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番外編2 石宮(妹)と開かずの間

中学校南校舎最奥の教室。そこは普段誰も近寄らない通称『開かずの間』として知られていた。ある日の事、その場所を訪れた女生徒が一人、心に傷を負い不登校となる。それをきっかけに『開かずの間』の調査を開始した石宮(妹)と辰野だったが……そこで二人は、思わぬ展開に巻き込まれる! のか?

 あたしの通う中学校には開かずの間がある。

 それはおよそ百余年前、まだ日本が戦争をしていた時代に作られた部屋らしい。

 集団自殺のための部屋だとされ、今だにそこで死んでいった人たちの怨念が飛び交っているらしい。

 そんな話を何度か小耳に挟んだことがある。まったくばかばかしいったらない。

 一体どこのC級ホラー映画だよと言いたくなる。

 そんな噂が流れだしたのは、ちょうど一ヶ月前。クラスの連中が囁き合っているのがなんとなく聞こえてきたからだった。

 それから一ヶ月。噂はとどまることを知らず、それどころか段々と激しさを増していった。

 例えば誰々がけがをしただとか、誰かと誰かが恋敵であるとか。

 はたまだ開かずの間の周囲には怨念が漂っていて、道ずれにする人間が現れるのを待ってる、だとか。

 そういう、ホラー映画かゲームばりの実にくだらない噂が後を絶たない。

 これがほんとにフィクションだったなら、別段あたしもここまで気にはしないだろう。

 しかし実際に、その噂の開かずの間付近でけがをしたり修羅場を演じたり聞き覚えのない女の子の声が聞こえたりするという話を聞くものだから、気になるのは当然だ。

 まあだからといって何をする、というわけでもないけれど。

 あたしは手早く教科書類を鞄にしまうと、自分の席を立った。

 誰とも別れのあいさつを交わすことなく、教室を出る。友達なんていないあたしにとっては、これが普通のことだ。

 だから今さらさみしいとか思ったことはないのだけれど、変に気を遣う奴らというのは少なからず存在する。こっちがほっといてほしいと思っていても、向こうから寄ってくるから面倒臭い。

 あたしは階段を降り、下駄箱へと向かう。噂は確かに多少気になるものの、特別調べようとかは全然思なかった。

 そんなことより、さっさと帰ってゲームがしたい。新作の積みゲーが山のように溜まっているのだから。余計なことをしている時間は、一秒たりともない。

 あたしが下駄箱で上履きから外履きに履き替えていると、ダンッと床を鳴らして足音が聞こえてきた。

「ちょっと待ちなさいよ」

 と、誰かが誰かに言っている。もちろんあたしじゃないだろうから、振り返る必要はない。

 あたしはそのまま外靴を履いて、昇降口を出る。と、背後から慌てたような声音が飛んでくる。

「ちょっとあんた! 何無視ししてんのよ!」

 一体誰に向かって言っているのだろう? まああたしじゃないからどうだっていいんだけれど。ほんと、さっさと帰らないと。

 あたしは気が急いて、自然と早足になる。それに呼応するかのように、背後から数人の駆けてくる足音が聞こえてくる。

 あっという間にあたしに追いつき、ぐるりとあたしを取り囲む彼女たち。どこかで見たことのあるような……気がする。

「何無視してくれちゃってんのよ? さっきから読んでるじゃない」

「そうよそうよ。何様のつもりなのさ!」

「まったく……これだからぼっちは困るわ」

 勝手に言い合い、けらけらと笑う三人。そこには下等下劣という言葉がよく似合うほど、品性のかけらもなかった。もっと二次元ヒロインを見習うといい。

「……それで? あたしに何か用?」

 あたしがそいつらの用向きを訊ねる。と、そいつらはあたしが勝手に口を開いたことが面白くなっかったらしく、途端に頭に響く金切り声を引っ込め、あたしを睨んできた。

「生徒会長がお呼びだよ。生徒会室まで来いってさ」

「……なんであたしが」

「わたしたちが知るわけがないだろう。頼まれただけだから」

「生徒会長に頼まれればこんな使い走りのようなことまでする。……やれやれ、まったく暇なんだね、あんたたち」

「はぁ? 何を言って……!」

 あたしが三人をひと睨みする。と、三人はぐっと息を飲んだのがわかった。

 怯えている、のだろうか? たぶん違う。

 あたしがそいつらをつぶさに観察していると、リーダー格の女があたしの目の前に歩み出てくる。

「理由なんてどうだっていいことだろ? あんたはわたしたちと一緒に生徒会長のところに来てくれさえすればいいんだよ。――猪之頭瑛太会長のな」

 リーダー格の女は茶色に染めた髪を掻き上げ、挑発的な視線を向けてくる。

 あたしはリーダー格の女と睨み合う。ほんとはこんなことをしている場合じゃないんだけれど、通してくれないのだから仕方がない。

「……断るって言ったらどうする?」

「その時は力づくでも連れていくさ」

「あたし、これから用事があるんだけれど」

「そんなことはわたしたちの知ったことじゃないな。ま、諦めてくれ」

「それは嫌だ」

 まあ今日明日諦めたところで逃げたりする類いの用事じゃないんだけれど。

 それでも、こんな奴らのためにあたしの時間が食いつぶされるのかと思うと腹立たしい。

 あたしはより一層三人を睨み据える。いざとなったら実力行使もやむなしとはいえ、三人相手にもやしっ子のあたしがどこまで肉薄できるかあやしいところだ。

 というか、一対一でもだめだろう。確実に負けるのが目に見えている。

「わたしたちもできれば手荒な真似はしたくないんだ。大人しく……」

 とリーダー格の女が言いかけたところで、あたしは(あたしの中では過去最高速度で)そいつの脇を通り抜けようとする。

 が、案の定というか、普通にひょいと捕まってしまった。

 体格差もそうだが、そもそもの基本性能が違い過ぎた。こんな奴ら相手に逃げおおせようおあんどとは、とんだ思い上がりもいいところだ。

 あたしは事ここに至り、ようやくそのことに思い至った。

「さあ、一緒に来てもらおうか」

 ぎろりとその女が睨んでくる。別段怖かったわけではないが、抵抗しても無駄だろうと悟ったまでだ。

 あたしは軽く肩を竦めて、同行の意を示す。あたしの意図が伝わったのか、そいつらは満足そうに頷くと、薄く笑ってあたしを引きずっていく。

 ああ、思い出した。こいつらはあれだ。ちょっと前にあたしに嫌がらせをして来た連中だ。

 あたしはようやくそのことを思い出し、胸の中のもやもやを解消したのだった。

 

 

                         ●

 

 

