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五十二話

蓮華SIDE


「レンファ、早く起きてください!」

「んん……ん?」


朝、体を揺さぶられて目を覚ました。目を開けると横で私を揺さぶっていたへれなの顔が見えた。一瞬どうしてへれなが私の部屋にいるのかなと思ったけど、昨夜一騒ぎをした後、そのまま同じ寝床で寝ちゃったのであった。


……私は子供扱いするなと言ったばかりだったのにもかかわらず、へれながお願いを聞いてくれたお礼だの言ってまっさーじしてくれるのが悪かったのだ。


「へれな…?どうしたの?」


寝ぼけていた私は一瞬自分がどういう立場としてここにいるかを気づいてパッと体を起こした。


「何?袁術軍の奇襲なの?明命と思春は?」

「へ?…ああ、違います。違います。そんなんじゃありません」


でも私が神経を立て始めた意味もなく、へれなは手を大きく振りながら違うと言った。


「違うって…暗殺が来たわけじゃないの?」

「違います。いきなりなんて物騒なことを言うのですか」

「物騒も何も…今の私たちがここに来ている理由を考えると十分有り得る話よ。だから護衛の武将も二人もついているわけだし。緊急事態じゃないのならどうしてこんな朝早くそんなに慌てて私を起こしに来たの」


そとはまだ夜が赤く開けてくる時間。もうちょっとすると起きる時間ではあったけど、普段へれなはこんなに早く起きなかったし、何か理由があるはずだった。


「えっとですね……いざ起こしたら恥ずかしくなってきました」


そしてその当人のへれなは何故か両手の人差し指を合わせながら視線を避けました。


「へーれーな……」

「うう、実は早く孤児院の皆に会いに行きたくて……レンファが朝はやく行くって言ったから」

「こんな早くではないわよ…もう……」


結局へれなの出しゃばりだったと判明されたことで気が抜けた私はそのまま二度寝をする態勢に戻った。


「レンファ……」

「もう何?」

「ありがとうございます」

「それは昨夜たくさん聞いたから。それに言ったでしょう。私がやったわけじゃなくて、へれなが私たちの心を動かしたの。だからこれはへれながやったことよ。孤児院に言ったら、あなたも胸を張ってそう言いなさい」

「!」


私の言葉にへれなは少し驚いてやがて顔が少し紅潮してきた。照れていたのだろうか。


「後で魯子敬と一緒に行くって約束したから、それまでもうちょっと寝かせて」

「……」


するとへれなも諦めたのか隣で毛布の中に戻る音がした。けど直ぐに横からへれなの腕が私に抱きついてきた。


「ちょっ、へれな。そういうのはやめてって言…」

「甘やかすのは駄目でも、わたしが甘えるのは大丈夫ですよね?」

「……もう好きにして」


ちょっと違う感じかも知れないけど、姉様が夜冥琳に絡まれるというのがこういう感じなのかなって思った。多分違うと思うけど……。


<pf>


「にしてもボロい建物ですね」


その日の朝、魯子敬とその付き人の何人と共に、私たち四人はまた孤児院に帰ってきた。


「こんな建物に二十人ものの人が生活してるなんて、とてもいい環境だとは思えません」


孤児院が見えて来る距離まで来た頃、魯子敬は言った。


「前に子供たちと遊びながら聞いた所、小さい部屋に約十人のほどの小さな子どもたちが一緒に生活しているみたいでしたけど、あの人数が全員寝たら部屋に人が歩ける空間もなくなるぐらいの小さな部屋でしたね」

「となると拡張工事とかも必要でしょうか。今後人数が増えることも視野に入れると今の五倍ほどの敷地は割愛してしませんと…」

「あ、人数が増えるとやっぱり子供たちのための遊戯施設とかもそれに合わせて広げる必要があります。お年頃の子たちだから力を発散する所がないと問題が起こりやすいですから」

「なるほど…そういうのも考えて設計しなければいけませんね。子供たちの面倒を見るための職員も常時待機させるとなると敷地内の生活できる部屋を建てた方が良いでしょうか」

「人の性格によりますけど、子供を好む人たちなら敷地内でも構いませんけど、個人の生活と仕事をはっきりと分ける人の場合、そういう環境は逆に問題を起こす種になる可能性もあります。孤児院の中で暮らすことは、ある意味常に仕事に身を投じているようなものですから、とても体に負担がかかるんです。余程子供が好きな人でも見つからない限り、当番を決めて夜は一人や二人の人達だけ敷地内で非常事態に備える感じにした方が良いでしょう」

