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宇宙探偵サバイバル

 世の中は退屈でつまらない、私はいつもそう思っていた。出来る事ならゲームみたいな刺激的な出来事が起こればいいのに、なんて考えてる人間はきっと私だけじゃないはずだ。

 でも……、実際にそうなってみるとやっぱりちょっと厳しい。そう考えていたことが原因ならすぐにでも撤回します、なんて思っても現実は非常である。

 今、目の前には熊の皮をむいてひょろ長い首と不気味なお面を付けたような化物がいて、その化物に立ち向かっている私。そして近くには倒れているクラスメートの姿。大丈夫、私は正気だよ。

 どうしてこんな事になったのか、その発端は昨日の昼過ぎにさかのぼる。


 ***


 青い空に白い雲、そして輝く太陽。休日の昼間として完璧なお天気だ。でも私はそんな状況にありながら、人通りの少ない寂れた建物の前に立っている。花の女子高生に似つかわしくない場所なのはわかってる、でも用がある時は仕方がないんだ。人から預かった猫が行方不明になれば誰だってそう思うだろう。

 というわけで私はここ、町で唯一の探偵事務所へと足を運んでいた。それにしても小汚い。大昔のドラマじゃあるまいし、客に来て欲しいならもうちょっと綺麗にした方がいいに決まっている。いったいどんなコワモテのオジサン探偵が出てくるのか、ある意味楽しみではあるけれども。

 なんてバカな事を考えている場合ではない、早く猫を見つけてもらわないと。


「……ごめんください」


 ドアを開けて中へと入る。何というか、外観通りの内装だ。ドラマのセットみたい。

 奥からコーヒーの匂いも漂ってくる、後は帽子を被った探偵が現れたら完璧なんじゃないかな。


「あ、いらっしゃいませ~! ようこそようこそ!」


 しかし、帽子を被った探偵は現れなかった。ついでにコワモテでもない。飲食店のような明るい挨拶で現れたのは、どう見ても制服姿の女子高生だった。しかもその顔には見覚えがある、だって同じ高校のクラスメートだから。


「あれ、あなたは同じクラスの……えーと、門月益代(かどつきますよ)ちゃんだね!」


 同じクラスという事以外に接点はないけど、むこうもちゃんと私を知っているみたい。そして、何故か探偵事務所にいるこいつは才羽遥(さいばはるか)、ある意味有名人だ。学校では変人として有名で、はっきり言って孤立しているような奴。まあその点では私も人の事は言えないけど。

 今だってこいつがどれくらい変わっている人間なのかよくわかる、ほぼ話した事の無い金髪の不良生徒に向かって、いきなり『ちゃん』付けで名前を呼んでいるのだから。


「ちゃんとか呼ぶんじゃねーよ」

「えー、かわいいと思うんだけどなあ」


 話し方がまるで子供みたいだ。見た目も二つにまとめたお団子ヘア、休日だというのになぜか着ている制服、それらに合わない片方だけの星型イヤリングが何とも言えずアンバランス。とても同い年とは思えない。

 そうだ、そういえばここは『才羽探偵事務所』だった。もしかしてこいつの家なのだろうか? まさかこの才羽遥がやっているなんて事はないよな。

 こっちは猫の安否がかかってるんだ、依頼する前に確かめておいたほうがいいかもしれない。一応な。


「おい、才羽。他に誰かいないのか? まさかお前の事務所なんて事は……」

「あはは、まさかあ。ここはお兄ちゃんの事務所だよ、私はアルバイトってところかな」

「……だよな、そりゃそうか」

「あ、それと私の事は遥って呼んでね、なんならハルリンとかでもいいよ! 私は益代ちゃんって呼ぶから!」


 女子高生の経営する探偵事務所ではない事が判明してホッとしたが、それと同時におかしな事を言い出した。さっき『ちゃん』で呼ぶなって言ったばっかりだろうが。

 あと、面倒だからそっちのあだ名の希望はスルーさせてもらおう。


「だから、『ちゃん』で呼ぶなって」

「ええ……、詰んだ」


 才羽遥は立ったままこの世の終わりみたいな顔で露骨にがっかりしている。こいつの中では重要な事なのかもしれないけど、そんな顔されるとこっちが悪いみたいじゃないか。


「それ、そんなに重要な事なの?」

「えーと、じゃあ『ちゃん』がダメなら益代って呼ぶね」


 呼び捨てが妥協案なのだろうか、こいつの頭の中はどうなっているのだろう。私が夕穂高校の悪魔とか、教師も震える最恐女子高生とか呼ばれているのはこいつだって知っているはずなのに。

 うーん……、それにしても我ながら恥ずかしい二つ名だ。人付き合いが嫌で不愛想な態度ばかり取っていたら、いつの間にか不良という事になっていた。髪は金髪にしてるけど、それは好きでやってる事だし、不良だと思われてるなら人が寄ってこなくて都合がいいのは認める。でも、私は自分が不良だなんて思った事はない。酒やタバコをやるわけでもなければ授業にだってちゃんと出てるのに、みんなそういう所は見てくれないんだよなあ。だからこの才羽遥、肝が据わってるんだか、ただおかしいだけなんだか。

 おっと、そんな事を考えてる場合じゃない、肝心なのは猫だ猫。

 いつまでも立ちっぱなしで話はしたくないから、とりあえず案内されるままにソファーへと座る。手入れが行き届いているのかホコリは積もっていないけど、決して新しいソファーじゃない、でもあまり使われた形跡がないというのは依頼人が少ないって事じゃないだろうか。大丈夫かなこの事務所。


