三十九話
一刀SIDE
「凪、しっかりしろ!凪!!」
「………」
………返事がない。
どう…
何を…
「………ずと」
「あぁ……」
このままだと不味い…
背中を大きく斬られて出る血の量も尋常じゃない。このままだとショック死だ。
「凪…凪…」
何を…すればいいのか分からない。
頭が真っ白だ。
何かあるはずだ。
何か…死なせない方法が……
「……!!」
その時、聞き慣れた声が聞こえた。
振り向いた時、俺は人に一生言ったことのない言葉を口にした。
「……助けて」
<pf>
流琉SIDE
最初は洛陽に行くつもりでした。
ですが、連合軍の陣から少し離れた時、洛陽の方向から砂塵がするのを見かけました。
砂塵はそれほど大きなものでもなく、荒野を走ってくる様子は奇襲をするためのものとも思えませんでした。
少し距離を取って向こうの視界から離れられる所に馬を隠して様子を見てみると、『漢』の旗が見えました。
今回の戦争でほぼ戦場に出たことはありませんが、少なくとも董卓軍が『漢』の旗を使っていることはありえないということは分かります。
となるとあの軍は…洛陽から逃走してきた軍?
皇帝陛下が逃げてきたとかそういうものでしょうか。
洛陽に直接向かう前に少し寄っていく価値がありそうでした。
私は相手が荒野の途中で陣を張る様子を見ていました。
そしてそこから出てくる少数の人群れ…その中に……
「…兄様?」
居た。
兄様が……こんなに近くに居る。
今から跳びだしていけば会える所に、兄様が見えていました。
どうしよう。
今直ぐに会いに行く?
行って何をするの?
あれから私は何か変わったのだろうか。
最初に兄様に叱られた時、目の前が暗くなりました。
凪さんが帰ってこないようになった時には何の罪のない凪さんを恨んだりもしました。
立ち直れずに乱れた私を華琳さまも大きく使うことなく、それ以上兄様に会える機会はありませんでした。
でも、今会うことが出来るようになっても、私は兄様の前で誇らしげに居ることが出来ないのでした。
逃げようとした私は。
諦めようとした私は。
もう兄様のために何もすることが出来ません。
『…あなた、逃げちゃダメよ』
「……」
さっき桂花さまに言われた言葉が胸を刺します。
ここで逃げてしまったら、もう二度と兄様に会えるような機会はないでしょう。
でもそう逃げようと決めることも簡単ではありませんでした。
兄様は私にとってとても大きい存在になっていました。
そんな兄様が居なくなった所を埋めることができなくて私は何も出来ずに壊れたようにここ数ヶ月を過ごして来ました。
私は……
やっぱり兄様と一緒に居たいんです。
<pf>
少し時間が経って、陣が整った頃、私はまだ見張りなどがしっかり立ってないうちに中に侵入しました。
陣内の兵の数はそれほどではないみたいでした。
ざっと見たところ数十人程度の数。
周りの視線を避けることはそんなに難しくありませんでした。
隠れそうな場所を物色していたら、食料などを置いた天幕にたどり着きました。
兄様がいつ帰ってくるか分からないので、暫くここに隠れてようと思ったその時、中から音がすることに気づきました。
誰か中に居る?
バレてしまっては潜入した意味がないと思い出ようとしましたけど、少し変な感じがしました。
こんな感じのアレを前にもたくさん見ていたような……。
あ、思い出しました。
この感じは確か、季衣が城の倉庫に忍び込んでつまみ食いをしているのを見つけた時のアレです。
私は武器を手にして声がする方に足音を殺して向かいました。
「うんっ……はぐっ……♪」
…そこには劉備軍の張飛ちゃんが盗み食いをしていました。
「んっ?…にゃにゃーっ!」
「ちょっ!声大きいよ」
こっちに目を向いた張飛ちゃんが驚くのを見て私はご飯粒がたくさんついた口を手で塞ぎました。
「あなたも偵察に来たの?」
「(こくこく)」
張飛ちゃんが頷くと、私は手を放しました。
「ぷはーっ、びっくりしちゃったのだ」
「声を抑えて。敵の陣に忍び込んでつまみ食いなんてしてる場合じゃないでしょ?!」
「たまたま忍び込んだところがココだったからついでなのだ」
ついでって…
「典韋もお兄ちゃんに会いに来たのだ?」
「……」
ちょっとだけ戸惑って私は答えました。
「私は洛陽に偵察に行くように華琳さまに命じられましたの。でも途中でこの軍を見つけて忍び込んだ」
「鈴々も大体そんな感じなのだ。でも、お兄ちゃんは出ていったからここで待ってるのだ」
「兄様は連合軍の方へ向かったよ。今から帰れば逢えるんじゃないの」
「別にこっちに戻ってくるのだったらここで待っていた方が良いのだ。もしお兄ちゃんがあのままお姉ちゃんの所に帰っても、それはそれで構わないのだ」
張飛ちゃんはとても軽い口調でそう言いました。
どうして兄様がどうするかについてこんなに楽に話すことが出来るのか私には判りません。