「やあ、ご苦労様。ありがとう」

 生徒会長の猪之頭瑛太はにこりとほほ笑むと、無理矢理あたしを連れて来た三人の労をねぎらった。

「離してくれて構わないよ。彼女ももう、逃げようなんて気はないだろうからね」

「で、でも……」

「大丈夫大丈夫」

 生徒会長はその柔和な笑みでもって三人を説得する。なお食い下がろうとするリーダー各の女だったが、それ以上の反論は意味がないと判断したらしい。

 彼女は振り返ると、あたしの両隣であたしの腕を掴んでいる二人に目を向ける。その視線を受けて、二人が「ちっ」と舌打ちしながらあたしを開放した。

「ありがとう。助かったよ。もう帰ってくれて構わないよ」

「し、しかし会長……!」

「大丈夫だって言っただろ?」

「うっ……わかりました」

 三人はどこか不満そうにしながら、生徒会室を出ていく。

 その際、きっと睨まれたことを、あたしは気づかない振りをした。

「いやあ、手荒な真似をしてすまなかったね」

 彼女たちが出て行ったのを確認して、生徒会長が全く悪びれる様子もなく謝罪の言葉を口にする。その姿は非常に滑稽で、ある種のばかばかしさすらあった。

「……謝るつもりがあるのなら、もっと誠意を見せないと」

 あたしが言うと、生徒会長はにこりと笑うだけだった。

 相変わらず、胡散臭い奴だ。うちのあにきといい勝負だな、これは。

 あたしには一人、兄がいる。今年になってようやく恋人を作り、順風満帆な高校生活を送っているらしい。羨ましいことで。

「それで、あたしに一体何の用? あたし、生徒会長と違って忙しいんだけれど」

「そのようだね。では手短に始めよう」

 生徒会長はコホンと咳払いをすると、机の中から一冊のノートを取り出した。

「これはとある女子生徒の日記帳だよ。一ヶ月分のね」

「一ヶ月? ……だから?」

「開かずの間って知ってるかい?」

「……まあ話だけなら」

 噂には聞いたことがある。あたしたちの通う学校に伝わる、開かずの間の話。

「南校舎の二階最奥にある開かずの間。窓も扉も鍵がかかってるはずなのに、時折中から声がする。そこへ行くと、この世のものとは思えないほどおぞましい体験をすることになるのだそうだよ」

「……フーン」

「はは、あまり興味がなさそうだね」

「…………」

 当然だ。興味などあるはずがない。突然生徒会室に連れて来られてそんな話をされて。

 あたしはさっさと帰ってゲームがしたいんだ。

 というあたしの不満を察した上で無視しているのだろう。ほんと、いけ好かない野郎だ。

 あたしはふぅと溜息を吐いて、、生徒会長の話を聞き流す。

「事の起こりは一ヶ月前。ひとりの女生徒が姿を消したことがきっかけだ」

「へー」

 全く興味が湧かない。そんなことより家に帰してほしい。

 あたしのその願いは聞き届けられないらしい。生徒会長はなおべらべらと喋り続ける。

「その女生徒は開かずの間の噂を聞いて、面白半分に南校舎へと行ったらしい」

「そこで酷い目にあった、と?」

「ああ、その通りだよ。さすがだね」

 生徒会長はあたしを持ち上げるように褒めそやす。だが、そんなことは少しも嬉しくなんてなかった。むしろ止めろと言いたくなる。

 あたしが生徒会長を睨んでいると、生徒会長は肩を竦めて話の筋を戻す。

「その後、彼女は学校に来なくなってしまった。……不登校になってしまったんだ」

「それで? その不登校になった生徒を連れ出せって?」

「ははは、そんなことは頼まないさ。君には荷が重いだろう?」

「そうだな。あたしには無理だ」

 むしろ事態を悪化させる危険性がある。というか十中八九そうなるだろう。

 あたしはその未来を想像して、ぞっとする。もちろん、件の女生徒の失敗して、という意味じゃあない。あたしが危惧しているのは、その先だ。

 その女生徒の状態がますます悪化して、あたしの前にさっきみたいな面倒な連中が何人もあ表れるかもしれない。そうして、さっきのように面倒な事態になる恐れがある。

 そうなるとあたしは自分の時間を奪われるだけでなく、物理的にゲームを失う可能性すらあった。……ま、全部ただの想像だけど。

 あたしが言うと、生徒会長はパチンと指を鳴らした。何だ何だ? と思っていると、生徒会長は得意げに鼻を鳴らし、言った。

「だろう? だからこそ君には開かずの間の調査を依頼しているというわけだ」

「何がだからこそ、なのか全然かわからない。どうしてあたしがそんなことをしなくちゃならないわけ?」

 あたしは生徒会長を睨みつけた。けれど、生徒会長はどこ吹く風とばかりに平然とした様子だった。全くよくわからない人だ。先月のことといい、一体何を企んでいるのか。

 あたしは先月、生徒会長とともに彼の持ち物を探した一件を思い出していた。あの時はあたしもどうかしていた。結局約束は守られなかった。

「もちろん今回も報酬を用意しているよ」

「一度騙されたからといって、二度同じ手に引っかかると思わないことだ」

「いやいや、騙すなんてとんでもないことだよ」

「どの口が言う……!」

 生徒会長は肩を竦め、低く笑う。あたしは更に彼を睨みつけ、歯ぎしりした。

 先月、事態は解決したというのに結局ゲームは手に入らなかった。つまり彼はあたしをだましたのだ。

 二度と同じ手には引っかかるものか。

 あたしが固い決意とともにがるる、と生徒会長を睨み据えていると、生徒会長は降参したというように両手を上げた。

「わかったよ。今回は前払いだ。それなら文句はないだろう?」

「文句たらたらに決まっている。どうしてあたしが貴重なあたしの時間を割いてまでそんなことに付き合わないといけないんだ」

「そう言わずに協力してくれないか? 他に頼れる人がいないんだ」

「そんなことはない。生徒会長ほど人望の厚い人なら……」

「自分で言うのもなんだけれど、僕は確かに人望がある。生徒会長に選ばれたほどだからね。だけれど……」

 生徒会長は沈んだように肩を落とし、溜息を吐いた。

「僕の人望をもってしても、引き受けると言ってくれる人はいなかったんだ。それだけ今回のことはみんな恐怖に感じているということだよ」

「……それで?」

「それで……とは?」

「それでどうしてあたしに白羽の矢が立ったのかって聞いてるんだけれど?」

 会長はぱぁっと一転して表情を輝かせると、両腕を広げた。

「だって他の人には何度も断られているんだよ? それに君なら、何があっても大丈夫だと思うんだ」

「大丈夫って……それはどういう意味?」

 まあ大体の想像はつく。おそらく会長の言いたいことはこうだ。

 他の生徒だとけがをしたり何だったりと色々と問題があるが、あたしだったらそんな心配はいらないだろう、と。

 信頼……というのとは違う。捨て駒や当て馬などといった言葉の方がしっくりくるだろう。

「他の人に頼みむわけにはいかないからね」

「……あっそ」

 やはりだ。この生徒会長はあたしを警察犬か実験ラットにするつもりらしい。

 あたしは辟易として嘆息した。

「お断りだ。その頼みを聞く理由をあたしは持ち合わせていない」

 あたしが言うと、会長は多少意外そうに目を見開いた。何だその顔は。

「意外だなぁ。……僕はてっきり、君はこの件を快く引き受けてくれると思ったんだけれど」

「何をどうしたらそう思えるんだろう? あたしはずっと嫌だと言っていたと思うけれど? それとも会長の中ではあたしはそれほどお人よしということ?」

「へ? 違うの?」

「違う! 第一、そうだったとしてなんであんたなんかに……」

「酷いなぁ……僕、これでも生徒会長なのに」

 会長はいじいじといじける……だから何だ。

 あたしははぁと溜息を吐くと、踵を返した。

「じゃ、あたしはもう帰るから。これ以上無駄な時間を過ごすのはごめんだし」

「そう……残念だけれど、仕方がないね」

「…………」

 ほんとにそう思ってるんだろうか?

