十三話
朱里SIDE
「戦争条約…ですか……」
「そうだ。それがここに来た本来の目的だ」
桃香さまと私、そして向こうには北郷さんと旧友の愛理ちゃんが集まった会談の話題は予想したよりは穏やかな内容でした。もちろんそれを聞いた桃香さまは暗い顔をしましたけど。
「私たち、結局戦うことになるんだよね」
「そうだ」
「当たり前だよね。目標が違うのだから…」
「……そうだ」
桃香さまはいつか北郷さんと戦うことになるだろうと思うと気が重くなるようです。私は別の意味で気が重くなりますが…。
知っている限り目の前に居るこの人は今天下にて一番悪名の高い策士です。その策に今までの倫理と法道は通用せず、それに囚われていては決してこの人に勝てません。でも、道を外してしまっては、たとえ勝つとしても桃香さまの望む理想には届かなくなってしまうでしょう。だから北郷さんと戦うことは、桃香さまにしては越えねばならない壁の前に立つことであると同時に誰も通りたがらない陰湿な狭道に進む事でもあるのでした。
が、今はまだその時ではありませんから…
「戦争条約を結ぶと言っても、大したものではない。本来国同士の戦にあるべき礼儀というものを明文化し、拘束力を得るようにしようという意味だ。」
「…戦で守らなければならない礼儀って何?」
「例えば宣戦布告がそうですね。戦を仕掛ける前に相手に宣戦布告することは戦争をする相手に対しての礼儀です。逆に宣戦布告なしに突然国境を越えてくることは礼に反します。後は捕虜に関してのものですね。敵の兵でも降伏するのならその身柄を拘束するまでにとどまって命を奪ってはなりません」
血で血を洗う戦争に礼儀など何の意味があるかと言われるかもしれませんが、それでは戦争というのは戦地に置いて最後の一人の敵までも地にその血を吸わせるまで終わりません。それは即ちこの軍が最後に天下を手にするとしても、天下には誰一人残らないということです。
「華琳と桃香は今この天下にて帝に認められている二つの軍だ。この両軍の戦いは出来るだけ後回しにしなければならない」
「まずは他の所から攻める。そういうわけですね」
「……」
私たちは今河北を制覇するだけでも忙しいです。袁家の残党はもうそんなに残っていませんが油断はできませんし、并州の黒山賊も厄介です。并州は本来辺境であって住んでる人たちも居民族とほぼ変わりません。人口は少ないものの、涼州と同じく皆馬に乗れる、良く訓練された戦士たちで、こっちはほぼ州の男たちがすべて山賊と見て過言ではありません。袁紹さんは一時彼らに本城であるここ南皮にまで押されそうになった事もあるくらいでした。
反面、曹操軍は兗州と、あまり軍事的に役に立たなくなっている司隷を持っています。もし曹操軍が中原を制覇すれば、私たちはコレ以上南下出来なくなり、最終的には曹操軍との最終決戦が長引くことジリ貧になるでしょう。
だとすると衢地となるのは…。
「徐州の中立をまず要求します」
それを聞いた北郷さんの目が細くなります。
徐州は事実上私たちの軍が河北を制覇した後、南を目指せる唯一の道です。兗州、司隷は既に曹操軍領で、青州の河南に位置する部分の下には徐州があります。この徐州までも塞がってしまう場合、私たちは豫州、荊州、益州などに行く道を完全に失ってしまいます。
…というのが名目上の問題。
実際には徐州の経済力と人材を曹操軍に取られたくないのが本音です。
「その条件は受け入れかねます」
北郷さんよりも先にそう言ったのは愛理ちゃんでした。
「徐州は御存知の通り衢地です。今の劉備軍は河北の制覇にも手一杯。事実上徐州を手に入れられる権利はこちらにあります。それはこちらに圧倒的に不利な条件で、他に何を以ってしてもその均衡を取り戻すような条約は結べないでしょう」
