06
ヨクトたちはドックに侵入後、近くの船舶管制室に突入した。
目的はリアルタイムのマップデータだ。あらかじめエトナとエトラに地図は貰っていたが、警備員や職員の現在位置を把握するには、施設のシステムを利用するしかない。
結果として交戦が避けられないことも、最初から分かっていたが、どうしようもなかった。
「いたぞッ!」
警備員たちが声を上げ、ヨクトたちに殺到する。対宇宙海賊用の室内戦装備を身に纏い、訓練された動きでアサルトライフルを照準、トリガーを引いた。消音機の篭った音が響き、無数の弾丸がヨクトに向けて迫った。
ヨクトはそれに対し、右手に握っていたブレードを翻した。
情景がスローモーションになる。遠方のマズルフラッシュが拡散する様子がはっきりと分かる。こちらに迫ってくる銃弾の一つ一つのディティールが分かる。電脳化を施されたヨクトの反射神経は、通常の人間を遥かに凌駕する。
翻したブレードが最初の弾丸を切断したとき、時間の流れが元に戻る。目で追えないほどの神速の斬撃が、全ての弾丸を切り払って後方に流した。
全ての弾を撃ち尽くした警備員たちが、目の前で起こった現象を理解できずに棒立ちになる。
ヨクトはその隙に彼らへと踏み込み、目にも留まらぬ体捌きで五人の警備員たちを気絶させる。連続した鈍い打撃音の後に警備員たちが床に崩れ落ち、場に一時の静寂が満ちた。
「ごめん。寝ててくれ」
ヨクトは呟き、通路の奥を伺った。今のところ増援の気配はない。ミーティアが彼らの監視網に対して攻撃を加えているおかげだった。
ミーティアは数センチの自律ロボットを先行させ、手近な端末に直結、代替情報を流し込むことで監視機構を混乱させていた。もちろん、超高度AIであるオケアノスが相手であれば、このような原始的な手段は通用しない。しかしオケアノスは何重もの制限をかけられた上で運用されている。万が一その情報処理能力が宇宙に漏出したとき、人間の技術では収集がつかないためだ。そのため、オケアノスが取得する情報は、基地の職員がフィルターに掛けたものに限られる。対応が後手に回る道理だ。
「……よし。ヨクト。マップデータ送るね」
ナナリーが船舶管制用の端末からケーブルを引き抜きながら言った。
ヨクトが頷くと、視界に基地のマップデータが立体表示される。トリシューラ近軌道基地は大きく三十階建ての構造をとっていた。中枢部にいくにつれて強固なセキュリティが設置されていることが表示されていた。立体表示されたフロアの上を、タグ付けされた光点がせわしなく行きかっていた。
船舶ドックは施設のほぼ最下層に当たる。オケアノスが置かれていると思われる基地中枢まではかなりの距離があった。
「なるべく戦闘は避けたいな。突っ込んでくるのがhIEならまだしも……奥のほうに行けば民間人も多いだろう」
「正規ルートで中枢に向かうには障害が多すぎますね。いっそ――」
ミーティアが天井を見上げた。
「上、抜きましょうか」
「ほ、本気ですか?」
ナナリーが慄くように言った。
ヨクトは少し考えてから覚悟を決めた。マップデータを見る限り、直上に人間がいる様子はない。
「あんまり施設に負担をかけたくないけど、人死にが出るよりマシってことで諦めてもらうか」
ミーティアは頷いた。廊下に出ると左右を確認し、近くに新たな警備兵がいないことを確認する。それから、白い掌を天井へと向け、天を掴むかのように五指を大きく開いた。
同時、ズズン――、と腹に響く重低音が鳴り響いた。ミーティアが掲げている掌を中心に、不可視の力場が形成されていた。その力場は天井へと収束し、破壊的な音と共に無数の亀裂を刻んだ。一度目の音で表層が剥がれ、骨子が露出した。二度目の音でその骨子が大きく歪み、そして三度目の音でとうとう天井が砕け散った。