 あたしはちらと会長を振り返り、考える。

 もし、会長の言っていたことが本当で、あたしへの報酬を前払いで払うつもりがあるのなら……引き受けてやってもいいかもしれない。

 あたしは会長からもらったお金で豪遊する自分の姿を想像して、内心悦に入る。

 あれを買ってこれを買って。あのゲームやこのゲームを手に入れて。

 もちろんたかだか中学生が渡せる範囲での報酬だからあまり期待しない方がいいんだろう。

 けれど……まあ想像するくらいならタダだし。

 なんてことを考えながら、生徒会室を後にする。

 どうせ他に当てなんかないだろうから……まあ気が変わったら引き受ける可能性も無きにしも非ずだろうな。

 あたしは心の中でそう呟き、帰路に就くのだった。

 

 

                        ●

 

 

「ははは、引き受けてくれると思っていたよ」

 会長は薄く笑って、あたしの頭を撫でようとしてくる。あたしは会長のその手をひらりと交わし、べーっと舌を突き出した。

「別にあんたのためじゃない。報酬は前払いでもらったから仕方ないじゃん」

 きっと会長を睨み据える。けれど、会長はとんと意に介した様子もなく、平然としていた。

「それでもいいんだ。君が引き受けてくれるというのは僕にとって心強い」

「……馬鹿じゃない」

 心強い。その言葉の真意を疑っているわけじゃあない。

 けれど、とあたしはすぐ横合いにいる顔見知りを盗み見た。

「……どうしてこいつがいるんですか?」

 そいつはあたしを真っ直ぐ見据えて、憚ることなくはっきりとそう言った。

「いいじゃないか。助っ人は多いに越したことはない」

 会長はにこりと笑んで、諭すようにそいつに言った。そいつは気に食わないとばかりにあたしを傲然と睨みつける。

「必要ありません。こんな奴……」

 あたしが一体何をしたというのだろう? 

 そいつはあたしに親でも殺されたのか、酷く恨みがましい視線を向けてくる。けれど、あたしの方にそんな心当たりなんてあるはずもなく、あたしはおっかないなぁと思いつつ明後日の方向を向く。

「あたし、別にいらないんじゃない?」

「当然だ。おまえなんていらない。わたし一人で十分だ」

「……あっそ」

 そいつ――辰野綾香は憮然とそう言い放ち、ふんとそっぽを向いた。

 いや、そこまで言われたあたしの立場は?

「困ったなぁ……仲良くしてくれないだろうか?」

「無理です。わたしがこんなのと一緒に行動なんてできるわけがないでしょう?」

 辰野は会長を説得しようと弁に熱を込める。そんなことで懐柔できるような人ではないのだが、そのへんがわかっていないのだろう。辰野の眼鏡越しの瞳にめらめらと謎の炎が燃えていた。……不思議な奴だ。

「会長、この女を帰してください!」

「それはだめだよ。彼女の存在は必須だ。既に何度も話しただろう?」

「うぐっ……なら、わたしが帰ります!」

「それも困るよ。何せ僕一人じゃ問題児二人を相手になんてできないからね」

 会長はやれやれといった様子で肩を竦める。

 問題児と言ったか、今? この野郎、言うに事欠いてなんてことを言うのだ。

 あたしは会長を睨めつける。が、会長は辰野をなだめるのに忙しいらしく、あたしの責めるような視線には気づいていないようだ。

「会長の言い分はわかりますが……」

 辰野はぐぐぐ、と悔しげに歯噛みする。いやいや、論破されそうになってんなよ。反論しろよ。意義ありって。

 あたしは辰野にそう思いを込めて念を送る。しかしあたしのそうした努力は見えない力によって無効化されてしまったらしい。

 辰野ははぁと溜息を吐くと、二度首を振った。

「わかりました。では、このメンバ―で行きましょう」

「ありがとう。助かるよ」

「何か妙な真似をしたらわたしがおまえを絞め殺すからな!」

 辰野の殺意の籠った視線があたしを射抜く。待て待て。本当に何をしたって言うんだ、あたしが。

「では出発だ」

 会長と辰野がくるりと校舎へと向き直る。と、そのままどんどんと先へ行ってしまう。

 あたしの……この不愉快なもやもやはどうしてくれる。

 あたしは自分の中にあるわだかまりを感じつつ、二人の後に続いて校舎へと入って行った。

 

 

                        ●

 

 

