十一話
桃香SIDE
「…」
「ぅぅ…」
苦しい沈黙が続いていました。
普通にありえない話でした。他軍の使者として来た人が自軍の衛兵に追い回されるようにした挙句、怪我まで負われてしまったんです。しかもその使者が一刀さんとなると外交問題どころかこのまま両軍の間に戦争が勃発してもおかしくありません。
「お前、俺がここに居た時に言ったこと全部忘れてるだろ」
「そんなことないよ!…いえ、ありません」
何故か敬語になってしまいます。
「お前、今南皮がどれだけ酷いか判ってるか」
「い、一応頑張ってるんだけど…」
「わ・か・っ・て・る・か?」
「…判ってます」
これは平原に初めて来る時にも同じくあったことです。小さい規模の軍が大きな土地を得ると、今までのようにしては処理が追いつかなくていろんな所に穴が空いてしまうんです。しかも今は河北は今まであっちこっちに逃げた袁家の残党で騒がしかったので、今までちゃんと南皮や周りの内政の問題を解決できるような時間がありませんでした。
「別にな。俺はもうこの軍の将でもないから、別にお前に助言してやる義理なんてない。お前がヘマして自滅しても俺は一向に構わない。判るか?」
「うぅっ…」
「…俺がこの前の軍議でお前について華琳になんて言ったか知ってるか?」
「……」
「今のお前は桃香に負ける。そう言ったんだ。そしたら華琳含めた諸将ども皆大騒ぎだった。それなのにいざ来てみたらこの様だ。ここに元直以外の奴を来ていたら恥ずかしくて頭も上げられなかっただろう」
一刀さんはため息をついて私と二人で座っている卓のお茶を一気に飲み干しました。
「お前を助ける義理なんてもうないし、どんな転け方しようが俺が指摘してやる必要もない。お前が無茶やって河北制覇に遅れようが自爆して滅ぼうが俺は一向に構わない」
「……」
「…俺からはもう話すこともない。お前の軍だ。お前が自由にやればいい」
一刀さんは吐き捨てたその言葉が完全に私のことを諦めたかのように聞こえて私はなにか言おうとしましたけど、声が喉を通る前に一刀さんはもう部屋を出てしまってました。
一刀さんと元直ちゃんには曹操軍の使者ということで空いた別館を提供しています。朱里たちが帰ってくるのは早くて三日後。それまではここに居るって話です。だけどあの様子だとその間に私と話なんかしないつもりです。
袁家を滅ぼした後、私たちは今まで以上に多忙に動かなければなりませんでした。今まではずっと一緒に行動していたのもバラバラになって残党退治や内政を行わなければならなくなって、それもいつの間にか内外の均衡が崩れていてどこからどうすれば良いのか私には判りません。
朱里ちゃんが出掛けたのは三日前、黒山賊の動きが激しくなっていると聞いて城を私にまかせて出掛けたんですけど、雛里ちゃんや他の皆はもう一ヶ月も城に帰ってきていません。それだけ外側の戦に振り回されているのが私たちの現状でした。内政なんてとてもじゃないけど片付けられる暇がありませんでした。南皮の民たちへの救恤もやっと終わった所です。
だけど、いくらそんな事情があったとしてもそれが他国の使者にこんな仕打ちをして良い言い訳にはなりません。だから私は一刀さんに何の言い訳も出来なく、そんな自分のことが恥ずかしくて仕方がありませんでした。私を信じて行った朱里ちゃんがこんな私を見たらどう思うでしょうか。
コンコン
一人でため息を吐きながら冷めたお茶を飲んでいると、門を叩く音がして月ちゃんの声が聞こえました。
「桃香さま、入ってもよろしいでしょうか」
「月ちゃん?うん、いいよ」
侍女服の月ちゃんが入ってきて私に礼をすると、私はさっきまで一刀さんが座っていた席を月ちゃんに勧めました。
「道中で一刀さんに会いました」
「…そうなんだ。怒ってたよね?」
「……」
「私、なんでこんなん何だろう。本当は一刀さんが来るって知った時はその日になると門まで迎えに行こうとも思ってたんだよ?なのにお迎えどころか…」
私はそのままずっと居るともう我慢していた涙が溢れ出てきそうでした。
「…桃香さま、少し街にお出かけしてみてはどうでしょうか。いい気分転換になりますよ?」
「街に…?」
そういえば、街に出歩いてたのっていつ以来だろう…平原に居る時はよく出歩いてたのに、ここじゃまだそんなこともちゃんとやってなかった。
「城にお茶っ葉が切らしてるので、丁度買いに行こうと思ってました。良かったら一緒にお出かけしませんか?」
「…うん、良いよ。一緒に行こう」
私は鬱な思い鎮めるために月ちゃんと街に出掛けることにしました。
<pf>