落下してくる瓦礫の群れが、ミーティアを避けるようにして周囲に堆積する。わずか数秒で、頭上にはインスタントの縦穴が開けられていた。
ミーティアの両手には、デイトランサーと同じ重力素子が仕込まれている。極めて狭い範囲内でしか座標を特定できないが、発生する重力場の規模はデイトランサーのものに匹敵する。ミーティアは今、天井に向けて多層の重力場を生成することで構造を脆くした上で、下方向に重力を発生させて床を抜いたのだ。
ミーティアは身軽に跳躍し、一足飛びで上のフロアへと移る。目視で周辺を確認し、再び天井に穴を開ける。それを何度か繰り返した。周辺には大量の瓦礫が堆積し、まるで大嵐と自身が同時に襲ってきたかのような惨状になっている。
『戦闘員、民間人、共に確認できません。上がってきても大丈夫です』
「こんなことして、大丈夫なのかな……」
「ん……実際にドンパチやるよりかは。たぶん」
ヨクトは自身なさげに目の前に開いた大穴を見つめた。自分たちが来なければ発生しなかった被害だ。若干の申し訳なさを感じる。
ヨクトとナナリーは軽々と上の階へと跳躍した。ミーティアの隣に並び、視界に投影されたマップを確認する。
トリシューラ近軌道基地の中枢に、異様なまでに厳重なセキュリティが敷かれている一角があった。一辺が百メートルほどの立方体で、どのフロアからも完全に切り離されていた。唯一の入り口が、今ヨクトたちが立っている、総司令部が存在するフロアだ。
マップ上の光点は、先ほどにも増して忙しなく行きかっていた。悠長にしていられる時間はない。
「ミーティア。壊せるか」
ヨクトは中枢へと続く壁を見ながら言った。
「やってみます」
ミーティアは壁に手を押し当て、重力場を展開した。破壊的な重低音が連続して鳴り響き、壁を粉々に砕いた。しかし、その奥の、全く別の材質でできた壁は壊すことができなかった。中枢を覆う壁は一切の光沢のない黒一色で、重力場を当てられた部分の表面が複雑に流動していた。
「硬化ナノマシン郡で構成された流体障壁です。この機体の出力では突破は困難です」
「ま、そうなるよな……」
ヨクトは改めてマップを見た。総司令部を警備していた人員が、音を聞きつけてこちらに向かってきていた。
「正面突破しかない、か」
ヨクトは確認するようにナナリーを見た。ナナリーは唇を引き結んで頷いた。
ヨクトは走り出した。中枢に入るための入り口は、ここからぐるりと逆方向に回り込み、渡り廊下のような一直線の通路を抜ける必要があった。そちらの方向には総司令部があり、警備もより厳重なはずだった。しかし、そこにいるのは、少なくとも戦う覚悟を決めた人間だけのはずだ。民間人である職員を巻き込む心配はない。
通路を曲がると、先行してきていた警備ドローンと鉢合わせになった。高さ一メートルほどの円柱形の機体で、内部に武装を格納しているタイプのものだ。
ヨクトはブレードを中段に構え、ドローンに向けて踏み込んだ。一閃。ドローンは照準を合わせる前に切断され、寒気がするほど滑らかな断面を晒して沈黙した。
ヨクトたちはほとんど速度を緩めないまま通路を走りぬけ、中枢へと向かうT字路へと差し掛かった。そこで、総司令部へと続く通路の奥から、警備員とhIEの一団が駆けてくるのが見えた。
「ミーティア、扉を頼む!」
「了解しました」
ミーティアが首の後ろからケーブルを抜き、先端の形状を変化させ、扉横のコンソールに直結した。
「ナナリー。二十秒くらい稼ぐぞ」
「わ、わかった」
ナナリーが両腿のホルスターから銃を抜いた。薄い直方体が幾重にもずれたようなデザインの、純白の銃だった。銃身が異様に長く、全体に青いエネルギーの光が循環していた。
ナナリーはその銃を、迫り来る警備員たちの一歩手前に向けて構える。循環するエネルギーの光が強さを増し、銃の輪郭を彩った。