 南校舎の二階。一番最奥の教室。

 普段は開かずの間として誰一人生徒の近づくことのないその場所に、あたしと会長。そして辰野は訪れていた。

「それでは、行くよ」

 とは会長が言った言葉だ。辰野が緊張した面持ちで頷く。あたしはと言えば、早く終わらないかなーっと頭の後ろで手を組んで窓の外を見ていた。

 あ、小鳥が飛んでる。ちゅんちゅん、と。

 などと今の状況とはおよそ関係のないことを考えていると、がらがらがら、と立て付けの悪くなった扉が力任せに開かれる。

「たのもー」

 会長の威勢のいい声が響く。あたしは諦め交じりに嘆息して、二人の後に続いて開かずの間へと足を踏み入れた。

「……誰もいないみたいですね」

「うーむ……そのようだ。これは困ったな」

「困ったって何が?」

「なっ……会長に向かってなんて口の利き方をするんだ!」

「まあまあ。別にいいじゃないか、そんなことは」

「よくないですよ! 会長に対して無礼な口を利く輩などいてはいけないんです!」

「その話はまたおいおいね。それより今は目的を果たさないと」

 会長はあたしに目配せする。何を言いたいのかわからず、あたしは首を傾げた。

「何?」

「いや、ちょっとお願いがあるんだけれど」

「お願い? 一体何を……」

「ちょっと教室の中を一周してきてくれるかい?」

「は? 普通に嫌だけれど」

 あたしが即断すると、会長は苦い顔をする。待って待って。どうしてイエスと言うと思ったのか。

 あたしは会長の考え方についていけず、肩を竦めた。全く、どうしてあたしがこの部屋を一周しないといけないのか。

 そんなことをして、開かずの間の謎が解けるというのだろうか。ばかばかしい。

 あたしはふんとそっぽを向いて、教室内を見回す。

 別段おかしなところのない、ただの空き教室だ。とても生徒一人を不登校にせしめたできごとが起こった場所とは思えなかった。

 この場所で、一体何があったのだろう。

 ほこり臭い、カビと本だらけの教室内であたしは考える。

 部屋の内部には特別変わったところはなく、とても整然としていた。長年使われていなかったのだろう。空中を舞うほこりがきらきらと日の光を反射していた。

「さて、では何から始めようか」

「そうですね……では、ちょっと片付けましょう。話はそれからです」

「そうだね。ざっと見た限り何かあるようには見えないし、原因を探る意味も込めてそうした方がいいだろうね」

「えー……」

 二人の間にでは片付ける、という話でまとまりつつあるようだ。

 ちょっと待って。あたしすごく嫌なんだけれど。

「片付けるのなら、あたしは必要ないね……」

 そろそろと開かずの間を後にしようとするあたし。けれど、辰野にがっしりと首根っこを掴まれてしまう。そのせいであたしは逃げることができない。

「何を言ってるの? あなた手伝うのよ」

「えー……でも片付けるだけならあたしは別にいらなくない?」

「そんなわけがないでしょう? あなただって立派な労働力足りえるのよ。……不本意だけれどね」

 言葉通り、辰野が不満そうな顔をする。……そんな顔するんだったら無理にあたしといなくったっていいと思うんだけれど。

 なんて考えていると、あたしはポイッと開かずの間の中に放り込まれる。


 ほこりが舞い、思いっ切り吸い込んでせき込んでしまう。

「……何をするんだ!」

「何って投げ飛ばしたんだけれど? 何か文句でも?」

「おおありじゃボケェー!」

 あたしは辰野を殴り倒してやろうと、駆け寄る。が、あたしの拳はあっさりと空を切った。

「おろ? おろろ……」

 剣心よろしく我ながら奇妙な声を上げながらすてんと床に座り込んでしまう。

 辰野はさもおかしそうに、にやついていた。

「ふん、いい気味ね」

 ふふんと鼻を鳴らし、あたしを見下ろす辰野。

 あたしは更に腹の中が煮えくり返るような思いで立ち上がった。しかし、それ以上辰野にくってかかることはしなかった。

 これ以上何をしたところで、運動音痴のあたしが辰野に太刀打ちできるとは到底思えなかったからだ。

「わかった。……手伝えばいいんでしょ、手伝えば」

「わかればよろしい」

 あたしが肩を竦めて了承する。と、辰野の得意げな顔がますます勝ち誇ったようになる。

 それがまた一層気に入らなかった。だからといってそれ以上、無駄な体力を使うつもりは毛頭ないが。

「話はまとまったようだね。なら、これからこの部屋の片付けに入ろう」

 会長がパンと手を叩き、あたしたちに向かって言う。辰野ははいと元気よく返事をした。対してあたしはぶすーっと頬を膨らませたまま、彼を睨み付ける。

「そんな顔しないでよ、石宮さん。僕だって必死なんだから」

「何が必死なの? 別にほっとけばいいじゃん、こんなの」

「そういうわけにはいかないよ」

 あたしがほこりだらけの教室内を見回すと、会長もそれに倣って……というわけでもないだろうが、教室内へと目を走らせる。

「僕は生徒会長だからね。みんなが安心して学校生活を送れるようにする義務があるんだよ」

「……だからと言って一般生徒を危険にさらすような真似はどうかと思いますけれど」

「あなたのような一般生徒なんかいないわよ!」

 辰野があたしの言葉尻を捕まえて揶揄してくる。あたしは辰野の言葉を無視して、よっこいせっと立ち上がった。

「まあ何はともあれ、逃げるのは不可能だから手伝うけれど」

「よかったよ。そう言ってくれて助かる」

「ふん、最初からそう言えばいいのよ」

「……黙れこのあばずれ!」

「なっ! 誰があばずれよ誰が!」

 辰野が顔を赤くして抗議してくる。……案外純朴な性格なのかもしれない。

「まあまあ、二人とも落ち着いて」

「むっ……」

 会長はあたしたちのやりとりに困惑したりする様子もなく、むしろ微笑ましそうな顔であたしたちをなだめてくる。

 それがまた、気に入らない。

「……それじゃあさっさと始めよう。それで、一体何からすればいいの?」

「え? ええとそれじゃあ……」

 きょろきょろと辰野が教室内を見回す。何から始めたらいいのか考えているんだろう。

「えーと、じゃあこのへんにある物を外に出すところから、かなぁ?」

「そう。じゃあ頑張って」

 あたしはひらひらと手を振り、二人を激励する。辰野が不満そうにこちらを睨んできた。

「何? 文句でも?」

「当たり前でしょ。あなたも手伝うのよ」

「どうしてあたしが。第一、あんなこと言うのなら会長一人でやるべきでしょ?」

「ははは、それはそうなんだけれどね」

 会長は頭の後ろの手をやり、気恥ずかしそうに目を細める。

「面目ない話だけれど、一人じゃ怖くって」

「当然ですよ。何せ既に一人犠牲者が出てるんですから。むしろ平気な方がどうかしているんですよ、それは」

「そうだろうか?」

「はい、その通りです」

 辰野が確信を持ってそう頷く。

 あたしは辰野のそうした部分がひどく滑稽に見えた。何か、会長に気に入られるために一生懸命な感じがしたのだ。

「そう言ってもらえるとありがたいよ。実際、男がそんなこと言っていたらだめだろう?」

「そんなことはありません! 誰だって苦手だったり怖かったりするものはいくらでもありますから! だから会長は全然格好悪くなんてないです!」

「そういう辰野さんは格好いいね」

「え? ええ……あの、そうですか……?」

 会長に褒められて、顔を赤くして俯く辰野。うえ。

「…………」

「…………」

 なんかあたしを端に置いていいムードになる二人。まあこれなら今の内に逃げだせるかもしれない。

 そろーっと、二人の脇を通って教室から出ていこうとする。が、あえなく辰野に捕まってしまった。

「どこへ行こうとしているのよ!」

「だって二人とも掃除する気なんてないじゃん! もう帰りたいよこんなところに一秒だっていたくないよ!」

 目の前であんな地獄を見せられるこっちの身にもなれってんだ。

 あたしはじたばたと手足を動かし、どうにか辰野の魔手から逃れようと無駄な抵抗を続ける。

 が、当然あたしのごときミミズ系女子が辰野のような普通の女子に腕力その他で勝てるはずもなく、あたしは再度教室に投げ入れられてほこりを舞い上がらせるのだった。

「シルヴィちゃんといちゃこらしたいよ!」

「しる……? 誰よそれ! つか知らないわよ、そんなこと!」

 辰野が完全に駄々をこねる子供を諭すお母さんみたいな口調になっていた。

 将来いいお母さんになるよ、これは。うん、あたしが保証しよう。

「シルヴィちゃんはすごく可愛いんだぞ! おまえなんかにはわからないだろうがな!」

「ええわからないわ。だからあなたの言うことなんてちっとも心に響かない。大体誰よ、シルヴィって。あなたのお友達?」

「はっ。これだからあさましい一般人は」

「なっ……! 何よ偉そうに!」

 あたしが鼻で笑って肩を竦めると、辰野は心底苛立った様子で噛みついてくる。

「わけのわからないこと言ってないでさっさと掃除しなさい! まずはこの部屋の荷物を廊下に出すところからよ!」

「……ちっ。わかったよ」

 辰野が命令口調で怒鳴ってくる。あたしは渋々作業を開始した。

 とはいえ、あたしの力で持てる物なんて限られてくる。机と椅子は辛うじて運べるが、すぐに体力の限界が訪れた。

「……ぜえはあぜえはあ」

 あたしは廊下でorzの状態で呼吸を整える。

「あなた、体力なさ過ぎじゃない? まだ作業を始めて五分と経ってないわよ?」

「し、しょうがない……だろ。あたしは……あんたたちみたいにサイボーグじゃないんだから」

「わたしだって別にサイボーグじゃないわよ」

 辰野がじとっとした目であたしを見てくる。そんな目をされたって、あたしの体力は回復しないし。

「まあ二人とも、そうけんかばかりしないで。仲よくしよう」

 会長が机を運びながら、的外れなことを言う。

 仲よくするも何も、最初からよくなるような仲なんて存在しないんだから。これでどうやって仲よくしろ、なんて言えるんだか。

 あたしは会長のそういう態度が気に入らなかった。ぺっと心中で会長の言ったことを吐き出して、首を振る。

 さて、そろそろ再開しよう。どれだけ文句を言ったって、辰野はあたしを開放してくれるつもりはないようだから。

 なら、給料分の仕事はしよう。そっちの方が早く家に帰れそうだから。

 あたしはそう心の中で呟いて、立ち上がる。最後にふーっと深く息を吐いて、再び教室へと入った。

 それからしばらく、会長と辰野の話し声を聞きながら作業を続けた。

 

 

                      ●

 

