22
四百六十キロの距離は、宇宙ではあってないようなものだ。ものの数分で接触する。改めて準備をする時間は、ほとんどないと言ってよかった。
出撃するのはヨクトたち二人だけだった。周辺には戦闘用のドローンや、ウォリア級の無人巡洋艦が配置されている。だが、それはほとんど形だけのものだ。敵が十分な勢力を持ったまま接近してくるのならば、通常兵器しか持たない宇宙海賊たちに勝ち目はない。
ヨクトとナナリーの働きが全ての運命を握っていた。
ドックは慌しかった。誰も彼もが自分の役割を果たすべく奔走している。そんな中、ヨクトとナナリーは係留されていた自分たちの機体に近づき、見上げた。
言葉はなかった。ナナリーが名残惜しそうに手を離した。ヨクトは微笑みで応え、自分の機体へと手を伸ばした。胸部装甲に指をかけ、後ろへと回る。首の辺りにあるコックピット入り口に指を触れ、ハッチを開く。ぽっかりと空いた竪穴に体を滑り込ませると、頭上で自動的にハッチが閉じる。
周囲の音が遠ざかり、完全な静寂に包まれる。慣れたはずの感覚が、今はこんなにも大切に感じる。
シートに体を横たえ、感覚同調を開始する。延髄に差し込まれた数十のプラグが、ヨクトの感覚を機体へと同化させる。一瞬で視界が開け、ドックの中の風景が見渡せた。
隣のナナリーの機体が光を放った。重力場を特定するための光子が宙を舞い、ドックの中で星のように輝いた。
ヨクトとナナリーの友軍反応が確認されて、船員たちが退避を始めた。エアシールが形成され、ドック内が真空に対して備えられ始める。完全に無人になったドックの中に、ヨクトとナナリーだけがいた。
ハッチがゆっくりと開いていき、宇宙の闇が現れる。
重力場を生成し、機体を宙へと浮かび上がらせる。ドックが完全に開くと同時に、機体を外へと躍らせ――、完全に出たところで、爆発的に加速した。
仮想視界に表示されている友軍の情報は、今はナナリーのものしかない。それが殺風景に感じられる。ヨクトは右に視線を動かし、機体の情報を確認した。【インビジブル】が爆破されてから一度も戦闘をしていないため、武装に消耗はない。完全な状態のバトルライフルが二挺、ヨクトの両手に握られていた。そしてハンガーユニットには、ジョゼフの勧めで搭載している重力場ブレードが吊られたままになっていた。
ナナリーはハンガーに手をかけ、ライフルと盾を交換した。まるで剣と盾を装備した騎士のような出で立ちだった。
ヨクトとナナリーは、光さえ置き去りにするほどの速度で、一直線に敵軍へと突っ込んだ。こちらの戦力が実質二人である以上、小細工の仕様がない。宇宙は広大で、遮蔽物が存在しない。下手に動き回れば、いい的になるだけだった。
それに――。
『逃げ切ってくれるよね』
『彼らなら大丈夫だ。約束してくれたからな』
ヨクトとナナリーが本来の進路を変えれば、背後の宇宙海賊たちに危険が及ぶ。まず間違いなく、敵は地球の超高度AIだ。オーバーマンの漏出にナーバスになっているIAIAが中心となって組織されているに違いない。ならば、当然、トリシューラ近軌道基地で、ヨクトたちがオケアノスと接触したことも知られているだろう。ヨクトたちがオケアノスを複製したことも、確たる証拠はないにしても、察している可能性はある。その件を抜きにしても、オーバーマンを大勢乗せた宇宙海賊たちの逃亡を、地球側がむざむざ見逃すわけがない。
つまり、ヨクトたちはなるべく派手に行動する必要があった。
お前たちの脅威となるのは自分たちだけだ。そう、言外に示し続けなければならない。そして、敵の大本にダメージを与え、追撃を阻止しなければならない。
『敵は多数で、こっちは二人。数から言えば、絶望的だな』
『ふふ。でも、バランス的には丁度いいんじゃないかな。たぶん、戦力的には互角だと思うよ』
『あの大人しかったナナリーが、ずいぶん不敵になったな』
『駄目かな』
『頼もしいよ』
ヨクトは本心から言った。
レーダーの倍率が徐々に狭まってくる。敵影は未だにはっきりとは確認できない。直前まで迷彩が解除されることはないだろう。