「はいお待たせ、お客さん用の特製ブレンドだよ」

「ん、ああ、ありがとう」


 座っていると、才羽遥がにこやかな顔でコーヒーを持ってきた。さっきから香りは漂っていたから事務所に常備されているんだろう。

 でも今はいいや、もうひとつ気になる事を確かめておきたいから。それに砂糖とミルクがどこにも見当たらないからな。こだわりの喫茶店じゃあるまいし、ブラック限定かよ。


「それで、そのお兄ちゃんとやらはどこに?」

「お兄ちゃんは今いないよ」

「いないって……、いつ戻るんだよ」

「さあ、わかんない。少なくとも今日は無理かなあ」


 なるほど、肝心の探偵はどこかに出かけていて戻らないと。よし、帰るか。

 探偵がいないのならこんな変人の巣に用は無い、私は黙ってソファーから立ち上がった。そのとたん、目の前の才羽遥がおたおたと慌てだす。


「わわ、待って待って!」

「何だよ、肝心の探偵は戻って来ないんだろ?」

「まあまあ、要件によっては私が力になるから。とりあえず話すだけ話してみてよ」

「……うーん」


 そう言われれば確かに、変な子の女子高生でも猫を探す人手くらいにはなるかもしれない。こちらとしても見つかるに越したことはないから、話だけでもしておこうか。

 というわけで私は再びソファーに腰を下ろし、猫がいなくなったという現状を説明した。


「――というわけなんだ」

「なるほど、猫ちゃん探しですか。写真とかある?」

「ああ、あるよ」


 おっとそうだった、猫を探すのに写真が無ければ見つけようもないだろう。私はスマホを取り出し猫の写真を才羽遥に見せてやった。

 画面にはかわいらしい黒猫が映し出されている。預かってるだけだけど、かわいいとは私も思う。猫って凄いね。


「おお、かわいい~。お名前はなんていうの?」

「えっと、ニャン太だよ」

「ぷっ、安易~」

「知るか! 親が預かってる猫だ、私が名付けたわけじゃねーよ!」


 仮にも探偵を名乗るんなら、依頼人の猫の名前をいきなり安易とか言うんじゃない。

 くそ、ウチの親も親だよ。しょっちゅう家にいなくて放任主義のくせに、こういう事は引き受けるもんだから、結局私が損な目に遭うんだ。

 ちょっとイライラする、私は腹立ちまぎれに出されたコーヒーを勢いよくあおった。そして衝動で動くと良くないという事を思い知った。


「あっつ! ていうか苦っ! いや、酸っぱ! なんだよこれ!?」

「毎日私が淹れてるスペシャルブレンドコーヒーだよ、ちゃんと豆から炒ってるんだ~」

「毎日……? こんなものをか?」

「ハードボイルドな探偵になるにはこれくらい飲めないとお話にならないんだよ。お兄ちゃんがそう言ってたからね」


 そう言いつつ、才羽遥も自分の分のコーヒーを一口すする。

 何も言わなくてもその表情が物語っている、たぶんこいつも全部は飲めないんだろう。


「ハードボイルドの道は険しい……」


 小さく呟くのが聞こえた。私はコーヒーに詳しいわけじゃないけど、このコーヒーが明らかに失敗作である事はわかる。それにハードボイルドってのは不味いものを無理に飲む奴の事じゃないと思うけどな。


「さ、さてと、それじゃあ猫ちゃんを探しに行きますか」


 飲みかけのコーヒーをテーブルに戻し、ごまかすように才羽遥が立ち上がった。とりあえずは捜査が始まるらしい。


「お、今から行くのか。頼むぞ才羽」

「遥」

「え?」

「才羽じゃなくて遥って呼んで」


 才羽遥が不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。相当な圧を感じるぞ、何なんだそのこだわりは。


「いいだろ、呼び方くらいどうでも」

「ダメ。ハードボイルドは妥協しないの」


 しきりにハードボイルドを主張してくるけど、私には何のことやらさっぱりだ。でもこれだけはわかる、了承しないと話が進まないというこの状況が。


「仕方ないな……、よろしく遥」

「はい、よろしい。では猫さんも待ってるだろうからね、益代ちゃんの家に向かおう」

「ウチの住所、知ってるのか? ……って、『ちゃん』はやめろって言っただろ!」

「私は探偵だからね、クラスメート全員の住所と電話番号くらいは頭に入ってるんだよ」


 何でだよ、怖っ! それ探偵関係あるか? あと自分は名前の要求を通したくせに『ちゃん』の件は無視かよ。私としてはそっちの方を気にしてほしいんだけど。


「ほら行くよ、ついて来て」

「ったく。はいはい、わかったよ」


 どうやら依頼人の要望は全て通るわけではないらしい。気になる事はあるけど今は猫だ、とにかく問題の解決を優先しよう。


 ***


 そういうわけで二人して私の自宅マンションの前までやって来た、ここからどうするのか探偵のお手並み拝見といきたいね。


「さてと、それじゃあ探しますかね」

「私も一応探したけど見つからなかったんだ、近くにはいないんじゃないのか?」

「猫ちゃんの情報からすると、そこまで遠くには行っていないはずだよ。まずは近場の猫が隠れそうな場所を重点的に探していくんだよ」

「へえ、そうなのか」

「時間帯を変えたりしてじっくり探していきたいところだけどね。とにかく始めよっか!」


 ちょっとだけ探偵っぽいな、普段からこういう仕事を手伝っているのかもしれない。正直言ってあまり期待してなかったけど、ひょっとするとひょっとするかも。

 そう思うと意味なく覗いていそうな虫眼鏡も格好良く見えてきたよ、世界にブレザーにリュックといういでたちの探偵がいるとするならな。


「猫を探すには猫の気持ちになる事が大事なのさ! はい、これ使って」


 遥がリュックから何かを取り出し、私に手渡してきた。これは……、パーティーグッズのネコミミだ。


「一個しかないから益代ちゃんにゆずるよ、さあ!」

「さあ、じゃない! しまっとけこんなもの」

「ああっ、ひどいなあ」


 さっき格好良く見えてきたと言ったな、あれは嘘だ。というか撤回する。

 ネコミミを突き返された遥は残念そうにリュックにミミをしまい込んだ。こんな昼間からそんなもの頭につけて出歩けるか、やるならひとりの時だけにしておいてくれ。


「……むむっ!」

「な、なんだ、どうした?」


 しばらく二人で物陰などを捜索していると、遥が急に立ち止まりおかしな声を上げた。もしかして猫が見つかったのか!?


