十話
愛理SIDE
徐元直と言います。曹操軍で一刀様の軍師という形で雇われている文官の端くれです。
軍師と言っても、一刀様ご本人がどれだけの知謀の持ち主かは既に噂になるほど知らされていることです。ただその噂が本人を称える内容と言うよりは祟っている内容というのは問題ですけど。
でも私に対して一刀様は…思いの外凄く優しいです。お昼にはいつも一緒にご飯食べに行って後食に出るお菓子なんかも凄く美味しいのに私に全部分けてくれたりします。
ただし仕事に関してはとても厳しく、まだ右も左も分からない新参者に任せるにはあまりにも重要な仕事でも回されたりします。返ってそれが私への信用があるからだとしても…私は自分がそんな大した才能を持ってるわけではないと判ってるので、少し負担になります。曹操軍に来たのも、特に野望があったからじゃありません。強いて言えば、近くて、徐州よりマシで、官吏に対しての待遇が良いと聞いたから(でもここに来て見聞した所、職場と能力が吊り合わないと誰かによって精神的に殺されます)みたいな理由で試験を受けたのでした。結果的にはこんな形になりましたけど。
私の仕事は特に定められたものがありません。というのも、上官である一刀様が定まった仕事をなさってるわけではないためですが。だからと言って暇ってことはありませんけど(比較的に閑職ってことはあるかもしれません。どこの中間管理職がお昼ご飯のあとゆっくりお茶と菓子を摘めるでしょうか)いつもやることが違います。
昨日は軍の資金執行部署の監査に行きました。責任者が血を吐きました。大体自業自得でした。
今日は少し趣旨が変わって、人手の足りない部署のお手伝いです。一刀様はいません。居たら責任者に負担がかかると言う理由でした。
「あうあう、それにしてもすごい量です」
「…面目ない」
「いえ、大丈夫です。大変でしたね。これだけの仕事をたった一人でこなそうとするなんて。朝議で居眠りもするというものです」
警備隊の仕事が詰まっているという話を聞いた一刀様は今日私に凪さんの手伝いをするように命じました。そして私が警備隊の執務室に行くとそこには部屋を占めしている書類の山々でした。
「これ、どれだけ溜まってるんですか」
「本格的に溜まり始まったのは大体一ヶ月ほど前からだ。私がなんとか処理しようとしたが、追いつかなくて」
「他の警備隊の方々に手伝わせればいいのに」
「一応警備隊ではあるけど、二人とも任された仕事が他にもあるからな。真桜は開発の仕事が忙しいし、沙和は兵士の訓練などでよく抜くから警備隊だけに専念できるのは私ぐらいだ」
凪さんの目元の隈が今までの苦労をはっきりと判らせています。凪さんはああ言ってますが、実際の所二人が書類仕事が嫌だから出回ってる可能性も否定できないというのが一刀様の話でした。あの二方もなりに忙しいことは否定しないものの、それでも凪さんほどではない、との話でした。
「新参者が言う言葉ではないですけど、自分の責務に責任感を持つということは、何も自分一人でやることを言っているわけではありません。任された仕事をこなせないものなら他の人に頼ってでも適時に終わらせなければ国事に障ります。疲れている姿を見ていてられなくて一刀様が私を行かせたものの、実は凪さんが自分の線で解決しなければいけないことなんですよ」
自分の力量を見測れずに無理をして国に大きな被害を及ぼすことは歴史でもよくあること。国に限らず集団でただ頑張ってるという事実だけでは言い逃れない責任が今の凪さんにはあるのです。
「…そうだな。済まない」
凪さんは本当に疲れたような姿で肩を落としました。
「とりあえず、ここにある仕事は私がなんとかします。凪さんはとりあえずどこかで不足な睡眠でも取っていてください」
「いや、しかし…」
「そんな姿をして私を手伝ってくれるって言っても邪魔になるだけです。ですからとりあえず今は休んでください。後で私はしっかりまとめて報告しますから」
