20
ヨクトとナナリーは、オケアノスβと共に、デルクの船へと向かった。船団の中で、もっとも信頼できる集団が、デルクが率いる【グリーンアイド】だったからだ。彼らならば自分たちに代わり、オケアノスβを保管してくれるという確信があった。
その信頼に反することなく、デルクたちはヨクトたちを受け入れた。もっとも、現在は戦闘中であり、単純に余計な気を回す余裕がなかっただけかもしれない。
もちろん、すぐさまジョゼフたちの援護に向かいたいという気持ちはあった。だが、オケアノスβを安全な場所に避難させるのが先決だった。オケアノスβを失えば、ヨクトたちのこれまでの働きはすべて無駄になる。時間だけではない。ヨクトたち自身の信念さえ失ってしまうことになる。
ドックに横付けし、コックピットから飛び出したヨクトは、周囲の警戒を宥めようともせずに叫んだ。
「船長のデルクに面会を求める! 緊急だ!」
ヨクトはそのまま、明確な承諾も得ないまま奥に進んだ。電脳の性能に物をいわせて船内のローカルネットをクラックし、タグ付けされていたデルクの位置を把握する。オペレーションルームだ。ナナリーが慌てて、少し遅れて続いた。
グリーンアイドの船員たちは、ヨクトたちに対して敵意に似た警戒心を除かせたが、実際に武力を行使することはなかった。ヨクトたちのことを、デルクがあらかじめ説明していたのかもしれなかった。後期の視線を背中に浴びたが、ヨクトは振り返りもしない。ただ前だけを見つめて、早足で進んでいく。
船内は慌しかった。狭い廊下を、船の職員たちが慌しく行きかっていた。民間人の姿はなく、軍事組織の一角に迷い込んだかのようだった。
行きかう人々が、ヨクトとナナリーを見てぎょっと目を剥いた。だが、ヨクトが発散する鋭い焦燥に、誰も声をかけられない。沈黙と好奇を引きずるようにして、ヨクトとナナリーは通路を進んでいった。
「くそっ……」
ヨクトの口から焦燥の声がこぼれ出る。表情は険しく、苛立ちが滲んでいた。理不尽な状況に対するものでもあり、戦場から離れているせいでもあった。後ろに続くナナリーの顔色も、心なしか青白く見えた。
ヨクトの頭の中では、まだエトナとエトラの言葉が反響していた。また、今まさに戦っているだろう仲間の姿が瞼の裏に浮かんだ。何もかもを放り出して、仲間の下に駆けつけたい衝動があった。だが本当に仲間のことを思うなら、今自分がするべきことは、未来に確実に可能性を残すことだ。衝動のままに戦場に飛び込んでいくことは無意味だ。
船内の地図データを見ながら、ただひたすらに前へと進む。生身の人間が多いせいか、船内は全て1G環境に整えられていた。重たい体に不自由さを感じ、苛立ちが募った。半ば駆け足のような速さでオペレーションルームに辿り付き、ノックもなしに扉を開いた。
その瞬間、ノイズ交じりの音声が響き渡った。
仲間の、最期の声だった。
音声が止んだ今、オペレーションルームには、痛いほどの沈黙が下りていた。スピーカーから鳴り響いた声に、その場に居合わせた全員が言葉を失っていた。
ヨクトとナナリーも、それらの声に呼吸を殺されたように微動だにしない。デルクにぶつけようとしていた言葉が、それに倍する衝撃に上書きされ、形を失っていた。ぽっかりと空いてしまったような心の空洞に、仲間の最期の言葉が、何重にもなって反響していた。
「――戦術AIが算出した敵攻撃範囲を離脱しました。船団、ステルスモードで航行中。敵の追撃はありません」
オペレーターの声が寒々しく響いた。僅かに反響する声すら、硬質で、冷たかった。
デルクは頷いただけで、声を発そうとしない。デルクだけではなく、他の船員たちも同じだった。闖入者であるヨクトとナナリーにさえ、誰も注意を向けない。今しがた降り注いだ情念に、誰も彼もが思考を停止させていた。