「益代ちゃんはこれ以上ついてこない方がいいかもしれない」

「え?」


 駆け寄った私の顔を見る遥の顔は真剣そのものだった。……その内容に反して。


「これは宇宙人による猫誘拐事件の可能性が出てきたからね」

「……あ?」


 さっきから疑問符ばかり口にしてる気がする、だんだんとその意味合いは変わってきているけど。

 で、何だって? 宇宙人って言ったか? なるほど、具体的には知らなかったけど、変人とはこういう意味だったのか。


「依頼人を危険に晒すのは探偵として失格以前の問題だからね。じゃあ、後で連絡するから!」

「お、おい、ちょっと待てよ!」


 制止するのも聞かずに、遥は自慢げに探偵の心得を講釈すると、一人で走って行ってしまった。もうちょっと依頼人と会話しようぜ?

 やれやれ、やっぱり依頼するところを間違えたかな。遥の目は真剣そのものだったけど、この場合本気で「宇宙人の仕業」なんて言うほうがどうかしてる。

 それにしてもあいつ意外と足速いな。不本意ながらこのまま放っておくわけにもいかないだろう、追いかける事にするか。

 しばらく走った後、なんとか追い付く事に成功した。こんなに走ったのは久しぶりかも。


「ふう……。おい、待てって」

「あれ、ついてきちゃったの? 危ないかもしれないって言ったのに。そりゃあ、もしかしたら危なくないかもしれないけどさ」

「いきなり置いて行かれたら気になるだろ、一応私は依頼人だぞ」


 体力には自信があるからこれくらいは問題ない、でも遥も息一つ切らしていないのには驚いた。こいつ、子供みたいな見かけによらず肉体派なのかもしれない。……いや、子供っぽいほうが無限の体力感があるかな? その場合はいきなり電池切れを起こして眠ったりしない事を祈るよ。


「ついてきちゃったものは仕方がないけど、あまり離れないでね」


 まるで親が小さい子に言いそうなセリフだ、見た目とは大きく反するけど。どちらかといえばこいつの方がしょっちゅう親に言われてそうな感じがする。


「わかったよ。ところで、ここは何だ?」


 追いかける事に集中していたから気にしなかったけど、走り回って到着した場所は古い建物の前だった。見た目は潰れた映画館って感じだ、ちょっと規模の小さいやつ。わりと近くにこんな所があるなんて知らなかったなあ、意外な発見。


「ここは見ての通り、潰れた映画館だよ。場所自体はそんなに重要じゃないけどね」

「お前の言ってる事がよくわからないんだけど、ここに猫がいるって事でいいのか?」

「うん、多分いるよ。猫ちゃんを誘拐した宇宙人もね」


 そういえばそんな事を言ってたんだった。宇宙人かどうかはともかくとして、人様の猫を無断で連れて行くような輩がいるんなら警戒はしておこうか。警察に通報してもいいけど、そうするにはまだ早いかな。


「よし、じゃあとっとと見つけるとするか」

「あっ、待ってよ。私が先に行った方がいいってば!」


 遥が何やらわめいているけど、私にとって大事なのは猫が見つかるかどうかだ。いる場所がわかっているのなら後は捕まえるだけの事、たとえ変質者がいても私が張り倒してやればいいだけの話さ。

 私は古びた扉を押し開け、映画館の中へと足を踏み入れた。そういえば扉に鍵が掛かっていない、やっぱり何者かの出入りがあるのかも。


「うわ、散らかってんなあ」


 潰れてからかなり時間が経っているのか、館内はホコリっぽく散らかっている。幸いなことに規模は小さいので部屋もそんなに多くない、これならすぐ見つかるはずだ。

 いくつかの部屋を見て回る、特に映写室なんて初めて見たからちょっと感動した。それから部屋を出て廊下に戻った時、思いがけず猫を発見できた。ニャン太ときたら廊下の真ん中に声も立てず置物みたいに座っている。


「お前、こんな所にいたのか。というかどこに隠れてたんだよ」


 抱きかかえてもニャーとも言わない。映写室の出入り口前だから見落とすはずはないんだけど、本当にどこに隠れていたんだか。

 ともかく目的は果たした。まったく、何が誘拐事件だ、脅かしやがって。


「おーい! 遥! 猫が見つかったぞ!」


 遥に知らせようと叫ぶ。……が、返事はない。大きくはない映画館だ、十分聞こえるはずなんだけど、映画館だけに防音設備のある部屋にでもいるのだろうか。

 ふと、視線を感じた。周囲を見回しても誰もいない。遥なら返事をするはずだから違うだろう。もしかして近所の子供でも入り込んでいたのかな。廃墟探検ってやつか? というか私たちが今まさにそれなんだけど。

 そうだな、よく考えたら思いっきり不法侵入だ、目的は果たしたんだし、早くここを出た方がいい。私はとりあえず映画館を出る事にした。


「ふう、やっぱり外はいいな」


 別にアウトドア派というわけではないけれど、さっきまでホコリっぽい廃映画館にいたせいで空気が美味い。もう、こういった汚い所には入りたくない。


「遥! 聞こえないのか!?」


 映画館の中に向かってもう一度呼びかけてみる。が、やはり返事は無かった。また中に入るのは気が引けるし、どうしたもんだろう。

 ふと、周囲の状況に違和感を覚えた。何だろう、何かがおかしい。空がうっすら赤く染まっている、まだそんな時間じゃないはずなのに。

 そして……静かすぎる。そう、音が聞こえて来ないんだ。私の耳がおかしくなったわけじゃない、その証拠に音を立てればちゃんと聞こえる。車の音とか生活音とか、そういうものが聞こえてこないんだ。

 不思議に思いながら自宅方面へ歩いてみると、その異変が音だけでない事に気付いた。まだ明るいのに誰にも出会わない、動物も、鳥も、虫すらいない。静寂の中で自分だけが世界に取り残されている気さえした。正確には猫一匹と。


