08
ヨクトは自分の意識が戻るのを感じた。
自動的に自己診断プログラムが走り、義体の状態をチェックする。問題ないと判断したところで、ヨクトは瞳を開いた。
薄暗い空間だった。目の前には半透明のシールドが被さっている。義体の調整槽に入れられているのだと分かった。
と思うと、目の前でシールドが持ち上がる。体を起こすと、インビジブルの技術室だということが分かった。ヨクトたちは食べ物や睡眠を必要としない代わりに、定期的に義体のメンテナンスを行う必要があった。それを行う部屋がここだ。精密機器を置いている関係で、部屋はおよそ1Gに整えられている。体に掛かる重力の感覚が地球を思い起こさせた。
『やっとお目覚めね』『気分はどう?』
ヨクトの視界に、金髪のツインテールの少女が二人、音もなく映し出された。インビジブルを管制するエトナとエトラのアバターだ。
「……悪くはないかな」
ヨクトはそう言って立ち上がろうとした。かと思うと、突然体が動かなくなり、勝手に拳を作った右手が、ヨクトの鼻先を強かに殴りつけた。
「ぶっ!?」
『何が悪くない、よ』『お馬鹿の極み』
エトナとエトラは容赦なくヨクトの義体を操った。三度ほど殴ったところで満足したのか、義体の制御を戻してくれた。
「な、何する――」
『何でもよ』『自己犠牲の発露とか、そういうヒロイズム、いらないわ』
エトナとエトラは本気で怒っているようだった
「ま、待ってくれ。何の話だ」
『記憶の定着はちゃんとしてる?』『自分が死ぬことになった原因、言ってみなさい』
エトナとエトラの言葉に、ヨクトは定着したばかりの記憶を掘り起こした。
ヨクトたちは仲間との間にネットワークを形成し、互いの記憶を電脳にバックアップしていた。全滅しない限り、こうして誰かが記憶を持ち帰り、義体に定着させる。だからヨクトは、自分がしたことと、その結末を知っていた。
「俺が、ナナリーとミーティアを、モノリスの攻撃から庇った――て言うか、みんなは無事なのか?」
『……無事』『ちゃんとデータを持って帰ってきた。あなた以外は』
ヨクトが思わず力を抜くと、エトナとエトラは責めるような視線を向けてきた。ヨクトは慌てて言い訳した。
「あの状況じゃ、俺が囮になるしかなかった――」
『だとしても、生身の人間であれば死んでいた』『自分が死ぬことに慣れるのは避けるべきだって、あなたも知っているはず』『いずれ人間に戻るのだから』『自分が抱えている命の重さを、忘れてはならないと知っているはず』
「でも――」
『言い訳なんて聞きたくない』『結果的に目的を達成したとしても』『人としての最低限の尊厳を失えば、それは死と同じ』『あんたはちゃんと、自分が死ぬ覚悟で死んだ?』
ヨクトは何も言い返せなかった。
実際、死ぬことはさほど問題ではないと思っていた。ヨクトたちオーバーマンは、記憶を複製された、事実上の不死者だからだ。
だが、エトナとエトラはそれを戒めた。
『……本当は、あなたのやったことは正しいって分かってる』『みんなも知ってる』『でも、いずれ人として生きるのなら、死ぬことを恐れるべきだと、私たちは思う』『死ぬことに躊躇するのが自然な反応。あなたはどうだった?』
「……何も感じなかった、かもしれない」
『礼は言うわ』『ナナリーとミーティアを守ってくれてありがとう。作戦は成功』『でも、絶対に忘れないで』『私たちがこうしてがんばっているのは、人として生きる場所を作るため』『そして、人に戻るため』『人は死ぬものよ』『命を忘れた人間は、完全に物になるわ』
エトナとエトラは視線を伏せた。
二人は、ヨクトがナナリーとミーティアを助けたことを怒っているのではない。ヨクトが全く躊躇せず、自分の死を選択したことを怒っているのだ。
確かにオーバーマンは、義体が滅びても、新しい義体に記憶データを定着させることで蘇ることができる。
だが、人間は命を抱えている存在だ。そして、ヨクトたちは、そうした人間として生きる場所を作り、人間に戻るために戦っているのだ。例え蘇られるとしても、自分の命を虚構のものとして受け取るようになれば、それはもはやただの物体だ。
「……悪い。気をつける」
『本当よ』『これ以上物忘れが激しいメンバーは要らないわ』
エトナとエトラは鏡に映したような笑みを浮かべた。
ヨクトは立ち上がって体の状態を確認した。以前までの義体と、感覚的な差はほとんどなかった。すぐに馴染むだろう。
「俺の機体は、やっぱ消し炭か?」
『蒸発したわ』『一から作り直しだから、少し時間が掛かるわね』
「……悪い」
『それはもういいわ』『現状を説明したいのだけど、いい?』
「頼む」
ヨクトが言うと、ヨクトの視界に情報が投影された。
『作戦が終了してから二十時間が経ったわ』『メンバーの損害はあなただけ』
ヨクトは微妙な顔になった。エトナとエトラは構わず続けた。
『オケアノスの主要連結情報から、構成を復元中』『今のところ問題なく進んでいるわ』『超高度AI……便宜上、オケアノスβと呼ぶけれど、完成するのは今から百二十時間前後』『それに伴って、予定通り、宇宙海賊との合同会談を行うわ』
「会談、か。……情報提供はしたのか?」