結構辛辣なこと言ってますが、これ、実は『台本』通りに言ってることだったりします。一刀様からもらった台本には実は『無能が頑張ろうとするのが一番迷惑』なんて言ってます。さすがにそこまで言えませんよ…。
「…分かった。それでは言葉に甘えさせてもらう」
「あの、気を落とさないでください」
「判っている。一刀様が愛理を助っ人にくださってことは次からはこうならないように頑張るようにと戒めている意味も篭ってるんだ。そう何度も同じ過ちを許してくれる方ではない」
「……」
凪さんは私が居る以前から一刀様を慕って付いていたそうです。きっと私よりも一刀様についていろんな部分を知っているはずです。
凪さんが出た後、私は山ほどある書類たちを見ました。机の前の椅子の耳に帽子と杖をかけて座りました。
「…よし、やるぞ」
どうも今日の昼ごはんは抜きにしなきゃ行けなさそうです。
※ ※ ※
「と、こんな感じで西区の露店の多い街道や露店に対してのスリや露店に対しての金品強奪などの金銭関連な争いが多く、東の居酒屋が密集している所には酔客たちによった喧嘩などが頻発していることが分かりますね?ですからその地域で頻度の多い問題には適時に対応できるように騒ぎが発生する時期に警邏を集中させて、申告がすぐに出来るように要所要所に警備隊の仮拠点を建設し、人力を常時待機させることをお勧めします」
「……」
約一ヶ月分の報告書などを整理しているとある程度の通計が出たのでそれを基礎に今後の街の警備計画などを改善できるような点について提案する報告書及び図を共にした発表を凪さんの前にしました。
「何かおかしな点ありましたら、言ってください。私はこの街のことはあまり詳しくありませんから」
「……」
「凪さん?」
でも何故か凪さんが返事がありません。
「元直、ここに居るか?お菓子持ってきたぞ」
「あ、一刀様」
その時一刀様が典韋さんの所のお菓子を持って来てくれました。
「その様子だと終わってるみたいだな」
「はい、一応片付けました。でも、なんか凪さんがおかしいです」
「…はっ!一刀様!」
「あう!?」
その時凪がパッと立ち上がって一刀様の前に行きました。
そして、
「愛理ちゃんを私にください!」
と言いましたってえええ?!
「真顔で何バカな事言っているんだ、お前は。やらんぞ」
「お願いします!今の私には愛理ちゃんみたいな助っ人が必要だと判りました!」
「それは良い悟りだったな。探すのは自分でやれ」
「そん…な…」
凪さんはガクッと膝を折って床に手を付いたまま動かなくなりました。
「新しい仕事だ。今から俺と出かけるぞ」
「出掛けるって、何処にですか?」
今まで城を出る仕事はなかったので私は変に思いながら訪ねました。
あ、はい、お菓子は頂きます。
「今から河北に使者として行く。西涼との戦を準備する前に…聞け」
「んふふふーん…♡あ、はい」
「…西涼に攻め入る前に不安定要素を消す必要がある」
「劉備軍と条約を結んで互いに不意に攻め入れないようにするんですか」
「そうだ。同盟ではないが、いつか戦わなければならないという点を両軍が承知しているのならこの機に戦争規約などを締結しておくつもりで居る」
「なるほど…それは確かに必要ですね」
劉備軍は今はまだ河北を安定させるために忙しく動いてますがそれが片付くのも時間の問題。完全に安定するってわけじゃなくても遠征に出るつもりの曹操軍は上の劉備軍が不意を付く危険性を恐れて当たり前です。
その点からしても、西涼征伐というのは実際に無茶な案なのですけど。
「でも、今からですか?いろいろ準備があるんじゃ…」
「向こうに手紙は送っておいてあった。今日返事が来たから今から行くんだ」
「判りました。すぐに身支度します」
「…あまり嬉しくなさそうだな」
「あう?」
「劉備軍に行くと孔明と士元も居る。二人がお前を見るとさぞかし喜ぶだろう」
「……そんなわけ…ありません」