「どうなってんだこりゃ……」


 さらに、異変はそれだけではなかった。

 家に向かう道に透明な壁がある。どう表現したらいいのかわからないけど、言うなれば頑強なラップが張ってあるような感じで、それに阻まれて前に進めないのだ。

 何も無い空間に思いきり突進してはポヨンと跳ね返される。ダメだ、まったく進めない。


 ……また、視線を感じた。今度は少し離れた角から誰かが覗き込んでいるのが見えた、こういう風に覗かれると気分が悪い。


「おい、そこの奴、私に何か用か? 話があるなら出て来やがれ!」


 つい、いつもの癖で大声を上げてしまった。売られたケンカは律儀に買う、そうやって毎回返り討ちにしてるからその気は無くても不良って呼ばれるんだ。でも舐められるのもムカつくし、やられっぱなしでいいわけがない。不可抗力だよねこれも。

 でも、今回ばかりは少し勝手が違うみたいだ。私の声に反応したのか、覗き込んでいた奴がもう少しだけ姿を見せた。子供……じゃない、頭の大きさは子供くらいだけど、そもそも人間に見えない。黒目ばかりの目が大きすぎる、首も異様に長い、何なんだあれ!?

 さすがにゾワッと背筋に冷たいものが走った。ケンカには慣れてるけど、ああいうのは経験がない。

 あ、そうだ、遥を映画館に置いて来てしまった、猫が見つかった事もちゃんと教えてやらないと。だから映画館に戻るんだ、決して怖くなったわけじゃないからな。そう心の中で自分に言い聞かせつつ、猫を抱きかかえたまま走っている自分がちょっと情けなくなった。いいや、非常事態だ、どうせ誰も見てないんだし。


 幸いにも化け物に追いつかれるような事もなく、無事映画館まで辿り着いた。遥はまだ中にいるのだろうか。

 いや、決して怖くなったからいて欲しいという事ではなくて……。はあ、私はひとりで何を言い訳してるんだか。またこのホコリっぽい映画館に入るのは抵抗があったけど、背に腹はかえられない。私は再び映画館の中へと足を踏み入れた。


「おーい、遥! いるのか!?」


 大声で呼んでみてもやっぱり返事はない。仕方なくまた各部屋を回ってみることにした。猫探しにきて猫を抱えたまま探偵を探すなんてバカバカしいにも程があるぞ。


「うわっ」

「いてっ!」


 映写室を出た所で、そこにいた遥と正面衝突。幸い猫には当たらなかった。遥の方が背が低い分、その頭が私の顔面を捉えたんだけれども。


「いてて……。おい遥、今までどこにいたんだよ」

「それはこっちのセリフだよ、私が先行するって言ったのに勝手に行っちゃうんだから」

「あれ、そうだっけ? 悪い悪い」

「それより猫ちゃん見つかったんだ、よかった……?」


 私が抱きかかえていたニャン太を見て最初は喜んだものの、遥がなにやら考え込み始めた。

 それはそうとあの化物、まさか追いかけて来てないよな?


「……? 益代ちゃん、何やってんの?」

「え? いや、別に」


 映画館の外を慎重に伺いながら外へと出る。その様子を不審がられてしまった。まさか怪物に出くわしたからビビってますなんて言えないしな。ともかく大丈夫そうだ、今度こそ帰ろう。

 外の様子はさっきとはまるで違っていた。車の音、行き交う人、空を行く鳥。さっき体験した静寂が嘘のようだ。空もまだ青い、私は本当に夢でも見ていたのだろうか。


「ねえ」

「えっ? な、何だよ」


 あまりの違いに呆然としていた私に遥が話しかけてきた。危ない危ない、びっくりして変な声が出るとこだった。


「猫ちゃん見つかって良かったけど、依頼料はまだいいからね」

「依頼料……」


 そうだ、一応こいつ探偵だったな。クラスメートだから知り合いと一緒に探してたような気になってたけど、やっぱり正式な依頼として料金はかかるよなそりゃ。

 ……って、何て言った? いらないって言ったのか?


「依頼料、いらないってのか?」

「ちょっと気になる事があるからね。何かあったらまた来てね、それじゃ」

「あ、おい」


 そう言うと遥は陽気なステップで立ち去ってしまった。その軽やかな足取りは、制服姿でなければ女児に見えていたところだ。

 気になる事か……、私が気になるのはあの妙な世界と妙な怪物の事だ。とりあえず今は問題ないようだし、私も帰ろう。またニャン太に逃げられちゃたまらないからな。


 3

 私は猫を抱え、自宅のマンションに戻ってきた。

 せっかく猫を連れて帰ったというのに両親はいない。仕事が忙しいから両親ともあまり家には帰ってこないんだ、まあいつもの事だよ。


「さあニャン太、仮宿だからってもう逃げ出さないでくれよ」


 抱えていたニャン太を床に降ろすと、ニャン太は何も言わずに自分の寝床へと入ってしまった。あれ、そういえばこいつこんなに大人しかったっけ? もうちょっとニャーニャーうるさい猫だと思ってたんだけど。

 まあいいか、猫違いってわけでもないんだから。ニャン太も逃げ出したせいで疲れてるんだろう。私もなんだか疲れた……今日は早めに寝よう。


 でも、その夜はゆっくり寝ていたいという私の希望は叶わなかった。

 何かの物音で目を覚ます、時計を見たら思いきり深夜だ。今日は両親は帰らないと言っていた、だからその音ではない。用心のためバットを持って部屋を出ると、誰もいないはずの居間の方から気配を感じた。


「あれ、ニャン太……?」


 ケージに入っていたはずのニャン太が出てきている。どうやって出てきたんだ?

 物音はニャン太の仕業みたいだけど、まさか自分で開けたとでも言うのだろうか。近付いてみるが、ニャン太は私には目もくれず、窓の淵に登りただひたすら外を見つめている。ついでに閉めたはずのカーテンが開いている。これもニャン太の仕業なのか?