二人の間から会話が消えた。ヨクトたちは既に二百キロほどの距離を進んでいる。完全に敵の射程内だ。自分たちの船を貫いた、あの長距離狙撃を考えれば、いつ攻撃が来てもおかしくない。
ナナリーが自然に前に出た。大盾を前面に構え、重力場を移動の妨げにならない程度に展開する。
ヨクトは気が気ではなかったが、適材適所という意味では、これが最適な選択だということは理解していた。ナナリーの機体は防御に特化している。また事前に敵を発見するため、索敵能力も他の機体よりも高性能だった。
張り詰めた沈黙の中、距離だけが狭まっていく。時間が密度を増し、肌にまとわりつくかのようだった。ぽっかりと空いた宇宙の闇が、今はただ、不気味にどこまでも続いている。その奥から何が出てくるか分からない、深遠を覗き込んでいるかのようだった。
そして――。
『――っ』
ナナリーの張り詰めた声が、ごく微かに、通信に乗って聞こえてきた。
その瞬間、目の前で虹色の光が散った。
瞬間的に増大した重力の盾と、遥か遠距離から槍のように放たれた狙撃が、拮抗した輝きだった。
衝撃を殺せず、ナナリーの機体がわずかに進路をずらす。
それと同時に、前方の全ての空間が、捻じ曲がった。
迷彩を解除した敵影が、多数。宇宙の闇に反するような、毒々しいまでの純白の機体。デイトランサーの複製品が、地平線のように前方を埋め尽くしていた。
レーダーに一気に赤色の光点が表示される。数はやはり減少していない。まだ確認できていないが、この敵影の向こう側には、ドレッドノート級の輸送船が潜伏しているはずである。
――相手が超高度AIなら、こっちの索敵が通用するわけない、か。
性能差ははっきりとしている。遠距離から敵の位置を正確に把握することは、今のヨクトたちにはできない。デイトランサーに搭載されたレーダーと戦術AIでは、敵の狙いを推測することさえ困難だ。
最終的に、自前の脳で思考するしかないのだ。
前方で、鋭く銃口が持ち上がるのが、拡大された視界で見えた。
ヨクトは電脳の演算能力を開放した。
全ての機体を感覚。戦術AIとリンクし、射線を分析――感覚する。その延長線上に置くようにして、二挺のバトルライフルを翻した。
鮮烈なマズルフラッシュが、一瞬の後に立て続けに起こった。ヨクトと敵機の群れが、同時にトリガーを引いていた。
放たれた弾丸は、互いに引きよせらるようにして、同じ点を目指していた。ヨクトと敵機との中間地点で、重力場が弾けた。
攻撃のためではなく、防御のための射撃。ヨクトの銃弾に、重力素子が仕込まれているからこその選択肢だった。
敵が放った大口径の弾丸が、狂ったように空中で軌道を乱し、ひしゃげた。
ナナリーが体勢を立て直す。ナナリーを先頭にして、重力場が弾けたまさにその点へ、一直線に向かっていく。
多数の敵機も、同じようにヨクトたちを目指していた。
ヨクトの感覚がフォーカスし、敵の位置と選択肢を凄まじい速度で認識していく。その位置に――。
違和感。
『ナナリー、防御だっ』
ナナリーは即座に従った。速力を緩め、移動の分の重力場も全て防御に回した。盾が眩く輝き、あらゆる攻撃を妨げる万能の障壁を展開した。
そこに、遥か遠方から、先ほどの射撃に倍する太さの閃光が突き刺さった。
『ぐっ――』
無秩序なエネルギーの奔流に、電脳に僅かにノイズが走った。
だが二人は無事だった。足止めをされこそすれ、機体に目立った損傷はない。
――敵の配置で気付かなかったら、終わっていた。
その認識が、ヨクトに寒気に似た感覚をもたらした。今の一撃は、恐らく敵の母艦か、その補助を受けた機体によるものだ。でなければ、あれほどの高エネルギーを瞬時に発生させられるわけがない。
ヨクトたちが体勢を崩したところへ、雪崩のように敵が押し寄せた。ライフルの適正距離である中距離を旋回し、四方からヨクトたちに銃撃を加えた。ヨクトたちは即座に弾道を演算し、回避行動に移る。