だって敵になるであろう軍に仕官したんですよ。いつか敵になって戦うことになります。
「出来れば…会いたくありません。どんな顔で見たら良いのか、なんて言い訳すれば良いのか判りません」
「…やっぱりそうか」
「はい」
「いや、その事じゃない」
「はい?」
私は俯いていた顔を上げて一刀様を見ました。
「お前は自分が思ってるより有能だ。が、確かにこの乱世に遅く参戦していることはある。まだまだだ」
「それってどういう意味ですか?」
一刀様は答えてくれず先に部屋を出て行ってしまいました。さっきのは一体どういう意味だったんでしょうか。
「…はむ……おいし」
とりあえずもらったお菓子は食べてから行きましょう。
<pf>
それが三日前の話です。
私たちは黄河を越えて冀州の南皮に到達しました。そこは昔袁紹が本拠地として使っていた場所であり、今の劉備軍の根城でもあります。
ですが、
「今日使者が来るという報告は入っていない。ここは通せない」
「…はぁ?」
城に入ろうとした私たちは城門で調査をしている官吏に止められてしまいました。
「とりあえず、報告が届いていないということに驚きだが、報告がなかったと言って城に確認をしに行こうともせずただ通せぬと言ってるお前のその蛮勇には更に驚きだ」
「そう言いましても、使者が来るという知らせは聞いていないし、何よりも使者であるならそれなりの正式な外装をしてくるはずだ。使者を詐称して城に入ろうとしているのではないか」
「使者を詐称して入城するというリスクの高い方法を取る阿呆がいるか。会ったらお前と一緒に地面に頭から埋めて…」
「一刀様、ちょっと」
状況を大体把握した私は一刀様の袖を引っ張りました。一刀様は苛立った顔で私を睨みましたのでちょっと怖じましたが、とりあえずはこの無駄に時間を消費している状況をなんとかするために私は調査官の前に立ちました。
「あの、お兄さま、私たち、凄く大事な用事があるので通して欲しいんですけど」
そう言いながら私たちは財布から銭を何枚か調査官に渡しました。
「これでなんとかお願いします」
「……よし、通れ」
銭をもらった調査官はさっきのまどろっこしい対応は行方知らず、直に私たちを通してくれました。
城の中に入ると、一刀様が呆れた顔で私とさっき通った城門を交互に見ました。
「何故わかった」
「徐州ではよくあることです。賄賂をあげないと何かと理由をつけて通してくれません。そうしたら困るのは通ろうとする方なので賄賂を渡してでも城に入るしかありません。そういう悪習が時を重ねていつの間にか賄賂が城に入る通行税みたいになるんです」
さすがに使者と言っているのに賄賂を要求するのはとんだ腐れ人といいますか、肝の据わった調査官でしたが、さすが元袁家の領なだけはあります。
それにしても、国の潤いに最も邪魔になる悪行と言っても過言ではない入城時の賄賂問題を摘発できないなんて、あの二人は一体を何をしているんでしょうか。
「…おかしい」
「何がですか?」
「俺が来るというのに、あいつが迎えに来ていないはずがない。まさか本当に忘れているわけじゃないだろうな」
「まさか…いくら何でも同じぐらいの力を持った軍の使者を無視する非礼を起こすというのは…」
「桃香はやりかねない。それにさっきの賄賂の件も摘発できて居ないとなると…いや、まさかな……」
一刀様の目が鋭くなって歩き始めました。
「行くぞ。覚悟しろ」
「はい。…はい?」
何の覚悟ですか?
※ ※ ※
「そんな報告は聞いていない。庁内に入れるわけには…うぉっ!」
「き、貴様何を、ぐぁっ!」
衛兵をぶっ倒しました!?
「あうぅ!!なんてことを!」
「いつもの事だ。入るぞ」
「こんなことしたら庁内入って数歩で捕まっちゃいましゅよ!」
「前自分の身を守れるぐらい剣を使えるって言ったな。腕の見せ所だ」
「あうう!!」
自分でも知らないうちに杖を両手に握っていつでも抜けるようにしていました。
これはとんでもないことになりました。
――ぶぶぅぅーー!
