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五十三話



反董卓連合の解散の後、群雄割拠の時代に入った天下。


そしてその中でも一頭地を抜く群雄は二人。


一人は、かつて河北の覇者であった袁紹軍の代わりに河北を制覇しつつある劉備玄徳。


一人は皇帝を擁立し、兗州、洛陽、そして西涼を制覇した覇王こと曹孟徳。


そしてその覇王を一番近くで支える胡散臭い男が一人。


かつて天の御遣いと呼ばれ、乱れた天下で平和をもたらしてくれるだろうとされた男であったが、


洛陽を燃やし、長安を半壊させ、五丈原でもまた放火をし多くの被害を出した。


その行い、もはや人としての心までも捨てた、鬼の所業。


やがて覇王の怒りを買った御使いは更迭され、軍師を座から降ろされ表舞台から姿を消した。


そして時は流れ、少しの間平和だった天下は、再び戦乱の時を迎えようとしていた。


一方、中原の南、袁術の客将でありながら、かつて江東の虎と呼ばれし孫堅の長女、孫策は時を待っていた。


母の、孫家の遺産は取り戻す時を。


そして、その時はもう間もなく訪れる。






だが、


各々の英傑たちが己の理想に胸を膨らませる中、


本当に天下という名の将棋盤を大きく覆す種は、


誰も予測していなかった所から芽生え始めていた。


<pf>


蓮華SIDE


「ハクフさんからの帰還命令ですか」

「ええ」


前夜、廬江の姉様からの伝言が届いた。至急に戻って来なさいという内容だった。孤児院の子たちを同じ宿に預かって一ヶ月ぐらいが過ぎていた。


実は初めて先行して江東にやって来た時、いつまで帰って来なさいという期限は決まっていなかった。そこは現場の私に一任するということで、冥琳も一月ほどなら十分でしょうと目印は付けたが、それが別に期限というわけでもなく、実際それが過ぎた所で帰ってきなさいという催促は来なかった。


私も最初の豪族たちとの話し合いだけだったら一月ぐらいで済んだはずだったものの、次に起きた孤児院の支援の件が起きた後、豪族たちばかりを見ても駄目だと言う考えた。そこで、もっと平民たちの生活が判るような場所、市場などの所はもちろん、人たちが集まる居酒屋や城の周りの小規模の村たちを巡って、そこでも尊敬される得のある人の話だけでなく、もっと平凡な人達のことを観察しようと努力した。畑で麦を植えている農夫たちを数刻もただ見ていて、途中から一緒に種を蒔き始めて、中食まで一緒にすることになったこともあった。


こんな風に横から見ると凄く非効率な方法で人たちと話をして廻った上に、子供たちの勉強を見てあげる約束もあったので当初の目的とは関係ないことにもかなり時間を費やしてしまった。その間報告もちゃんと入れてなかったので痺れを切らした姉様たちから帰ってきなさいという命令が出たのだった。実は戻る準備はもう半月前にできていた。魯子敬から我軍に友好的な者、そうでもない者の名符ももうもらっていた。それからは私の奇行と、孤児たちをもうちょっと基礎を教えたいという気持ちもあって敢えて連絡が来るまで時間を先延ばしにしていたのだった。


ただ気になることは、へれなをどうするかについてだった。


本来なら一緒に行って報告するのが正しかった。だがやっぱりへれなとしては孤児たちがちゃんとした家に住めるようになるまで見てあげたいだろう。いつ戻って来れるかもまだはっきりとしないのでこのまま置いて行くというのも癪だった。


だけど、いざへれなを読んで姉様たちの居る廬江に帰ると話すと、


「そうですか。それじゃあ子供たちに話してあげないと行けませんね。当分は会えなくなるでしょうし」


案外あっさりとここを離れるということを了承してくれた。


「大丈夫なの?何時戻れるかははっきり判らないのよ。姉様と袁術との交渉がうまく行かなければ半年以上かかるかもしれないわ」

「あの娘たちはもうちゃんとした生活ができるだろうと約束されています。呂蒙ちゃんたちみたいな年の取った子たちがちょっと気になりますけど、皆しっかりしていますし、私が居なくても頑張って勉強するでしょう。他の子たちだって、ちゃんと暮らせる場所ができるのなら心配はありません。帰りが何時になるか判らないといいますけど、レンファも、ハクフさんもきっと一日でも早くここに戻ってきたいと思ってる気持ちは私以上だと思いますから私が心配しなくても頑張ってくれるのでしょう?」

