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杜若  作者: 椋原紺
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 右目のセンサーが壊れたのか、左目がおかしくなったのか。明確な理由は志穂には分からなかった。そもそも、左目を隠すか隠さないかで人が見えたり見えなかったりする事から、科学の範疇を軽く超越した奇怪じみた現象だったのだ。どんなに偉い人でも解明できるはずがない。冷静に考えれば分かるはずなのだが、それでも行かないよりはましだと、志穂はすぐさま学校ではなく、眼科へ駆け込んだ。

「今日はどうされましたか?」

「目が見えないんですけど」

「目を見せてください」医者(目の前に居るはずの)は軽く咳き込んで、懐中電灯のような物で両目を照らした。志穂から見れば、懐中電灯が宙に浮いて自由自在に向きを変えている状態だった。

「おかしいですね。特に何も悪いところは見当たらないんですが・・・・・・」

 調べ終わったらしい医者はため息交じりに述べた。

「そうなんです・・・・・・あの、こんな話信じてもらえないでしょうけど」

「何か気がかりがあるなら言ってください」

 志穂は言うか言うまいか、口を歪ませ悩んだ。この事は、今日まで誰にも口外しなかった事だ。言ってしまえば、こいつは気違いかと眉をひそめ、失笑を買い、変な目で見られるに決まっていた。また、万が一夕美の耳にでも入ってしまえば、羞恥心と罪悪感に殺されてしまう。志穂はそう思い、絶対に秘密にしてきたのだ。

 息を一つ吸い、志穂は真面目な顔をした。そうして、自身の奇々怪々な出来事、一切合切を告白した。医者は最初真剣な顔つきで、「ということは、左目は見えているんですか」、「うーむ、稀有なケースですね」などと相槌を打って質問をしてくれた。そして、顕微鏡を取り出したり、視力検査紛いの事をしたりと、できるだけの検査を施してくれた。

 しかし、最後の方になると、椅子にもたれたまま、黙ってふんふんと顎だけで返事して、志穂の話がやっとこさ終わると「あなたは来る科を間違えてる。精神外科は西館の方ですよ」などと言う始末であった。

「本気で言ってるんですよ! お医者さんなら、こう、移植とかできないんですか!」

「まぁまぁ落ち着いてください。そう言われましても、外から見る限り正常な目をしてらっしゃる――――」

「正常! じゃあ、私の言ってることは嘘とでも言いたいんですか! よく見てくださいよ、ほら! (志穂は手で自分の目を指さしながら)ずっと、ずっと、この奇妙な目と付き合ってきて苦しんできたんですよ。私がちゃんとした目をしていればって何度思った事か、あなたには分かりますか!?」

 ふぅふぅ息を荒げ、志穂は立ち上がり激昂した。相変わらず医者の姿は見えない。だから、白い壁に向かって一人でイライラしてるみたいに思え、余計に腹が立ってきた。

「しかしですね・・・・・・僕はあなたの目を通して世界を見ることが出来ないから、そのような事を到底理解できないし、簡単に移植などとできるわけがないですよ。だとすればあなたを、気が滅入って自分自身をめちゃくちゃに傷つけたい気違いだ、と考えるのは不思議でもないでしょう」

 やけに落ち着き払った声色で、医者は諭すように語った。志穂はもう自分が惨めで惨めで仕方なく、自分より不幸な人間などこの世にはいないのだと思えてきた。そう思えば思うほど、ことこと湧き出る泉のように、両の瞼から熱いものが流れ出てくるのだった。

「そう気を落とさず。まぁこれで拭いてください」

 何もない所から、ふっと白地に赤い斑点模様のハンカチが出現し、志穂の瞼に添えられる。触れた瞬間、この世の物とは思えないものに体を舐められたような真におぞましい気分になって、志穂はびくっと体を反らした。反動で椅子から転げ落ち、前を向くと、ハンカチがひらひら浮いていて、「どうしたんですか。そんなに青ざめた顔をして」と、紳士的に手を差し伸べてきた。狂ってる、狂ってる! 志穂は一遍、空まで突き抜けようかというほどの悲鳴を上げ、のたうち回るように診療室から逃げ出した。




 途中、何度も見えない誰かとぶつかり、怒鳴られ、罵倒され、物を投げつけられた。それでも志穂は足を止めることなく、化け物から生き延びるためにはなりふり構わずに逃げるしかないのだ、とでも言わんばかりの苦悶のような般若のような顔色をして、アスファルトの道を、ばたばたばた、駆け下りて行った。地獄へと繋がる階段みたいに、いつまで経っても、出口は見えてきそうになかった。

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