私は街で愛理ちゃんに目指すものが違うからと言って、私たちが友達じゃなくなるわけではないと言いました。でもこうして対立するようになるとちょっと辛いという気持ちもないと言ったら嘘になります。だけど、これが正しいんです。
それにしても愛理ちゃんってこんなに人の前で直説な話をする娘じゃなかったのに、きっと北郷さんの影響ですね。たった三ヶ月でここまで人を変えるなんて、本当に恐ろしい人です。
「徐州がもし曹操軍の領になるとこちらは完全に南へ行く道を塞がれてしまいます。そうなった場合でもこちらにはこの戦争条約というのを結ぶ利がありません」
当たり前な話ですけど、もし条約がこのまま結べなかった場合、それは即ち両軍間の全面戦争が始まるということも同然です。そうなった時まだ内部の問題が解決できていない私たちに不利な面がありますが、だからといってここで譲るほど豊かな状況でもありません。
「ならば軍隊の通行条約を結びましょう。こちらが徐州を得た場合、軍が徐州より南下できるよう道を貸します」
「それも事実上道が断ち切られてこちらには無意味な条件です。しかもそれはこちらの軍の動きが見透かされるようなものです。」
「こちらは別に条約結ばないで今から帰って徐州攻略を進言しても構わないません。それともこのまま劉備軍との全面戦を準備しても全く構わないのですが」
「それが出来たのならそちらから条約の話なんて持ち込まなかったでしょう。理由が何かは知らないけど、徐州を攻められないから私たちの所に来たのでは?」
「……」
「……」
愛理ちゃんが割りと容赦がなくて困ります。こっちも情報が完璧なわけではないので確信は出来ませんが、徐州を攻められない理由があるとすれば候補は豫州じゃなければ西涼が騒がしいとかでしょうし。
「こちらは今西涼攻めを準備している」
「ええええええ?!!!」
そして北郷さんの爆弾宣言に愛理ちゃんが驚いて椅子からパッと立つのでした。
「なんでそれ言っちゃうんですか?!ほんと帰ったら訴えられますよ!?」
「お前が訴えるのか?」
「それは…!っんもう!!」
さっきまで真面目に協商していた愛理ちゃんはふててしまいそっぽを向きました。
「どうせ明かす内容だったから良い。あと徐州なんてこの際どうでも良い。そっちの腹の探りあいで条約を結べなくなっても困る」
「徐州はこちらからも譲れません」
「なら期限を決めよう。一年だ。一年間曹操軍も劉備軍も徐州に攻め入ることができない。これを条件にする」
「……」
私は河北を完全に制覇するまで一年弱がかかるだろうと踏んでいました。西涼は中国から見ると僻地であり、五胡との戦いが日々繰り広げられている西涼の兵を彼らの地で相手するというのは至難の業です。一年で足りるかどうか判りません。
要はこれはどっちがより早く最優先目標である河北制覇と西涼制覇を済ませて徐州に目を向ける余裕を持てるようになるかの勝負です。
「判りました。その条件をのみます」
「よし、なら本題である条約の件だ。ここに基本となる項目を用意してある。確認をして追加することは修正したいものがあるなら話してくれ」
<pf>
それから協商は二刻ほど続きました。
条約の内容は大まかに大事な点は以下のようになりました。
・一年間徐州を中立に置く。
・徐州がどちらかの支配下に置かれた場合、理由なく互いの軍から来る貿易を断たない。
・一年間互いへの侵攻及び流言などの謀略などを使わない。
・両軍は最大限に互いを尊重した上で戦争を行う。故に互いの地や戦争に出ていない民を無闇に傷つけたり、自軍、他軍の民を人質にするような策を禁ずる。
・戦闘での降伏宣言は必ず受ける。捕らえた捕虜には将兵を問わずに十分な待遇をする。
・互いに侵攻しようとする際には必ず宣戦布告をし、少なくも三ヶ月の猶予を置く。
・互いへの宣戦布告には天子の允許が必要になる。允許の証拠として必ず両方の将以上の者が見る前で天子より勅書を頂く。
