッシュ。

 ここは教会でもなければ私はパトラッシュではない、なんて緒方さんのツッコミが街を越えて聞こえてきたような気がしたところで、バリバリに割れたガラスドアを潜る。

 外がボロボロなら中もボロボロで何年も人の手が入っていないことがうかがえる。埃まみれの砂まみれ。雑草こそは生えていないが荒れ放題だ。

 そりゃ廃ビルなんだから、こんなところ掃除する物好きはいないし、もしいたとしてもそいつは不法侵入者なのでさっさと警察にTELした方がいい。

 さっと一回フロントを見回してみる。人影は見えない。

 もう一度耳を澄ませる微かな呼吸音が上から聞こえてくる。

 なんの隠密もせずにビルに乗り込んできた僕のことは見えていただろうに、緊張や興奮でその息が乱れている様子はなかった。随分肝が座っているのだろう。

 餌がやってきた。

 普通ならそう思って興奮してもおかしくない。

 それなのに呼吸は依然として整っていた。

 違和感。

 そういえば、陽一の呼吸が聞こえない。

 もしやもうそこにはいないのかもしれない。

 そんな嫌な思考が頭を過る。

 まあ、向こうが満腹で僕のことを見逃してくれるなら、嫌なことから好転、さんきゅー見知らぬ小学生と話は終わるのだが、きっとそうはいかない。何せ1日に何トンもの肉を食べる化け物が相手なのだから。満腹なんて言葉とは無縁かもしれない。希望は捨てていった方が懸命だろう。

 恐る恐ると上へ続く階段を登り、一階、二階と進んでいく。

 そして、四階でようやく足を止める。

 血の匂いが濃くなったからだ。

 目の前には、およそ人とは思えないものがごろごろと転がっている。

 人体の一部が欠落していたり、表面を剥がれ剥き出しのままのそれをこぼしたままだったり、逆さに吊られていたりまるで趣味の悪い拷問部屋だ。

 肉を食べることに飽きたからなのか、それともこういう趣味なのか。

 どちらにせよ悪趣味なのは変わらない。

 その悪趣味な持ち主は気に入りましたでしょうかと言わんばかりの笑みを浮かべながらその中で恍惚とコレクションを眺めていた。

「初めまして、悪趣味さん」

「初めまして、家畜さん」

 呑気に挨拶を交わす。

 ああ、珍しい。まだ理性があるなんて。

 この際理性が残っているのは、幸か不幸かでいえば後者で、理性を保てるほど余裕があるということと、人間として嬉々とこの行為に及んでいるということ。

 つまりこいつは根っからの殺人衝動で動いている。

 心理フェイズなんて意味はないし、するだけ無駄というわけだ。

 さて、困った。

 緒方さんの方針で人間を殺すのはダメになっている。

 だからリュックサックに殺傷力があるものは一切入ってなくて、要するにこちらは丸腰でこの鬼に抗わなくてはならないようだ。

 ああなんて酷い。後で緒方さんに文句を言おう。

 そんな考えを巡らせていると、ふと鬼が微笑んで僕に問いかけてきた。

「お兄さんは誰ですか?」

 本日二度目の同じ質問。

「人に名前を聞く時は自分から名乗るべきだぞ、鬼さん」

 それに全く同じ答えを返すと、鬼は一瞬驚いたように目を丸くさせた。

「あら、お兄さんは私のことを知っているんじゃないの?」

「いーや。何も知らない。何も知らない一般人なのに無理やり鬼退治を命じられて、丸腰のまま拷問部屋に入れられたか弱い家畜ですよ」

「なあにそれ。変な冗談」

 冗談ではないのだけれど。

 心底おかしそうに笑うその姿は、高校生らしい仕草で鬼とは思えなかった。実際、僕が定義する鬼は理性を失ったもののことを指すので、彼女は鬼とは言いがたかった。

「お兄さん面白いから特別に教えてあげるね。わたしはね、千草っていう名前だったの」

 くるりと回って微笑むその姿は、もう彼女自身、彼女が人間を捨てているということを表していた。

「千草。可愛い名前だ」

「そうかなあ。わたし、雑草みたいってよくからかわれてたからこの名前、嫌いだったの。お兄さんはそういうのない?」

 名前に思い入れはない。

 僕は僕。僕を的確に表す言葉を簡潔にしたものが名前ということであって、コップと呼ばれようがそれこそ千草という名前で雑草と呼ばれようが、その言葉が僕を指すのであればそれでよいのだから。