南皮の街の活気は、平原のそれに比べると確かに賑やかでした。冀州はもちろん、南から平原や鄴から上がってくる物流と北の幽州からの商人たちが集まる南皮の街は今の河北で一番盛んでる場所と言って過言ではありません。
ですがその代わりに騒ぎも平原の街以上に多発していました。南皮に来て間もなく、私たちはこれは今までのように将たちの警邏ではなんとか出来る領域じゃないって判りました。そもそも将たちが城にちゃんと居られない状況だったので、私たちは軍の一部を警邏隊として街の要所に配置しました。それで街で起こる騒ぎなどに対応することが出来ました。
「おお、月お嬢ちゃん、また来たのか」
「はい、いつものお願いします」
「月ちゃん、この店の常連なんだ」
「はい、この辺りでは、ここのお茶っ葉の具合が一番良かったんです」
「お嬢ちゃんみたいな娘がいっぱい来てくれたらもっとやる気が出るのにな。そこのお嬢ちゃんも綺麗じゃないか」
「ふえ?あ、ありがとうございます」
一応、城主なんですけどね。あはは。
平原の時を考えると…
『劉備さま、良い桃入りましたよ』
『劉備ちゃん、肉まん食べてかない?』
『劉備おねえちゃん、遊んでよ』
みたいな感じで、逆に威厳がないと愛紗に呆れられてましたけど。
「おじさま、この方は劉備さまですよ」
「りゅうび…どぅえ?!このお嬢ちゃんが袁家をぶちのめしたあの…!」
月ちゃんが私の正体を明かすと、お茶っ葉売りのおじさんは変な奇声を上げて驚きました。
「こ、こんにちは」
「月お嬢ちゃんって、どっかの豪族の侍女だったかと思ったら、君主さまのとこの娘だったのか。なんかそこら辺の女の子より綺麗だと思ったよ」
「へぅ…そんなこと言われると照れちゃいます」
「しかし、君主さまがこんな店のお茶っ葉のんで良いのか?袁家の連中はもっと高級な茶っぱを遠くから買ってきたりしてたぞ」
「そうなんですか?」
「おうとも。茶っぱ一匙に同じ量の金の価値があるお茶なんて普通にがぶ飲みだったさ」
「そんなに…!」
私たちには考えられないほどの贅沢です。というか、私そんな高いお茶食べても味なんて判りませんし…もったいないです。
「あ、そうだ。おじさん、おじさんから見て私たちが今の街のためにしなきゃいけないことって何だと思いますか?」
「うーん、そうだな。第一問題なのは城門かな」
「城門?」
「そうだ。城門に入城調査官というのがあるだろ?あいつら、袁紹が居る時からそうだったけど、金を渡さないと何らかの理由をつけて入れさせくれねーんだ」
「賄賂じゃないですか?!」
「額自体は大したことないが、頻繁に出入りする商人とかになるとここに来ることを嫌がったりもするからな」
賄賂なんて…全然知りませんでした。
「月ちゃんは知っていたの?」
「はい、洛陽でもありましたね。洛陽には通行税というものがあったのですが、城門を守る兵士に銭を渡すと税を払わず城に入れるようにしてくれるんです」
「なんで言ってくれなかったの?」
「それはその…知っていて当たり前だと思いましたから…申し訳ありません」
結局私の力量不足でした。
しかも、きっと一刀さんもここ通る時に賄賂を要求されたはずなのに、私に言ってくれませんでした。本当に呆れられているんだ、私。こんなこともちゃんと出来ずに何胸張って成長したって一刀さんの前で言おうとしてたんだろう…。
「そう落ち込むな。これは結構前からあった問題だからな。もう街の皆はほぼ通行税みたいに考えてるよ」
「それじゃあ、ダメだよ。城の出入りを制限されると城の経済に関わるもん。こんなのがいつまでも見逃すと天下を皆を笑顔にするって言う夢には程遠いよ」
「皆を笑顔にか…ますます君主らしくないこと言ってるね」
「一応、こんな人でも皇帝陛下から『公』の位を授かってるんですよ」
「月ちゃん、一応とか言わないで?!」
「褒めてるんですよ、桃香さま。一国の君主だって明かしたにもかかわらず、民がこんなに格式なく話せるというのは、きっと今のこの天下に桃香さま以外にはできないことです」
「それ単に私が威厳ないってことだよね?!なんで今の月ちゃんちょっと意地悪なの?!」
でも、確かに月ちゃんの言ってることも合ってると思います。久しぶりに街に出て判りました。
ああ、私ってこんな君主な方が似合ってるって。
<pf>
「財布、俺の財布がない!」
その時でした。私たちが居た店から少し離れた所から財布をなくした男が賑やかな道をあっちこっち叫びながら歩きまわってました。
「財布!俺の財布を見た奴いないか!黒い布に赤い線が入った奴なんだ。誰か探してくれ!探してくれたら謝礼はする!」