喇叭の音が聞こえます。恐らく状況を察して庁内の近衛兵が動き始めるようです。
「安心しろ。南皮の城には来たことがある。桃香の趣向なら執務室にどこを使うかは決まっている」
「その前に捕まっちゃいましゅよ!」
「そうならなくなかったら走れ。言っておくが途中で倒れたりしても置いていくからな」
「あうぅ!せめて守ってくれるって言って欲しかったでしゅ!!」
そう叫びながら私は一刀様と一緒に庁内に走りました。
<pf>
桃香SIDE
「桃香様、お茶持って参りました」
「わーい、月ちゃん待ってたよー」
大義を以って悪を制する戦いと思っていた反董卓連合軍は、実は私欲と野望を満ちた諸侯たちの次なる乱世の段階へ進むための前哨戦に過ぎませんでした。董卓はその彼らの野望のための踏み台になったのでした。
彼らを責める資格が私にはありません。私だって知らなかったとは言え、途中までそれに一助したのですから。そして、あの連合軍にて一番大きな利を得たのは、誰でもなく私ですから。
私の理想のために誰かを犠牲にしなければならないという考えがどうしても嫌でした。今でもそれを当たり前なことだと言うつもりはありません。だけど既に私のために犠牲にされてしまった多くの兵士と皆さんと、夢を託してくれた多くの人々が居るから、私たちがこれからも前へ進みます。一刀さんが側に居ないとしても、私たちは進まなければなりません。
「ふわぁ…心まで温まるー」
「そうですか。へへっ、良かったです」
あ、今お茶を頂いてもらっている月ちゃんは連合軍で私たちが戦っていた、あの魔王と呼ばれた董卓です。もうこれ以上乱世の表舞台に立ちたくないという月ちゃんの意見を尊重して、今はこうして私たちの所で侍女の仕事をしてもらっています。周りから見るとあまりな仕打ちと言われるかもしれませんけど、これがご本人が望んだものです。
ほんと月ちゃんにはいろいろ助けてもらってます。主に月ちゃんのお茶にはいろいろ助かってます。月ちゃんが淹れてくれるお茶はすごく美味しいんです。飲んでる目の前の仕事の山なんて全くどうでもよくなるぐらい心が落ち着……
「落ち着いてどうするのよ。書類の積もり具合が朝見た時と全然変わってないんだけど」
「うっ、…ちゃんとやってるもん。…やる分更に増えてるだけで」
「ダメじゃない」
月ちゃんに同じく侍女服を着ている詠ちゃんはいつも私を非情な現実側に引き戻してくれるとても辛辣な娘です。そういう所はある意味一刀さんと似てます。
「詠ちゃん、仕事手伝ってー」
「まったく、朱里が居なくなって三日でこんだけ仕事が積もるなんて一体あんたの軍はどうなってるのよ」
「詠ちゃん、手伝ってあげよ」
「そりゃ手伝うけどさ…たった三日で内政崩壊寸前になるなんて。これで河北制覇出来たらどうなることやら…」
「仕方ないよ。大きな戦いが終わって間もなくで忙しい時期だし。本当なら救恤に専念したい所なのに小さな戦が終わらないから皆さん城に座っていられないから」
本当に皆あっちこっちで戦いをしていて最近は顔を合わせるのも一苦労です。多分南皮を制して以来皆が城に集まったことってなかったと思います。今城に残っているのだって、私と月ちゃん、詠ちゃんだけです。
「…ふと思いついたんだけど、今この城に埋伏していた袁家の残党とか現れたらどうなるのかしらね」
「怖いこと言わないで!?誰も残っていないよ!」
「一応衛兵は残ってますけど最小限のものですからね。周りの安全に確信できるからこその配置だと思いますけど」
「いや、解らないわ。鄴の韓馥は都でも有名な腹黒野郎よ。警戒を怠ったら南皮に突っ込んで桃香を人質に取れば劉備軍なんて総崩れよ」
「うぅ……」
詠ちゃんはたまにこんな怖いことを言います。そもそも鄴には今雛里ちゃんが居ますから、そういう心配はありませんけど。
「大丈夫だよ、きっと。それに、万が一そんなことがあっても二人は私が守ってあげるから」
「桃香さま」
「どうしよう。他の人が言ってたらかっこいいけどあんたが言うとすげー不安」
「酷い!?」
ぶぷうううーーー!!!
