幕間1 徐庶√
まだ真名が軍内で広まってないので真名でサブタイトル書けないのが歯がゆい…
拠点:徐庶 題名「大好きだった母様のために」
「愛理や…」
「はい、母様、お水ですか?」
その日、部屋の掃除をしていた私は母様の呼ぶ声に直ぐに走って行きました。母様の姿は昨日より少し良くなった感じがしていました。
「水は大丈夫や…おいでなさい」
「…?はい」
ここ数日いつも水を探しながら病状で苦しんで居られた母様は久しぶりにやさしい笑顔で私をそう呼ばれるのでした。
・・・
・・
・
母様は生まれてからずっと一人で私のことを育てて来ました。背中に私を担って、他の家の洗濯ものや行事のある豪族の家に行って料理をするなどの雑務でお金を稼いで日々を生きてきました。
その後私が母様の仕事を手伝えるほどに大きくなって、数えが出来た私は徐州のある豪族に入って来るお米や金などの出入りを管理する仕事の補佐に付くことになりました。そこでは食べ物がなくなった民たちに高い利息をつけてお米やお金を貸すこともありました。
或日、そこの帳簿を見ることが出来た私は以前私の前でお米を借りていったおじさんが借りたお米の量が実際に借りた分の十倍になっていることに気づきました。借りてもないお米に高い利息まで付けて返さないと持っている土地を奪い娘や妻までも奪って娼館に売り払ってしまうのです。私がもっと調べた結果そのおじさん以外にも多くの人がこんな手によって家庭を崩壊されたり、されそうになっていました。
私はこの事実をそこの県令にこの事を告発しました。だけど豪族から賄賂をもらっていた県令は逆に私を誣告罪で牢に放り込みました。形式的な裁判が開かれたものの、自分たちが借りた分が増やされている人たちは後で仇とされるのを恐れて誰も私のために証言してくれませんでした。結局持ってきた帳簿の一部も私の偽造だとされてしまいました。
私は無実な人を告発したと逆に官庁の牢に放り込まれて、母様にも大きな迷惑をかけてしまいました。牢に居る間私を苦しませたのは通謀して私を罪人にした県令と豪族よりも、それ以上に自分たちの身の危険を恐れ、自分たちの当然の権利のために戦おうとしない人たちの方でした。何のためにあんなことをしたのか、私は大きく失望してしまったのでした。
その後私は偶然徐州を過ぎてた水鏡先生によって助けられました。この県であった話を風の噂で耳にした水鏡先生は徐州刺史の陶謙にこれを伝えて、著名な先生である水鏡先生の依頼によってこの事件は陶謙の手で直々に調査されました。やがて真実は明かされ、私は解放されました。
その後水鏡先生は不正を見抜いた私の賢さと告発した勇気を称され、私を自分の私塾に連れて行きたいと仰りました。家が乏しいうちで私塾なんてとても無理な話だったものの、先生の恩恵で無料で何年間学ぶことが出来ました。
塾で学んでいた間私は牢にいる間に芽生えた人に対する不信を少しずつ直すことが出来ました。朱里ちゃんみたいなとても賢い友達も出来ました。水鏡先生はいつも才のある人たちが持つべき責任について力説なさりました。例えその道が厳しく、誰もお供できずとも自分が正しいと思う道、それが大義につながる道と信じるなら自分の身を鑑みずに進むべきだと仰りました。だけど同時に水鏡先生はとてもやさしい人で、自分が育てた生徒たちが世に出ることをいつも恐れていました。時には戦争で、時には政争によって躓き、殺されていく弟子たちが出来る度水鏡先生は涙を流し怒りを示しました。
塾でも幼かった私たち三人が卒業することになったあの日、朱里ちゃんと雛里ちゃんは、自分たちの才を世の平和のため、天下の人々の笑顔のために使われる主君を見つけると言って旅立ちました。
『愛理、私たちと行こう』
『愛理ちゃんが一緒に来てくれると心強いよ』
二人は私を誘ってくれました。
だけど、私は行くことが出来ませんでした。その時期もう病で母様が病状から起き上がれない体でした。私は自分たちのためにすべきことが何なのか知らない人たちのために犠牲することなんかより、私を育ててくれた母様に尽くす方が大事だと思いました。