だけど誰も男の財布を見つけることを手伝おうとする人は居ませんでした。何人か謝礼をするという話を聞いて自分の周りの地面を見る者がいたぐらいでした。
その時、
「あの、探してる財布ってこれじゃありませんか?」
女の子一人が黒い財布一つを持って男の前に出しました。
「おお、それだ!やっと見つけた!」
男は女の子が持っている財布をもらって大喜びでした。きっと大事なお金が入っていたのだろうと思います。
「良かったですね。それじゃあ…」
「…待て」
「へ?」
が、財布を開けてみた男の顔が突然曇りました。
「足りない」
「え?」
「財布の中にあったお金が足りない!確かに二十両が入っていたはずなのに、十五両しかない」
「え?そんな…」
「お前が持っていったな!」
「ち、違います!私は知りません!」
「嘘つけ!人の財布のお金を盗んでおいて謝礼までもらおうとしてたのか!」
どんどん騒ぎが大きくなると、男は女の子の服の裾を握ってお金を返せと脅迫し始めました。それを警邏していた兵士たちが騒ぎになっているのを見て男を女の子から引き離しました。
「あの小娘が俺のお金を盗んだんだ!」
「違います!私は落ちてた財布を返そうとしただけなのに…!」
兵士たちも誰の話を信じれば良いのか判断が出来なくて困っている様子でした。
「ああいうのは、誰が嘘を言ってるんでしょうか」
「そうだな…普通に考えればまあ、男の方だな」
「どうしてですか?」
月の質問に店のおじさんがあまり悩む様子もなくそう答えたので誰が嘘を言っているのか判断が付かなかった私は聞きました。
「普通お金を盗もうとしていたなら持ち主に返すわけがないだろ。お金は全部持って財布はどっかに捨てれば誰も自分が盗んだと気づかない。それを一部だけお金を盗んで持ち主に返すだ?馬鹿じゃなけりゃ出来ない所行だ。その反面、あの男は公然の前で見つけてくれた人には謝礼をするって言ったんだ。いざ謝礼をしようとしたら金がもったいなかったんだろう。だからあんなひねくれたことを言ってやがるんだ」
「でも、本当に金の一部だけ落ちてたかもしれないじゃないですか」
「その可能性もなくはないが…そうだとしても落ちてた財布から金を取らずに返してるあの娘に泥棒呼ばわりするのはの男の懐が小さいって話だよ」
おじさんの話を聞いて納得した私は仲裁に入ろうとしました。
だけど、先にその騒ぎの中に割り込んだ人が居ました。
「何の騒ぎですか?」
「元直ちゃん?」
それは一刀さんと一緒に来た使者の元直ちゃんでした。何故か一人でした。
「こ、こいつが俺の金を盗んでおいて財布を返した謝礼までもらおうとしてるんだ!」
「違います!私はただ、落ちてた財布を探す人が居るから返しただけで…」
「……ちょっとその財布を見せてくれませんか?」
元直ちゃんが男にそう言うと男はびくっとしました。
「大丈夫です。私は歩きも遅いですし、持って逃げようとしてもここには街を守る兵士さんたちも居ます。ちなみに私は曹操軍の使者に来た者です。私の身元は、あそこで終始を見ているこの城の君主である劉備さまがしてくれます」
そうするとその騒ぎを見ていた人たちの視線が皆私と月ちゃんに集中しました。
「ふえ?あぁ…えっと…はい、あの人は曹操軍から来た使者の徐元直です。私が保証します」
「ということですから、さあ、その財布を見せてください」
男は渋々と財布を元直ちゃんに渡しました。財布をもらった元直ちゃんはまず中身を確認しました。
「あなたの財布にはいくら入っていたのですか?」
「に、二十両だ」
「…しかし、この財布には十五両しか入っていませんね」
「そ、そうだ。だからあの小娘が五両を盗んだんだ!」
「違います!私が…」
「静かにしてください」
元直ちゃんは場を静ませて女の子の方を見ました。
「あなたが見つけたこの財布には十五両がはいっていた。確かに間違いありませんか?」
「はい、間違いありません。それに、私は今一両も持っていません」
「そんなのもう使ってしまったんじゃないのか!」
「そしてあなたは、あなたの財布は二十両の入った財布、間違いありませんよね?」
「そうだ!俺の財布には二十両が入っていた!」
「…それなら、話は簡単です。この財布には十五両が入っています。だからこの財布は二十両が入っていたというあなたの財布ではありません」
元直ちゃんがそう言うと男の顔は曇りました。
「な、何を言っているんだ。それは俺の財布だ!」
「だけど、あなたの財布は二十両が入っているものです。どうして十五両の入った財布があなたのものだと言えるのですか?」
「も、紋様が俺の財布だから…」