「それはもちろん…でも、やっぱりあの子たちのこと心配になるんでしょう」

「流石に全く気にならないというわけじゃあありませんけど。だけど、それ以上にレンファのことが心配ですからね」

「わ、私?それこそあなたの心配することなんてないわよ。私は姉様に会いに行くだけだから。何も心配することなんてないわ」

「……そうかもですね。それでもやっぱりレンファの方も大切ですから」


そう言ったへれなは両手を開いて私を自分の胸元に誘う仕草をした。ここ二ヶ月ほどへれなと親しく触れ合い始めて判ったことは、彼女がとても寂しがりな性格だということだった。特にへれなは親しい人と一緒に居る時に習慣的に肌と肌で触れ合おうとした。何もいやらしい意味でというわけではなく、こうして抱きつかせたり、膝を貸したり、それが相手に負担になれば手を握ったり、人の体温を感じることが好きらしかった。そして私もへれなと触れ合ってる時の温もりが時間が経つにつれどんどん気持ちよくなっていた。


私は軽くため息をついて仕方なくしてあげるみたいな振りをしながらヘレナに抱きついた。へれなの胸元に顔を埋めると、彼女の心臓の鼓動が聞こえてきて、私もどんどん安らかな気分になった。


「心配しないでください。ハクフさんはレンファのお姉様ですから、きっとレンファの味方をしてくれます。ミンメイとコウハさん、それに私もレンファの味方です。だから心配いりません」


へれなの目には私が不安がっているように見えたのだろうか。そうだったかもしれない。


実際私は不安だった。姉様と冥琳が私が江東でやってきたことにどこまで同意してくれるか、どこまで受け入れてもらえるか。そもそも私がここで油を売っていたこと自体、何か反逆の企みがあると疑っているのではないだろうか。最近はそんなことを考えずに居られた日の方が少なかった。姉様のことを信じようと思っても、その信じたい気持ちの大きさに比して、不安もどんどん大きくなっていった。


「レンファが優しい娘だって、皆判ってますから」


へれなはいつもの様に優しく頭を撫でながら優しい言葉を言ってくれた。私を安心させるために。


子供たちにへれなが居ないとダメなのではなく、私がへれなが居ないとダメみたいだった。


<pf>


孤児院のことを魯子敬に任せて、私とへれな、思春、明命は廬江へ戻る船に乗った。


へれなと明命が何人か離れることを嫌がって泣く子供たちと宥めてる間、私は周りの目を気にして迎えに来なかった魯子敬が言った言葉を思い返していた。


魯子敬は江東に来て初めて出会った建業の有力な豪族にして、かつてお母様に仕えていながらお姉様について忠義を誓わなかった者たちの一人だった。そんな彼女が私に出会ってから、積極的に私を助けてくれた。それこそ見ているこっちの方が負担になるぐらいに。


そんな魯子敬と約束したこと。江東の新孫家の派閥を集め、その名を集めた帳簿を渡してくれる変わりに、魯子敬はとあることを私に約束させた。


『 伯符さまに命を賭けて忠言しないでください。身の危険を感じる場合それ以上伯符さまのなさることに関わらないでください。それで仲謀さまの以外の誰かが死んでもです 』


彼女は私に保身しなさいと言った。


お姉様に忠言することは、妹としても、家臣としても当然の行い。それをするなということが何を意味するのか。


魯子敬は私の目の前で、お姉様に対して下克上を起こしなさいと言っていた者だった。彼女にとってお姉様の失墜は即ち私の即位を意味した。


勿論私にそんなつもりは一切ないし、お姉様が私を害しようとするとも思わなかった。私たち姉妹は王位を争う仲ではなかった。孫呉の王をお姉様。私はその家臣にして、万が一お姉様に何かあった時のために次善策。