『先生、私は臆病なのでしょうか。朱里ちゃんも、雛里ちゃんもあんなに幼くて怖がっていても世に出ました。私は、そんなことをすることが出来ません。多くの人々の幸せより、自分の幸せ、母様の笑顔の方が大切です。私は臆病ものですか』
『子曰、修身、斉家、治国、平天下が正しき順と言いました。悲しいことに、朱里も雛里も戦争に家族を失い、頼れるのはお互いだけでした。あなた達は皆ここで十分己を磨きました。彼女たちには自分たちを正しく使ってくれる君主を、国を探しに行きました。だけどあなたには養うべき母親が居ます。あなたも朱里たちも皆正しいです。いつかあなたにも時が来ます。焦る必要はありません』
先生は私を安心させるためにそう仰ったのでした。だけど幾ら時間が経っても、私にはそんなことは出来ないだろうと、あの頃の私は思いました。
自分の幸せ、母様の幸せがこの世の全てだと、そう思っていました。
・
・・
・・・
「どうしたのですか、母様?」
「愛理や、これをどうぞ」
「え?…ほわぁ!」
母様は寝床の下から蜂蜜が入った壷を出しました。蜂蜜なんてこんな近くで見るのは初めてだった私は思わずだらしなく唾が口から垂れてきました。
「は、蜂蜜なんかがどうして家にあるんですか?家はこんな高いもの買えるお金なんて…」
「昔あなたが豪族の不正を暴いた時のことを覚えていますか?これはあの時にお米を借りていた人達の中で今養蜂をしている人が送ってきた蜂蜜なのです」
「あ…」
それまで悪い経験だとばかり思っていたそれが、今になって甘い蜂蜜となって私の前にありました。
「愛理や、忘れてはいけませんよ。あの日あなたがしたことは正しかったのです。これからもあなたが正しいことをすることを、母様は望んでいるのです」
「…母様?」
「……ほら、これはあなたが昔したあの苦労へのご褒美ですよ。早くお食べなさい。母様は…あなたが笑顔である姿をみたいのです」
私は蜂蜜の壷と母様を交互に見ました。そして人差し指に壷から蜂蜜を汲んでそのまま口に運びました。直ぐに蜜の甘い香りが口の中に広がるのが判りました。
「…えひひ…」
「…美味しいですか?」
「はひ…おいしいれす♡」
「そうですか。それは良かった」
母様は私の頭の撫でてくれました。
「愛おしい愛理、あなたがいつまでもその笑顔のままでこの世を生きられるなら、母様はもう思い残すことはありません」
「…はふ……母様?」
その夜、急に体調が悪くなられた母様は多忙に走ってきた県の医員さんが家に辿り着く前に息を途絶えてしまいました。
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「ん…ぅあ」
目を覚ました時、そこには赤い空と緑の芝生のある風景とに、石の卓の下から見える人たちの脚たちがありました。
「で、言ってみろ、どうしてああなった?」
「言っておくけど私のせいじゃないわよ?あの子がいきなり鼻血を吹き出したんだもの」
「取り敢えず百歩譲ってあれが鼻血だったとしよう。他に外から見える傷口はまったくなかったしな。だがな、仮にあいつが桂花みたいにお前を見ただけで性的興奮を覚える変態だとしてもいきなり致死量を越える血液が湧き出るのは人間の領域を超えてるんだよ」
「ちょっと、そこでなんで私と比べるのよ!」
「……そこにお前が居るから?」
「むかー!」
一刀様と曹操さま、そして現曹操軍唯一の軍師である荀彧さんが話し合ってる声が聞こえました。私はそのまま起き上がる前に、もう少し話を聞いてみることにしました。
「で、あなたが膝を貸してやってるその娘は誰?」
「徐庶元直、元々ならここでお前らと一緒に流血事態を生で見ることになっていた奴だ」
「そう、その娘が元直だったのね。で、どうしてあなたと一緒に来たのかしら」
「お前の軍師がなりたくないというのを俺が説得して連れてきた」
一刀様!?そんなこと仰ったら私がもっと起きづらいのですけど!