「!!」
この…喇叭の音って…
「大変です!敵の奇襲です!」
喇叭の音がするとほぼ同時に執務室に衛兵さんが入ってきました。
「数は?!」
「詳しくは判りませんが、少数の模様。劉備さまを暗殺するために来た者たちと思われます!どうか安全な所へ!」
「暗殺だなんて…厄介なのが来たわね。堂々と攻めてきたならまだ抗戦の余地があるのに…」
「へぅ…桃香さま、早く安全な所で逃げましょう」
……。
「あ、あのね。衛兵さん?」
「はい!」
どうしよう。
「警戒態勢…解除して」
「はい?」
「何言ってるの!ついに頭イカレちゃったの?!」
「頭が…はは…そうかもね」
「…桃香さま」
「すっかり忘れてた」
「何をですか?」
「実はね、到着予定日って今日だったの」
「到着って、雛里の?それだとこんな騒ぎになるはず…」
「ううん、うちの皆じゃなくて…一刀さんの」
「「…へ?」」
私、今冷や汗とかかいてない?これ本当にまずいよ。もし一刀さんに何かあったらどうしよう…。
「こうしていられない!」
「桃香さま?!」
「何処行くのよ!」
「早く衛兵さんたち止めなきゃ!」
本当に大事になる前になんとか探さないと…!
<pf>
愛理SIDE
「か、一刀様」
「何だ……」
「ここ、行き止まりですよ」
「……そうだな…」
「どうして行き止まりに来たんでしゅか!」
「前来た時にはこんな壁はなかった!」
「過去なんてどうだっていいじゃないでしゅか!今が大事でしゅ!私たちの前に立ち塞がっている壁があることが重要でしゅ!この壁は一体何なんでしゅか!どうして何の意味もなく建物と他の壁の間に立てられて無駄に道塞がってるのでしゅか!」
一刀様の言う通りに走りぬくと、そこには壁があって、後ろにはもう衛兵たちが追い詰めてきていて、見てませんが多分上の方にも弓兵とかもう構えてるなじゃないでしょうか。
「投降しろ!貴様らは完全に包囲されている!」
詰みです。
もうおしまいです。
「短い人生でした…こんな遅くなって軍に仕官なんてしたのが間違ってたんでしゅ…でも死ぬ前にお菓子いっぱい食べられたから…私、これで満足しちゃいます」
「…まだ早いぞ」
「……」
「元直、まだ世の中にはお前が食べたことのないスイーツが山ほどあるのだ。この南皮にでもな。前に来た時に食べたんだが焼き桃という奴を売っていた」
「…焼き桃」
「知っているか。甘さは温まった状態によりその味の濃さが増す。しかも水分がなくなった桃の甘さは生の桃の何倍に増す。そこに他の果物や砂糖を上乗せすると」
「…しゅるっ…美味しそうです。想像しただけでよだれが…」
「そうだろ?だからまだ諦めるな。後で食べに行くから」
「しゅるっ…でもどうやってこの状況から逃れるんでしゅか?」
「……幾ら桃香が脳がない奴でもこんな状況で走ってこないと俺の目が節穴だったことにして快く死のう」
「私は嫌でしゅ!生きて焼き桃たべるんでしゅ!」
人を奮い立たせておいてそれですか!
