得居奏太郎は振り返る。
体を洗い終わった俺は数ある浴槽の中でも異様の存在感を誇る大浴槽に浸かることにした。
大浴槽には人がいるのだが始めはでかいの―――。という俺のポリシーは揺るがなかった。
風呂の温度計は40度前後の表示になっていてちょうどいい湯加減だと思いながら腰まで浸かった。
今日は散々な半日だった。
平穏学園ライフはものの見事に崩れ落ち。
会う人会う人に振り回され。
挙句の果てに最も恐れる残念ハーレム。
俺のヒットポイントはもう瀕死状態まで削られていた。
それに関しては危機の回避の手助けをしてくれた小池野先生に敬意を示さねばならない。ついでに箕城にも。
そんな一日もこれで終わり。この後篠野木先輩が待ち構えていることも暫し忘れて今は疲れを癒すことに専念しよう。といっても浸かるだけなのだが。
ふと隣からの視線を感じる。声も聞こえてきた太くずっしりとした声が。
「お前得居奏太郎か?」
いやな予感がしてきた。
今日そう名前を呼ばれて何も起きなかったというためしがない。
変に緊張しながら平常を装い返事をする。
「そうですが。あなたは?」
「俺は西部式弐進。特別科二年だ。よろしく。」
そう言って西部式先輩は手を差し出してきた。さっきの伊野湖先輩同様俺はその手を握った。
これまであった人たちがそうだったのでこれも聞いておくことにしよう。
「西部式先輩も溺合寮に?」
「なんだそんなことまで知っていたのか。もちろん俺も住むことになっている。」
「知っていたとは・・・公開されていない事なんですか?」
西部式先輩は頷き答える。
「ああ。住むことになっている人間と教師陣しか知らないはずだ。」
自慢気な表情からして溺合寮について俺がまだ知らないことがありそうだ。
俺は正直に聞いてみることにした。
見知らぬ、初めて会った人に聞くのはためらうのがほとんどだが西部式先輩は他の人とは違うような感じがする。安心して背中を預けることが出来る気がするのだ。そんなたいそうな大層なことではないのだがそう表現せずにどう表現すればいいのかわからなかった。
「実は俺ここの事何にも知らずに入学することになっちゃいましていろいろ困ってるんです。良ければこれを機に学園の事教えていただけませんか?」
もちろんだと言わんばかりのその笑顔を俺に向け西部式先輩はいろんなことを教えてくれた。
ホールの飯は飛び切りうまいだとか。
外出可能時間は九時までだとか。
それから教師陣の特徴や接し方を手鳥足取り教えてくれた。
武之宇を除いてだが―――。
「あの先生は新任だし変わった人だからきっと生徒からの人気はないだろう。」
その通りです先輩。いい目をお持ちで。
「しかし、それならなぜ篠野木先輩はあの教師の事を知っていたんだろう。」
俺の独り言は独り言にならず隣の口から答えが返ってくる。
「それは簡単なことだ。武之宇先生をこの学校に連れてきたの篠野木志野木、彼女だからだ。それにしても篠野木に会っていたとは驚きだ。あいつの事だ何か吹き込まれたんじゃないか?」
いいえそんなことはないですとだけ答えた。
篠野木先輩についても何も知らない俺はまた同じように聞いた。
「篠野木先輩ってそんなにすごい人なんですか?」
西部式先輩は即座に答える。
「篠野木はそれだけの言葉で片付けてはいけない人物だ。」
そういう目はさっきの優しそうな先輩とはまるで別人ように鋭く、誰も居ないはずなのに先輩の目線の先にまるで誰かが居るような錯覚さえした。
この寮のどこかにいるはずの篠野木先輩がそこにいるような―――。
俺はそれに今日何度目かの恐怖を覚え少し縮こまった。
彼の丈夫そうな体つきと浮き出た筋肉。それを見ただけで人はおっかないと思うだろう。
それに殺気にも似た威圧感のある目つきで睨まれてみろ。死を予感する。
西部式先輩は言う。
「誰も篠野木志野木にはなれない。だがあいつは誰にだってなりきることが出来る。生徒に対しても教師に対しても脅威でそして誰もが憧れる存在だ。」
俺はそれを聞き驚愕し旋律した。
篠野木先輩は俺にこう言った。
君にまねできない変人が山ほどいる―――。
俺はそれを彼女自身の経験談として受けっとていた。
しかし、それは間違いであり同時に愚考であった。
俺に向けた言葉はその通り俺に向けられた言葉であり俺を見定めた結果の助言だったのだ。
篠野木志野木は誰にでもなりきることが出来る。
本当にそれが事実なのであれば俺はまた同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
憧れる?そんなのプライドのない落ちこぼれ者の妄言だ。
俺はそのまま沈黙した。
そして視界はだんだん狭くなり何も考えられなくなってそのまま気を失った。
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目が覚めると浴場特有の熱気と湿気はなく、逆に乾燥した肌寒い。
どうやらのぼせて倒れたらしく誰かが部屋まで運んでくれたようだ。
着替えはさすがに無理だったようで俺の体はバスローブにくるまれていた。
そのバスローブに寝返りを打ちながら腕をと通す。
動いた目線の先―――ベットの端で何かが動く。
「後輩君大丈夫かい?弐進がここまで運んでくれたみたいだけど。のぼせるなんて笑いものだよ~。誰も居なくてよかったね。」
そこには寝間着姿の篠野木先輩の姿があった。
白色がメインのところどころに赤いラインの入った女の子らしい服装。
「何やってんですかしのりん先輩。」
「看病に決まってるじゃないか後輩君!」
「結構です。自分の部屋にお戻りください。」
「何を言っているんだい後輩君に話があるに決まってるじゃないか。」
「くだらない話なら出入り禁止にします。」
「その心配はないね。」
そう言って彼女はベットに上がり胡坐をかいた。女だよねこの人。
「女が胡坐をかいてはいけないとは誰も言っていない!」
そうですか。まあどうでもいいのだけど。
それより俺は風呂場で考えたことを引きずっていながらその当人と話をするのだ。
もしこれが中学時代の俺なら関係を一切立っている。箕城をそうしたように。
「話とは何ですか。」
「学園についてだよ。後輩君には入学式が終わったら教室には戻らずそのまま寮に戻ってきてほしいんだ。先生公認だから大丈夫。」
そう言って先輩は持ってきていた鞄の中から学園の資料を取り出した。
「持ってないと思って持ってきたんだ。これ全部目を通せば大体の事はわかるから。んじゃ明日までに頑張ってね~。私は眠たいからもう戻るよ。」
「これを?この量を明日までですか!?」
先輩の出した資料は学園の冊子で100ページにもなるものだった。
「大丈夫だよ~中身は薄々だから。見たくなかったら見なくていいけど明日は絶対来てね。」
「ちょっ!せんぱ・・・」
あまりに一方的な話し合いは話し相手の退場によってあっけなく終わってしまった。
俺はおき捨てられた学園の手引きと書かれた冊子を手に取る。
このまま読まず着替えて寝るという手もあったのだが―――。
無知というのは怖いものである。
それを今日だけでこれでもかというほど見せつけられ現実をたたきつけられた俺はそれを開かずにはいられなかった。
しかしいつまでもバスローブでは風をひいてまう。着替えながら目を通すことにした。
まさかこれがパンドラの箱になっているなんて思いもよらずに俺はページをめくる。
「な、なんだよこれ。」
~続~
温泉行ってきました。のぼせてません。