「なるほど…」

「あ、それと子供たちに基本的な教育を施すための勉強部屋を別に建てて欲しいのですけど」

「平民、しかも孤児に勉強を……へれなさんは本当に先を生きる方ですね」


魯子敬は手前のへれなと一緒に相談をしながら進んでいた。魯子敬のお願いがあって、へれなの車椅子の取っ手を魯子敬に任せたのだった。魯子敬はへれなの車椅子を押しながら、今後の建業、引いては江東全体の子供たちを保護するための施設を建てるためには何が求められるかをへれなに一から積極的に聞いていた。へれなはまた自分が知っている限りのことならばと積極的に魯子敬とお話をしていた。


だからそういうのを私とやって欲しいのだって言ったのに……。


「蓮華さま」

「何!」

「……目が睨んでいます」


ふと気づくと私は魯子敬とへれなのことをめちゃくちゃ睨んでいたらしく、それを思春に指摘された。声が少し大きかったのか、魯子敬の付き人たちが後ろで何やら話し合っていて、へれなと魯子敬も驚いてこっちを振り向いていて、凄く恥ずかしくなってきた。


「あ、ここで皆さんはちょっと待って頂けますか」


やがて孤児院に到着したが、入り口の少し前でへれなが皆に言った。


「数日前まで大人たちが大勢駆け込んで脅かしたばかりですし、この人数が突然孤児院に入ると警戒されるかもしれませんから、私だけまず入ってあの子たちに説明してきます」

「判りました」


魯子敬はそう納得したけど、私としては如何なる時もへれなを一人だけにするのは気が引けた。私が一緒に入ると言おうと思った時、


「あ、では私がお供します」


ついこの前へれなと一緒に来ていた明命が出てきた。


「…はい、判りました」


それにへれなは一瞬ちょっと悩んだかのような素振りを見せたけど、間もなく明命と一緒に中へ入った。


少し時間が経って


「ええええええええー!!!」


中からへれなの声らしき奇声が上がった。


「へれな!」


勘違いした子供たちから奇襲でも受けたのかと思い私は慌てて孤児院の中で入った私だったけど、


「へれな!」

「ふえ?」

「大丈夫?怪我は!何かされたの?」

「だ、大丈夫ですよ、レンファ。どうしたんですか」


へれなは怪我した様子もなく、どこも大丈夫だった。中に入ってへれなを見た途端に彼女を庇うようにして抱いた私は混乱した。


「あの、いきなり悲鳴が聞こえたから、何かされたのかと思って…」

「え?…ああ、大丈夫ですよ。ちょっと驚くことがあっただけです。にしたって慌てすぎですよ、レンファ。ミンメイも一緒に居たのですからそんなことあるはずないでしょう」


確かに隣にはミンメイが呆気ない表情で私を見ていて、後ろには例の女の子が呆れた表情で私を見ていた。


今度は夜明けと変わって私が恥ずかしくなる番だった。


「こ、こほん…明命がいると言っても急な出来事には対処できなかったかもしれないでしょう?そもそもあんな悲鳴あげたへれなが悪いんだからね?」

「はい、はい、ごめんなさい、レンファ。わたしは大丈夫ですからロシュクさんの方を呼んで頂けますか。話はもうできてますから」

「え、ええ…」


が、丁度残りも孤児院の入り口に立っていて、おそらく私の醜態を見ていた。このボロい孤児院の建物に私一人入る穴ぐらいどこかあるはずなのだけど……。


で、結局全員が孤児院の中に入った。


「ロシュクさん、レンファ、こっちに」


そんな彼女の元へ行って私たちを呼んだへれなは私たちを彼女に正式に紹介した。


「はい、この方が、皆のために後援してくださると約束してくれた、ロシュクさん。そして同じく後援してくれた、孫家の姫さま、ソンケンさまです」

「以後お見知りおきを」


ロシュクは女の子に向けて軽く頭を下げた。


「よ、よろしくおねがいします。呂蒙といいます」


相手の女の子も同じく挨拶をしたが、やはり目つきはちょっと鋭かった。


「以前は孫家の方とは知らず、無礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした」


が、一度魯子敬に挨拶をした彼女が私の方を向いた途端、まるで地面に吸い込まれるかのように土下座をするのを見て私はもちろん、見ていたへれなと魯子敬も驚いた。


「え、ちょっと!呂蒙ちゃん、そういうのしなくて大丈夫ですから!」

「ひゃわわ、私たちはここに皆さんを助けに来たのですからね?そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ?」


