03
二十年ほど前、ヨクトは自分の性格がほとんど変わっていないことに気が付いた。
知識は増えているのにも関わらず、それを操る人格に大きな変化がない。現実の年齢では三十を超えているはずなのに、口調は少年のままだ。
そのことをジョゼフに話すと、彼は何でもないように言った。
「体が変わってないんだから、心も変わってないんだろ。死なないってのはそういうことだ」
もしかしたら、その場での適当な冗談のつもりだったのかもしれない。だが、その言葉は、ヨクトの心の中に残った。
成長しない……死なない、ということが、まるで何かの呪いのように思えたのだ。
そして、それはどうやら仲間たちも同じだったらしい。
死なない体を手に入れて、始めて分かった。
人間の人格は、死を前提として成熟していくものだと。
◇◇◇
ブリーフィングからおよそ十七時間後、ヨクトたちは船の下部にある出撃ドックに向かって、通路をゆっくりと飛行していた。
宇宙船【インビジブル】は大きく三つの階層に分かれていた。
上層がヨクトたち乗組員の居住区画。中層がエトナとエトラを中心とした管制区画。そして下層が、宇宙空間への移動を想定した出撃ドックだ。
元々が小型船のため、各フロアはそれほどの大きさではない。寄り道をしなければ各フロアの移動は数分と掛からない。
通路は一辺三メートルほどの正方形で、天井と壁に高摩擦素材の姿勢制御パネルがはめ込まれていた。ヨクトたちは時折天井に指先を滑らせるようにして姿勢を制御し、互いにぶつからないように距離を取って進んでいく。
「俺もそれ、振り回したい」
少し前を進んでいたジョゼフが振り返り、ヨクトが装備した高周波ブレードを見ながら言った。
ヨクトたちは、背骨のラインが大きく開けた独特のデザインの戦闘服を着用していた。
スーツのカラーリングは黒をベースとしていて、側頭部と頸部、腰部の三箇所に、演算補助のためのデバイスが装着されていた。デバイスのカラーは一人一人が異なっている。ヨクトのカラーは、血を連想させる真紅だった。
「代わりたかったら代わってあげるけど」
「んにゃ、俺は周りでドンパチやってるほうが性にあってる。が、それとこれとは話が別だ」
「また怒られそうな……」
ヨクトは制裁を恐れるように天井を見つめる。が、この船の主であるエトナとエトラも、作戦前は多少は大目に見てくれるらしい。
武装をしているのはヨクトだけではない。ナナリーの両腿には純白の銃が収まったホルスターが装着されている。ミーティアは一見すれば何も持っていないが、制圧用の機構が機体そのものに装備されていた。
先程のブリーフィングで、ヨクトたちは二手に分かれることになった。
一つは、施設外部で戦闘を行い警備を引きつける陽動役。もう一つが、施設内部に乗り込んで超高度AI【オケアノス】のデータを複製する潜入役だ。
ミーティアは潜入役が確定していた。オケアノスの連結データの複製は、ミーティアの頭部に詰まれた量子演算ユニットを用いて行うからだ。
後はエトナとエトラの適正診断の結果を参考にし、ヨクトとナナリーが潜入役となった。ジョゼフとセリスは、二人でトリシューラ外延部を飛び回り、ひたすらに戦闘を続ける役割を課されていた。
「しっかし、ヨクトはともかく、ナナリーちゃんは大丈夫なのか?」
「が、頑張ります」
「……おい、ヨクト」
「一応、室内戦のほうが感覚違わないだろうし、バディ組めるし……」
「……まあ、お前とエトナエトラが言うなら、止めないけどな」
ジョゼフがそう言って肩をすくめると、今度は天からの制裁が下った。ジョゼフは頭を抱えて盛大に顔をしかめ、こめかみを痙攣させながら天井を睨んだ。
「あの野郎、じゃないです野郎じゃないですから。帰ってきたら覚えてろなんて考えてません!」
「お前、けっこう頑張るタイプだよな」
「懲りないって言うんじゃ……」
ナナリーが小声で言うと、ジョゼフは口をへの字にして、やけくそ気味に壁を蹴って加速した。
少し前を飛んでいたセリスが、落ち着かなさそうに指先をこすらせていた。
「ああ、吸ってくれば良かった。スーツにポケット、希望しとこう」
「セリスさん。喫煙は体に良くないです」
「生身ならね。義体ならハッピーになれるだけ。百パーセントメリット」
「そうなのですか?」
「そうそう」
hIEであるミーティアに対して、セリスは持論を吹き込んでいく。
ヨクトは、ミーティアの行動管理クラウド――hIEの行動データはクラウド上で管理されている――に偏りが生まれるのではないかと微妙に心配になった。
もっとも、心配するにしては遅すぎるような気がする。何しろミーティアとは数十年来の付き合いだ。一度も地球のクラウドに接続していないミーティアは、エトナとエトラが組み上げた行動管理クラウドと、ヨクトたちとの関わりの中で学習したデータ、その二つで稼動しているのだ。