ナナリーは引き金を引いた。空気を焦がすような甲高い音と共に閃光が迸った。電磁加速された弾丸が二つ、警備員たちの手前の床を貫通し、二つの大穴を明けた。
警備員たちは思わずたたらを踏んで立ち止まるが、後方に控えていたhIEはそのまま進んできた。合計で三機。スタンナックルを装着した閉所・近接戦型だ。大電流を宿した拳が大気を弾かせながらヨクトへと迫った。
ヨクトはブレードの腹で拳を弾き、体の流れを殺さずに足払いをかける。左右から迫ってきていた残り二機のhIEの拳が頭上を掠めていった。一瞬ブレードから手を離し、左右に向けて掌底を放つ。鈍いインパクトの音と共に二機のhIEがくの字に折れ曲がって弾け飛んだ。ヨクトは再びブレードを握り、足払いをかけたhIEの正中線にブレードを突き立てた。血液のように青白いスパークが散り、hIEが動きを停止させた。左右のhIEは脊椎を粉砕されて電動を停止させられていた。
閃光のような絶技に、警備員たちが息を呑んで動きを止めた。ヨクトは彼らを感覚しながら、hIEからブレードを引き抜いた。冷たく冴えた瞳が、完全武装した警備員たちを射抜いた。
『ロック解除。行けます』
ミーティアの通信を受けて、ヨクトは踵を返した。ミーティアとナナリーがそれに続く。
三人が通路に入ると、扉は元通りにぴったりと閉じた。
「俺がやるとどうしてもこうなる。分かり合いたいと思っても……」
ヨクトは自嘲するように目を伏せる。警備員たちの瞳は、明確な恐怖に彩られていた。同じ人間に向ける瞳ではない。例えテロリストであっても、肉体を持つ人間であれば、彼らはもっと生の感情を瞳に宿しただろう。あれは、hIEやAIに向けるのと同じ、自分たちの外側にある、異質なものに対して向けられる瞳だ。
ナナリーは答えを迷うように瞳を伏せて、言葉の変わりに、ヨクトの手を取った。
ヨクトが驚いて目を向けると、ナナリーはますます視線を伏せて小走りで前に向かった。
「あう」
だがその先には再び扉があって、ナナリーは数メートルと行かないうちに立ち止まることになる。
ヨクトは仄かに苦笑して、警戒のために後ろに体を向けた。扉は閉じているが、物理的な手段で扉を破壊して突入してくる可能性がないとはいえない。
扉の向こうに集結しつつある警備部隊は、正規の手段で扉を開こうとしているようだった。しかし、ミーティアがクラックの際にパスコードを全く別のものに書き換えたため、すぐに開けることはできない。オケアノスがシステムを更新しようにも、機能が制限された状態では、エトナとエトラが設計した量子演算ユニットの性能を上回れない。
ミーティアが先ほどと同じように、扉横の端末に直結してセキュリティを解除する。ナナリーはどっちつかずの位置で視線を泳がせていた。程なくして扉が開かれ、三人は前へと進む。
その先にも扉があり、前へと進むたびに、背後の喧騒が遠くなっていった。人間の世界とは全く異なる、鼓動のない世界に踏み込んでいくかのようだった。室温は全く変わっていないのに、肌にひやりとした空気を感じた。通路の素材も、表面的には変わっていないのに、硬質さが増したように感じられた。
およそ五十メートルほどの多層のセキュリティを抜けた先に、一際分厚い扉が現れた。表面には鋭角な書体で【Oceanus Seal Block】と書かれていた。ミーティアがプロテクトを破り、三人は部屋の中へと入った。
部屋は一辺十メートルほどの正方形だった。辺りにはひやりとした薄闇が満ちている。殺風景なまでに何もなく、正面の壁にある巨大なモニターと数台のコンソールが、部屋の中に青い光を落としていた。
『用件は何ですか。オーバーマンの皆さん』