「ジョゼフ……」
立ち尽くしていたヨクトが、掠れた声を漏らした。我知らず、拳が硬く握り締められた。掌を覆っていたボディスーツの素材が、ぎし、と軋んだような音を立てた。
託されたのだ。
誰に教えられずとも分かっていた。今、ヨクトたちは、二人しか残っていない。数十年にわたる計画の、全てを、仲間たちの意思や感情、魂や信念といったものすら、背負う立場になったのだ。
喪失に怯みかけた心と体に活を入れる。そんな時間はない。この場で立ちすくみ、動けないなど、仲間に合わせる顔がない。その一念で、ヨクトは錆付いたような体を無理やり動かし、双眸を上げて一歩を踏み出した。
その背中を見せられたナナリーが、
「――っ」
息を呑み、感情が溢れそうな表情を――引き締め、ヨクトの背を追った。ヨクトの隣に並び、オペレーションルームの中央に控えていたデルクへと歩み寄る。
デルクはそこでようやく二人に目を向けた。同様は一瞬。すぐに鋼のような冷静さを取り戻し、泰然と両手を組んで二人のオーバーマンを見据えた。
「……入船の話は聞いている。こんな状況だが、ようこそ。ヨクト・ハーヴェイ」
「受け入れて頂き、感謝します。デルク・キンバリーさん」
両者の間に、張り詰めた沈黙が下りた。ヨクトは透徹した、強い雰囲気で、デルクを見上げていた。そんなヨクトを、デルクは測るように見下ろしていた。
「それで、何用か。双方、予断を許さない状況だと思うが」
「あなたに頼みたいことがあって来ました」
「……我々にできることがあるなら」
「俺たちが作ったオケアノスの複製品を、あなたに託す」
否と言わせない、揺るがぬ意志の強さがあった。デルクは双眸を僅かに細めた。半ば答えが分かっているかのように、問いを発した。
「なぜ自分たちで持たない? 君たちは全滅したわけではない。志を同じくする仲間は、まだ残っているだろう」
デルクはナナリーを見据えた。ナナリーはじっとその視線を受け止め、見返した。震えはなかった。ただ、純粋な覚悟だけがあった。デルクは視線を外し、ヨクトに戻した。
「私が言うのもなんだが、我々は所詮よそ者。法に反する宇宙海賊の一つでしかない。自らの理念を託す相手として、相応しいとは思えないが」
「全滅したわけではない。だからこそです。俺たちには俺たちにしかできない仕事が残ってる。……いや」
ヨクトは少し迷うような表情になった。
「もちろん、無理強いするつもりは――」
「それ以上言ったら、ヨクトでも許さないから」
ナナリーがはっきりと言った。それから、ヨクトを見上げて、仄かな笑みを滲ませた。ヨクトは苦笑を返し、デルクに向き直った。
「まだ航程の半分も来ていません。敵の戦力を、根元から断つ必要がある。通常の兵器では、あの人類未到産物には勝てないでしょう。できるのは、俺たちだけだ」
「……敵の全容は掴んでいるのかね」
「仲間たちが残してくれたデータから。敵の大本はドレッドノート級に準じる巨大な輸送船です。内部機構は不明ですが、あの人類未到産物……デイトランサーの複製品が、そこから発生していることは間違いない。製造か、修復か、輸送か、それは分かりませんが、根元を断ち切らないと敵の勢いが弱まらないことは、確かだ」
「確かに、君の仲間たちがあれほど敵を撃墜したのにもかかわらず、総数はほとんど変わっていないように見受けられた。いや、時間時間で見れば数に変動はあるが、戦況を傾けるほどの変化ではなかった。我々が逃げ切れたのは、彼らが時間稼ぎに徹してくれたからでもある」
デルクは鋼のような表情に、僅かな憂いを浮かべた。
「君の言う通りだとも。我々の……いや、他の宇宙海賊の、通常の防衛機構では、地球側の攻勢を凌ぐことはできないだろう。ダモクレスまで、どれほど急いでも後一ヵ月半は掛かる。その間、潜伏し続けることは不可能だ。相手は地球の超高度AIで間違いないのだからな。……だからこそ」