二人の機体が手をつなぐように寄り添い、離れた。呼吸のような自然な動きだった。全ての銃弾が空を切った。ヨクトたちの周囲に張り巡らされた障壁に銃弾が掠り、光が弾けた。
そうしているうちに、二人の内から衝撃と恐怖が消えていった。絶望的な状況でありながら、二人の挙動に踊るような軽やかさが宿っていく。
何度目かの接近のとき、ナナリーはステップを踏むように言った。
『ヨクトっ、突破するから後ろお願いっ』
『任せろ!』
ヨクトは離れながら機体を反転し、ナナリーを背中にした。二挺のバトルライフルで、危険な位置にいる敵機を優先して牽制していく。ナナリーは大盾を前面に構えながら、隙間を突くように的確に射撃を加え、包囲網に隙間を作っていった。
薄氷の上を歩くような戦闘が続いた。
戦力が拮抗しているのは、敵AIの学習量が足りないことが大きかった。宇宙戦闘の十分な学習を積んでいないのだ。それに対して、ヨクトたちが使っている高度AIは、この数十年間にわたりエトナとエトラが手を加え続けてきたものだ。いかに地球の超高度AIといえど、相手が同格の性能を持つならば、厳然とした時間の積み重ねを覆すことはできない。
ナナリーは次第に進行速度を上げた。敵の回避を、ナナリーの予測が上回り始めた。防戦が、次第に攻勢へと変わっていく。そしてとうとう、ヨクトたちはライフルの適正距離を割り、敵の至近距離に来た。
そのまま横をすり抜けようとして――。
『えっ?』
ナナリーが声を漏らした。ヨクトは一瞬だけ背後に視線を向ける。
至近距離に達しつつあった敵機のいくつかが、武装を変更していた。ライフルからブレードへ。変更には数秒と掛からない。機械的な動きで武装を換装した敵は、ブレードの切っ先をナナリーに向け、一直線に迫った。
『嫌ぁっ!』
ナナリーが反射的に叫び声を漏らし、障壁を展開する。がくんと進行速度が落ち、ヨクトの背中がナナリーにぶつかった。
次いで、途方もない衝撃。周囲の空間が座標をずらすかのように軋んでいた。ブレードと障壁が拮抗しあい、膨大なエネルギーが荒れ狂っていた。
『ちっ!』
ヨクトは舌打ちしつつ、武装を変更――ジョゼフの姿が蘇る。
抜き打ちのブレードが、最も近かった一機を袈裟に切りつけた。
深々とした斬線は機体の中枢にまで達し、一拍送れて爆散した。その爆風に押されるようにして、ヨクトたちは敵の射程圏から逃れる。
逃れるとき、ヨクトが取りこぼした背後の数機が、ヨクトたちを無視して宇宙海賊のほうへと向かおうとしていた。
『っ、行かせるかっ!』
ヨクトはもう片方のバトルライフルで射撃する。重力場で加速された弾丸は、敵の移動速度を上回り、着弾した。展開された重力場に当てられ、二つの機体がスクラップになる。
敵の行動が、ここに来て完全にヨクトたちに目標を絞ったものに変わった。ヨクトたちの存在を、目的遂行の際の明確な脅威として認識したのだ。
――都合がいい。
自分たちに目が向いている間は、後ろの宇宙海賊たちは安全だ。それはすなわち、彼らが戦場からより離れられるということでもある。
『ナナリー、代われ!』
『わ、分かったっ』
ナナリーと入れ替わる。ヨクトはブレードを構え、斬りつけてくる敵機に相対する。
敵の斬撃は、高速だが真っ直ぐだ。誘導やフェイントといったものはない。確かに敵はデイトランサーそのものだが、その中に乗っているのが人間がAIかという点が決定的に異なっている。
そして、攻撃が真っ直ぐなら、対処の方法はいくらでもあった。
ヨクトは敵の斬撃に重ねるようにして、自分のブレードを水平に払った。力場が反発しあい、かと思うと敵のブレードだけが弾き飛ばされていた。
力には強い方向と弱い方向がある。それは、攻撃の瞬間に曝け出されるものだ。
ヨクトと高度AIが協力すれば、敵の攻撃を瞬時に見極めることは造作もなかった。後はその軌道に合わせて、自分の攻撃を軽く加えるだけでいい。
ヨクトは攻撃をいなし、その隙に攻撃を加えた。敵機の肩から胴にかけて、深々とした斬線が刻み込まれた。次の瞬間には、鮮血を撒き散らすように鮮やかな爆炎を散らす。