「なのに真っ先に見せられた様が軍師候補を殺して血だまり作ってる様だったら俺までドン引きだ」
「だから殺してないって言ってるでしょう?!そもそもあなたはもっと私のことも心配してくれるべきなんじゃないの?私だっていきなり軍師候補で面接していた娘が鼻血吹き出してびっくりしたのよ!しかもあなたが推薦した娘でしょう!」
「…お前本当にああなるようなことはまったくしていないと誓えるか?」
「……」
「おい、黙るな」
「…ちょっと私が話かけるだけで顔が赤くなったりするから…ちょっとだけからかうつもりはあったかもしれないけれど…」
「……」
「だからそのドン引きだって言いたそうな顔で見るのをやめなさいよ!」
「実際お前が御殿で桂花を素っ裸にさせて跪かせて足指舐めさせてる時よりもドン引きしてるんだよ」
「だからなんで私のことを比較に出すのよ!」
目を閉じて声だけを聞いていたのですが、曹操さまと荀彧さんの声は高くなる一方で、一刀様の声はどんどん低くなって行きました。
「はぁ…いい考えだと思っていたのにこれじゃ台無しだ。これでは誰も軍師になんて出来ないじゃないか」
「郭嘉と程昱は近日に再び呼びつけるわよ。少なくとも二人とも諦めたとは思わないから」
「君主の前に出ると鼻血吹いて倒れる奴と緊急事態に寝たフリする奴なんて軍師にしたら桂花の仕事が増えるだけだろうが」
「だから私を比較に出すのをいい加減……あ、ありがとう」
「少し癖があることは認めるけど、それが必ずしも欠格の理由になるってわけでもないわよ。それだったら桂花だって軍師にしてないわ」
「華琳さま?!」
「桂花の被虐嗜好変態気質なんてどうでも良い。…まあ、お前がそう言うのならそれ以上文句つける気はないが、少なくともこいつのお前に対しての背景知識、そして初対面もこれで最悪だ」
「私に対しての背景知識がどうかしたの?」
「お前が優秀すぎる人材は自分の座を狙うことを恐れて事前に排除するって噂が荊州に流れているらしいぞ」
「なっ!?一体誰がそんなことを!ちょっとその娘起こしなさい!」
ひっ…!
「お前の今のその顔見たらこいつ目を覚ました途端また気絶するからやめてくれないか?」
「私の顔がどうしたっていうのよ!」
「今でもこいつ殺しそうなんだよ。『絶』下ろせよ」
「これはあなた用よ」
「尚悪い」
「うるさいわよ!さっきから聞いていたら好き放題言って!今回だけは憂い晴らさせてもらうわ…よ!」
…!