「お前、何を見て――」


 ニャン太が見ているであろう窓の外を見て息をのんだ。街灯が照らす道の曲がり角、そこに何かがいる。

 ……あの顔だ。間違いようもない、異様に静かなあの世界で出会った、あの顔。


「なっ……!?」


 思わず窓の横に隠れて様子を伺った。

 あの怪物は何をするでもなく、ニャン太と睨み合うようにひたすらこちらを見つめている。バットを握る手に力が入る。手汗が凄い。

 息を殺してじっとしていたけれど、ニャン太と怪物はただ見つめ合ったまま、結局その夜は何も起こらなかった。私の不眠という大事件を除いては、だけど。


 翌日、登校してきたものの、眠いせいで元々良いとは言えない目つきがより一層鋭くなっている。そんなつもりは無いのに他の生徒が道を開ける、頭を下げる奴までいる。こっちは眠いのと気持ち悪いのでそれどころじゃないってのに。


「あっ、おはよう、益――」


 遥の声が聞こえた。

 この時の私の動きはちょっとした伝説になるくらい俊敏だったかもしれない。こんな人前で、私の名前を『ちゃん』付けで呼ばせるわけにはいかない、恥ずかしいからな。私は遥を素早く捕まえると人通りの無い場所へと連れ込んだ。

 傍から見たら、不良が変人をシメるために連れ去ったように見えただろう。でもそっちのほうが恥ずかしいよりはマシだ。


「おはよう益代ちゃん。どったの? こんな所に連れてきて」

「連れて来たくて連れて来たわけじゃねーよ! 学校で『ちゃん』って呼ぶな!」

「えー、かわいいのになあ」


 くそ、これだ。こっちの意図が全く伝わらないというか、そのかわいいのが問題だっての。本当にかわいいかどうかは置いといてな。てか、その『かわいい』は『ちゃん』呼びか『私自身』かどっちに掛かってるんだ?

 いや、そんな事よりちょうど二人きりになったから話しておきたい事がある。もちろん、昨夜の事だ。別に怖いわけじゃないけど、あんな事が続くようなら気になって眠れないからな。親がいる時に家に入って来るような事があれば大騒ぎだ、いない時でもそれはそれで大事になりそうだけど。何にせよ解決できるものならしておきたい。


「お前、何かあったらどうとか言ってたよな」

「うん、やっぱり何かあった?」


 やっぱりって何だよ、予測してたのか? とにかく、私は昨夜あった事を遥に詳しく話した。その間、遥は黙って私の話を聞いている。


「――という事があったんだ」

「ふーむ、なるほど」


 遥は私の話を聞いて考え込んでいる……かと思うと、突然顔を上げて歩き始めた。


「おい、どこ行くんだよ」

「どこって、教室だよ。益代ちゃんも早く来ないと授業始まるよ?」

「お前な……、人の話聞いてたのか?」

「わかってるって、だから放課後に事務所に来て。そこでお話してあげるから」


 陽気なステップを踏む遥が数歩進んでこちらを振り返る。


「せっかく無遅刻無欠席なのにもったいないよ、早く早く」

「なっ……、なんでそれ知ってんだよ!」


 逃げる遥を追いかけるように教室へ戻った、おかげで遅刻にはならなかったよ。それにしても探偵事務所ねえ……。私としても学校では話しづらい、そのほうが好都合か。

 その日の授業は気になる事が多すぎて身が入らなかった。眠いから居眠りまでしちゃったし散々だ。

 そして待ちに待った放課後。教室にはすでに遥の姿は無い、あいつ本当に素早いな。私も何だか遥を追いかけてばかりだ、まったく変な感じだよ。


 再びやってきた才羽探偵事務所、相変わらずのぼろっちい外観だ。女子高生が放課後に立ち寄るような場所ではない。

 遥はもう戻ってきているのだろうか、そんな事を考えながらドアを開ける。


「お、いらっしゃい! 待ってたよ」


 こちらも相変わらず飲食店のような出迎え。やっぱりすでに帰ってたか。


「ここは探偵事務所なんだろ、その掛け声は間違ってると思うぞ」

「元気がないよりはあるほうがいいじゃない、昔の人も元気があればどんな事件も解決できるって言ってるし!」


 そうだっけ、そんなセリフ聞いたような聞かないような。何かと混じってないか?


「それよりホットケーキ食べる? けっこうきれいに焼けたんだよ」

「へえ、そうなのか。じゃあせっかくだしもらおうかな」


 そういえばさっきから香ばしい匂いが漂っている、遥が制服の上からエプロンを着けているのもそのせいだろう。ソファーに座り、しばらくするとコーヒーとホットケーキが運ばれてきた。いよいよ喫茶店だな。

 ホットケーキの出来は『そこそこ』だ、見た目もそこそこ、味もそこそこ。問題は一緒に出てきたコーヒーだ。事務所に来る客にはこだわりのハードボイルドコーヒーを出しているらしいけど、以前と同じく香りはいいのに味は苦酸っぱい、おまけにブラック限定で砂糖などの妥協は許されないという。これじゃあ金は取れないと思うぞ。


「……って、違う!」

「わわ、何、どったの?」


 思わず自分自身にツッコんでしまった、お茶しに来たわけじゃないんだよ私は。


「私は化物の話をしに来たんだよ! お前、あれが何なのか知ってるのか!?」


 遥は口調こそ驚いたような事を言うが、その表情は普段のまま変わらず私の話を聞いている。


「だから言ったじゃん、宇宙人による猫誘拐事件だって。益代ちゃんが見たのはおそらく宇宙人だよ」


 にこやかに、でも真剣に遥が言う。

 いつもなら「バカな事言うな」って否定してるところだけど、実際にあれを見ているから否定するのは気が引ける。


「最近は宇宙人がけっこう来ちゃってて、全部が全部ってわけじゃないけど、地球で悪い事するケースが増えてるんだよ。その宇宙人は〈異界〉を利用して猫さんを誘拐してたんだね。何のためかはわからないけど」

「ちょっと待て、異界って何だ」


 また知らない単語が出てきた。〈異界〉? あの不気味なほど静かな世界の事だろうか。


「異界っていうのは……。何て言ったらいいのかな、三次元と半分の世界、かな? こっちとそっくり同じだけど、生き物がいない亜空間。あ、でも植物はあるなあ。うーん、難しい」