全長五メートルほどのデイトランサーの機体が、武術の達人のように軽やかに動く。全身の神経が機体と同化されているからこそできる、強く柔軟な動きだ。
高速飛行をそのままに、ヨクトは並み居る敵を次々と破壊していった。通り過ぎた後ろで、敵機の爆炎が花火のように続いていた。その爆風を、ナナリーが大盾で残らず受け止めた。
程なくして敵の密度が減っていき、やがてゼロになった。完全な空白地帯――敵の防衛線を突破したのだ。
背後からは、津波のように純白の機体が追ってきている。だが後方をナナリーが固めている以上、そちらの心配はない。ナナリーの重力壁は、正面からの攻撃に対しては鉄壁だ。
『ナナリー、敵の母艦は見えないか?』
『うん、まだ何も。けど、近くにいるはずだよね』
『敵の数からして、必ず。そもそもこの程度のAIじゃ、精密な作戦行動は無理だ。どこかで全体を俯瞰しているブレインがいる。それは確実だ』
『ドレッドノート級の輸送船……大きいはずなのに、何も見えない』
『トリシューラの時と同じだ。モノリス。あれも大きかったけど、間近に行くまで詳細が分からなかった。今の俺たちに、地球の超高度AIの技術や作戦を見抜く力はない。後手になるのは仕方ないよ』
『……でも、万能の神様なんかじゃない。だよね?』
『ああ。物理法則に根ざした、単なる技術だ。だからこっちも抵抗の余地がある。それにこの手の技術は、見つけるよりも隠れるほうが難しいって相場が決まってるんだ』
通信を飛ばしながらも、ヨクトは機体の感覚系と、電脳と戦術AIを連動させ、フル回転させていた。僅かな兆候さえも見逃さないように、分析に全力を傾ける。円形のレーダーは、近くになるほど精度が増す。予想される潜伏位置を掠めるようにして、ヨクトとナナリーは蛇のように進路を変えた。その間も絶え間なく後方から攻撃が加えられるが、ナナリーの大盾がそれらを全て無力化した。
巨大な質量を隠蔽する以上、周囲に何らかの痕跡を残す。それは例え人類未到産物であっても変わらない。
そして――。
『……見つけたっ!』
ヨクトたちから離れること五十キロほどの地点に、巨大な質量の輪郭があった。目視できるようなものではない。高度センサーを全て向けて、ようやく外観の一部の【ゆらぎ】を確認できる程度だ。
しかし、一度位置を特定してしまえば話は早い。注視するのをその周辺だけに絞ることで、演算を高速化、高度化する。ものの数秒で、ヨクトとナナリーの仮想視界に、船の外観がオレンジ色にマークされて表示された。
ヨクトたちが気付いたのを察したように、船に動きがあった。前面のハッチが大きく開き、その内側から湧き出るようにして、大量の機体が出現した。背後の機体と合わせれば百に届くだろう軍勢だ。
『……すごい数。でも、これ以上は出てこないみたい』
『ああ。これが正真正銘、敵の全戦力なんだろうな。製造か修繕かは分からないけど、この短時間で戦力を補充できるとは思えない。これを突破すれば――』
言いかけてヨクトは言葉をつぐんだ。
現実はそこまで優しくない。敵機は完全な陣形を取りつつ、比較的ゆっくりと進んでくる。ヨクトたちが接近している以上、自分から動くことはないという判断だろう。そして実際、それは当たっていた。
ヨクトたちの背後にも、同じくらいの敵がいるのだ。敵機は緩やかな弧を描きながら散開しつつあった。程なくして、ヨクトたちを中心とした球形の陣形が完成するだろう。
これまでヨクトたちが無事だったのは、敵の攻撃方向が限られていたからだ。だが、ここからは前後左右、あらゆる方角に敵がいる状況になる。全方向から攻撃されては、いかにデイトランサーといえど回避も防御も不可能だ。敵の弾丸は、デイトランサーの基本的な防御システムである重力障壁を中和し、弾丸を通すことができる。裸のまま銃弾の嵐に飛び込んでいくようなものだった。それを防ごうと思えば――ナナリーが持つ防御に特化した武装を活用するしかない。
ナナリーはヨクトの言いたいことを察したように、微笑みの気配を滲ませながら言った。