なんと言いましょうか。その瞬間の動きは無意識的なものでした。
並ならない殺気を感じた私は背中の杖を上に突きつけて一刀様に向かって降りてくる鎌に絡ませ動きを止めました。
「…やっぱり起きてたのね」
「……うっ」
曹操さまと私が互いに武器を突きつけてるような形になったまましばらく時間が過ぎました。
「杖だけでもなかなか使えるな」
そんな時一刀様は暢気に私の頭を撫でました。
「私を怖がっているようには見えないわね。少なくも仕えようとした人に対して武器を向けるだけでも十分な度胸はあると見えるわ」
「ひっ…ごめんなさい」
曹操さまの言葉を聞いた私は杖を下ろして一刀様の膝から跳び起きてちょこっと座りました。
「…改めて紹介しよう。徐庶元直だ。文武兼備の、この時代になかなか見れない逸材と見た」
「あう…私、そこまで大した人じゃ…」
「あなたがどれだけの人材かは私が決めるわ、徐元直。そして場合によっては今の無礼に関してもそれ相応の罰を覚悟した方が良いわ」
「あうあう……」
今でもここから、いえ、陳留から逃げ出したいです。
「先ずさっきの話、詳しく聞けるかしら。荊州に私に関しての変な噂が立っているそうじゃない」
「い、いえ…あの…正確には荊州ではなくて、先生の塾なんですけど…」
「水鏡の塾で一体私に何の恨みがあってあんな噂を…!」
「この場は水鏡のお前に対しての評価が如何なるものかを知る場ではない。それに関しては後で調べる機会があるだろう。今はそういう噂を耳にしたにも今お前の前に居る彼女を評すべきではないのか?」
「っ…そうだったわね」
一刀様の仲裁に曹操さまは顔を歪ませながら私から一度視線を逸らされました。
「…気が立ってるなら後に出直すが」
「いえ、今が良いわ」
そうおっしゃりながら曹操さまは卓の中央にある冷めたお茶を一口飲みました。
あ、今気づいたんですけど、卓にとても美味そうなお菓子が見えます。でも今とても私があそこに手を伸ばしていい雰囲気ではないんですけど。
「それで、元直とやら…どうして私の所に来たのかしら」
「え、あ、あの……私、本当は軍師になるつもりじゃ…なかったんです」
「だとしても、あなたは他のどこでもなく私の軍に来た。その理由があるはずよ。人材を殺すという噂が立っているこの私を…」
ここでちゃんとした答えを言えないと、多分私は無事でこの場を去ることが出来ないと思います。
「…徐州は現在とても腐敗しています。周りから見て大した変化はありませんが、内面こそは腐りきっています。以前より人柄は良いものの人を見る目が足りなかった陶謙の周りには彼の前に媚びては民たちから奪う者ばかりが残りました。不正腐敗が蔓延るようになった徐州でもう自分の才能を発揮しようとする者は居ません」
「徐州には今にも多くの人材が在野に篭っているという話は聞いたわ。実際にはどれぐらいなのかしら」
「徐州は昔から商業に関しては都並に盛んだ所でした。大陸と海上、両方の交通の中心としたこの地には商業で成った豪族たちがいくつもあり、その商家の者たちは皆して武や智に長けています。腐り果てた徐州に仕えることなく商売を熱心する者や、それでも民たちのためにと政争に飛び込んでそれなりの地位に居る者も居ますが重用はされていません。魯家が前者、陳家や糜家が後者に当たる場合です」
「河北の劉備軍にはあなたの同門たちが居たはずよ。劉備軍に行く気にはならなかったの?」
「河北は今乱世の渦が最も激しい場所だと言えます。それに臥竜鳳雛に比べては私の才は大きく及ばないもの。二人の同門だからと言って新参ものにも関わらず突然重用されたりする場面は控えたいと思いました」
「荊州の劉表、予州の袁術は?」
「袁術は徐州と同じで論外でしょう。そして荊州は現在劉表が病状に居て後継者争いの火蓋を切ろうとしています。劉表本人も陶謙と同じで人を見る目が良い人ではありませんし、私みたいなのが今頃入っても政争の犠牲になるのが落ちです」