「……俺をこの場で殺されたら華琳と桃香との戦争が勃発するだろうが、俺は桃香が勝つ方に賭けよう。お前はどっちだ」
「だから諦めないでくださいー?!」
「中止!今すぐ警戒取りやめて!」
その時多忙な声で叫びながら近づいてくる姿がありました。
「劉備さま!ここは危険です!」
「違うの!私が忘れちゃってただけなの。ここに新人の人しか居ないの?連合軍前から居た人って無いの?!」
「はぁ…今度は結構ギリギリだったな」
「…あうぅ」
やっと安全になったと思ったら今までずっと緊張していた脚の力が抜けて私はその場に座り込みました。さっき逃げてる時に倒れたしえで擦りむいた膝も今頃痛くなってきました。靴下も破けちゃってますし。
「あの方が劉玄徳さまですか」
「そうだ。そう見えないだろ」
「え、いえ、そんな風に言うつもりはなかったんですけど…」
確かにちょっと『そういう風』には見えません。
「一刀さん!」
衛兵の群れの裏から手を振っている劉備さまの姿はまるでただの街の男たちに人気ありそうな体型の普通の村娘でした。とても英雄みたい雰囲気を出してるとは言えませんでした。朱里ちゃんと雛里ちゃんはあんな人に仕えたのですか…。
「曹丞相の使者、北郷一刀、劉備公をお目にかかります」
一刀様はさっきまでの素の姿を完全に消してとても礼儀正しい方みたいに礼をしました。
「うわああん、すごい畏まってる!ごめんなさい!私が悪いんだからそんな他人行儀しないで!」
一応、漢の官職で考えると『公』の劉備さまは『丞相』の華琳さまより位が上です。華琳さま以前に一時的に一刀様が『丞相』に任じられたことがあるそうですが、今は官職についていない一刀様の行為は、とても緊迫とした状況ではあったものの正しい対応でした。ですがそんな一刀様を見た劉備さまは半泣きの顔になって一刀の前に頭を下げてました。
これは一体どういう状態なのでしょう。
「ねえ、いっそ殴って!いっそ私を殴ってそれから普通に接して!」
「……」
劉備さまがそう懇願してるものの、一刀様は下げた頭を一向に上げるつもりはない様子です。
「すみません、怪我してる人って居ますか?」
「う?」
その時、侍女の二人急ぎ足で来ました。
「大変、大丈夫ですか」
その侍女の人は私を見てすぐに私の前に来ました。
「痛みますか?今すぐ消毒しないと…桃香さま、こんな所にいつまでもお二方を立たせていたらいけません」
「そ、そうだよね。一刀さん、怪我とかある?連れの娘は怪我してるみたいだから早く場所移してそれから話そう。ね?ね?」
それを聞いた一刀さんが私の膝をちらっと見て顔を上げました。顔をあげた一刀さんも顔にも弓が掠った糸のような薄く赤い線が見えます。
「…元気そうだな、董卓」
「……え?」
この侍女さんが董卓?
「その名前はもう捨てました。今は月という名前だけです。だから一刀さんも、月と呼んでください」
「……」
「怪我、治療しないと痕が残りますから、とりあえず応急処置をしてから場所を移しましょう。詠ちゃん。先にいって薬とお茶と用意してもらえる?」
「分かったよ」
穏やかな声で場を和ませる董卓の姿はまるで天使のようで、魔王と呼ばれていたことがこれ以上にない冒涜だって感じました。
「靴下を脱いでもらえますか?」
「あ、はい…」
私が怪我した方の靴下を脱いで消毒してもらってる間に劉備さまは一刀様の顔の傷に薬を塗っていました。
「本当にごめんなさい…」
「…今城にお前とあいつら以外に誰も居ないのか」
「はい…皆袁家の残党や黒山賊の片付けに忙しくて…」
「全部呼び寄せろ」
「え?」
「残党狩りなんてどうでも良いから全部呼び寄せろ…いや、全部じゃなくて良い。孔明と士元、雲長は呼んでこい。お前がまだ俺のことを敵だと思っていないのなら呼んでこい」
「……」
劉備さまの顔に曇りが見えて、一国の君主を戒めている一刀様の顔も尋常じゃない怒りの色が見えてます。前部署の責任者が吐血する時にしていた顔と同じです。
……私たち、ここに何しに来たんでしたっけ…?