『二人なら、届くよ。このまま真っ直ぐ。帰り道の心配は要らないんだから』
『……そうだな。このまま突破する。行けるか?』
『私、どうすればいい?』
ナナリーは答えを知っているようだった。ヨクトは――己の半身を失うつもりで、考えを伝えた。
『敵の射撃の隙を突こう。真っ直ぐ行けば囲まれるだけだ』
『隙?』
『斜線を通すために、陣形に乱れが生じるはずだ。動きのない機体がいくつかある。多分、長距離射程のメインアームを持った機体だ。そのうち、さっきみたいな大出力の攻撃が来る。味方を巻き込まないために、陣形に微修正を加えるはずだ。突破口はそこにしかないと、俺は思う』
前にも後ろにも敵がいる。囲まれてしまえば成す術もなく落とされるだけだ。
ナナリーの防御性能と、敵の攻撃力。どちらが上回っているか、単純な力比べを強いられていた。それが分かっていながら、ヨクトたちには選択肢がそれしかなかった。
『……もちろん、相手の攻撃を正面から受け止めるっていう、最高にリスキーな選択肢でもある。斜線に突っ込むっていうことは、射撃を避けないってことだから。しかも俺は、その役目を、ナナリーに押し付けなくちゃいけない』
『展開が間に合えば、数発なら防げるよ。……それに、さっき一回見てる。もう好きになんてさせない』
『ナナリー……』
『大丈夫。任せて』
ナナリーはもう片方のハンガーから大盾を装備し、完全に防御の体制をとった。それから、ヨクトの機体を覆い隠すように、前へと出た。ヨクトもブレードをバトルライフルに持ち替え、その瞬間に備えた。
ヨクトたちと敵機との距離が急速に狭まっていく。ヨクトとナナリーは狙撃を避けるため、小刻みに進路を変えながら敵母艦へと向かった。背後から襲ってくる敵の攻撃は、ヨクトが対処した。斜線を見切り、その上に弾丸を叩き込む。重力場で敵の攻撃をいなし、同時に撃墜していく。
割れた氷のような、冷たく鋭利な緊張感が場を満たした。
背後からの攻撃が次第に強まっていく。ヨクトたちの進行速度が、次第に落ちているからだ。防御のために重力場を展開している関係で、どうしても速力は落ちる。
お互いの喉下に剥き出しのナイフを押し込んでいくようだった。
そして――。
『――ヨクトっ!!』
ナナリーが叫ぶ。
直後、敵が割れ――その合間を縫って、極光がナナリーの機体へと飛来した。
一つではない。合計で五つ。そのどれもが、まるで神々の怒りを宿した雷のような荒々しさだった。
それをナナリーは正面から受けた。事前に攻撃を予測していながら、あえてその場から動かなかった。
ナナリーの構えた大盾から、オーロラのような輝きが溢れた。
最大出力になった重力場と、極太の閃光が立て続けに激突した。一発目で空間が歪み、光が分散して荒れ狂った。二発目で相殺し切れなかったエネルギーがナナリーの両腕の関節を軋ませた。三発目で大盾の重力場が抜かれ、四発目で熱にさらされたスクラップのようになった。そして五発目で、ナナリーの両腕ごと大盾が消失し、二人の機体が極光に飲み込まれた。
――その極光の内側を、二色の輝きが切り裂いた。
群青の機体を、真紅の機体が追い抜いた。無数の銃弾が、敵の陣形を完全に破壊した。
道が開けた。
『――――』
全身が逆立つような不快感があった。後ろに控えていたヨクトでさえそうなのだ。
――ナナリー。
ナナリーの機体は、もはや飛行しているのが不思議なくらいに破損していた。群青の機体はフレームが大きく歪み、内部機構が所々露出していた。デイトランサーは搭乗者の神経を機体と同化する。痛覚は遮断できても、神経に直接触れられる不快感、全身の喪失感までがなくなるわけではない。
しかしナナリーは悲鳴一つ上げなかった。糸が切れたようにふらつきながらも、ヨクトの後ろにぴったりとついてきていた。
その姿を見て、ヨクトも覚悟を決めた。
――あと三機。
ヨクトたちに射撃を加えてきた、後方支援の機体だ。それぞれが自分よりも大きな大口径の兵器を抱えていた。直方体が組み合わさったような硬質で暴力的なデザインのそれは、今まさにヨクトたちに牙を剥こうと照準を合わせ始めたところだった。