『現在のプランと、こちらの技術レベルを証明する幾つかのデータを送信したわ』『具体的なプランは、かなりぼかしてあるけど、別の惑星に移住する計画だということは伝えてあるわ』
ヨクトたちの計画は、オケアノスのコピーを、惑星での生活環境制御AIとして活用することだった。多くの宇宙海賊を伴い、別の惑星に新しい生活圏を作るのだ。
『今はどの船も回答保留中だけど、無視できるわけがない』『やむを得ず海賊を行っている宇宙住民にとって、自分たちの人権は悲願だから』
エトナとエトラの言葉に、ヨクトも頷いた。
宇宙海賊にも大きく分けて二種類がいる。一つは完全に私利私欲のために破壊活動を行う者達。大部分の宇宙海賊がここに属する。そして二つ目が、人間社会の枠組みから排斥され、生きるために仕方なく海賊行為に及んでいる者達だ。
むろん後者も犯罪であることに違いはない。だが目的には明確に違いがある。
後者の海賊が見据えているのは、自分たちの安全。人権。そして、人類の次のステージを夢見ていることだ。
オーバーマンでなくとも、義体換装をしているというだけで、世間の風当たりはかなり強くなる。それが戦闘目的であればなおさらだ。一度社会から有害だと判定されれば、後は処分されるか、隔離されるか、あるいは逃げるしかない。
そうした人間社会の枠組みから弾き出された人間たちは、この広大な宇宙に少数ながらも存在している。ヨクトたちは彼らにコンタクトを取り、自分たちが作り上げる集団の一員となってほしいと考えていた。
人として生きるのも、人以上の存在となって生きるのも、自由な社会。互いの尊厳を守り合った、今よりももっと自由な社会。そんな場所を、ヨクトたちは作りたいと思っていた。
――とは言ってもな。
情報面のやりとりはエトナとエトラの領域だ。現状自分にできることはなさそうだと、大人しく任せようとした――が。
エトナとエトラが宙を見つめて言った。
『宇宙海賊の一つからアポが入ったわ』『グリーンアイド。二十六隻の居住艦を持つ大御所ね』
ヨクトの視界に情報が投影された。グリーンアイドという宇宙海賊の構成員の簡略情報と、主な武装、過去の活動内容がリストアップされる。
「アポ、ってどういうことだ? 会議に参加してくれって頼んでるのはこっちなのに」
『提供した情報の、不明瞭な部分を質問したいのでしょうね』『あと、単純に、先に顔を見ておきたいということではないかしら』『前時代的だけど共感はできるわ』『向こうは船の代表とサイバースペースでの会談を行いたいと申し出ているわ』『どうする?』
「決まってる。受けるよ」
ヨクトは首を傾げた。
「そう言えば、この船の代表って誰なんだ?」
『あなたでいいんじゃない?』『少なくともジョゼフよりはマシ』
「か、軽いな。他のメンバーの合意を取ってからの方が――」
『ジョゼフは不安すぎ、セリスは面倒くさがってやろうとしない』『ナナリーはこういうのに向いてない』『私たちはルール違反』『あなたしかできる人がいない、といった方が分かりやすい?』
「……分かった。なるべく変なことを言わないように気をつけるよ。一対一か?」
『いいえ』『向こうは一名の補佐官を付けると言っているわ』『一人なら連れて行ってもいいのではない?』
「一人か。エトナとエトラは……」
『私たちは一心同体だから無理』『て言うか、そんな堅苦しい場所にお邪魔するのなんて嫌』
「そ、そう……。ならナナリーを連れていく。向こうが二人なのに俺一人ってのも、何か構えてるみたいだしな」
『では、私たちはヨクトとナナリーの補佐をするわ』『下手なことを言わないように指導してあげるから安心なさい』
ヨクトは苦笑した。確かに、超高度AIであるエトナとエトラが付いているならば、下手なことなど言いようがない。最悪、電脳をクラックして言語野を麻痺させれば、ヨクトが余計なことを喋ることもなくなり、言質を取られずに済む……。
「いや、それは流石に……」
『お望みとあらば、あなたが考えていることをやってあげてもいいけれど』『ただし、飛びっきり不快なショック付きでだけれど』
「遠慮します」
ヨクトは即答した。
「手続きは任せていいのか?」
『ええ』『お互いにとって一番いいような方法を提案させてもらうわ』
エトナとエトラはそう言って、思い出したように付け足した。
『あと、これがグリーンアイドの代表のプロフィールよ』『一応、目を通しておいて』
ヨクトの視界に、新しい情報が表示される。展開すると壮年の男の顔写真が表示された。鋼のような厳しい顔だった。プロフィールの先頭にある名前は、デルク・キンバリーとある。
「デルクさん、ね」
聞き覚えのある名前ではない。宇宙海賊や軍の間で有名であったとしても、ヨクトたちはそういうパワーバランスの外側に存在する集団だ。相手がどんな考えを持ち、どのような理念で行動しているのかは、出会ってみなければ分からない。
残りの手続きをエトナとエトラに任せ、ヨクトは調整室を後にした。無重力に足を踏み入れ、浮遊感に包まれて、ふと思い出す。
「そう言えば、ナナリーに確認してなかった」
まあ大丈夫だろうと、ヨクトはみんながいるであろうブリーフィングルームへと向かった。オーバーマンであるとは言え、無事な姿を見せるのが仲間としての礼儀だろう。