「要するに似てるけど動く生き物がいない世界か、どうりで静かなわけだ」

「そう。で、場合によっては見えない壁とか、こっちじゃ考えられない現象が起きたりもするんだ。今回は見えない壁くらいでラッキーだったね」


 ラッキーだったという事は、命にかかわるような現象も起こりうるという事だろう。不幸中の幸いという事か、喜んでいいものやら。


「異界そのものは昔からあって、神隠しとかの伝説になったりしてるね。最近は宇宙人が亜空間を行き来する技術で異界を利用してるんだよ。ほんと、困ったもんだよ」


 確かに困ったもんだ。それが本当だとしたら、な。今、私が一番困ってるのはこのわけわからん状況なんだけど。


「……ニャン太の様子がおかしいのも、その宇宙人のせいか?」

「うん。私のこのイヤリング、宇宙的なもの探知機になってるんだよ。だからニャン太君を見た時、少しだけ反応があったのが気になってたの」


 宇宙的なもの探知機とはまた大雑把な、お土産で売ってる宇宙食にも反応するんじゃないのかそれ。


「で、実際の所どう解決してくれるんだ?」

「そうだね、とりあえず準備してから映画館に向かおうか。今はそこに異界の出入り口があるみたいだし」

「う、行くのか? あそこに」

「調査の基本は現場検証だよ、宇宙人のアジトかもしれないしね! あ、益代ちゃんは来なくてもいいよ、危ないから」

「なっ……! お前、私が怖がってるとでも思ってんのか? 行くに決まってるだろ!」


 あっ、しまった……、つい強がってしまった。いや、怖がってはないけど。あそこは汚いからあまり行きたくないだけだよ、強く否定してくれれば留守番してるよ。


「依頼人を危険に晒したくはないんだけど……。まあいいか、一緒に行こう!」


 そう言うと遥はエプロンを脱ぎ捨て、事務机のそばにあったリュックを背負った。

 そんな簡単に許可しちゃうのかよ! もっと依頼人の安全に気を使ったらどうかな。……ええい、まあいいや、こうなったら覚悟を決めるか。


「……準備ってそれか? そういやそのリュック、いつも背負ってるな」

「この中には探偵の七つ道具、すっごい宇宙アイテムが入ってるからね! ほら、たとえばこれとか」


 遥がリュックから何かを取り出した、その手には銀色のライターのようなものがあった。


「なんだそりゃ、火でもつけるのか……あれ?」


 不思議な事に、遥の姿が無い。今の今まで目の前で話していたというのに。周囲を見回してもその姿は見つからなかった、机の下に隠れているとかそういう単純な話ではなさそうだ。


「ばあっ! おどろいた?」

「うわっ、お前、どこにいたんだ!?」


 突然目の前に遥が姿を現した、どうも一歩も動いていなかったらしい。


「これは認識阻害装置だよ、使うと今みたいに周囲から認識されなくなるんだ。ほっぺつついたけど気付かなかったでしょ?」


 気付かなかった……。というか勝手に人の頬をつつくんじゃない。

 話半分に聞いていたけど、凄い宇宙アイテムというのも本当なのか? そもそも、もしかしたら遥は、普段から嘘や大げさな事なんて何ひとつ言っていないのかもしれない。立て続けに起きる不思議な出来事のせいでそんな気がしてきた。


「はいこれ、何かあるといけないからマッさんにも渡しておくね」

「ああ、ありがとう。……ん? おい、何だよマッさんて」

「何って、あだ名だよ~。これから捜査の相棒になるんだから、友情はこういう所から始まるもんなんだよ。探偵の常識だね!」


 そうだったのか、探偵の世界は想像もつかないな。でもそんなウィスキーでも作ってそうな名前で呼ばれるのはちょっと嫌だぞ。


「何度も言ってるけど、『ちゃん』も『マッさん』もやめろ。せめて益代って呼べ」

「……む~」


 また不機嫌な子供のような顔をする遥。こういう時は相手が勝手に怖がってくれる不良の伝説が恋しいよ。


「ところで、さっきもらったこの宇宙アイテムは何だ? 見たところ金属パイプみたいだけど」


 何かあった時用としてもらった道具、見た目はどう見ても金属パイプだった。でも、遥の事だからただのパイプに見えて凄い武器だったりするんだろうか。


「それは解体現場で拾ってきた配管パイプだよ。凄く硬いから威力抜群!」


 ……つまり、ただの金属パイプか。私ってそんなにこういうの似合う? という事はアレか、化物と出くわしたら殴れってか?


