14
放心状態で家に到着すると、志穂は何もかもが嫌になり、全てを放棄したい気分になった。玄関の段差に腰を下ろして俯き、微動だにせず時が過ぎていくのを待った。一二時間経過しても、それでも動く気配さえ見せなかった。
世界というパズルから私というピースだけを切り取ったみたいだ、志穂は思った。それで、私はゴミ箱に捨てられたのだ。ゴミ箱の中は永遠の孤独。待っているのは業火の滾る処理場。絶望しかない。誰も私に気付いてくれないのだ。教えようとしても、信じる者などいない。皆、腫れ物を触るみたいに扱うのだ、そうに決まっている
少し顎をあげ、上目遣いに世界を見た。赤く染まった瞳には、廃墟になった街並みしか映らない。時折、帰宅途中の子供の喧噪や、赤ちゃんの泣き声、通話の声がする。しかし、それらの音源にあたるような実体はない。ランドセルや、ほ乳瓶、携帯電話だけが、不自然な動きをして宙に浮いているのだ。
鬱々しい気分を通り過ぎ、志穂は自分の体が空っぽであるように錯覚した。まるで実物大の人形みたいだった。心が失われたのだ。四肢は重くのし掛かり、体全体を圧迫している。動くことさえも面倒になった。このまま死んでいくのも悪くない。風の音を聞きながら、志穂は冷たい笑いを一つした。
その時、夕美が突然曲がり角の塀から顔を出した。立ちながら自転車を漕いでいたらしかった。速いスピードであっという間に自宅の玄関先まで辿りついた。
見える・・・・・・。思わず目を擦ってみるが、ちゃんと夕美の姿は見えるのだ。志穂は驚愕の表情をしたまま、目だけは夕美を追っていた。
「ただいまー。何してたの」
「夕美・・・・・・なんで・・・・・・」
「どうした、の」
夕美はそこまで言いかけると、口を噤んだ。自転車から降り、志穂へと近づいていく。一言で表すなら、志穂の顔は滅茶苦茶だった。目の下は黒ずみ、両目が真っ赤に充血している。気のせいか、頬がげっそりとやつれ、髪は汗で皮膚にぺったりと縺れていた。苦行に耐える修行僧ではまだ物足りない気がする。目の前で肉親が殺されるのを見た人間、それに近かった。苦しみの煮詰まった顔だ。
夕美が駆け寄り、志穂を抱き締めた。強く、支えるように。志穂は息が突っ返そうになって、過呼吸になりかけた。
「見えるよ、夕美。ああ、私見えるんだ・・・・・・」
志穂は夕美の腕にすがりつき、ひと思いに泣き崩れた。夕美を神様だと思った。夕美だけは私の側に居てくれるんだ。もう一人じゃないんだ。だんだん、体が暖かさを取り戻していく、全身に血液が行き渡っていくのを感じた。
胸でむせび泣く志穂を抱き留めながら、夕美は何が何だか分からず呆然としていた。どうすれば良いだろう。慰めた方が良いのか、じっとした方が良いのか・・・・・・。
しかし、姉がこんなにも弱く、脆い姿を見せるのは初めてではなかった。前に一度、夕美が小学生だった時に経験したことがある。夕美を見るなり、呆然として泣き崩れたあの時だ。いや、少し違うのかもしれない。今はあの時よりもずっと大人になっているのに、ひどく志穂が幼く見えた。
嫌な予感がした。もう二度と、あの頼りがいのあった姉を見ることが出来ない、そんな気がしたのだ。




