西と東とコーカソイド
今回はスキタイを整理しようと思う。以前の匈奴と繋がってる。何故人種的にコーカソイドに近いだろう古いカザフスタンを私は東方として括るか?なら印欧語になる。人種じゃなくて言語。匈奴が何故東アジア系だと言えるか?と言うと少し後の時代のフン族とそれらに関係したアヴァール、マジャール人がアジア系言語だから。
フン族=匈奴は結論付ける必要が無い。匈奴より西に位置するフン族がアジア系言語なのに何故匈奴が印欧語だろうか?それが多分違うと分かるから。現在のハンガリーの言語がとてもありがたい。あれはマージャル人によるもので、Q,C、Nの3つともハンガリーから出るので、フン族の末裔か?は分からない。そもそもQはアジア系以外でも欧州ではポピュラーな系統なので、下位系統まで見ないと分からない。
例えば混血化したのに、スキタイは言語は変えなかった。そのまま、西に戻っていった。ただスキタイの中でアジア的要素が強くなってアジア人に同化してしまった部族も居ると思う。印欧語を手放さないってのは遊牧民でも同化したといえないと思ってる。東西の区分でそれだと思う。匈奴とスキタイが決定的に異なるのはここだと見てる。だから私は匈奴起源を中央アジアアルタイ地方に拘ってる。
Nは民族的なものじゃない。おそらくトルコという言語は古代に西方に広がったNが土台になってるんじゃないか?って考え。血族的ベースはあくまでCだと思う。Q系だろう匈奴はやっぱり微妙に亜トルコ系なんだと思う。一緒にしたら駄目だと思う。トルコ自体の根本的なものは、極東アジアからモンゴル高原に最初に進出した部族の言語だと思ってる。この点全く繋がりが無い匈奴は似てるけど違うと思ってる。モンゴル系はあくまで中国北部や黒龍江省に固まっててモンゴル高原の初期の言語だと言う感じがしない。ツングースは完全に北より。おそらく扶余が古代では一番西に位置したツングース騎馬民族だと見てる。
言語ではなくて、人種的には東湖と扶余は似てたんじゃないか?と思ってる。日本のモンゴル系って扶余と関係した鮮卑じゃないか?と思ってる。中国の北部でも少し出るというのは中国に一番深くかかわったのが鮮卑だから。しかもブリヤートとの関係が微妙って点も適切。ただ鮮卑すべての集団が扶余と似てたとは思わない。
じゃ何故扶余の末裔である半島であまり出ないのか?でやはり百済滅亡で、日本に王族が来たのがものすごく大きいんじゃないか?と見てる。日本って高句麗と百済に明確な差をつけていて。高句麗をどこか警戒してる。権力の中枢に近づけないように関東に追いやったと見てる。もちろん大切にしてるから保護したけど、百済への贔屓っぷりと較べると全然扱いが違う。
西日本中心で特に近畿に集中してるって点で、百済なのかな?って思う。じゃ何故高句麗から分かれた百済だけなのか?と言うと、高句麗って多分あんまり来てない。命からがら逃げてきたって感じで多分死んでるか捕まってる。奴隷になって中国の全く離れた場所に送られたとかの文献も残ってる。逆に残った部族が反乱したと言うのも残ってる。どちらにしろ日本に来た百済と高句麗じゃ規模が全然違ったんだと思う。
過去に亡命してきた中国人にそし朝鮮が乗っ取られてるので、私は日本の高句麗への対応とても親切だとは思ってるけど。百済とは仲が良かったけど、高句麗は何度も直前まで敵対してる。新羅って共通の敵があったから組んでただけで、正直良く助けたわって日本人の特異性のようなものを感じた。
日本に来た数が多ければ多いほど、逆に半島の血は薄くなるから。別に確定しなくても良いけど、普通に百済じゃないか?と思えばすっきりする。ツングースとかモンゴルって血統的なものはあまり重要じゃない。言語ってそういったものと別だと思う。同じ言語を使う集団が近いってのはあると思うが、ハプロを見てると言語が国境みたいな恣意的なものに見えてどうでも良いんじゃ無いか?と言うのがある。
どうしても半島であまり出ないって点で百済否定したくなるけど、元々百済の王族ってベースとなる韓族の上に支配層としてかぶさったみたいな扱いになってる。この辺り民族が違うのはハプロからも分かる。
半島のC系で扱いにくいのは、土着のC系が多分いる点。当然日本に縄文時代入ってきた可能性あるんだから、その元となる新モンゴロイドとは言えないC系が残ってるはずなんだ。それは扶余族とは関係ないから。ただ圧倒的に数が少ないのが分かってて、かつ絶滅した可能性もある。例えば古い時代だと北方にもC1系がちらほらいる。今日本にしか残ってない。すべて消えた。狩猟採取の民族なんて後の農業で増えた民族にすべてはプロ的には消されてしまう。
特に半島は、人が居なかったと散々言われていて、確かに農業が本格化してから増えた人が大半だろうとは予想されてる。その時代の流れで狩猟採取のC2系が残ってるとはとても思えない。ただしハプロとしてで遺伝的には半島人にはこの遺伝子が残ってるらしい。これはD系ではない。D系の遺伝的特徴は沖縄やアイヌに強く出るので、形質的にも全く違うのが分かる。新モンゴロイド化する前のC2系だとすぐ読み取れる。