「この財布は財布屋さんに行ったら小銭に買える安物です。今この騒ぎを見ている人たちの中でも、この財布と同じものを持っている人はたくさん居るはずです」
騒ぎを見ていた人たちの何人かが頷く声が聞こえました。
「ならば、この十五両の入った財布は、財布を見つけたあなたのものです」
男が何も言い返せず慌てていると、元直ちゃんはそう言って財布をそれを探した女の子の前に出しました。
「で、でも私は…」
「劉備さま、この城で紛失物がある時、どんな風に対処しますか?」
「え?えっと…一応三日ぐらい警邏隊が保管して、主人が見つからなかったら探した人にあげるか、それとも軍で処分するよ」
「それなら、これを兵士たちに三日間渡して、三日後に警邏隊本部に行ってください。どうせ主人なんて来ないので、あなたの物同然です」
「じ、実は…」
「もしあなたが実は自分の財布には十五両が入っていたなんて言うのでしたら、無実な人を泥棒にしようとした罪と、金を強奪しようとして脅迫した罪を重ねて三日間の拘留と三十両の罰金に処します」
「っ!!」
開いた男の口が閉じると、元直ちゃんは財布を兵士さんに渡しました。
「この事件は君主である劉備さまが終始を見ています。もしこの財布が間違った人に手に渡るようなことがあったら、兵士さんも同じく拘留と罰金に処されるでしょう」
「ご、ご安心ください。必ず安全に保管致します」
「どうかそうなることを願います。これでこの騒ぎは終わりです。皆さん通行の邪魔にならないように解散してください」
元直ちゃんがそう言うと、群れは散っていって、男は肩を震わせながら去って行きました。
「あ、あの、ありがとうございます」
財布を見つけた女の子が元直ちゃんに礼をしました。
「次からは財布なんて見つけたらお金だけもらって財布はどっかにでも捨てておけばいいです」
「え?」
「それが無駄に良いことしようとしてこんな目にあるより何倍もマシですから」
そう言い放って元直ちゃんはその場を去りました。
「…月ちゃん、ごめんね。私ちょっとあの娘についていくから」
「あ、桃香さま?」
その様子を見ていた私は月ちゃんを置いておいて元直ちゃんの後を追いました。
<pf>
「元直ちゃん、ちょっと待って!」
私が元直ちゃんを追いついたのは元直ちゃんが別館の入り口に立った頃でした。
「…劉備さま」
「さっきの事は…ありがとう。騒ぎを鎮めてくれて」
「別に散歩がてらで出かけて偶然見かけただけです」
「でも」
「…?」
私が元直ちゃんの後を追ったのはお礼を言うためだけじゃありません。
「さっきあの娘に言ったこと、本気なの?」
「何かですか?」
「お金を持ち主に返すより、自分が取る方が何倍もマシだと言ったの。それって本気なの?」
「本気も何も、それが現実です。現にもしその女の子が財布を返そうとせず持っていったのなら、このような騒ぎを起こさずに同じ結果にたどり着くことが出来ましたから」
「でも、それは間違ってるよ。あんな小さい娘に、正直に持ち主にものを返す代わりに自分が盗んだほうが良いなんて…そんな風に言うのは間違ってるよ」
「誰もそれが正しいとは言っていません。ただその方がマシだって言ってるんです」
「一緒だよ!そんな風に考えていたら、いつか誰も自分のことしか考えなくなっちゃうよ。人のことなんて助けようと思わなくなっちゃうよ」
「…そんな理想論を言ってる劉備さまは、そんな小さい娘が善意でやったことであんな理不尽なことに合ってる間にも何もできずただ見ているだけだったとうかがっているんですけど」
「っ…」
「人々に善い行いをせよと言いたいのなら、まず善い行いをした人が報われるような環境を作ってからにしてください。あの女の子以外には誰も男の財布を探そうと努力すらしませんでした。それはあの女の子がされたようなハメにあうことが予想できたからです。それがこの街で、この天下で善意を払うことが損になる理由です」
「……」
私は何も言い返せませんでした。善意が報われない、寧ろひどい目に合う。そんな環境を放置していたのは君主である私の責任でしたから。
「一刀様はあなたに関して強い人だと仰ってました。だけど私は一刀様や、朱里ちゃん、雛里ちゃんのような天下に数えるぐらいしか居ない有能な人材たちがあなたのような君主に仕えていて仕えたことがこの天下に置いて損であったと思います」
「っ!!」
「『宝の持ち腐れ』です」
元直ちゃんはそう言い捨てて別館に入ってしまいました。
結局私は、何も返す言葉も見つからず、堅く閉ざされた別館の扉を後にするしかありませんでした。