呆気取られていたふと建物の奥で、少年たちが小さい子供たちを出てこないようにしながらこちらを警戒しているのを見た。


先日大勢の大人たちに脅かされたばかりだった。そんな所に江東の王族を名乗る人間がやってきたのだから無理もなかった。しかも一度は私を追い出した呂蒙となると、完全に震えっぱなしでへれなが止めるにも関わらず立ち上がれずに居た。


「……呂蒙と言ったな、顔をあげよ」


私が命令調で言うと、呂蒙は跪いたまま顔を上げた。


「前に会った時は随分な物言いだったのに誰かを知った途端にこれとは…若干失望したな」

「っ…」

「レンファ」


へれなが私を睨んだが、今の彼女にはこういう態度な方が丁度良いだろう。


「立て。貴様は武器を持った男たちの群れの前でも怯まず子供たちを守った立派な人間だ。苦しい生活にも関わらず、力にめげず、媚びず、自分たちの力のみであの子たちを守ってきたのだ。誇らしく思え。あの子供たちの前で、お前は私よりも高い存在だ。守る側の人としての威厳を私に見せよ」


私の話を聞いてしばらくして彼女、呂蒙は立ち上がった。それでもまだ怖いのか目は少し焦点が合わず、私ではなくなんか遠く後ろにあるものを見ているような気がした。


「この子、すごく目悪いんですね」


魯子敬がそんな彼女の方にぐんと顔を近づけながらそう言った。


「うわっ」

「はーい、呂蒙ちゃん、今私の顔ちゃんと見えてますか?」

「あうっ……はい、見えます」


呂蒙が答えると魯子敬は十歩ぐらい後ろに下がって手を上げて三つの指を立てて言った。


「はい、今わたしは何本指を立てているでしょう」


するとどうだろう。一度私から視線を避けていた呂蒙はまた鋭い視線で魯子敬を睨み始めた。


ああ、そうか。これは睨んでるわけではなく、目が悪いのだった。それも物凄く。


「十歩手先のものも見えないとなると死活問題ですね。良く今まで生きてこられたって感じです」

「そうなんです。呂蒙ちゃん、目がとても悪いんです。これもなんとかならないでしょうか」

「そうでうね…これぐらい重症だと多分市中の眼鏡では対応できないかと思います。匠の所に直接行って特注を頼むしかないでしょうね」


ただでさえ効果な眼鏡だった。特注品となると、そこから更に価格が倍になるだろう。そこに更に目がこれだけ悪い人のための眼鏡となると匠の中でも更に腕のある者しか作れないだろうから…もうその価格が造る巧みのみぞ知るものだった。


「ええ、そんな!孤児院をしてくださるというだけでも恐れ多いのに、眼鏡なんて…そんな勿体無いです」

「うーん、そうですね。彼女に眼鏡を買ってあげるお金なら、このボロい建物を壊して新しく立て直すぐらいは造作もないでしょう」


魯子敬の話を聞いた呂蒙の顔はもう真っ白になっていた。


「そ、そんなにするのですか」

「…まあ、流石に今のは冗談ですけど」

「冗談だったの!」

「ひゃわわ、そう怒らないでください。商人たちに言った爆笑するお話なのに……」


商人だけが判る冗談だったらしい。呂蒙が気絶しそうだからやめて欲しいのだけど……。


「でも、高価なのは確かですね。多分本人もそんなお金を自分に使うぐらいだったら孤児院の建て直しに当てて欲しいと思うだおると思いますけど…」

「建て直し…って、あの、別にそこまでする必要はないと思いますが…そもそも建て直すなんて大工事になったら私たちは住める所が…」

「まず、後の質問に関して答えてあげますと、既に再建築の途中に皆さんが住める所は手配してあります。仲謀さまたちが今泊まっている宿をしばらく完全に買い占める形になります。そして前の疑問についてですが…本気で言っているのですか。後から連れてきた専門の者に調べさせますが、この建物、今にも崩れ落ちそうです。こんな崩壊寸前な場所に子供たちを居させるなんて言語道断。死活問題です」


魯子敬の言う通りだった。前に来た時はあまりちゃんと見ていなかったのだけど、柱にも所々腐って黒くなった後があって、縁側の方も穴だらけで、廃家も同然だった。


「前に来た時、子供たちの部屋にも盥や木の桶がたくさんありました。多分雨が降ると洩れるのでしょう」

「…はい」


魯子敬の言った通り、ここはもう壊してから建て直した方が早そうだった。


「何故、いきなりここまでしてくださるのですか。あなた方とは何の関係もない私たちに」


呂蒙が疑問に思うのも当たり前のことだった。私だってつい昨日まで同じことを思っていた。だが、


「お前たちも江東の民だ。どんな者であるにしろ、この地で生まれた人間なら私はその人々を育む義務がある。相手が頼る場を失った孤児なら尚更のことだ。疑問に思うことはない。これがあるべき姿だ」