 

 そして作業が終わる頃には、あたりは段々と夕焼け色に染まり出してきた。

 あたしは窓の外を眺めて、いつもならもう家に帰りついている頃なのになぁと嘆息する。

 何だったら、ゲームの一本でもクリアしている頃だろうに。シルヴィちゃんの笑顔が恋しい。

 そんなふうにあたしが一人たそがれていると、頬に冷たい感触を覚えて全身がびくっとなる。

「な、なな何!」

 振り返ると、辰野が憮然とした様子であたしにペプシを差し出していた。

「ほら。会長からの差し入れよ」

「へ? あ、ああ……うん」

 あたしは戸惑いつつ、辰野からペプシを受け取った。

「えっと……どうして?」

「どうしてってそりゃあ会長に言われたからよ。あなたの分まで買っていきなさいって」

「じゃなくて……ええと、あの」

「? 何が言いたいわけ? はっきりしてよ」

「……いや、何でもない」

「まったく、おかしな人ね」

 言って、辰野は自分の分の飲み物のふたを開けた。辰野はどうやらスコールを選んだらしい。

 一口煽る。と、ぷはぁーっと気持ちよさそうに飲み下した。

「やっぱ労働の後のジュースは最高ね。……何? あんたは飲まないの?」

「ああ、いや」

「まさか、コーラ苦手とか?」

「そんなことはないけれど」

 辰野が不安そうに聞いてくる。ので、あたしは率直にそう答えた。

 すると辰野は安心したように頬を緩め、あたしにペプシを飲むよう促してくる。

「飲んどいたほうがいいわよ? まだ作業は残ってるんだから」

「あー……でもあたし普通にコカ・コーラの方がよかった」

「ぶん殴るわよ?」

「それは嫌だ」

 別にペプシが嫌いというわけではないので、ふたを開けて一口含む。

 うん、やっぱコカ・コーラの方がいいな、絶対。

「それ飲んだらもう一仕事よ」

「……そういえば会長は?」

 あたしは会長の姿がないことに気づき、訊ねた。

 辰野はスコールのふたを閉めながら、簡潔に答えをくれた。

「会長は他の仕事があるって言って生徒会室に帰って言ったわ。後のことはわたしたちに任せたって」

「任せたって言われても……」

 困る。あたしと辰野はまったく仲がよくない。ほとんど初対面と言っても差し支えないのではないだろうか。

 そんなあたしたちがたった二人きりで作業をするなど、地獄にもほどがある。

「何よ?」

「ああ、いや別に何でもないし」

 あたしがじーっと見ていたからだろう。辰野は怪訝そうな顔をしてあたしを振り返る。

「言っとくけれどわたしはあなたのことなんて嫌いだから。そのへん勘違いしないでよ」

「えーと、それはツンデレ的な奴?」

「違うわよ馬鹿じゃない何それイミワカンナイ!」

 辰野が勢いよくまくし立ててくる。あたしははいはいツンデレ乙と心の中で嘲笑し、何となく勝ったような気分になった。

「わかったからはやく続きしよ。ね?」

「何その口調! ぞっとするからやめて!」

 言葉の通り、辰野は両肩を抱くようにしてブルッと全身を震わせる。

 別に辰野を怖がらせるつもりはなかったんだけれど。いいことないし。

 あたしは思わぬ出来事に驚きつつ、それを表に出すまいとする。

「変なことばかり言ってないでさっさと荷物運んで!」

 辰野がびしぃっと人差し指をこっちに向けてくる。他人を指さすなと教えられなかったのだろうか?

 あたしは内心で辰野を哀れに思った。あたしが言うのもなんだけれど、ろくな教育がされていないなぁ。

「何よその目は……」

「何でもない。さあ続き続き」

「ちっ……腹立つわねぇ」

 あたしは辰野から視線を外し、手近にあった軽そうな荷物を抱え上げ――ようとして思いっ切りずっこけた。

「わわわっ!」

 ばたーん! と派手な音がする。もうもうとほこりが舞い、あたしも辰野もせき込んでしまう。

「もう、何をやっているのよ! ……ったく」

「この荷物が重かったんだって! つーか何が入ってんの、これ?」

 あたしは見た目とは裏腹にすごく重たいその荷物へと視線を落とす。ほんとに何が入ってるんだろう?

「……開けてみていいかな?」

「は? いいわけないでしょ。いいからさっさと……ってこら!」

 あたしは好奇心に負けて、箱を開けようとした。けれど、寸でのところで辰野に止められる。

「何しているのよ、一体!」

「やっ……ちょっと開けてみようと思って」

「大切な物だったらどうするのよ!」

「だったらさっき転んだ時にもうだめになってるだろうからいまさらじゃ……」

「開き直ってんじゃないわよ!」

 それから数秒間、あたしと辰野の格闘は続いた。そして当然のように、辰野の軍配が上がる。

「……ったく。これはわたしが運ぶわ。あなたはそっちの小さい荷物をお願い」

「へいへい」

 あたしはなんだか面白くなくて、ぶすっとする。辰野に言われた通り、小さい荷物を手に取った。

「はぁ……人使いが荒いなぁ」

 などとぼやいていると、背後でばたーん! と派手な音がした。

 あたしは振り返り、音の正体を探る。

「……何やってるの? あたしの真似?」

「そんなわけがないでしょう! 重いのよこれ!」

 辰野が荷物を指さして叫ぶ。あたしはげらげらと声を上げて笑った。

 あたしにはああ言ったくせに、馬鹿な奴だ。

 あたしはひとしきり笑って辰野を馬鹿にした。

 どれくらい笑っただろうか。辰野が何か文句を言ってくるが、右から左へと聞き流す。

 しばらくして、ようやく笑いが収まる。……と、ぐずっと鼻をすする音が聞こえてきた。

「……え? 何今の?」

「は? 何? どうかしたの?」

「聞こえなかったの、今の音?」

「……音?」

 辰野が怪訝そうな顔で訊ね返してくる。二人して耳を澄ませると、またぐずっと聞こえた。

「ほら、やっぱ!」

「……まあ、確かに聞こえたわ」

「でしょ? ……どこから?」

 きょろきょろと室内を見回す。が、人が隠れられそうな場所なんていくらでもあって、それこそ見つけるのが一苦労だ。

 などと考えていると、また聞こえてきた。今度は結構近くからだとわかる。

 どこから……?