『―ー孫呉の次世代の王よ』


……誰がなんと言おうとも、その事実は変わらないのだ。


<pf>


数日後、私たちは無事廬江の城に到着した。


「権殿、待っておったぞ」


城へ入ると、黄蓋こと祭が私たちをお迎えしてくれた。


「祭、ええ、ただいま」

「只今戻りました、祭さま」

「只今戻りました」

「うむ、皆元気そうでなによりじゃ。そして…」


祭の視線は明命が押している車椅子に座ったへれなの方へ向かった。


「そういえば、祭とは今回で初めてだったわね?こちらはへれな。連合軍からの帰り時に見つけて保護した子よ」

「初めまして。チョイ・へれなといいます」

「策殿と冥琳から話だけは聞いて居たが…なるほど、中々不思議な雰囲気じゃの」


姉様はともかく、冥琳から一体どんな風に聞かされたのかが気になった。


「姉様は?」

「庭で権殿が来るのを待っておるぞ。それと、来る時は権殿一人で十分と言っておった」

「そう。直ぐに行くわ。それと祭、急に悪いけれどへれなが住める屋敷を手配してくれる?話が急だったから事前に言えなくて…」

「承知した。それでは思春と明命は各々の荷物を片付けておけ。その娘は儂が案内しよう」

「宜しくお願いします。ではレンファ、後ほど」

「ええ」


私は他の皆を残して、一人で姉様の待つ庁内の庭の方へ向かった。


・・・


・・



庭に行くと、そこには姉さまと冥琳が庭の東屋で優雅にお茶を啜っていた。


私が近づくと、こっち側を見て座っていた姉様が私に気づき茶杯を下ろして立ち上がった。


「蓮華」

「ただいま戻りました、姉様」


私が姉様に家臣の礼を取ると、姉様は手を振ってそんな私を止めた。


「もう、そういうの良いから良いから。とにかく座って座って」


突然帰ってきなさいと言った割には軽いのりに戸惑いつつ、私は姉様の向こう側に座った。


「おかえりなさいませ、蓮華さま」


そして、姉様の横で座ったまま、冥琳がいつもと変わらぬ固まった表情で私を迎えた。


「ええ、ただいま」


私が建業に居る間、冥琳はきっと密偵などで私たちの動きを探っていたはず。度々思春が誰かに監視されていると報告したけど、私は黙ってるように命じた。別にうしろめたいことをしているなんて思っていなかったし、実際してもいない。


連合軍以来、冥琳と私の関係はぎくしゃくしていた。連合軍以来、冥琳は私が姉様を差し置いて自分が孫呉の王になりたがっているのではと疑い始めた。そしてその疑いはへれなが来て、私が彼女を近くに置いて、更に江東にまで連れて行ったことにより更に深くなったみたいだった。


「久しぶりの江東はどうだった?」


そんな私たちの関係を判っているのか知らんぶりをするのか、姉様は微笑みながら私に問った。


「正直に言って、あまり良くありません。経済は破錠しかけていて、更に豪族の多数はそんな中でも袁術に媚を諂いながら己の腹を満たすばかり。そんな中江東の民の心もまた荒んで来ています。このままでは私たちが江東を取り戻した所で、母様が居た時期の栄光には程遠いでしょう」


魯子敬みたいな人も居たけど、そんな人はほんのわずか。だいたいの豪族たちは今の状況が変わることを戸惑い、どんどん情勢が悪化していることを知りつつも、それをなんとかしてみようとせず徐々に波に溺れていく。それが今の江東の様子だった。


「でしょうね。一刻も早く、江東に戻りたい気持ちは山々だけれど……」

「袁術、ですか」

「そう、あの娘、自分だけ皇帝に州牧として任命されなかったってかなり気が立っていてね。今まで江東からもらっていた税収を私たちが賄ってくれれば江東を返してやるだの巫山戯たこと言ってくるのよ」

「…まさか、受けるつもりじゃありませんよね?」


ちなみに姉様はこの前連合軍で、皇帝陛下より正式に江東の州牧の爵位を授かっていた。袁術は返してあげるだの言う立場でもなんでもなかった。


が、今はまだ袁術に正面から反抗できない。かと言って従うというのもあり得ない。


「馬鹿言いなさい。あのガキにそこまでしてあげる筋合いはないわ」

「ではどう言いくるめたのですか」

「表面上では引き受けると言っておきました。ただ、何らかの言い訳を付けて納付を先延ばししながら時間を稼いでいくしかないと判断しました」


冥琳の話通りなら、一度江東に入って、江東を完全にお姉様の支配に置いた後、しびれを切らした袁術が江東を攻めてくる前にこっちが先に袁術を先制攻撃するまで、それほど時間はない。袁術の性格からして、長くて一年待ってくれるかどうかって所だった。そしてそれは決して十分な時間ではなかった。