私は怖いです。
一体を何をするつもりなのか分からないのがすごく怖いです。
私に対してなんと言うだろうかすごく恐ろしいです。
「張飛ちゃんはここでずっと待ってるつもり?」
「そのつもりなのだ。典韋もここで待つのだ?」
「……」
私は少し戸惑ってはその場、張飛ちゃんの隣に座りました。
「食べてる時の声外から丸聞こえだよ。ちょっと自重して」
「むぅ…せっかく食料倉庫に入ったのに勿体無いのだ」
「ここでバレたら兄様に会えなくなるから」
私たちはそのまま暫くの間静かに時間が経つのを待っていました。
・・・
・・
・
「そろそろ動いてもいいと思うのだ」
一刻ぐらい時間が経って、張飛が立ち上がりました。
「動くのは良いけど、どこを目指すつもりなの?」
「それはもちろんお兄ちゃんが居る所なのだ」
「判る?」
「……なんとかなるのだ」
判んないよね。
「とにかくここばかり居ても何もわからないのだ」
「それはそうだけど……あぁ、張飛ちゃん」
張飛ちゃんは天幕の外にそっと顔を出しました。
(張飛ちゃん)
私が小声で張飛ちゃんを呼ぶと張飛ちゃんは前を向いている兵士たちが気づかないうちにそのまま見張りの目を盗んで天幕を出て行きました。
「わ、私も…」
私は張飛ちゃんみたいに天幕の中から外側を見回しました。
一つだけ他の天幕より目立つものがあります。上には漢の旗がついてます。あれが指揮官の天幕なのでしょう。
そうとわかれば……
「うん?」
「……」
ふと変な雰囲気に襲われて、まさかとは思いつつも上を見上げると
「……」
「あ」
後ろを振り向いた見張りの二人がしっかりと私と目を合わせていました。
これは大変なことに…
「ってこうなったらもう…!!」
強行突破です!
「えいっ!」
「ぶぉっ!」
「うぐっ!」
先ず二人。
他の兵たちが集まらないうちに早くあの天幕に向かわないと…
「敵だ!敵の偵察兵だ!!」
不味い!もう……バレた?
「あそこだ!囲め!」
「うにゃーっ!退くのだー!」
あー、あっちなんだ。
良かった。この隙に私はさっさと行きましょう。
<pf>
天幕にたどり着くと中で大きな声が聞こえました。
「凪…!凪!」
「兄様…?」
叫ぶ兄様の声は荒れていて、何か事件が起きていると予想できました。
そして忍び込んでいたことも忘れて中に入ると…
「兄様……っ!!」
中に繰り広げられていた惨状。
気を失った凪さんの血が地面を赤く染めていて、
横には凪さんを斬ったららしい呂布の武器の先の赤い血。
倒れた凪さんを抱きしめた兄様の顔がとても蒼白になって私の方を見ていました。
兄様の顔。
今まで見たことのない、恐怖に満ちた顔でした。
兄様がこんな顔をするとは思いもしませんでした、そんな顔をしている兄様は全身を震わせながら一言だけ言いました。
「……助けて」
「!」
その時でした。
さっきまで恐れていたこと、不安がっていたことなんてどうでも良くなりました。
目の前に居る人の願いを聞いてあげなければなりません。
私は呂布を通り過ぎて兄様の寝床に走って行き、寝床に敷いた白くて広い布を引っぱり出しました。
「兄様、凪さんを放してください!」
私は凪さんの武装を剥がしました。
そして敷物で凪さんの背中の広い傷から上半身にその敷物をきつく回しました。
何回敷物を引っ張るうちに染みてくる血がどんどん少なくなって来ました。
傷自体そんなに深くはなかったみたいです。
凪さんの身体を寝床に移しました。
これでひとまずなんとかなりました。
問題なのは…
「兄様」
「………」
兄様は私の声が聞こえないようにただ座り込んで下を向いていました。
私はそんな兄様の顔を両手で打ちました。
「兄様!」
「!!」
「しっかりしてください、兄様!」
「……典韋」
「凪さんは大丈夫です。でも兄様がこうしていたら何にもなりません。いつもみたいに何があっても依然として冷静に考えていた兄様はどこに行ったんですか」
「……」
私は兄様の目を見て怒鳴りつけました。
思えばおかしな話です。
実際は私が怒鳴られる側になるだろうと思っていたのに、こんなことになってしまいました。
震えていた兄様の手は鎮まってきました。
兄様の顔からはまだ驚いた様子が隠せませんでしたが、一度凪さんの顔を見て呂布を振り向きました。
「外が騒がしいな」
「張飛ちゃんです。忍び込んできたのがバレて今あっちこっち逃げまわってるだろうと思います」
「…呂布、行って連れてこい。髪一本傷つけずに連れてこい」
「………」
呂布が血まみれた武器を持って、外に向いました。
ふと脚を止めて振り向いた呂布さんの顔は…口でうまく説明できないですけど、判らない罪悪感みたいのようなものに包まれたような感じでした。
「……一刀……ごめんなさい」
「…早く行け」
「……」
呂布さんが出て行った後、兄様は私を見ました。
「俺の杖を…」
「杖……?」
机の方を向くと杖が一本あります。