 考えつつ、更に教室内を探っていく。

 机は全部出したから、後は段ボールやらに入れられた荷物だ。

 一つ一つ、耳をつけて中の様子を伺う。箱を開けるのは勇気が必要なので断念した。

 なんか突然襲われたりしたら最悪だし。

「……これが最後の箱か」

 残り一つを除いて、ほぼ全ての段ボールを調べ尽くした。

 そうこうしている内にすすり泣くような声は聞こえなくなっていた。が、今更遅い。

 あたしだけでなく辰野も聞いているのだから、あたしの気のせいというわけではないだろう。

「い、いくぞ……」

 ごくりと辰野が唾液を飲み下す。あたしも手が震えるのを我慢できなかった。

 そろーっと、おそるおそる段ボールを開ける。そういえばこれ、小柄な人間だったら一人くらい入れそうな大きさしてるな。

 ゆっくりと段ボールを開いていく。開ききる直前、思わず目を瞑る。

 ホラーゲームだと、ここで段ボールの中に死体とか入ってるパターンだよなぁこれ。あたし、別にホラー苦手じゃないけれど実際に目の前に死体があるとかマジ簡便。

 あたしは口の端から乾いた血を流した女生徒の死体や白骨化したセーラー服美少女の姿を脳裏に思い浮かべて、ぞっとする。

 うう……やっぱやめようかな、開けるの。すごく怖いし。

 みたいなことを考えていると、バッと背後から手が伸びてきてびっくりした。

 振り返ってみると……まあ当然だけれど辰野だった。

「何やってるのよ、さっさと開けないさいよ!」

「ちょっ……待って」

 あたしが制止するのも聞かず、辰野は段ボールを開け放つ。

 あたしは思わず身を引いた。どんな凄惨な光景が広がっているのか、想像だにできない。

 顔を逸らし、辰野の反応を待つ。悲鳴が上がらないのは、きっとそんな気も起きないほどの光景が広がっているからだ。

「……ちょっと待って、何これ?」

「ど、どうした……ん?」

 辰野の驚きの声が気になって、うっすらと目を開ける。段ボールの方へと顔を向けると、あたしは思わず目を丸くした。

「え、ええと……」

 何と言ったらいいかわからない。この状況を言葉にする方法をあたしは知らない。

 どうしたらいい? ええと、あたしはどうしたらいい?

 とりあえず、話しかけてみることにした。

「……何してるの?」

 あたしは段ボールの中身に向かって問いかけた。が、中身の方から返事はない。

 ぶるぶると恐怖に打ち震えるように小刻みに振動を続けている。

 いや、震えられてもこっちも困るんだけれど。

 あたしも辰野も段ボールの中身に呆然としている。ほんとどうしたらいいんだ、これ?

 そのまま五分ほど時間が過ぎる。と、辰野が段ボールの中身に向かって手を差し伸ばす。

「……いつまでもそうしているものではないわ。立ちなさい」

 段ボールの中身は辰野の手をぎょっとした様子で見つめる。その手を取ろうかどうか迷っているようだ。

 段ボールの中身は辰野の手を無視してゆっくりと立ち上がる。

 そうしてから、あたしたちを交互に見る。何か、妙なことを考えているようだ。

 警戒……しているのだろうか。

 あたしはそいつをじっと見つめる。と、そいつは恥ずかしそうに俯いた。

 顔の半分を隠すほどの長い髪とちょっと荒れた肌が特徴的な女生徒だった。

 決して可愛いとか奇麗とかいうほどではないけれど、それはたぶん今この状況だから思うのだろう。きっとそれなりに手入れしたりしたら光る素材だと思われる。あたしが言うのも何だけれど。

「え? ええと……何してるのよ?」

 辰野は困惑した様子でその女性徒に訊ねる。

 そりゃあそうだろう。何せ段ボールの中から出てきたのだ。あたしだって何をしていたのか聞きたい。

「その……えと、えと……隠れて、ました」

 女生徒はオタオタとした様子でたどたどしく説明する。けれどそんな説明で辰野が納得できるはずもなく、更に女生徒に問いを重ねた。

「隠れてたってなんでよ?」

「だって……えとその……話し声が聞こえてきた、から」

「それって……」

 どうやらあたしたちが来たから隠れたということらしい。

 まあ、だからといって段ボールの中から出てきた説明にはならないけれど。第一、なんであたしたちが来たからといって隠れなくちゃならないのか。それがわからない。

「だって……だって」

 女生徒は言葉を探すように空を見つめる。うろうろと視線が忙しなく動き回る。

 どうやら、あまり他人と話すのが得意ではないらしい。あたしもそうだから、何となく親近感を覚えてしまう。

 たっぷり一分ほどが過ぎ、あたしも辰野も辛抱強く彼女の言葉を待つ。

 ようやく、いい塩梅の言葉が見つかったのか女生徒はパッと顔を上げ、口を開いた。

「怖い……から?」

「なんで疑問形なのよ? つか怖いって? あたしたちが?」

「うっ……ごめんなさい!」

 辰野が鬼のような形相で睨み付ける。と、女生徒は勢いよく腰を折り曲げ、謝罪する。

 別段悪いことなんてしてないだろうに、なんだか不憫だ。

「べ、別に謝ってほしいなんて言ってないじゃない。ただわたしは……」

「あの……お二人はどうしてここに?」

 女生徒はおどおどと恐怖の色を瞳の中に滲ませつつ、訊ねて来た。

 どうしてこんな辺鄙な場所に来たのか、と問いたいらしい。

「どうしてってそりゃあ噂の真偽を確かめるためよ」

「ちなみにあたしは違うから」

 彼女にとってはどうでもいいことだろうが、一応否定しておく。

 案の定、女生徒はあたしの弁解を見事にスルーして首を傾げた。

「噂……? とは?」

「噂は噂よ。あなた知らないの? 開かずの間の噂」

「開かずの間……ですか? ええと、ごめんなさい、わかりません」

「むっ……別に知らないならそれでいいわよ」

 女生徒は俯き、ごにょごにょと言う。その姿があまりにこちらの罪悪感を誘う。

 辰野もあたしと同じ気持ちになったらしく、居心地の悪そうにぽりぽりと頬を掻いている。

 女生徒は俯いたまま、涙目になった。何だ? どうして泣く?

「な、泣かないでよ。調子狂うわね……」

「ご、ごめんなさい。わたし……」

「いちいち謝らないでいいわよ。それよりあなたこそここで何をしていたの?」

「それは……」

 辰野に訊かれて言い淀む女生徒。わかる、わかるよ、その気持ち。

 辰野はどちらかと言うときつい顔立ちをしている。その上言葉尻も激しく、あまり話しやすい性格とは言い難いだろう。

 かくいうあたしも辰野とは今日がほとんど初対面なのだが、それでも辰野は遠慮なくあたしを罵倒してくるのだからその性格の悪さが伺えるだろう。

 あたしうんと一つ頷き、ぽんと女生徒の肩を叩いた。

「やっぱこいつは気に入らないな」

「え? あーと……いえ、わたしは……」

「大丈夫大丈夫。そう怖がることはないって。確かにこいつは怒りっぽくて見るからに短期で将来結婚できなさそうだけれど」

「あんた、いい度胸してるわね……」

 ゴゴゴゴゴッと背景に凄味を滲ませながら、辰野はあたしを睨んでくる。けれどあたしはそれを軽く無視して、話を続けた。

「ま、あいつのことは軽く無視して、まずはあんたの名前を教えてほしいんだけれど?」

「な、名前? ええと、わたしは……」

 女生徒は言葉をつかえさせつつ、なんとか名乗る。

 それによると、女生徒は小林と言うらしい。小林香子。なんとなく古風な感じの名前だ。

 うーん、確かに見た目もそんな感じだけれど。いや、古風というより小汚いといった印象だ。

 これはまるで……あれだ。

「小林……もしかしてあんた、何日も家に帰ってないんじゃない?」

 あたしが指摘すると、小林はぎくっと肩を揺らした。あからさまに動揺して、目を泳がせる。

「え、えとえと……一体何のことでしょうか? わたしにはちょっと」

 早口でまくしたてようとする小林。だけれど、普段あまり喋り慣れていないのだろう。途中で舌を噛んでしまい、痛そうに顔をしかめた。

「え? どういうこと? つかなんでそんなことがわかるのよ?」

「……ま、なんとなく?」

「なんとなくってあんたねぇ……」

 辰野が呆れたように言ってくるがそんなことはどうだっていい。

「開かずの間の噂……一ヶ月前からこの前を通るとなぜか次々と不幸なできごとに教われっる生徒たち。そして同じ時期にいなくなった一人の生徒。全部偶然だと思う?」

「それは……でもそれを同じ時期に起こったからって全て関連づけて考えるのは早計よ。それに強引だわ」

「まあ……それはそうなんだけれど。でもそうとでも考えないと辻褄が合わないし」

「仮にそうだったとしても、それで人が一人不登校になるような心の傷を負うとは到底思えない。だって彼女には……その、他人を脅かすような人には見えないわ」

「そりゃあ……故意ではないだろうけれど」

「故意じゃない? じゃあなんだって言うのよ?」

「やっ……あたしに訊かれても困る」

 あたしだって単なる思いつきを口にしただけなのだから。

 辰野は説明を求めるようにあたしに視線を向けてくる。が、あたしから答えられることはそう多くなく、そしてあたしが思いつく程度のことは辰野にだってわかっていることだろう。