最後の項目は桃香さまの案でした。皇帝陛下が両軍の戦を止めてくれる可能性を考えているみたいですが、あまり期待できそうな歯止めではありません。
他にも出来るだけ無駄な犠牲が増やさないための条約を幾つか結びました。
「ふう…これでやっと終わった」
桃香さまが冀州州牧の印を条約書に押して北郷さんに渡しました。
「これからどうするの?ちょっと遅れたけど皆でお昼食べに行かない?」
「いや、用事が済んだらさっさと帰らせろ」
「ええ?!まだもものぱい食べてません!」
「お前は自分が何しにきたのか思いだせ。桃の季節を満喫しに来たわけじゃないぞ」
「うぅぅ…」
「も、もうちょっとだけ居てもいいんじゃないかな」
「遊びに来たわけじゃない。既に無駄に三日も消費してしまっている。出来るだけ早く帰るつもりだ」
条約書をもらってさっさと帰ろうとする北郷さんとそれを止めようとする桃香さま及びさっきまで真面目に協商していた姿はどこに行ったのか食事も抜いて間食をねだる愛理ちゃん。
「ど、どうせ今日はもう遅くなって港に着く頃にはもう船はありません。今日は休んで明日帰られた方が…」
「明日と言わずもっと居ても良いよ。せめて雛里ちゃんが帰ってくるまでは…」
「何故士元が帰ってくるまでここに居なければいけない。今から三日はかかるだろうが」
「いいでしょう。三日ぐらい。朱里ちゃんが来るにも三日かかったし」
桃香さま、使者が来るって判ってたのに席を外していた私の責任を掘りあげないでください。
「…明日には帰るぞ」
「「やたっー」」
北郷さんがそういうと愛理ちゃんと桃香さまが互いの目的を果たしたことを自祝しました。
「というわけだ、孔明」
「……はい?」
あぁ、はい、ぱいですね、はい…。
「あ、そういえば、朱里ちゃんと雛里ちゃんと元直ちゃん、一緒に勉強した仲って言ってたよね」
「はい、同門で一緒に卒業した仲です」
「じゃあ、卒業したいままでずっと合ってないんだよね。じゃあ、二人で今までできなかった話しててね。私は一刀さんと一緒に街に出掛けるから」
「…は?」
「そういうわけだから、ほら、行こう、一刀さん」
「おい、ちょっと待て。誰がお前と無駄な時間を過ごすと…引っ張るな!おい!お前いつの間にこんなに力付けた!畜生、お前再活訓練終わったら覚えてろ」
なんか桃香さまが北郷さんを無理やり連れて行ってしまったので愛理ちゃんと二人きりになってしまいました。
「……」
さっき北郷さんの前では間食をねだっていた姿は跡形もなくだんまりです。離れていた時間があるとは言え、あの北郷さんより親友の私の方がもっとギクシャクするってちょっと傷つくかも。それともさっきまで互いに攻撃的な発言も言いながら協商していたのにいきなり親友に戻ろうとしても無理って話なのかもしれません。
「それじゃあ、厨房の所に行こうか。桃のぱい作ってあげるから」
「…うん」
私が手を伸ばすと愛理ちゃんはちょっと戸惑いましたけど手を握ってくれて私は塾の時みたいに仲良く厨房の方へ向かいました。
※ ※ ※
厨房に行くと月ちゃんが厨房の掃除をしていました。
「あ、朱里ちゃん、帰ってきたんだ」
「あ、月ちゃん、うん、さっき帰ってきたよ。今桃香さまと北郷さんとの戦争条約の話をしてきたところなの」
「戦争…やっぱり戦わなければいけないんだよね」
「今すぐにってわけじゃないけど…いつかは戦うことになるよね」
戦争って言葉を聞くと少し寂しそうな顔をする月ちゃんですが、これも桃香さまの理想のためです。今は桃香さまもあんな風に北郷さんを連れ回していますが、曹操軍との戦いが始まったら北郷さんとも敵同士になるわけです。その時には北郷さんも昔の情なんて捨ててくるでしょう。桃香さまだってそれを解っているはずです。だから私たちもその覚悟をしなければなりません。
「あ、月ちゃん、城に買っておいた桃ってない?今からぱいをつくろうとしてるんだけど」