騎馬民族繋がりで書いたけど、本題はスキタイなので移ろうと思う。このスキタイってのはかなり面倒で、まずトルコやフン族と似てて、畏怖の意味で自称する他民族が多かった。別民族からトルコ化した民族がトルコ語をてなばさ無かったのはこれだと思う。中央アジアのトルコ系は突厥の末裔を誇りにしていた。
中央アジアの印欧語族は自称と他称で誰もかれもスキタイになった。この中で亜種的なものを抜き出そうと思う。印欧語族系遊牧民には2系統居る。だがこれスキタイに関しては分けないほうが良い。それより亜種として扱う。R1AとR1Bは絶対に父系では血が繋がってない。これは系統が微妙に違う。
この中でR1Aとべったり行動をともにしたR1Bもいる。だがこれ少数派、同じようにJ2も行動をともにしてる。R2もこれに付随するらしい。R2はそもそも単独の有名な遊牧民は多分居ない。R1B例外的こういった形なら印欧語族に含まれるが、実際は主流R1A=印欧語族の大移動の少し前のグループになる。
欧州が典型的なのだが、西海岸にR1Bが高いのは、先に侵入したR1BがR1Aに玉突きしきに追いやられたのが有る。その中でゲルマンはかなりR1Aと混血してる。後の時代、R1Bが中心の国ほど混血率が少ないのでR1Aが残らなかったとの話しも有る。ただ基本的には玉突きと侵入がやや先だという点。
そしてこのR1Bが話す言語は微妙に違う。これが中国で話されていたトカラ語の元になってる。月氏はおそらくR1Bでイラン系ではない。タリム盆地はおそらく月氏の移動の前に入ってきたR1B系になる。
じゃR1Aは居ないのか?ならウイグルのハプロはR1Aが圧倒的になる。だがR1Bもいる。違う系統として多分入ってきたと見てる。
まずアフガンに多いのはパシュトゥーン人のR1Aになる。アフガンはイラン系になる。その関係でシルクロードの移動で増えたんじゃないか?と見てる。次にインドへの移動でアリーア人がこちらにもやってきてると想像してる。スキタイの遺跡として有名なパジリク遺跡の主要ハプロは遺体からR1Bだと考えられていて、月氏はシルクロードから来たのではなくて、ステップロードからジュンガル盆地を抜けて南下したグループだと思われる。そして過去にタリム盆地に入ってきたグループも多分それ。
所謂アファナシェヴォ文化の担い手とされるグループ。タリム盆地の遺物と文化的な繋がりが似てるらしい。元々はR1Aも同じような言語を話してて、R1Bはフライングのようにちょっと早めに出てしまって言語が変わってしまった。このせいでずれるらしい。地域的分化じゃない、系統的に古語だと専門家には分かるらしい。
以前書いた満州のR1Bこれで解けるかもしれない。後ウイグルで鉄器が作られたのがどこから伝わってきたか?で、シルクロードじゃなくて、ステップロードの可能性が出てきた。当時のアジア系遊牧民がステップロードまで進出してるから。スキタイとどうもずれるので、鉄の伝播ってスキタイじゃないのでは?と思ってた。
おそらく当時中国よりのステップロードに多かったR1Bの方だと思う。ここにR1Aのスキタイが入ってきたと成る。それと言うのもモンゴルは偏ってR1Aが多い。古代の人骨からも1集団に関してはスキタイはR1Aに偏ってる。R1Bは文化的な騎馬民族としてのスキタイだったんじゃないか?と見てる。
タリム盆地の人達と、月氏は言語だけ同じの全くの別系統。最初はスキタイの登場で騎馬民族化したタリム盆地の人だと思っていた。でも実際はバイカル湖に繋がるパジリク遺跡の住人が南下してきた系統だと分かった。モンゴルはR1Aと分かってる。当時の人骨も調査してR1Aだった。ただバイカル湖は良く分からない。ひょっとしたらR1Bもなきにしもあらず。
モンゴルに与えた影響は凄かったが、古代中国に与えた影響はR1B系の方が大きいような気がする。ただウイグルのR1Bは古代からずっと住んでるとか単純じゃない。下位系統を見ないと分からない。それと言うのも、トルコ語の担い手にR1A同様にR1Bも大量に居るから。トルコ文化圏としてウイグル地域にその後R1Bが流入した可能性は否定できない。
北東のアファナシェヴォ文化に対して南西のアンドロノヴォ文化の担い手はR1Aになる。より中国に近い方が古代R1Bだったとなる。おそらくスキタイグループの拡散まではR1Aはステップロードは使ってないと思われる。逆にシルクロードやチベットルートがR1Aのアジア侵入のルートになる。
下位系統を詳しく調べれば、トルコのR1Bにはおそらく、この中央アジア起源のR1Bが含まれてると見てる。元々ヒッタイトがヤムナ文化の後裔だと思われるのでほぼ同根だけど。このヤムナ文化はほぼR1B一色の文化で、ここで話されていたのが、おそらく古印欧語じゃないか?と推定されてる。