 無言で首を横に振ってみせると、ほんの少しばかり彼女は表情を歪めた。

「そっか、じゃあお兄さんはわたしの気持ちなんてわからないよね」

「それが鬼になった理由?」

「そうといえばそう。多分、わたしが周りに殺意を持ち始めたのはそれが原因だから」

 彼女は歪みすぎてツノのようになった頭蓋を愛おしそうに撫でる。

 望んでなった鬼の姿。己の心情の具現。

 そのツノは彼女にとっての世界なのだろう。

「初めて食べたのは近所のクソガキでした。女の子なんですけどね、元気で明るい子で、よく男の子と混ざって雑草雑草ってからかうんです。

違うっていうのに何度も何度も何度も。もともと物言いが強くないのもあったんですよね、わたし。だからよけいに舐められてたんだとおもいます。

そんな時にです。この力を手に入れました。さっそくあの子を呼び出して、嫌だ嫌だと逃げる姿を追って四つん這いになりながら押さえて生きたままくらいました。踊り食いっていうんですかね。

食べられてる最中もあの子元気に友達の名前呼びながらビクンビクンと跳ねるんですよ。それが面白くて、だから、その友達も呼んで同じように食べてあげました。流行りの仲良死ってやつです。流行りじゃない? そうですか。

その頃はまだ殺意だけしかなかったんですよ。だからそれで人殺しはおしまい。そう思ってました。でもね、これがやめられない。何故かって? 気がついたんです。

人って美味しいなって」

 饒舌に彼女が語り始めたのは、こちらが丸腰でいつでも殺せるというためだろう。まるで思い出を自慢するかのように語り始めた彼女は、身を抱きながら舌舐めずりをしている。語りながらその時の味でも思い出したのだろう。視線はこちらではなく、遠く過去に向いていた。

 この隙に逃げられないだろうかなんて考えるのはきっと意味ないのだろう。何せ相手は30mをゆうに跳べるのだから、ここまで距離を詰めるのも、またこのビルを逃げ出した際に上から押さえつけるのも簡単にやってのけるだろうからだ。

 かといってこちらから仕掛けるには距離が遠い。何せこちらは丸腰の一般家畜だ。5m先、一気に距離を縮めて相手を封じ込めるのは無理。そもそも相手を封じ込める技術はない。なんてったってこちとらひきこもりですからね。

 さて、どうしたものか。

 そこでようやく馬の耳に念仏を唱えているのだと気がついたのだろう。今まで殺してきた人たちの阿鼻叫喚劇と肉質について語っていた口が止まる。そして、表情もわずかながら斜めに歪んだ。

「カナタお兄さん、人の話はちゃんと聞かないとダメなんですよ」

 乾いた目を潤す一瞬。暗転。目を開けると目と鼻の先。そこに彼女の瞳があって、こちらを覗き込んでいた。

 予想可能回避不可。

 瞬きをする瞬間で、彼女は人間をやめた力を披露するように発揮した。

「人じゃないくせに」

 皮肉を言うと「確かに」と納得されてしまう。存外彼女はこんな体になったことを喜ばしく思っているようだ。まあ、その通りだろう。望んで手に入れた殺人能力を楽しんでいるのだから。