「さっきから自分のことを貶めているけど、そういうのならどうしてここに来る気になったのかしら。他の在野に居る者たちのように普通に暮らしていては良かったんじゃないの?」
荀彧さんが疑わしそうに尋ねました。
「確かに、私もその一人になっていたかもしれません。母様の遺言が居なければ」
「母親の…?確かつい最近に亡くなられたとか…」
「はい、先月七々日を過ぎました。母様は亡くなられるあの日、私に正しいことをするようにと言い残されました。だけど私の才なんてちっぽけなもの。試験こそ高得点を取ったかもしれませんが実際には内政のごく一部をまとめられれば上々な実力です。軍師なんてとても務まる器ではありません」
「自分の才を暴くことを恐れる人材…ね。確かに魅力的には聞こえないわ」
「……」
私が朱里ちゃんや雛里ちゃんに劣るというのは、単に塾での成績の差の問題じゃありませんでした。あの二人はいつも如何すればこの世の平和に貢献できるかについていつも語りました。だけど私はそんな会話に真面目に参加してみたことがありません。私にとってそういうのはあまり重要じゃなかったのです。結局自分たちの力で自らを救わんとしない者たちのために犠牲になるのは無駄だと思ったのです。それは今でも同じです。
「自分の才を溝に捨てられた天才…といえば少しは魅力的に聞こえるか」
その時、一刀様はお菓子の方に手を伸ばしながら言いました。
「食べるか?」
「え?」
「一刀?」
「さっきからずっと菓子の方を見ていてな。焼きたてではないが、昼にお前が美味しく食べていたのと同じ菓子だ。味は保証できる」
一刀様は幾つかのお菓子を取って私に差し出しました。
「…あの、一刀様、私、人前だと…」
「彼女たちは構うな。自分の前で鼻血吹き出す奴も見た頃だ。今日のうちは自分の前で人がどんな顔をしようが驚かない」
私は一刀様の顔とその手に乗ったお菓子を交互に見ました。そして少し諦めた顔でそのお菓子を取ってパクっと口の中に放り込みました。長く外においておいて冷たくてバサバサになった食感。だけどその中にある甘い味は私をその場の空気から引き離すに十分なものでした。
「…えへへ♡」
「あ」
「…もっと食べるか?」
「たべまゆ…」
朱里ちゃんは、いつも塾でお菓子を作る時に一番先に私に焼きたての菓子をご馳走にしてくれました。
『この世の人たちが愛理ちゃんみたいだったら良いのにね』
人の前でお菓子を食べることには戸惑いがあります。だって良く知らない人前でだらしなく頬が落ちる姿を見せるのはどう考えてもやっちゃいけないことですから。
でもどうしても逆らえないのです。この甘さに誘惑されたら…幸せで仕方がなくなってしまうんです。
母様が亡くなった次の日も、私は一人の家で密かに母様からもらった蜂蜜の壷を開けました。その中に笑顔が沢山詰まっていて、口に頬張る度にその笑顔が私の顔に染み付きました。誰かが母を亡くした娘が不敬にも笑っていると貶そうとも構わず、私は家で一人で誰にも見せずに密かに微笑みました。丁度七々日が過ぎた頃、壷の蜂蜜は全てなくなって、それでやっと私は母様が亡くなったあの日以来初めて泣きました。
母様は私に正しいことをしなさいって言いました。だけど同時に、私に笑顔で居なさいって言いました。どっちが先であるべきだったのか、私には判りませんでした。
あの日に私は…母様が見るに正しいことだったのでしょうか。
・・・
・・
・
「ふぅ…あえ?」
お菓子を食べ終えてた頃、もう日が落ちてきている東屋には私と一刀様以外には残っていませんでした。
「あ、あの、曹操さまは…」
「帰ったぞ」
「え?!」
そんな…私がだらしなくお菓子なんて食べてる間に呆れて行ってしまったのですか?!