「準備は万端、さあ行こう! あ、学校のカバンは事務所に置いてていいからね」

「……」


 元気のいい号令と共に、遥が事務所を出て歩き始める。私は金属パイプをそっとしまい、その後をついて歩き出した。一応は持って行くよ。


 ***


 二人で真っすぐ映画館へ向かう途中、ふと気になる事を思い出した。


「なあ遥、その宇宙人とやらが猫が目的なら、ニャン太を連れて来たほうがいいのか?」

「んー? ああ、様子のおかしい猫ちゃんね。大丈夫だと思うけど――」


 遥が立ち止まり何かを見ている。そこはもうあの映画館の前だった。そしてその視線の先には、一匹の猫が座っていた。


「その必要はなさそうだね」

「あれは……ニャン太!? まさか、戸締りはしっかりしてきたハズなのに」

「たぶん宇宙人の影響を受けてるんだよ」


 その時、ニャン太が映画館の中へと走っていった。それを追いかけ遥が、さらにそれを追う形で私も映画館の中へ駆け込んだ。

 すぐに追いかけたつもりだったけど、ニャン太の姿はどこにもない。これはアレか、例の異界がどうとかいうやつか。

 思い返せばあの時、ニャン太を見つけたのは映写室の前だった。あそこに何かあるのかもしれない。


「遥、映写室だ。あそこに何かあるかもしれない」

「そういえばマッさんもあそこから出てきたね。よし、行ってみよう」

「マッさんって言うな!」


 遥の中で私の名前がマッさんで定着しつつある、それはそれで問題だ。などと余計な事を考えながらも、私たちは二人で映写室へと入った。


「よし、これで出て入れば……」


 映写室に入ってすぐに出る。予想通り周囲の空気が変わった。自分たち以外の音がしない静寂の世界、これが『異界』か。改めて体験すると不気味な所だ。


「おお、こんな所に自然の出入り口ができたてんだね。前に来たときはここを見なかったから気付かなかったよ」

「私ももう少し詳しく言うべきだったよ。こんなおかしな事件になるとは思ってなかったからな」


 予想通り、そこにはニャン太の姿もあった、映画館の外に誘うようにゆっくりと歩いている。すぐに追いかけようとしたけれど、遥が手を伸ばし私の体を制止した。


「ちょっと聞いて。これからニャン太君を追いかけるけど、注意事項があります」

「ん? なんだよ急に」

「まず、今から認識阻害装置を使って相手に見つからないように近付くからね。二人分の出力にするけど、効果範囲が狭いから離れないようにしてね」

「あ、ああ。わかった」

「それから、もし私が倒れて動かなくなったら、安否確認とかいいからとにかく逃げて。依頼人の安全が第一だからね」


 それはつまり、そういう状況に陥る可能性があるって事か。やっぱり来るんじゃなかった。

 ……いや、そんな状況になるかもしれないのに、自分より弱そうな奴に押し付ける事なんてできない。ここはやるしかない、覚悟を決めたんだろ益代、しっかりしろ!


「わかった、行こう」


 私の返事に遥が黙って頷く。私は遥の肩に手を置き、半分だけジェンカのような体勢で映画館の外へと踏み出した。


「……うわ」


 映画館を出てすぐの所にニャン太はいた。それだけではない、あの化物もいる。今日は堂々とその姿を現していた。

 子供のような小さな頭に黒目ばかりの大きな目、不気味に長い首に対してアンバランスな大きな体。明らかに人間じゃないし、動物だとしてもこんな生き物は見た事がない。

 認識阻害装置のおかげか、化物はこちらに気付いていないようだ。私たちが横に回り込んでもニャン太の後ろを待ち遠しそうに見つめている。

 そうか、今わかった。こいつの目的は猫じゃなくて猫を追いかけてきた私だったんだ。前に出会った時は、間に見えない壁があって近づけなかったんだろう。夜に見ているだけだったのは、あくまでこっちの世界で捕らえたかったってところか?

 私が化物に釘付けになっている間、遥はといえばニャン太の様子を伺っている。何を調べているのかはわからないけど。


 その時、黙って座っていたニャン太が急にこちらを向いた。あれ、どうして? 認識阻害装置が効いてるんじゃないのか?


「あ、電池切れちゃった。二人同時は思ったより消費が激しいなあ」


 見ると、遥がライターのような道具を細かく振っている。電池が無くなった時についやってしまうあの動きだ。電池式だったんだ、それ。

 待てよ、認識阻害装置の電池が切れたって事は、やっぱり……。


 ドッ! と、鈍い衝突音が響いた。私の前にいた遥の体が数メートルほど宙に浮き、そのまま地面へと叩きつけられる。


「遥!?」


 思わず叫んだ私を、化物がじっと見つめている。遥を殴り飛ばしたのか? やってくれるじゃないか。あいつは逃げろなんて言ってたけど、この状況で逃げるなんてあり得ないだろ!


 こうして今、私は化物と対峙している。……長い回想だったな。

 人間、土壇場になったら意外と腹が据わるもんだ、火事場のなんとかってやつかな。隠し持っていた金属パイプを取り出し、威嚇するように数回スイングする。思ったより手に馴染む、悪くない武器だ。

 すかさず大きく振り上げ、こっちに近付けている化物の小さな頭めがけて振り下ろした。鈍い打撃音が鳴り、化物の頭が無残に窪む。それはまるで空気の減ってきたゴムボールみたいな感触だ。

 続けて二撃、三撃とパイプを怪物の頭めがけて振り回す。ボコンボコンと奇妙な手応えだった、効いているのかどうかよくわからない。窪んだところもすぐに元に戻ってしまう、本当にゴムでできてるんじゃないだろうな。

 そして、私が攻勢なのはそこまでだった。渾身の打撃のつもりだったけど、やっぱり私は少なからず恐怖を感じていた。そのせいでうまく力が入らなかったみたいだ。力も腰も入っていない打撃は有効打とはならず、私は怪物の先端ばかり不自然に大きい手で捕らえられてしまった。

 不気味な黒目が間近で私の目を覗き込む。体を締め付ける力がどんどん強くなっていくのを感じた。背筋が寒い、震えてしまって声も出ない。

 今までに感じた事のない感情、これがリアルな『死』って事なんだろうか。ここで死んだらどうなるんだろう、行方不明扱いになるのかな。この化物も私をどうする気なんだろう、やっぱり食べる?

 やばい、どうでもいい事が次々に頭に浮かんでくる。走馬燈なんて洒落にならない。どうにかしないと、どうにか……。


 ドバッ!


 あれこれ考えていたけれども、思いのほかあっさりとその心配は無くなってしまった。何かが焼けるような、弾けるような、あまり聞いた事の無い炸裂音と共に化物の上半身が吹き飛んだのだ。

 私はただ呆然と立っている、気持ち悪いベトベトした液体にまみれながら。……うえっ、臭っ! これあの化物の体液か? 気持ち悪い!


「大丈夫? ケガとかしてない?」


 何事もなかったかのように遥が話しかけてきた。遥こそ派手に吹っ飛ばされていたけど、ケガはしていないらしい。

 ケンカとは無縁そうな見た目しておいてけっこう頑丈みたいだな。そして、どうやら化物を吹っ飛ばしたのもこいつの仕業のようだ。


「おい……、それ、何だ」

「これ? ただのビームブラスターだよ」


 遥の右手には、SF映画で見るようなコの字型の機械が握られている。たぶん、銃だと思う。

 いや、何が「ただのビームブラスター」だ、実際に使える光線銃なんてものがあるはずが……。いやいや、宇宙人らしき化物だの、すごい装置だのすでに出てるんだ、いまさら私がとやかく言っても仕方がない。これが映画なんかで見る実銃だったらもうちょっと信じやすかったんだけどなあ。