『――――ッッ!!』
体を焼き尽くすような、圧倒的な灼熱感が体の中枢を満たした。震え、共鳴し、やがて境界が失われた。機体と体が溶けるような感覚があった。自分が機体を操っているという意識が消えた。ひび割れた装甲と肌が一体化した。バイザーの複眼と瞳が混ざり合った。目の前に浮かぶ三機の機影が、肉眼で見たよりもはっきりと、直接脳に送り込まれた。
地面を踏みしめるように、機体を加速させた。
波紋と光子が、踊るように浮かんだ。
ヨクトの機体が掻き消え、抜き打ちの斬撃を浴びせかける。いつの間にか、右手のバトルライフルがブレードへと換装されていた。
斬撃の流れのまま、射撃。三発の弾丸が吸い込まれるように敵機に直撃し、潰した。
残り一機――。
物理的に間に合う位置ではなかった。敵がトリガーを引き、先ほどナナリーの重力場を抜いた圧倒的出力の光線が、ヨクトまでの数百メートルの距離を食い尽くした。
だがその射撃を、ヨクトは予知して避けた。
見た光景が。レーダーが捉えた情報が。電脳とAIの演算が。射撃のタイミングと角度を、一つにまで絞り込んだ。
ヨクトは未来に乗った。
機体を躍らせ、前へ。破片を散らしながら、左手のバトルライフルを突き出し、引き金を引いた。放たれた弾丸が敵機に吸い込まれる。内側の重力機構を潰し、爆発させた。
その爆炎を食い破るようにして、ヨクトは更に前へと進む。
目の前には、遠近感が狂いそうなほど巨大な船があった。無尽蔵の戦力を生み出しうる、人類未到産物の船であった。
ヨクトは船の正面に躍り出た。
船に取り付けられていた砲身が動き、ヨクトを照準する。
ヨクトは左手のバトルライフルをハンガーに収めた。ブレードに両手を沿え、構える。重力素子が起動し、指向性を帯びた重力場が、刀身を循環した。白銀の刀身が見る見るうちに赤く染まり、焼け爛れるように揺らいだ。重力場の余波でヨクトの両手が潰れ、柄と一体化して一塊になった。腕がひしゃげ、装甲が剥がれ落ち、あるいは突き刺さった。
ヨクトの双眸が、苛烈な輝きを帯びて正面を見据えた。
放出された重力場が、剣の幻影のようにたなびいた。
『――三秒』
短い通信が届く。それだけで全てを理解した。
『……ごめん』
『違うよ』
『ありがとう』
『ん……惜しい、かな?』
『好きだ』
『……うん』
『愛してた』
『私も』
群青の機体が、残光を散らしながらヨクトの前へと躍り出て、そのまま直進していく。彼女の目と同じ、空色の軌跡が宇宙を切り裂く。
『ねえヨクト』
『……』
『私の命、貰ってね』
『……ああ、――』
輪郭が揺らぐ剣を八相へ。機体が軋み、罅割れた。
加速。
三度目の極光が、目の前から降り注ぐ。
全てのものが漂白される中、彼女の青だけが目の前に映った。
その青に吸い込まれるように前へ。
音も感覚も、世界もない。ただ焼け付くような命と、己の存在だけがあった。
――見ろ、世界。
これが俺たちの命だ。
群青を宿した真紅の機体が、鮮血を散らすように破片を撒き散らしながら、極光を切り裂き、距離を消し飛ばし。幽鬼のように立ち上る焦熱と、それにも勝る苛烈なまでの意思の輝きを乗せて。
八相の構えが跳ね上がり、上段から斜めへ。残心の最中、機体が剥がれ落ち、感覚が剥がれ落ちながら、肉体が宙へと躍り出た。
四肢の破片を散らしながら、宇宙を仰ぎ見る。
中枢から断ち切られた船の向こう側に、無限に続く宇宙が見える。
人類のなんと矮小なことか。そして、人類の可能性の、なんと広大なことか。
その中に、今だけは確かに自分の命があった。生者の誇りと死があった。燃やし尽くした己の存在の中に、仲間たちの命があり、それらと手を繋ぐ自分自身の姿があった。
人も物もない。
死がここにあり、生がここにあった。
手を伸ばせば触れられそうなほど近くに。
「いつかまた――」
呟き、砕けた腕を伸ばす。
「広がった世界のその先で、また会おうな」
指先が未来に触れた。その感触を最後に、全てが白く染まった。