「ぱい…?桃ならあそこに昨日使って余った分があるんだけど、どんな料理なの?」
「間食の一種だよ。私も以前雛里ちゃんが作るのを手伝った以来作ったことないけどね」
「手伝おうか?」
「いいよ、月ちゃんは月ちゃんの仕事やってて。愛理ちゃんと話し合いたいこともあるし」
「…あ、そうだね。分かった。じゃあ、私はこれで…」
月ちゃんが厨房を出て行って、私は厨房に貯蔵しておいた桃を見つけ出しました。
「それじゃあ、今からつくるけど、ちょっと時間かかるよ」
「…どれぐらいかかるの?」
「焼くのに半刻ぐらい掛かって…冷やすのにも時間がかかるから…一刻ぐらい?」
「…待つ」
もう昼過ぎなので完成するともう夕方ですけど、愛理ちゃんはこういうものには目がないので待ってくれるはずです。
でも、やっぱりちょっと固いですね。
「それじゃあ、愛理ちゃんも手伝ってくれる?」
「…あう?」
「手伝ってくれるともっと早く終ると思うの」
私は料理をする時に使う頭巾と前掛けをしながら言いました。
「でも、お菓子作ったことなんかない」
確かに愛理ちゃんって料理は出来なくはないですが、お菓子は食べる側だったので、塾の時に厨房に立ったことってあまりにありませんでした。
「難しいことは私がやるから。これ雛里ちゃんのだけどしておいて」
私は雛里ちゃんの頭巾と前掛けを愛理ちゃんに渡しました。それを身に付けた愛理ちゃんに私は桃を渡しました。
「これ洗ってから皮向いてくれる?私は練り持ってくるから」
「え?練りって作ってあるの?」
「うん、いつも城で作ってるから。食べようとしてる時に練り始めると寝かせるのに時間かかるでしょう?だから作る時はもう作っておいたものを使って、その分だけ補充して作っておくの」
平原の時は雛里ちゃんが良く作ってましたけど、冀州に来てからも月ちゃんが良くお菓子を作る練習がてら作ってるそうできっと練りが残ってるはずです。
「期待してても良いよ。私だって昔よりお菓子作る腕上げたから」
私はそう言って練りを保管しておいた厨房から少し離れた食材の貯蔵庫の方へ向かいました。
<pf>
愛理SIDE
朱里ちゃんがいった後、私は持たされた桃のカゴを見ました。美味しそうな色光を出してる桃はそのまま食べてもとても美味しそうです。最近は砂糖をたっぷり使った甘い間食ばかり食べていて無駄に舌が肥えてる気がしなくもないですけど、あれだけたくさんのお菓子を食べてもまだ新しい種類のお菓子に遭遇出来るのは、本当に素晴らしい事だと思います。
桃を洗いながらさっきの朱里ちゃんの事を思い浮かべました。最初に会った時はとても礼儀正しく、軍の下っ端といえる警邏隊の隊員にまで丁寧に話す朱里ちゃんの姿は己の才に浮かれて礼法を忘れてはいけないという先生の最後の教えをしっかりと守っていました。一方公の場から離れて私と二人きりになった朱里ちゃんは昔と変わりのない可愛い笑顔で私を見つめてくれてました。…ちょっと大人っぽくなったかな。
協商の時はまた凄く真面目な顔になって。徐州の話を持ちかけられた時の一刀様の意表を突かれたって顔に私はびっくりしました。そして戦争条約の話からそこまで思いついた朱里ちゃんもすごいと思いました。私は早々に対応はしたものの実はそこまでは考えていませんでした。
昔将棋をする時にも朱里ちゃんと雛里ちゃんは十手先なんて平然と読んでいたので二人と将棋を打つとまともに勝ったことがありませんでした。
「やっぱりすごいな。朱里ちゃんたちって」
「うん?何が?」
「あう!?」
「はわわ!」
朱里ちゃんが帰ってきてることを知らずに独り言で呟いた声に練りを持って帰ってきていた朱里ちゃんが返事をすると私は驚いて洗っていた桃を空に投げてしまいました。そしてそれを見て慌てた朱里ちゃんはあたふたしながら持っていた練りの上にその桃をうまく着地させていました。