「はいこれ、タオル」

「あ……、ありがと」


 ごく普通のタオルをもらった。これは地球産のタオルで化物の体液を拭き取るのに使えるらしい。知ってるけどね。

 驚いたのはその後、もらったタオルで顔を拭いている時だった。


「……! お前、何やって……!?」

「何って、宇宙人をやっつけた証拠とか、こいつの持ち物とか見分しないと」


 ちょっと信じがたい光景を目の当たりにした。それがごく当たり前の事であるかのように、遥は半分欠けた化物……、いや、『宇宙人』の体をザクザクと切り裂き中身を調べている。


「うっ……うええ……」


 あまりの気持ち悪さについ吐いてしまった。亜空間にゲロを持ち込むなんて私が初めてなのかもしれない。……うっぷ、とても見ちゃいられない。


「よし、調査終わり! 単独犯のようだし、今回の事件はこれでおしまいかな」

「……よく平気だな」


 二人仲良く緑の体液まみれ、この一連の流れを笑顔でやってのける遥が信じられない。神経通ってんのかこいつ。


「ニャー」

「……ん、ニャン太」


 呆然としていると、ニャン太が私の足に擦り寄ってきた。声を聞いたのは久しぶりな気がする。


「お、ニャン太君も正気に戻ったようだね。よかったよかった」

「……ま、そうだな」


 ニャン太を抱え上げようとしたけど、急に力が入らなくなってその場に座り込んでしまった。いまさらながら恐怖がぶり返してきて震えが止まらない。笑い出してしまいそうだ。


「ニャー」


 抱きかかえたニャン太が私の頬を舐める。慰めてくれてるのか?


「なあ、遥。帰る前にもう少しだけ、休ませてくれないか」

「うん、いいよ! マッさん!」

「マッさんはやめろって……」


 遥の肩を借り、少しだけ移動する。


「大丈夫? さ、座って」

「ああ、悪い」

「あーあ、依頼人を危ない目に合わせちゃったなあ。お兄ちゃんに怒られちゃうよ」

「気にすんなよ、お前こそ大丈夫なのか? 派手に吹っ飛んでたぞ」

「うん、大丈夫だよ。私の周りには常にナノマシンが展開してあって、攻撃を感知すると瞬時に局部的な装甲や――」

「わかった、もういい」


 話が難しくなりそうなので途中で遮った。宇宙的な何かで凄いって事はわかったよ。

 話を途中で止められた遥がまた不満そうな顔をする……事もなく、じっと私を見ている。


「……えへへ」

「なんだよ、気持ち悪い声出しやがって」

「マッさんもかわいいとこあるよね」

「はっ、お子様女子高生に言われたくないな」

「あ~、ひどいなあ」

「ニャー」


 音の無い静寂の世界の中、映画館前のベンチで女子高生二人と猫一匹。くすくすと笑いながら、ただその静けさをゆっくりと堪能していた。


 ***


 翌日、学校の教室。今日は遅刻する事もなく、当たり前に席についている私。そんな私の目の前に遥がやってきた。その顔は少しだけ浮かない様子に見える。


「おはよう、マッさん」

「だからマッさんと……。はあ、せめて人前ではやめてくれ。で、どうした? 微妙に浮かない顔して」

「昨日のあいつ、詳しく調べてもらったら宇宙人じゃなくてミュータントだったの」


 どうやら、遥は昨日のアレが宇宙人じゃなかった事を残念がっているらしい。私には何の違いがあってどう残念なのかさっぱりだけどね。


「それが何か問題なのか?」

「問題だよ! 私は宇宙探偵、専門は宇宙人とか宇宙のものなの。ミュータントは全部が全部宇宙に関係するものとは限らないから、ものによっては私の専門外なんだよ!」


 そういうジャンルがあったのか、知らなかった。というか宇宙探偵って何だよ、そんな肩書があるなら看板に書いといて欲しかったな、それを見ていればたぶん入らなかったのに。

 ……なんてね。一応恩人なんだ、そんな事言わないよ。


「まあ、今回は宇宙的な変異をしたミュータントだったから専門外ってわけでもなかったけどね。それはともかくとして。はいこれ、マッさんのぶんだよ」


 専門外じゃないなら文句言うなよと思っていると、不意に机の上に何かが置かれた。茶色がかった長方形の物体、見慣れていると言えば見慣れているが、数によってはあまり縁がないもの。

 ……札束だ、厚さからして20万円くらいだろうか。何故かすごくやましいような気持ちになり、慌てて体で札束を隠す。


「なっ……、何考えてんだお前!」

「だから、マッさんのぶんだってば。依頼料は引いてあるから大丈夫だよ」


 ああ、そう言えば依頼料を忘れていた。解決してもらったんだからちゃんと払わないと。しかしこの状況はマズイ、どう見ても不良が上納金を取ってるようにしか見えない。それも高額の。


「こんなもん学校で受け取れるか! 自分で持ってろよ!」

「え~、しょうがないなあ」


 札束を突き返すと、遥は面倒そうにリュックへと放り込んだ。そんな無造作に持ち歩いてるの? いろいろと感覚がぶっ飛んでるぞ。


「こんな勝手に依頼料とか分け前とかいいのか? 兄貴はなんて言ってんだよ」

「もう、言ったじゃない、お兄ちゃんは今いないって。行方不明なの」

「行方……不明だって?」

「そ、だから私がしっかり探偵をやらないとね。お兄ちゃんの情報も入るかもしれないし!」


 それだけ言うと、遥は自分の席に戻っていった。口調はいつも通り明るく、その足取りも軽い。ただその内容だけがとんでもなかった。宇宙探偵を自称する少女が、いったいどんな思いでどんな生活をしているのか、私には想像がつかない。

 実を言うと、昨夜も全然眠れなかったんだ。あれだけ怖い目に遭ったというのに、自分でも信じられないくらいの興味が溢れて胸が高まるのを感じている。

 それが未知の宇宙人に対してなのか、遥という変わり者のクラスメートに対してなのかは自分でもわからない。それを確かめるためにも、またあの探偵事務所に行ってみてもいいかもしれないな。

 少なくとも、もう退屈はしない気がするんだ。


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