「まあいいわ。そのへんはおいおいはっきりさせていきましょう。当面の問題はあなたがここで何をしていたのかよ、小林さん」

「えと……探し物を……はい」

「探し物? それって一体何よ?」

「わ、わたしの……大切な物です」

 小林は顔を俯かせ、ぼそぼそと言う。かなり聞き取りずらかったがなんとか耳に届いてくる。

 小林……もうちょっとはっきり喋ってくれ。メイドラゴンを飼ってるほうの小林とは段違いだ。同じ小林でもこっちの小林はなんというか……扱いずらい。

「だったらわたしたちも手伝うわ」

「えっ?」

 辰野が勝手なことを言うので、あたしは思わずぎょっとした。

 わたし「たちも」と言ったか、このあばずれ?

 あたしは辰野の肩を掴み、思い切り揺する。

「ちょっと待って! あたしはそこまでするとは言ってない!」

「だめよ。これは決定したことよ」

「決定したことって……」

「後やめなさい。気持ちが悪いわ」

 ゴンッと辰野の拳があたしの頭頂部に下ろされる。ぐおお、痛い……馬鹿になったらどうするつもりだこの馬鹿野郎!

 あたしは辰野を恨みがましく睨みつける。が、辰野は既にあたしから視線を外し、小林のほうへと向き直っていた。

「それで? 一体何を探しているの?」

「え、ええと……それはその、えっと」

「わからないわ。はっきりして」

「ご、ごめんなさい……」

 小林がまた謝る。それに苛立ったのか、辰野のまゆがぴくりと動いた。

「また……まあいいわ。とりあえずこの中にある物全てを引っ掻き回せば見つかるんでしょう? だったら何も問題はないわ」

「いやいやいや、問題だらけでしょうが。もう完全下校までそんなに時間ないんだけれど?」

 なんてまじめぶったことを言ってみる。けれど、辰野にはもちろん小林にとってもあたしの言葉は聞く価値を持たないらしい。二人はあたしを一瞥して、段ボールやら荷物やらを廊下に出す作業を再開する。

 あたしはどうしたものかと頭を掻いた。

 いくら前払いで報酬をもらっているとはいえ、これは契約外のことだろう。

 第一、依頼は開かずの間の調査だったはずだ。可能なら解決までを手伝う。なら、教室の掃除なんてあたしの仕事じゃない。帰ったって問題はないはずだ。

 あたしはそう自分の中で結論づけた。いつまでも付き合ってなんていられない。馬鹿馬鹿しい。

 二人を置いて帰ろうとする。と、辰野の怒号が飛んできた。

「何勝手に帰ろうとしてるのよ! あんたも手伝いなさい!」

 ピタッと、思わず足を止めてしまうあたし。お母さんの怒り方そっくりだ。

 あたしは振り返り、文句の一つでも言ってやろうと口を開きかける。が、あたしの口から罵詈雑言が飛び出ることはなかった。

 理由としては……辰野の隣に小林がいたからだ。小林は困ったようにまゆを寄せ、唇の端を小さく震わせている。それはまるで、宝物を失った幼い子供のようだった。

「……わーったよ、手伝えばいいんでしょ、手伝えば!」

 小林の小動物ちっくな表情に負けて、あたしは二人の側へと戻っていく。

 その途中で、あたしは胸の内で嘆息した。

 あたしも大概、お人好しだなぁ。……さすがはあのあにきの妹といったところか。

「はいはいわかりましたよ。それで、一体何からすればいい?」

「荷物は大体運び終わってるし、後は机の中身をチェックしてから段ボールの中の物を教室に並べる。それを小林さんに確認してもらうのよ」

「わ、わたし?」

「当たり前でしょう? わたしたちはあなたが何を探しているのか全くわからないんだから」

「そ、そうだよね。そう、だよね……」

 小林が見るからにしゅんとなる。まああまり怒鳴られたりするのが得意じゃないっぽいしここは仕方がないんだけれど。

 それにしても、小林の様子は変だと思う。

 特別根拠なんてないが、あたしはなぜかそう思った。

 小林はあたしたちに探し物がなんであるか、それを知られたくないのではないだろうか? だからこそずっと、一人で探しているのだ。

 そう考えると、小林の行動にも一応の説明はつく。そして、そこまでして探し出したい物とはつまり、小林にとって相当大切な物なのだろう。

 果たして、易々とあたしたちが踏み入っていい領分なのだろうか。

「……小林」

「な、なんでしょうか?」

 小林はびくっと全身を揺らす。そこまで怖がらなくても。

「いや……もしあたしたちの事が邪魔だったら、遠慮せずに言ってくれていいから」

「じ、邪魔なんてそんな……」

 ぶんぶんと小林が頭を振る。そのあまりの激しさに、あたしたちは圧倒された。

 いや、そこまで否定しなくても。というか、邪魔だと言ってくれたほうがあたしも後ろ髪を引かれずに帰れるのだけれど。

 あたしが秘かにそう願っていることなど露ほども思っていないよう顔で、小林は言う。前髪のせいで表情が読み取りづらいけれど。

「わ、わたしもそろそろ……誰かに手伝って貰いたいと思っていました」

「本当? ならちょうどよかったわ」

 ふふん、となぜか得意げになる辰野。あたしは辰野から視線を外し、大量に並べられた段ボール群を見た。

「それで? 一体何を探してるわけ? まさか、見つかりにくい物じゃないでしょう?」

「はい。ええと、本……です」

「本? どんな本? タイトルは?」

 辰野が怪訝そうな顔でタイトルを訊ねる。

 あたしはこの時点で、ひどく嫌な気持ちになる。

 何せ段ボールの中身はそのほとんどが本だ。この中から一冊だけを見つけ出すのだとすれば、それはもう森の中から木の葉を見つけ出すようなものだ。……例えば悪いか?