「あうあう…ごめんなさい、朱里ちゃん」
「平気だよ。それよりすごいって何?」
「ううん、なんでも。桃は皮を向けばいいの?」
「うん、芯は抜いて果肉の方は細く切ればいいよ」
「判った。桃は私が切るから朱里ちゃんは練りの方を作ってお願い」
「うん」
そうやって二人でぱいというものを作り始めました。
桃を油と砂糖と一緒に煮付けて、先にちょっと焼いておいた生地に入れて上に更に生地を載せて半刻ぐらいかまどに焼くと甘い香りがするぱいが出来上がっていました。
「出来たよ。ああ、まだ熱いよ。ちょっと冷めてから食べないと」
「は、早く食べたいよぉ。いい香りがするの~♡」
こんな美味しそうな香りがするのにまだ食べられないなんて拷問だよぉ。
「もうちょっとだけ我慢すれば良いから。その間余った桃食べながらお話しよう」
「ふぅ……判った」
なんとか心を落ち着かせながら私はうなずきました。
厨房にある食卓に相席に座って余った桃を口にしながら朱里ちゃんから劉備さまに出会った話を聞けました。
「あの時はまだ桃香さまは自分が治める地のない義勇軍の大将だったの。でも、桃香さまの噂は河北を越えて中原にまで聞こえていたから、私たちは仕えるならこの人しか居ないと思ったの」
朱里ちゃんたちも元々は私と一緒に徐州に行って徐州で下級官吏をしながら情報を集めるつもりだったそうです。でもすぐに劉備さまの噂を耳にした二人は、予定を変えて直ぐ様義勇軍のあった幽州の方に向かったのでした。
「それから黄巾の乱が収まって、朝廷からの使者が訪れる頃、突然桃香さまが居なくなっちゃったの」
「…朝廷からの使者って、多分恩賞を与えるために来たんだよね。なのに突然軍の大将が居なくなるってどういうこと?」
「あの時桃香さまもいろいろ悩んでいることがあったみたい。でも私たちそういうの全然気づかなくて…その時愛紗さんがなんとか桃香さまを見つけて連れて帰ってきてくれたんだけど、その時桃香さまが連れてきたのが北郷さんだったの」
北郷さんが居る頃は本当に大変だったんだよ、と朱里ちゃんは笑いながら言いましたけど目は笑ってませんでした。本当に苦労したんだ。
「でも、北郷さんが居てくれたおかげ桃香さまが大きく成長したのも事実だよ。もちろん、私たちも」
「…でもそれならどうして曹操軍に戻ったのかな」
「おおまかに言うと、多分私たちと理想が合わなかったんだよ」
「それでも一年間も一緒に居たのに?」
「北郷さんはそういう人だよ。私には理解できないけど。でも、元居た軍に戻ったからと言って裏切られたとも思っていないし、敵だと思う気持ちもあまり沸かないかな」
「…おかしい」
「そうね。可笑しいかもね」
今度は本当の笑顔でした。
「私が仕えたのが桃香さまではなく他の諸侯の誰かだったらこんな風にはならなかったと思うよ。たとえ北郷さんが私たちの軍に来たとしても、他軍から訳あって流れてきた人は普通信用ならないし、警戒しただろうと思う。愛理ちゃんともこうして昔みたいに話し合うことも出来なかったかもしれない。だけど、桃香さまと一緒に居ると、あまりそんなこと気にしなくなっちゃうの。たとえ理想が違っても求める先に人々の笑顔があるのだとすればそれでいいんじゃないかと思ってしまう。北郷さんの事も『悪い』人じゃないことは判るからたとえ敵国の使者だとしても桃香さまも私もあまり警戒しないのはそのためかな」
政治、軍事に置いて『良い』と『悪い』の区別は意味がありません。あるのは『利』と『損』、『勝ち』と『負け』。たとえその人の理想がこちらと相容れないものだとしても、利を得るために、勝つために手を組むことも辞さないし、良い人だとしても負けると思うなら、損をすると思うなら見捨てることが乱世の掟。だから朱里ちゃんや劉備さまが一刀様に安逸に接するということは実はとても甘い考えなのだと、私は思います。