そうしているうちに通路が下り始め、程なくして巨大な両開きの扉に突き当たった。
ジョゼフが率先して扉を開けると、ドックの薄闇が目の前に広がった。
油と埃の匂いが微かにする。先行したジョゼフが手を伸ばして壁に触れると、天井の照明が淡く灯った。
現れたのは、下方向に開けた巨大な空間だった。
縦幅は優に五十メートルはある。姿勢制御のための可変ポールが等間隔で天井に伸びていた。複雑な装置が壁際に整然と並んでおり、巨大な運搬機材も多くあった。隣接している工具室が透過素材の壁を隔てた向こう側に見え、エトナとエトラが使用している3Dプリンターの一部が見え隠れしていた。ドックの右方向には宇宙空間へと続くレーンがあった。
そして、それぞれのレーンの出発点、格納庫の通路に寄り添うようにして、五機の巨大な人型兵器が鎮座していた。
大きさは五メートルほど。頭があり、胴があり、手足があった。全身を覆う装甲は水を思わせる流線型で、それでいて剣を編んで作られたかのように鋭く流麗だった。胸部がわずかにせり出していて、特に装甲が分厚い。頭部は鋭角なシルエットで、紅色の複眼が虚空を睨んでいた。両腕には宇宙基地の主砲に匹敵する大口径のライフルが握られており、ドックの照明を冷たく照り返している。装甲の色は五機でそれぞれ違い、赤・青・緑・紫・白、とバリエーションに富んでいた。
全感覚同調式重力兵装【Daytranser】――エトナとエトラが開発した、人類未到産物であった。
人類未到産物とは、超高度AIによって作成された、【現在の技術では仕組みが解明できない道具】の総称である。エトナとエトラは厳密にはAIではないが、それに近しい能力を持っていることから、対外的には人類未到産物とみなせるだろう。
「デイトランサー、乗るの久しぶりだな」
ジョゼフが言った。
「……いつ以来だっけ?」
「水星のデブリを処理したのが最後だと思う」
ナナリーが思い返すように答えた。
「潜伏してたころ。近くで海賊船が壊されて、その破片が……」
「ああ、そんなこともあったなあ。一年以上前か。生の脳なら記憶が薄れ始めてるってころだな」
「もう……」
ナナリーが少し顔を怒らせ、それから力を抜いた。
「遠くに、来ちゃったね」
「だなあ」
ヨクトが頷くと、その隣をセリスが通り過ぎていく。セリスが手を伸ばすと、ポールの一部が変形してせり出した。そこを掴みながら、慣れた動きで紫の機体の前に移動した。
『同調チェックしないと。でしょ』
電脳に直接届いた通信に、ヨクトは思わず苦笑いを浮かべた。
「やると決めたら真面目だ」
『この距離なら聞こえるから』
「あ、ほんと……」
『そういうの、ジョゼフだけで十分』
「っておい、俺も聞こえてるからな! どういう意味だそれ!」
「場が賑やかになるってことだと思います」
隣でミーティアが言った。
「あ、そう? それなら……って、俺、フォローされた?」
ミーティアは微笑すると、一番奥にある白い機体めがけて飛んでいった。ジョゼフは神妙な顔でそれを見送る。
「いつの間にかすっかり人間だよな。ミーティア」
「成長したってことだよ。人間の特権じゃないってこと」
「ま、そうだな。……っし、俺も行くか」
ジョゼフはひらりと手を振って緑色の機体へと向かった。
ヨクトとナナリーがその場に残される。
ナナリーはブルーの瞳で、同じ青い機体を見つめていた。
「……怖いのか?」
「ううん」
ナナリーは首を振って、少し考えて答えた。
「ただ……不思議な気持ち」
「不思議?」
「だって、ずっと、夢の話をしてるみたいで。現実感なんてなかったから。みんなで暮らせる場所を作ろうって……そのために頑張るって。私にもできることがあるっていうのが、なんだか信じられない、のかな」
「ナナリーはもう強いよ。俺たちが守ってた頃のナナリーとは違う。一緒に戦えるんだから」
「……そうだといいな」
ナナリーはそう言って首を振った。
「ううん、そうならなきゃ、だよね。……ヨクト。迷惑かけたらごめん」
「お互い様だ」
ナナリーは微笑むと、自分の青い機体へ向けて地面を蹴った。
「さて、と」
ヨクトも自分の機体――真紅の機体に向けて地面を蹴った。無重力が全身を包み、慣性に従って移動する。
搭乗口は背中側、人間でいう肩甲骨の間にあった。
ヨクトは搭乗口の縁を掴んで円形のハッチに触れる。指先の生体反応から初期認証が、次いで電脳へと照合が行われ、ロックが解除された。
現れたのは、人間一人が入ればすぐに一杯になってしまいそうな筒状の空間だ。
ゆったりとした黒いシートが固定されていて、背骨が当たるラインに丸い銀色のパーツが並んでいた。この狭い空間が、デイトランサーの操縦席だ。
ヨクトは中に体を滑り込ませた。シートに体を落ち着けると、それを感知したシステムが頭上のハッチを閉じさせた。