デルクが顔を上げ、ヨクトたちを見据えた。
「死ぬぞ」
「覚悟の上です」
「何が君たちをそこまで駆り立てる。不死の体を手に入れ、自分たちだけ、地球の束縛を逃れ、太陽系の外に出ることもできるはずだ。なぜ我々のような、可能性のないものに加担する」
「理想のため。失った日々が、忘れられないから」
「……人として、か?」
「体を機械化しても、命まで機械化したつもりはありません。死と、それに触れるときの命の鼓動と、自らの喪失を覚悟して、前に進むことの価値と。……人間が持ちうる、発現しうる、不変の価値まで、自動化させるつもりはない」
ヨクトは顔を上げて言った。
「俺たちはここに生きている」
その言葉に、デルクは撃たれたように目を微かに見開いた。デルクだけではなかった。その場にいた船員たちまでもが、ヨクトが放つ拍動に震えるように、息を呑んだ。
それこそがヨクトたちの信念の核だった。忘れられない、命の形だった。自らを人間だと信じるがゆえに、決して、どう足掻いても逃れえない、命というものに対する、決意であり、姿勢であり、宣言だった。
「……いいだろう」
デルクが重々しく口を開いた。
「君たちの理想。我々が引き継ごう。必ず新しい人間の文化を創ってみせる」
デルクはそう言うと、近くにいた船員に矢継ぎ早に命令を飛ばした。ドックにはヨクトたちのデイトランサーが係留されており、オケアノスβが収められた箱も同じ場所にあった。
「君たちも少しは休んだほうがいい。周辺の索敵は我々が引き受ける」
「……ですが」
ヨクトは懸念を示すように声を上げかけた。それをデルクが制した。
「我々だけではない。他の宇宙海賊たちとも協力する。人間の技術といえど、結集すれば侮れない力になる。敵が超高度AIと言えど、接近を察知するくらいはできる。……逆に言えば、我々のできることはそこまでだ。抗する力を、我々は持っていないのだ。そこから先は、君たちに託すより他にない。情けない話だがな」
「……そんなことありません。貴方には感謝している。デルク・キンバリーさん」
「感謝、か。この稼業についてから、誰かに恨まれこそすれ、感謝される機会というのはめっきり減ってしまった。業の深さを痛感しているよ。自らが生きるために、他者の命を奪っていい道理はない。以前、君たちと始めて対話したとき、私は内心感動していたのだよ。それだけの力を持ちながら、いたずらに他者の尊厳を侵そうとしない、君たちの理念に、共感したのだ」
「俺たちも同じです。貴方が他の宇宙海賊たちの支えとなってくれた。規模で言えば、貴方たちのほうがずっと大きいのに、俺たちの言葉に耳を貸してくれた。そして今、俺たちの理想さえ継いでくれるという。これ以上望むものはありません」
「大仰だな」
「本心です」
「……惜しいな。君たちを失うことが」
その言葉には、デルクの偽りざる本心が込められていた。だからヨクトも、心からの言葉を返した。
「俺たちの理想は生き続ける。貴方が、継いでくれたから」
「……不思議なものだ。人の体を捨てた君たちのほうが、人間らしく見えるとはな」
デルクは船員の一人を呼びつけた。
「シャーリー。彼らの案内を。客室を二つ、開放してあげてくれ」
「かしこまりました」
「先ほども言ったが、君たちは休むべきだ。電脳といえど、生体脳をベースとしたものなのだろう。度重なる戦闘で疲労しているはずだ」
「……痛み入ります。ありがたく、使わせてもらいます。あと……」
ヨクトは電脳を操作し、自分とナナリーの通信コードを転送した。
「敵が見えたら、呼んでください」
「約束しよう」
「行こう。ナナリー」
「……うん」
先導する船員に続いて、ヨクトとナナリーは部屋を後にした。その背中を、デルクがじっと見据えていた。