それを兄様に持っていくとそれを突いて兄様はやっと立ち上がりました。
連合軍の始まりに会った時はあんなに健康そうにしていた兄様なのに、今はこんなに身も心も弱っています。
兄様、望むもののためには自分の身を顧みない人でした。
でも兄様は自分のために周りの私たちが犠牲になることを好む人ではありませんでした。いつも自分だけが全てを引き受ける人でした。
もしかしたら兄様はこんな風になることを恐れていたのかもしれません。
自分の身近に居る人たちが傷つくことを見たくなかったのでしょう。
あんな理性の塊のようだった兄様が、戦場ではいつものように見受けられる傷ぐらいにこんなに乱れるのを見て、私は今まで知らなかった兄様の隠れた一面を見れた気がしました。
今まで兄様に対して感じていた怖い気持ちが一瞬で消え去りました。
「凪さんの傷は浅いですけど、傷自体が長いです」
「……前に俺にやったように縫ってやれば良いが、今はそうする時間がない。もう直ぐで袁紹軍がここに迫ってくる」
「…え?」
どうしてそれを……。
「それなら、早く撤退の準備を…」
「撤退する時は陣は置いておいて身だけで逃げる予定だった。そのつもりで少数の騎馬隊だけで編成している。他の連中には知らせていないが……袁紹は追い詰められることに慣れていない奴だ。直ぐにその能の底が尽きる。下策を取るだろう。今にでも進軍を始めているところだ」
私は息を呑みました。
そうです。いつもこうなんです。
危険さが判っていてもそれを予想しているとまったく動じません。
でも、今は状況が少し違います。
「凪さんの傷を見るには時間が必要です。兄様の言う通りならここでは無理です」
「……だろうな……俺のせいだ」
杖を持っていない左手で顔を覆いました。
「一体何があったのですか」
「……俺を諦めさせるつもりだった」
「え?」
兄様を…諦めさせる?
「兄様…もしかして……」
「……お前等が思っていた程、俺はそう強くない」
「…そうだと判っているくせに、今までそうやって私たちの心配ばかりさせたのですか」
「こんな風になってしまうぐらいならそれがマシだ」
兄様は身体に敷物を巻いた凪さんを見つめました。
息は小さくて、血をたくさん流したせいで顔は蒼白です。
「手伝えることなら手伝います」
「……典韋」
「全部やめようと思っていました。兄様の言う通り、私には背負えない業だと思ったのです」
「……」
「でも、今の兄様の姿を見たら、そうじゃないと気づきました。例えどれだけ大変でもそれから『逃げる』理由になりません」
兄様も…実は隠していたんです。
辛いこと。恐いこと。そんなのを全部隠して人の前では依然と、冷静な自分を装った。
「私の手助けなんて要らないなんて言わないでください。私にそんなこと資格、兄様にありませんから」
兄様は曇った顔で私を見ていました。
血色が戻ってるだけ、さっきよりはマシです。
「…洛陽に行く前に傷口を縫って置かないといけない」
「帰ってからじゃ駄目なんですか」
「あそこに行っても時間がない。この戦争は今日のうちに終わる」
!
「華琳さまは…」
「…全軍に同じ条件を提案した。孟徳は俺が差し出した手を握った。…後は彼女たちのやり次第だ」
兄様は凪さんに目を戻しました。
「もう、あいつらに俺がしてあげられることはない」
「帰ってくればいいじゃないです」
「………」
この期に及んで、そんなことを言ってしまっていいのか。
私の心の中の半分が囁きました。
でも、もう半分はこうも言います。
この人は誰かが一緒に居なければいけない。
私たちが、私が一緒に居なければいけない。
「皆待っています。いつでも待っています。でも、兄様が帰ってきてくれないと、皆いつまでも兄様のために空いておいた席を見て悲しむばかりです」
「……」
兄様は何も言わないままただ凪さんを見つめていました。
「一刀さん!大変です、袁紹さんの軍隊が……!」
その時、天幕に侍女さんが一人が多急な声を喋りながら入ってきました。
「…この人は…!」
「…そいつに酒と絹糸と針をくれ。必要になる」
「どういうことですか…それよりも袁紹さんが攻めてきます。早く逃げなければ…」
「呂布に知らせ。出来るだけ時間稼ぎをしてくれと」
「……」
「…頼む」
「…判りました。直ぐに持ってきます」
侍女さんは直ぐに外に出て行きました。
「あの人は……」
「董卓だ」
「……え!?」
あの侍女服を着た人が逆賊董卓!?
「それよりも流琉」
「あ、はい……はい?」
「……ありがとう。お前が来てくれてなければ凪も助けれず、袁紹軍への対処も出来なかった」
兄様……今…私のこと……。
「お前たちの言う通りだ。俺は弱っている。俺だけじゃあこの策略を最後まで終わらせることが出来ない。だから、手伝ってくれ」
「……はい!!」
取り戻した。
失っていたのを…取り戻しました。
兄様…!