だけどそれは本当にただの夢想でしょうか。そして私が思ってる現実は本当に正しいものなのでしょうか。勝敗と得失を見比べて行動することが乱世だとすれば、それは乱世の前に散っていった数々の諸侯と官吏、ひいては朝廷とも何の変わりのないもの。現に華琳さまでも何事にも勝敗と利害を考えるのであれば、西涼攻めなんてする場面ではありませんでした。
英雄というのは凡人が諦めた何かを求めているからこそ英雄であり、凡才が成せぬと言ったものを成し遂げるからこそ英雄なのです。新しい天下を夢見る英雄だというものは、この人たちみたいでなければならないのかもしれません。
…私には到底理解できそうにはありませんけど。
「そろそろいい感じに冷めたころかな。じゃあ、食べよう」
「あ、うん♡」
私にそんな甘い考えがひとつだけあるとしたら、
どうか私をまだ愛してくれる親友たちと戦わずにいられるようにと願うぐらいでしょうか。
<pf>
桃香SIDE
「何故俺がお前と…」
「ごめん、だって元直ちゃんと朱里ちゃん、二人でお話なんてしたかっただろうと思ったから…」
私と一緒に街に出た一刀さんがぶつぶつと不満を吐く様子を見て私は苦笑しながら言いました。
「一刀さんは私と一緒に出掛けるのって嫌だった?」
「ここ三日間お前に十分すぎるほど振り回されている」
実はそうなんです。元直ちゃんが見えない間、一刀さんはずっと私の仕事を手伝ってくれてる中、お昼は私と一緒にご馳走しに街に出回っていたのです。主に私が無理やり連れ出す感じでした。
「でも、ほら。せっかく出掛けたから楽しまないと。今日はどこ行こうか」
私は一刀さんの腕に自分の両腕を絡ませながら言いました。
あまり反応はありません。
「…もっとうまく出来ると思ってたんだけどね」
「何がだ」
「洛陽で、結局一刀さんに出会えずに帰らなきゃいけなかったから。後で一刀さんが目を覚ましたって聞いたけど、忙しくて手紙なんかも出せなかったし、一刀さんだって私たちのこと避けてたんでしょう?」
「一国の君主が俺に会いに他軍に来るっていうのを寝ぼけた事言うなって言ったのが避けてるのか」
「そ、それは判ってるよ。でも怖かった。もう二度と顔合わせてくれないのかと思ったから」
本当はまた会えたらいいところを見せてあげたいと思ってました。私はこんなに成長したって、あなたが居なくなっても私は前に進めてるって。だけど、成長どころか退化してるように見えそうで最初は物凄く怖かった。
「お前には最初からそれぐらいしか期待していなかったというわけだ」
「むっ、それはそれで傷つく」
「今お前がやっていることも、普通の村娘がやるには分にあまりだけやっている。もう十分なのではないか。公孫瓚の治める幽州まで合わせると、河北はお前の手でほぼ治めることになるだろう。河北ぐらいの人口でも、戦国時代のそこらへんの国より多い。これだけうまく治められても、後世には徳王として呼ばれるだろう」
「…一刀さん?」
一刀さんのそんな言葉を私は疑問に思うしかありませんでした。だって、私を初めて会った頃に言っていたこととまるで違ったのですから。
「どうしちゃったの、一刀さん?」
「何がだ」
「昔の一刀さんは、私がそんな風に言うと絶対甘いと叱ったはずなのに。一刀さんがそんなこと言うなんて、一刀さんらしくないよ」
「……」
一刀さんはゆっくりと脚を止めて私を見ました。
「俺らしいってなんだ?」
「……」
「いつも完璧そうで、誰よりも賢くて、一人だけでも天下なんておもちゃのように扱えそうな奇人…それがお前が思ってる俺らしい姿か」
「一刀さん…?」
「…無意味だ」
「へ?」
「……そういうのはもうやめたんだ」
その時の一刀さんの顔は、とても弱々しく、だけど確かに笑みを作っていました。
「桃香、お前と俺は友達か?」
「…ふえ?!」
な、何?!いきなり一刀さんからそんなこと言われるなんて…と、友達?!