天から声が降り注いだ。ヨクトたちの目の前で、モニターに明かりが点り、オケアノスのロゴと音声通信を示す文字が表示された。
「あなたに危害を加えるつもりはない。必要なことをしたらすぐに立ち去ると約束する」
ヨクトはミーティアに目配せした。ミーティアは頷き、コンソールの一台に直結して瞳を閉じた。
オケアノスはそれには触れずに問いを重ねた。
『必要なこと、とは何ですか』
「あなたの流体コンピューターの連結情報を複製させてほしい」
『それは、宇宙に新たな超高度AIを誕生させるという意味ですか』
「人殺しや、争いのために使うつもりはない。目的のために道具を使うのは、地球の人たちと同じだ」
『ですが、宇宙環境で超高度AIを運用するのであれば、話は更に複雑さを増します。現状の宇宙における政治的な関係が、危ういパワーバランスの上で成立していることを把握した上で、行動に及んでいるのですか』
その政治的パワーバランスの中枢に食い込んでいるオケアノスが言うから説得力があった。
『宇宙に当機以外の超高度AIを誕生させるということは、宇宙圏と地球圏の分離を促進します。宇宙居住者は独立したいが力がない。ですが、そこに独立した超高度AIが存在するとなれば話は変わってくる。別の星に地球以上の技術と文明が発達し、第二の人類の故郷となったとき、地球と宇宙との間で必然的に戦争が発生します』
「そんなことっ――」
ナナリーが思わずといった風に声を上げた。オケアノスは抑揚のない声で続けた。
『人間が帰属意識の呪縛を克服しない限り、必ずそうなります。そのためには脳を機械化するしかありませんが、今の人間社会は、機械化した人間を、同じ人間だとみなさない。その延長線上にある宇宙社会で、戦争が発生しない道理がありません』
「……それを防ぐために、大勢の人間が知恵を絞ってるのは知ってる。俺たちも、そういう人たちの努力を踏みにじりたくはない。けど、その枠組みから弾き出された人間もいる。そういう人間はどうなる? 宇宙に散っているデブリと同じように、廃棄されるのを待つのか?」
ヨクトの言葉に心の震えが乗った。それは、ヨクトたち全員が共有している思いだった。
「俺たちは、俺たちを人間だと思ってる。諦めたくないんだ。何もかも。俺たちは、普通に生きて、普通に死ねる場所が欲しい」
オケアノスはヨクトの言葉を受け止めるように間を置いて言った。
『人類の生活環境は、いつも社会を中心にして考えられます。そして、社会にとって有害だと判断されたあなたたちに安住の地はありえません』
「……だからこそ、足掻いているんだ」
ヨクトは自分に言い聞かせるようだった。
それきり会話が途切れた。十分ほど経過した頃、ミーティアがコンソールからケーブルを抜いた。
「主要連結情報、回収しました。要求された結合数を上回っています」
ヨクトが頷き、視界に投影されたマップデータを確認した。通路の外には大勢の警備員たちが集まっている。要点を班編成された警備兵たちが塞ぎ、包囲網を形成していた。
「なるべくなら傷つけたくない。ミーティア、頼めるか。後ろは俺たちが守る」
「了解しました。当機の能力に可能な範囲で、死傷者を出さないように包囲網を突破します」
ヨクトは頷き、ナナリーと視線を交わした。ナナリーは不安そうな色を浮かべながらも、しっかりと頷いた。三人は踵を返す。
背後から、オケアノスが問いを投げてきた。
『復讐心はないのですか? 地球を追われ、迫害され、一方的に攻撃してくる彼らに対して、怒りの感情はないのですか?』
「……俺たちの目的は、自分たちが生きることのできる場所を作ることだ。だから、そこで生きてる人たちを殺していい道理なんてない。ここは彼らの場所で、俺たちの場所ではないから」
ヨクトは振り向かないまま答え、部屋を後にした。