今や江東の地は袁術の悪政と、その下で媚びた豪族たちの手により民の生活は荒れ、皆身も心も荒んでいた。そんな彼らに一年もないうちにまた戦争をさせるためと拍車をかけることは避けたい。


「袁術のあのワガママを聞いてあげる時間ももう直ぐ終わりよ。江東さえ取り戻せば、直ぐにでも袁術を討つ準備を始めましょう」

「……」


私は…私は王ではない。


そして今目の前に居る方は私の姉である以前に、我が孫家の当主、そして、孫呉の王であった。


普段は不真面目で、猪突猛進で周りを困らせてそれを戒めることもあるけど、これとは話が別だった。『王』である姉様に、私反旗を翻すことが出来ない。


「何か言いたいことがあるようね」

「!」


沈黙しようと思ったその時、姉様は王の顔で言った。


「い、いえ、特には…」

「私に言いたいことがあるなら言いなさい。増してそこまでして隠したいことなら尚更ね」

「え?」


その時私はやっと自分の手からの痛覚を感じることが出来た。私が下を見ると、卓の下、膝の上に礼儀正しく握りしめていた両手のひらに爪が刺さって流れた脚に垂れていた。


「いつまで経っても、嘘が下手が娘よね。蓮華って」

「……っ」

「そこまでして私に言いたくない言、いや、言いたい言というべきかしらね。何?」


魯子敬、悪いけど、私には無理だ。


こんなのを、ただ見ているだけだなんて、私には出来ない。


「お言葉ですが、姉様。今江東に、孫呉の民に必要なのは復讐ではありません。彼らには今自分たちを慈しむ手が必要です」

「……あなたは、江東で何を見て来たの?」

「無気力、非道、絶望、だけど最も酷いことは、その中で彼らが互いを助け合うということを忘れてしまったということです」


江東の民は、もう隣に倒れた子供のために手を伸ばしてくれない。


自分の家で腐っていく食物があっても、路地の子供に毒の入った魚を与え、

沈んでいく船と判っていても、その中で一番上に登らんと上に媚び、下を踏みにじる。

それが今の江東。

母様が居た頃。例え危なくても、時に苦しくても、互いに笑い、助け合った頃の江東はもうなかった。


今の彼らに、戦の法螺の音は必要なかった。


「なら、蓮華は私が江東に行けば、まず何からすればいいと思う?戦でなければ、私を何を以て彼らに、私たちの威容を示せばいいのかしら」

「愛、です」

「…愛?」


今の江東が失ったもの。だけど私は見た。絶望の渦に居た子供たちがどうやってその中から登って来られるのかを。あの無機質な空間で、人を動かせるものは、力でも利でもなかった。


へれながそれを教えてくれた。


「今の江東は己のことしか考えず、周りに苦しむ者なんて見返りできない者ばっかりです。それもそのはず。長い間、自分たちにそうしてくれる人なんて居なかったのですから。人に何の得もしないけど助けの手を差し伸べる優しさがあることを忘れてしまったのです。そんな江東を取り戻した所で、それは母様や私たちが愛していた孫呉ではありません。孫呉が本当の姿を取り戻すためには、何の対償も求めず、ただそうであるべきだから彼らの育んでくれる、そんな人が必要なのです。それこそが、今孫呉に訪れる王にとって最も必要なものです」


隣で聞いていた冥琳が、咄嗟に立ち上がった。私が彼女の顔を見ると、焼けた肌の江東の人間でもはっきり判るぐらい赤く染まっていた。さっきの私みたいに強く拳を握りしめ、今でも何か怒鳴りつけそうな顔で私を見ていた。今まで常に冷静な軍師の姿を装っていた冥琳だとは思えないほどの荒れっぷりだった。


そしてまたその横には、いつもなら誰よりも先に興奮し、誰よりも先に戦場でその剣に血を吸わせる姉様が、まるで母様みたいな慈愛に満ちた顔で私を見つめていた。


「ならば、もっと具体的な話を聞きましょうか。そこまで言うのなら考えたことがあるんじゃない?」


手を組み、その手の甲の上に顔を乗せて微笑みながら、姉様は私に訪ねた。






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