「人じゃないにせよ、話は聞いておくべきです。特に相手の機嫌がいい間は。そうじゃないとペロリとやられてしまいますよ」

 些か冗談に聞こえない冗談を宣いながら、彼女はにこりと微笑んだ。

「何を考えてましたか?」

「逃げることを」

「逃げるんですか? あの子を助けに来たのに?」

「あの子? ああ」

 そういえば忘れてた。

 メインではないけれどここに陽一もいることを。名目上では陽一を助けに来たことになっているようだ。事実は煽り耐性がない僕というだけなのだが。

 それに陽一はもう存在意味をなくしているだろうしすっかり頭の外だった。

「……。なにそれ。忘れてたって顔してます」

「その通りだよ、忘れてた。だってもう陽一くんはいないでしょ?」

 一瞬彼女の顔が強張った。大きく目を見開き、そして呼吸を整える。その姿は、嘘がばれた人のようで滑稽だったが、すぐに表情に余裕が戻った。

「わたしがあの子を食べたと」

 バカにしたような問いに首を横に振る。

 すると今度は訝しげに眉を上げ「じゃあ」と言葉を続けた。どうして、という前にもう表情がそれを訴えていた。

 焦るように早口になる。

「あの子はどこにいるんですか」

「どこってここだよ」

 上の階へ続く階段を指差す。

「そうだよね、千草くん」

 僕がそう言い終わるか終わらないかの瞬間、鬼はその血塗れた爪を僕の首に食い込ませんと伸ばし、引っ込めた。

 かつん、と階段から誰かが降りてくる音がしたからだ。それに反応して、彼女は動きを止める。

 階段から降りてきた主はパチパチと拍手なんかをしていた。

 降りてきたのは、綺麗な格好になった陽一だった。その脇には狩猟犬が数匹控えている。犬は全て真っ黒でゆらゆらと揺れ、まるで影のようだ。いや、まるでではなくあれは影だ。彼自身の影が形を変えて犬のように見えている。

「お兄さんすごいなぁ。こんなことになってるのにわざわざ街に来たぐらいだからどんなものかと思ってたけど、さすがだよ」

 陽一は拍手をやめて、同じ階に降り立つ。その近くに鬼も控え寄る。淡々としているその言動は年相応のそれではなく、冷徹で感情がない。

「最初からわかってたの? 僕が千草だって」

「まさか。最初からわかってたらあの時に殺して終わらせてるよ」

 本心だ。あの時、あの陽一と名乗る少年と出会った時、この少年が黒幕だなんて微塵も思わなかった。

 まぁ、あの時にわかっていたとしても恐らくこの鬼が助けに入って僕はジ・エンドだっただろう。恐らく陽一は撒き餌役。助けに来た人たちを鬼が狩るという寸法だ。僕の時にすぐにそれが行われなかったのがすこし疑問だが、おおよそそんな感じだろうと理解する。

「それもそっか。あともう一つ気になっていることがあってね」

「スリーサイズ以外なら答えられるぜ」

「……。どうして僕がここにいるのがわかったの?」

 ボケは蔑むような一線で終わらされてしまった。

 しょうがない。スルーされた腹いせに少しだけ軽口を叩く。

「ノリが悪いなぁ。そんなの魔女の力を使ったか、ら───ッ」

 ゴキン。バキッグシャ。

 軽口を叩く暇もなくそんな骨の砕けるような音がして、そのまま僕は横倒れになる。骨の砕けるような、ではなく実際に右足の骨を噛み砕かれたのだ。あの陽一のそばに控えていた影犬に。

 ゴリゴリ、ゴクン。

 右足の脛から先がなくなっている。

 いや、食べられた。

 遅れて形容しがたい激痛が脳に到達した。

「あぎっ、あがああああ!!」

 自分のものとは思えないみっともない悲鳴が上がる。

 本来流れる道をなくした血が足から滝のように流れ、池を作っていく。赤いドロドロとしたものが部屋に流れていくのを目の端で見た。

「あ、ああ、あ、あああっ!」

 ひゅっひゅっと喉を伝う呼吸が仕事をせず、身体中を巡る酸素が欠乏する。

 本当に一瞬のことで理解できない脳と激痛に耐える脳とが激突して混乱している。

 犬、痛い、食べられた、足、血、立てない、何、ナニ、なにが、どうして───

「嘘はダメだよ、お兄さん」

 そう冷静な声が脳を冷やした。

 歯を食いしばり、思考を再び回転させる。単語を並べて理由を探す。

 痛いのは足を犬に食べられたから。だから立てない。あの影犬は影の間を一気に移動できる。だからこの建物内では無敵に近い。どうして食べられたのか。嘘だと見破られたから。

 嘘だと見破られたから……?