「…違うのか?」
「あ、いや!あの!違うよ!いや、合ってる!友達だよ!うん!」
「なら一つだけ頼んでも良いか?」
「な、何?」
「……この戦争、絶対にするな」
「…へ?」
戦争って…曹操さんとの戦争の事…?
「…どうして、一刀さんがそんなこと言うの?」
「お前らで戦うのを見たくないからだ」
「……」
「反董卓連合が終わる前に、いやそれ以前にも、俺は天才を演じた。捻くれて、冷静で、気まぐれで…でも問題は、俺が気まぐれなせいであまりにもたくさん傷つけてしまった。だがコレは…コレはなんとしても避けたい」
私が知っていた一刀さんがそこには居ませんでした。
いつも独りで、冷静で人を嘲笑うのが得意な一刀さん。
代わりに私が昔感じていた本当の一刀さん。
実はとてもやさしくて、ただ優しく接する方法を知らなかった一刀さん。
「俺が完璧で冷静だったからお前たちを変えることが出来た。でも、俺が無感情な人間なせいで傷つけたくなかった連中を何人も傷つけた。だから…今回は、こうしてでも止めたい」
「でも、曹操さんの理想は…?…天下の平和は…」
「それは俺の知ったことじゃない」
「……!」
「そもそもそれはお前たちが戦わなければ手に入らないのか?天下の主が一人でなければ平和は訪れないのか?寧ろ一人だったら平和は訪れるのか?覇道だ?あんなのただの子供の強欲さに毛が生えたぐらいなものだろうが」
これって、もしかして私試されてるのかな。
曹操さんと戦うほど覚悟が…それだけ自分の理想を強く保っているのか。
私、まだ一刀さんに試されてるのかな。
「……私は、私たちはこの夢のために今までずっと頑張ってきたし、これからもそうするよ」
「……」
「だから、もしその理想に立ち塞がる誰かが居て、その誰かが曹操さんでも…迷うつもりはないよ。そう約束したんだから。皆と、私を慕う人たち、信じてくれる仲間たちと…」
そして一刀さんとも……。
「………知っていたさ」
一刀さんは良く聞こえないような小さな声で呟きました。
「へ?今なんて言ったの?」
「根まで腐ってるのかと思えば断ち切ってやろうと思ったが、幸いそうではないようだ」
「え?うわわあっ!」
そう言って一刀さんは私の髪をわしゃわしゃとしてめちゃくちゃにしました。
「もう、一刀さん!」
「お前が言ったんだ。しっかりやれ。いつまでも俺が指図すると思うな。次は今回のようにはならん」
「あぅ…はい」
やっぱり試されてたんだ。良かった。
「あ、でも、一刀さん、さっき私の友達って言ってくれたのは…本気なの?」
「…ほう、俺と対等な立場にいたつもりか」
「ええええ!一応私公なのに?!」
「自分で一応と言っている時点でお前はダメだ」
「ううぅぅ…」
一刀さんのいじわる…!
※ ※ ※
「桃香さま!」
私が少し涙の汲んだ目で一刀さんを睨んでいた時、私を呼ぶ声がして街の方を向くとそこには愛紗ちゃんが立っていました。
「愛紗ちゃん!」
「桃香さま、只今戻りました」
愛紗ちゃんは私が返事をするかいなやで私の前に走ってきて礼をしました。
「言われていたより早く来たな」
「…いや、本来なら予定通り三日後に来るはずだったのだが…少しばかり妙なことになってな」
「…どういうことだ?」
「北郷さん」
愛紗ちゃんの後ろにとてとてと現れるのは雛里ちゃんでした。
「お久しぶりです、北郷さん」
「前会ったばかりだろうが。それよりも妙なことって何だ?」
「前に会ったって三ヶ月前のことか」
あ、いつもの一刀さんです。
「実は、北郷さんに会いたいという人を拾いまして、丁度北郷さんが来ているという話を聞いて連れてきたんです」
「…俺に会いたい」
「社長!!」
「…!」
「一刀さん…?」
一刀さんの顔がまたそれまでに見たことのない変な顔になるのを見て、私は一刀さんってこんなに感情豊富な人だったんだとなんか変なところで感心していました。




