起業します
『ハンドメイド雑貨 ノワール』
少しシャッターの目立つようになって来た商店街の一角、ふっと横に伸びる細い路地の先、黒猫の看板が掛けられた蔦だらけの店、そこが私のお城だ。
『駅から徒歩十分、商店街内、敷金礼金無料、家賃月五万円』というチラシを見付けたのは、今のアパートを更新しようか、新しい所に引っ越そうか悩んでいる時だった。
テナント募集のチラシなのに、破格の値段。
有名百貨店や公的機関が集中しているこの場所は、段々廃れて来ているとはいえ、まだまだ中心街。
地方の、しかも車社会で成り立つ街としては、駐車場の少ない街中の商店街は少しばかり敬遠されがちだ。
とはいえ、ここで成功すれば自分一人を養う位は簡単。
家族の願望が薄い私としては、先日退職したばかりで少しばかり余裕のある懐で、起業しよう、そう思ったのだった。
「ここ、本当に敷金礼金はいらないんですか?」
「えぇ。まあ、築年数が古いですからね。それに、前の方の物がそのままなんで、処分をお願いするためという事もあって、安くなっているんですよ。」
内見に来た物件は、多少埃は被っているものの、すぐにでもお店が出来てしまいそうな作りだった。
前の住人が置いていった、レジ台や、壁に作り付けの棚、洋服も扱っていたのか、トルソーやハンガーラックまである。
「これ、このまま使っても良いんですか?」
「どうぞ、使って下さい。本当は、処分しても良いとお金を頂いていたんですが、もしかしたらと思いましてね。」
初期費用をなるべく掛けずに、抑えられる物は抑えた方がいい。
きっと、こんなにいい物件が出てくる事は、もう無いだろう。
「私、ここに決めます!住居部分は二階ですよね。すぐに住めそうですか?」
「はい、大丈夫ですよ。住居部分は、何も無いですからね。家具や何かを持ってくればすぐにでも住めますよ。一応、お風呂やキッチン、水周りはホームクリーニングを入れてあります。」
日当たりの良い二階は、本当に何も無く、ベットや布団を持ってくればすぐにでも住めそうだった。
幸いな事に、街中、しかも商店街の中という事で、夜のお店が近所に無いというのも住むのに最適で、ベランダに続くドアを開ければ、屋上へと続く階段。
不動産屋さんと登れば、そこには猫脚のガーデンテーブルとチェアーのセットが置いてあった。
少し錆が浮いてきている物の、錆を落として塗り直せばまだまだ使える代物だった。
「ここ、本当に良いところですね…」
「古いですけどね。お決め頂けるのでしたら、今日からでも鍵をお渡しいたしますよ。どうされますか?」
「決めます。早速、明日から荷物を運び込んでも大丈夫ですか?」
「引越し業者を手配されるのでしたら、駐車場も一台分付いていますので、そちらを使って下さい。電気やガス、水道も連絡を入れて頂ければ、すぐにでも使えると思いますよ。連絡先をお教えいたしましょう。」
こうして、私は念願だった雑貨屋を始める事になったのだった。
新居が決まって浮かれていた私は、その一ヶ月後に訪れる不思議な出会いの事など、全く知る由もなかったのだった。