「お兄さんからは魔女の匂いがしない。だからさっきのは嘘。ね、ほら、早く答えないとお兄さん、死んじゃうよ?」

 子供らしい笑顔で笑う陽一、もとい千草は僕の足を食べた犬の頭を撫でている。その犬は舌舐めずりをしながら千草と僕を交互に見、いつでも獲物を狩れると動きで表していた。

 嘘。何が嘘だと思われたのだったか。

 魔女の匂いがしない。

 魔女、魔女の力。そうだ、魔女の力を使ったというのが嘘だと言われた。何故彼に魔女の力を使ったかどうか識別できたのか。

 起源、覚醒、ああ、そうだ。僕としたことが失念していた。

 彼はもう鬼として覚醒している。だから魔女の匂いを嗅ぎ分けられるのだった。

 魔女の力を使うものは魔女の匂いがするから。だから、魔物や鬼は惹かれ合う。群れをなす。仲間を作る。

 そうか、彼は、千草は、もう人間ではなかった。

「千草────!」

 反応が早かった彼女は、千草を守るようにして横たわる。その肢体はズタズタで、原型がなく、こうなってしまえば鬼も人間と変わらなかった。否、鬼はもともと人間だったのだから元に戻ったと言っても良いのだろう。

 動かなくなった肉塊を見て、悲鳴をあげたのは千草だった。

「なんで、お兄さん……魔女の匂い、しないのに」

 怯えて揺らぐ視線の先には大きく揺らぐ獣の影が一つ。大きく鋭い口からダラダラとヨダレを垂らして目の前の獲物を捕捉する。

「どうして……」

「君たち魔物や鬼が本物の魔女の匂いを嗅ぎ分けられないのと同じさ」

 その質問に答えたのは獣────俺だ。

「より強い匂いはその嗅覚をも麻痺させる。なんたって俺は」

 口が潤う。

 新鮮なその味は久方ぶりで、乾いた喉を潤した。

「魔女の眷属だから」

 もう言葉も理解できないそれに言い捨てると、携帯電話に唯一登録されている番号をプッシュした。




「ほい、お駄賃」

 家前で渡された封筒に入っていたのは一カ月暮らせる最低限の金額だった。腕を一本持ってかれた代償としてはかなり安上がりもへったくれもない額である。

「引きこもりにはそれぐらいありゃ十分だろ。それに脚代を差し引いてそれだ。あるだけマシだと思いな」

「え、珍しっ! 緒方さんが義足の手配してくれてるなんて僕感激!」

 わざとらしいリアクションで驚いてみせると金一封を取り上げられそうになったので、慌てて家の中へ避難する。実際いつも手配してくれないのだから、事実を言って逆ギレされる謂れはない。

 しばらくしてから大きなエンジン音とともに緒方さんの声が聞こえてきた。

「裕美香がまた顔出せってよ。義足の調整もあるし、顔が見たいってさあ」

 それだけ言い捨てるとエンジン音は遠ざかっていく。僕はドアを背にしてズルズルと座り込むと、なくなった脚をさするように抱き込む。

「顔が見たいって、ストレス溜まってるだけだろ絶対……」

 緒方さんの伝言はイコール絶対だ。要するに伝言ではなく呼び出し。いかなければ、この家ごと破壊しかねない。そんな奴が俺らの上司という存在だ。

 ああ、今度はなんて罵詈雑言を浴びせられるのだろうかと想像するだけで吐き気がする。この前も自分から呼び出しておいて魔女臭いだのなんだのとうるさく騒いでその二時間半にも及ぶ苦渋を耐えたかと思えば要請が入り、休みなしで二日間魔物捜査という苦行を強いられた。

 そんな彼女だが、僕に合う義足を作れるのは彼女だけなので気分を損ねるとめんど臭い。この上なくめんど臭い。

 もう一度深くため息をつくと、癒しの寝床へ向かう。もう二日間ほど起こしてくれるなよと世界に恨み言をつらねると、大量のディスプレイに囲まれた部屋でゆっくりと意識を落とした。

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