「ええと、コナン・ドイルの『緋色の研究』です」

「へー、あなたシャーロキアン?」

「い、いえ……わたしなんて全然です」

 小林が辰野の言葉を否定するように手を振る。

 ああはいはい。知ってるよそれ。シャーロック・ホームズが登場する奴でしょ? FGOで出てきたよ、シャーロック・ホームズ。

「んん? こんなこと言うのもなんだけれど、それなら新しく買えばいいんじゃない?」

「え? えと……はい、そうですね」

「あれ? どうしたの、小林さん?」

 辰野の空気の読めない発言のせいで小林がまた落ち込んでしまった。

 全く……全然だめだな、こいつ。

「本の価値以上に小林にとって価値があるんだろ。市場価値と本人がどう大切に思うかはそれぞれ別個の問題だからな。全くこれだから生徒会は」

「なっ……! 何を知った風な口を! 大体、今のは生徒会関係ないだろう!」

 辰野が噛みついてくるが気にしないことにしよう。

 本を大切にする少女……ゲームではよくある設定だ。そしてそういう類いの奴は大抵の場合頭がいい。更に言うと無駄に本を大切にする。

「まったく……というか、なんでまたこんなところに本が……」

「隠されてしまって……」

「隠された? 誰に?」

 辰野が怪訝そうな顔で聞き返す。そりゃあそうだ。あたしだって聞きたい。

 『緋色の研究』をなぜ隠したりしたのかを。

「なぜ……かはわかりませんが、どうしてかはわかります」

「動機ならわかるってこと? どうして?」

「その……たぶんわたしが気に入らなかったんだと、思います」

「気に入らなかったって……ただそれだけの理由で隠したりするかしら?」

 辰野は首を傾げ、ううんと唸る。

 確かに、相手を気に入らないという理由だけで本を隠す。それに南校舎一番最奥にあるこの教室に、だ。

 普段生徒が使っているのは西校舎だ。つまりほぼ正反対の位置にあるこの南校舎のこの開かずの間までやって来るというのは、相当な労力を伴う。

 普段はまったく使われないから、教師だって何かしらの用事がない限りは近づかないような場所なのだ。

 あたしならそんな面倒でただただ労力の無駄としか思えないようなことはしないだろう。ましてそこに何も意味を見出せないような場合はなおさらだ。

「わたしならもっとうまく隠すわ」

 あれ? なんかあたしとは意見が食い違っているぞ?

 辰野はあごに手を添え、ぐるりと空を眺める。

「例えば……そうねぇ。西校舎の三階にある図書室なんてどうかしら? 木を隠すなら森の中っていうし」

 なるほど。本を隠すなら本の中、ということか。

 あたしが関心していると、小林は困ったように目を泳がせていた。

「えとえと……そういうのは、ちょっと」

「ああ、ごめんなさい。そういう話じゃなかったわね」

「い、いえ……」

 辰野が謝ると、小林は更に困った様子だった。というか、こいつずっと困ってんな。

「さて、作業を再開しましょう。とはいえ、大体の部分は終わったからそう時間はかからないはずよ」

 かくして、あたしたちは『緋色の研究』の捜索を再開するのだった。

 

 

                      ●

 

 

 結果として本は無事に見つかった。特別痛んだりすることなく、至極丁寧に包装され、とある一つの段ボールの一番下に入れられていた。

 だからいじめ方が中途半端なんだよ。どうせならページとページを引き裂いたりしたらよかったのに。

 あたしは嘆息して、小林の手の中に大人しく収まっているその本を見つめた。

「そんなに大切な物? どこにでも売っているような本にしか見えないけれど?」

 またしても辰野が空気の読めない発言をする。本当にこいつは何もわかっちゃいないな。

 確かに小林の持つ本は新潮文庫の翻訳版だ。かくいうあたしも何度か読んでみようと緒戦したことはあったが、漫画やラノベと違って文字ばかりなのでどうにもモチベが続かず断念したことが幾度もあった。

 児童文学版? 知ら官。

「ま、なんだっていいわ。目的の物は見つかったんだし、これで一件落着ね」

「一件……落着?」

 小林が不思議そうな顔であたしたちを交互に見つめる。ん? 何この反応?

「あの、何かあったんですか?」

「小林さん知らないの? 実は……」

 辰野があたしたちがここに来た目的と、その原因のあらましを小林に教える。

 辰野の話を聞いて、小林の顔色がみるみる悪くなっていった。

「え? ええと、なんでそんなことに……?」

「へ? いやわたしに訊かれてもわからないけれど。でも、おそらく原因はあなたよ、小林さん」

「わ、わたし……ですか?」

「ええ。だって他にこんなところにいる人なんていないもの。あなたが原因だと考えるのが妥当だわ」

「だ、だってそんなこと心当たりが……あっ」

 辰野の話を否定しようとした小林だったが、思い当たるフシがあったのか、小さく口を開けた。

「……あれ、かなぁ」

「何? どうしたのよ?」

「え、えと……実は」

 そうして切り出す小林。

 小林の話に寄れば、女生徒が不登校を開始する前日。つまりその女生徒と小林との邂逅(推定)が起こった日は小林は本を探していたのだという。例のシャーロック・ホームズの第一作目だ。

 なかなか見つからず、偶然近くを通りかかった女生徒に訊ねてみようと声をかけたとのことだった。その時には既に今みたいななりをしていたから、相当怖かったのだろうと小林容疑者は語る。……なんてはた迷惑な話だ。

 小林の小噺には、あたしも辰野も押し黙るしかなかった。

 小林は本を胸の前に抱いたまま、しゅんと落ち込んでしまう。

「わ、わたしのせいでそんなことに……」

「ま、事情はわかったわ。他に考えられることもないようだし、それが真相みたいね」

「は、はい……お騒がせしました」

「別にいいわよ。もしわたしが小林さんの立場だったら、同じことをしていただろうし」

「あ、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げる小林。あたしはそんな小林の頭頂部のつむじのあたりを眺めながら、秘かに心の中で呟いた。

 いやいや、おまえにその展開はねーよ。

 辰野みたいなリア充代表格的女子の前に、小林のようなイベントは起こらない。それはあたしが自信を持って断言する。

「あの……わたし、その人に謝りたい……です」

「うーん? ……別にその必要はないと思うけれど……ま、小林さんがそう言うのならそれでもいいかも知れないわ。小林さんに悪気がなかったとわかったら、その人もきっと許してくれると思うから」

「は、はい……がんばります」

 瞳の奥に決意を漲らせる小林。なんだろう、今から力が入り過ぎなんじゃないだろうか。

 あたしは一抹の不安を覚えたが、まあこれ以上はあたしの感知するところじゃない。妙尾な関わり方をしてこれ以上あたしの時間を奪われるのはごめんだ。

「じゃ、用事も終わったところであたしは帰るから」

「ちょっと待ちなさい」

 ガッと辰野に肩を掴まれ、呼び止められる。ああ、またこのパターンか。

「まだ片づけが残っているわ」

「待て、これを全部戻すのか?」

「当たり前よ。このままにはしておけないわ」

「……ええ」

「大丈夫よ。今度は人手も増えたことだし」

 辰野がちらりと小林を見やる。小林は一瞬驚いた様子だったが、すぐに小さく頷いた。

「わ、わかりました。一緒にお手伝いします」

「ありがとう。助かるわ。ほら」

「はいはいわかったから」

 ぐいぐいと辰野があたしの腕を引っ張る。あたしは抵抗する気力すらなく、そのまま引っ張って行かれるのだった。

「ほら、そっち持って。わたしはこっちの荷物やるから」

「へいへい。わかりましたよー」

「小林さんはそっちの小さい奴お願い」

「は、はい……」

 辰野が偉そうに場を仕切る。そうしてテキパキと、廊下に広げられた荷物を片していく。

 その作業は、約一時間にも及んだのだった。

 ああ、あたしのゲームの時間が……なくなっていくぅ(泣)。


中学校の頃は、電気の点いていない薄暗い廊下や使われていない教室などは例え昼間であっても不気味に感じていました。そこには何か、恐ろしい化け物や人外が潜んでいるのではないかと思えたのです。まあほとんどの場合、ただの思い過ごしでしたけれど(笑)。

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