「し,執行日はいつですか」
「殺さねえよ」
「だって…だって」
「お前は俺の専属の軍師だ。それで片をつけた」
一刀様はそう仰って東屋の椅子から立ちました。
「寒くなってきたな。明日からは官庁に宿所が用意されるから、今夜は泊まっている宿屋まで送ろう」
「…どうしてですか?」
私には判りません。
私は何もしていなかったじゃないですか。ずっと何もせずに、自分には出来ないって言って、お菓子頬張ってだらしなく笑っていただけなのに、どうして私をそこまでここに居させようとするんですか。
「知ってるか、元直。お前の普段の顔はとても弱々しい。いつも恐れていて、自信がなくて、捨てられた子犬のような顔をしている。それがお菓子を食べてる時は歓喜に満ちて、幸せでこの世の全てを得たような顔になる。…それが理由だ」
「…判らないです」
私は帽子と杖を持って一刀様に続いて東屋を出ました。
「…俺がお前ぐらいだった頃に、俺も親と二度と会えなくなった。…死んだわけでなく捨てられたのだがそこは重要じゃない。重要なのはお前が世に裏切られて自分に何も意味がないと思った時、一体何がお前に力になってあげられるかってことだ」
「…お菓子が私の力になるんですか?」
私は理解できなくて聞くと、一刀様は微笑みながら顔を横に振りました。そして私の頭をわしゃわしゃとしました。
「あうう!」
「それだけ食べてたら少しは頭も回せるようになればいいと思うがな」
「うぅぅ…」
遠回しに馬鹿にされました。
「言っておくが、取り消しは不可能だ。お前が俺の下に入る条件で斬首を逸れたんだからな」
「本当に刎ねられそうだったんですか?!」
「あとは帽子をかぶせたまま刎ねるか外して刎ねるかの問題だったな」
「どんな二択ですか!?」
「まあ首があればどの道刎ねられるからな…変わりはないな」
「はっきりしてください、一刀様!私あとで曹操さまに会ったら首刎ねられるんですか?!」
「さて、女王の気分次第だな」
「ひええー」
私、本当に曹操軍に来て正しかったのでしょうか、
母様。
<pf>
<徐庶は知らない話>
華琳SIDE
お菓子を食べている徐元直はだらしないぐらい笑っていた。
そして、
そんな彼女を見る彼もまた微笑んでいた。
当たり前だけど、彼が人にお菓子を分けるということは余程じゃないと起こりえることではない。
「あなたさっき『溝に捨てられた天才』って言ったわよね?」
「……」
「あなたのことよね?」
幼い頃、彼は親に捨てられて孤児院に入った。レベッカに会うまで彼は捨てられたまま何もせずただ生きてきた。その才能を失われたまま。
「…こいつを俺の軍師にしたいんだが」
「どうして?彼女が昔のあなたに似てるから?」
「似てるものか。…笑ってるだろうが」
一刀は彼女を見ていた。自然に次のお菓子に手を伸ばす徐元直の顔はまるで純粋な子供のように笑っていた。
「こんなに笑えるのに、まだ彼女の才能は開花していない…俺はそれが不思議でならない。実に興味深いではないか」
「幾らあんたが興味を持つとしても、自分がヤル気がないなら重用する意味はないわ。才があっても動かないならただの動かぬ岩と同じよ」
桂花が反対の意見を出すも、
「コロコロ転がる石ころよりは使い道がある。才能もないのが暴れてるだけ危ないものもないだろ」
一刀の意志は固いものだった。私が一度目を奪われた人材にいつまでも食いつくように、彼もまた自分が持った興味は簡単に手放さない主義なのだ。
「あなたの好きなようになさい」
「華琳さま?」
「だけど桂花の言った通り、私の軍に置く意味がないと思ったら幾らあなたが欲しいって言っても私の軍には置かないわ。不満があるなら自分の軍を作って雇いなさい」
「まるでそうしても平気そうに言うな」
「まるでそんなこと出来るように言ってるんじゃないわよ」
私はお菓子の皿に手を伸ばしながら言った。だけど彼は私のその手を叩いた。
「痛っ!」
「……お前の分はないぞ」
「あなたは食べてもいないでしょう?」
「俺の分もないからな…何で俺がいつも一人でお菓子を食べてるか判るか?」
「あなたが砂糖にできてるからでしょう?」
「あんたが砂糖変態野郎だからでしょう?」
「………お菓子というのはだ、それを食べて一番価値のあるものを引き出す奴の口に入るのが菓子に対しての礼儀というものだ」
その日、彼は本当にその菓子を一つも口にしなかった。