どういう形かしらないけど、ここにR1Aが深く入り込んで、欧州移住の第2波になる。
騎馬民族でその間に馬の騎乗による遊牧と言うスタイルを創った民族が居てそれがキンメリア人らしい。彼らを追い立てるようにして接触したスキタイが、そこから騎馬戦闘と言うスタイルを発展させたとなる。印欧語族の移動のかなり後の話しになる。
アファナシェヴォ文化が直接伝わった可能性(まだ考古学では確定ではないらしい)がタリム盆地で、間接的に伝わったのがオクネフ文化やカラスク文化となる、重要なのはオクネフ文化、位置時代的にも。多分この文化をモンゴロイドが中心にやったのではかなり早い方になる。おそらく場所的にNだが確定的には言えない。この時期すでにロシアに到達してるので居て当たり雨なので。
ただカラスク文化は微妙な位置。赤狄の時代と重なるので、Cだった可能性もある。アジア系のQの可能性も捨てきれないけど。ただ西過ぎる。正直Nがかなり早くから西に広がってるので、こんな場所にモンゴロイドがって驚きが無い。今を知ってる人ならC2だと思うだろうが、私は古くなるほどNだと確信してる。
モンゴルの古代遺跡が極端に少ないらしくて、いつからCが進出したのか?がさっぱり分からない。寒い地方なので骨は残りやすいと思うので日本と違ってハプロは取りやすいのだが、残念。
中国への伝播で、小麦、青銅器、鉄器、車輪(馬による牽引)、騎馬戦闘。この5つは誰か持ってきた民族が居ると思ってる。青銅器は二里頭文化=夏王朝の時代にはもうあったらしく、タリム盆地の住人と重なってくる。
しかもすでに混血している。以前はこれ人骨の形態だけやっていたけど、DNA調査によってタリム盆地の住人が混血したのじゃなくて、別の場所で混血した民族が移住したと見られてる。何故か?と言うとバイカル湖とDNAで特定できたから。バイカル湖から下がってきたのじゃなくて。東西のバイカル湖の住民が混血したと考えるのが妥当だから。
ただ青銅器は見つかってない。小麦も夏王朝の辺り。黄河文明はモット前だけど主要穀物は粟だと分かっている。それも伝わったのか?なら可能性としてはだ思ってる。ただそれを言い出したら米はレバント地方関係ないでしょ?ってなるから。小麦だけは中国に無いため確実に層だと思ってる。ただ私は時期がズレテルだけで、先史時代にすでにRが来ていた可能性あると思ってる。
これは遊牧民の登場と被ると思う。そうなると古代王朝が遊牧民系だったってのが俄然説得力を増す。ただ問題は何故M-120系のQなんだって点。これって多分東海岸の系統だと見てる。偶然モンゴル高原に早く進出したのか?このあたりかと。
何故初期に普通に居た系統じゃないのか?と言うと、初期の遺跡から全く見つからないから。これは歴史時代になって一瞬で来た可能性がある。それはやっぱり遊牧民の可能性がある。元から中国にいたならなんとも馬鹿馬鹿しいが、たまたまQが王族だっただけで意味は無い。
このうち騎馬民族ははっきり分かってる。スキタイが世界的にも初めてだから。鉄器はとてもこまるスキタイも鉄器を使う民族で元々はもちろん青銅器。ただ、モンゴルにくるまで時間が掛かってて、その間に鉄器が拡散してしまう。それゆえ、鉄器は先に到着してる可能性がある。
ステップか?シルクか?は分からないけど。トルコ系遊牧民の赤狄が初めて中国で生産に成功したって点で、ステップなんじゃないかな?と。彼らの活動範囲がちとシルクロードとはずれると思う。
おそらくこの小麦、青銅器、車輪3つは同時でかつその民族は中国の王朝に関わってる。夏王朝が伝説どおりで、きょう族と南方部族の連合体ってのがありうる。最終的に遊牧に戻っていくってのが、タリム盆地の住人との接触から得た可能性がある。ただ伝説では四川のあたりの住民なので、かなりずれる…。青海省にきょう族がいたのは大体分かっていて、ちょっと上に行けばウイグルになる。南ルートで、遊牧生活が残ってるのか?なんとも言えないけど。四川省から長江を下ると確かに南ルートからの北上になる。
たまにD1Aが南部の少数民族に見つかるので、何かしら関係があったとは見てる。三星堆遺跡辺りがくさいといえばくさい。きょう族を通じてタリム盆地にやってきた遊牧民から広がったなんて事なのかもしれない。あくまで伝説を信じるならになるけど。ただ、時期的に逆に中原から伝わった気もする。
中国文明とは少しずれるかもいれないって事でやや西方(馬家窯文化)でBC2000年以上前に青銅器が出てるようです。西方から伝わったかも?ってよい例だと思います。ただ中原じゃないので、ここからどうやって中原につながったか?と、後はどうやってここまでやってきたか?です。
後3つの伝播年代は多分違いますね。これは勇み足でした。