同時、密閉された空間が開けるように、正面のホログラフィックモニターが点灯し、重力素子の初期起動が行われた。
背中側に緩い重力が発生し、体がシートに沈みこんだ。ヨクトは続けて仮想視界に表示されていたモニターを操作し、感覚同調シークエンスを開始させる。
すると、背骨のラインに存在していた銀色のパーツ郡が杭を打ち出すようにせり出し、ヨクトの脊椎に差し込まれた。
「づっ……」
自分の神経が別のものに伸びていく、引きつるような感覚が全身に走り抜ける。
ヨクトの心臓の鼓動がコアに伝わり、次いで全身の感覚が機体と重なった。
肉眼の視界が文字列と共に一瞬だけ閉ざされ、すぐに高度五メートルの視界――デイトランサーの複眼が捉えた視界に切り替わった。
直後、中央から弾けるようにして各種の情報がポップアップし、友軍の情報と周辺宙域のレーダー、武装の残弾やエネルギーといった基本的なパラメーターが左右両端に表示された。
最後にオレンジ色の【Daitranser】のロゴが表示され、システムが正常起動した旨を示す英文が表示されて消えた。
今のヨクトは、生身の感覚を完全に失っている。電脳と脊椎から送られる運動情報は、全てデイトランサーの機体へと送られ、制御される。
エトナとエトラが【感覚同調】と名付けた、肉体と期待の感覚を同化させるシステムだ。
予め電脳に行動制御プログラムをインストールしてあるため、感覚的な齟齬は発生しない。今のヨクトの肉体は、この全長五メートルの真紅の鎧だ。
『全機ステータス確認』『オールグリーン』
システムを管制するエトナとエトラのアナウンスが入る。
『最終確認』『状況判断は、基本的に私たちがする』『通信を中継しているリコンが破壊されたら』『各々が判断する』
強襲する立場で基地に横付けするわけにもいかない。だが広大な宇宙では通信の制度を保つことは難しい。音速を遥かに超える超高速戦闘の最中ともなればなおさらだ。そのため、幾つかのリコンを撒いて通信の中継地点とする予定になっていた。
『ジョゼフとセリスが陽動』『基地の周りでドンパチ』
『ま、その手の仕事は任せとけよ。得意分野だ』
『無駄に騒がしいから、でしょ』
ジョゼフの軽口にセリスが呆れたように返す。
『その隙を突いて』『基地内部にヨクト、ナナリー、ミーティアが突入』『中枢の【オケアノス】に接触してバックアップ』『基地の内部データは適宜更新予定だけど、リコンが壊されたら保証できない』
『うん。中に入ってしまえば、やりようはいくらでもある。任せてくれ』
『が、頑張ります……』
『ナナリーさん。そんな緊張せずとも、私たちのほうが人数が多いです』
『か、数の問題じゃないよ……』
エトナとエトラは、躊躇うように間を置いてから言った。
『私たちの仕事は情報処理』『安全な場所』『本当はフェアじゃない』『だから、ごめん』
『今更しおらしくなっても困るっての』ジョゼフが言った。『大体な、お前たちをそんな風にしたのは、俺たちが勝手に押し付けたからだぜ? タワーの中に縛り付けて、船とか武器のことは任せっきりだ。むしろ俺たちのほうが、お前らに対して借りがある』
『『そんなこと――』』
『一蓮托生ってこと』ヨクトが言った。『誰か一人でもいなかったら、俺たちの今は、全然違ったものになってたはずだろ。誰が偉いとか、不公平とか、そんなの無いよ』
『『……うん』』
エトナとエトラは呟くように言って、微笑む気配を滲ませた。
『それじゃ』『出撃まで残り一分強』『トリシューラ近軌道基地への到着予定時刻は』『地球標準時間でぴったり午前三時』
視界に投影されていた情報が変化する。トリシューラ近軌道基地とインビジブルの現在位置が表示され、移動ルートと到着予定時刻が表示された。
『重力素子』『通常起動、開始して』
エトナとエトラの指示の下、ヨクトは仮想視界で機体の第二ロックを解除。コアに搭載された重力素子が循環し、周辺の空間に重力場を形成した。
ほぼ同時に、五機の機体が床から二メートルほど浮き上がる。重力場の座標を特定するために散布される光子が、ドックの中を淡い虹色に染めた。
『全機、重力素子正常起動確認』『ハッチ開放まで三十秒』
目の前に伸びていたレールにブルーの光が点る。六角形のトンネルを抜けた先の闇を、ヨクトはじっと見つめる。
船の窓から見た、永遠に続くかのような宇宙の闇。周りに何も無い世界に飛び出していくときに感じる、心細さと高揚感。その只中に飛び込んでいく。
『ハッチ開放』『全機、加速開始』『『――幸運を』』
レールに埋め込まれた重力素子が、機体の重力場を引き寄せる。数十トンに及ぶ機体が爆発的に加速し、ドックの風景が、トンネル内部の景色が、幻のように後ろに流れていく。
そして開ける。
無限の虚空を、五色の光が流星のように切り裂いた。