そう、こっちの方が当たり前。今までが間違って居たのだ。長い戦乱の世の中で人を助けるという概念が無駄で愚かな偽善だと思われるようになったいた。国だって民を守るべき対象としてより、土地や馬や金のように利用する『資源』として見るようになっていた。だから今直ぐに必要価値のない孤児なんて守ろうと思わなかった。江東を失っている間、江東の民も、孫家も、時代の波に飲まれ歪んでしまったのだ。再び建つ孫呉はそのような歪んだ国であってはならなかった。


「礼を言うならへれなに言うが良い。私たちにそれを教えてくれたのは彼女だから」


そう、へれなが教えてくれた。失われていたこの国が持つべき優しさ。へれなはそれをこの地に再び持ってきてくれた。この地を回復してくれた。へれながやってくれた事々はまさに天からの祝福。そしてへれなはまさに天女と呼ばれるに相応しい人だった。


「えっと、呂蒙ちゃん。ちょっと急なのは判りますけど、投資すると言った以上、こんな所にこれ以上一刻も子供たちを居させることは危険だと思います。今日中でも皆を連れてさっき言った別の宿へ移って頂きたいのですが」

「今日中って、そんなに急にですか。でも……」

「大丈夫ですよ、リョモウちゃん。わたし達も引っ越しの手伝いをしますから」


側でへれなが呂蒙のことを励ましたが、多分呂蒙の心配はそこではなかった。


「へれな、呂蒙はともかく、残りの子供たちはまだ状況をうまく飲み込めていないだろう。突然大勢で現れて、家を建て直してあげると言ってやっていることは出て行けと言うのは前の連中と同じなのだから。そう簡単には信じてもらえない」

「あ……、そうですね。わたし、また自分のことばかり考えていました。ごめんなさい」


へれながしゅんとすると今度は呂蒙が慌ててへれなを励ました。


「だ、大丈夫です。他の皆も私が言えば信じて一緒に来てくれると思います。でも、できればへれな様も一緒に説得してください」

「わたしもですか。でもわたしはあまり…」

「この前あの子たちと遊んでくれて、皆へれな様のことをまた会いたがっていました。なにせ一緒に遊んでくれる大人なんて見たこともありませんでしたから。皆また見たいって騒いでましたし」


見入っちゃうのよね、へれなの人形劇。


「…はっ!しまった!今日わたし人形も何も持ってきませんでした。

「あ、大丈夫です、へれな様!私が持ってきました!」

「ミンメイ、愛してます!」

「ふええ?!」


<pf>


で、武器(両手に人形)を持ったへれなが明命(舞台持ち)と呂蒙と一緒に他の子たちを落ち着かせて城の方に行くように説得してる間に魯子敬と私は建物の奥の方を見て回った。


結論から言うとこの建物は大至急撤去すべき物件だった。外の様子よりも中はもっと酷くて、どの部屋でも隅にはカビがついていて、とある部屋にはカビがほぼ壁の一面を覆ってるところもあった。家の柱は摘むと簡単に切れが取れるほど腐っていた。魯子敬の言った通りいつ全部崩れてもおかしくないだろう。盛んだ子供たちが一斉に走りでもしたらどこか崩れたりしそうなぐらいだった。実際魯子敬が連れてきた付き人の一人が縁側の穴が抜けたせいで脚に怪我をしてしまった。


「恥ずかしくなるわね。こんな所に民を住まわせて置いて気づきもしなかったなんて」


私がそう呟くと魯子敬は頷いた。


「私もこれほど酷い所は初めて見ましたね。ですがこれほどでなくても、ボロボロな家に住んでいる平民たちも確かにいるでしょう。もしこのような救援を軍の段階でしようと思うとそれは反感を買う可能性もあります」

「自分たちも辛いのにどうしてこの人たちばかり気にするのかって思われるってこと?」

「そういうことです。しかもここの孤児たちは税も担わったことのない子供ばかり。子供というのも、中には成年を迎えている子たちもいるようですし…民としての義務を果たせぬ人たちを優先するというのは他の平民たちから見れば差別になるでしょう。このような支援を国の税ですることは難しいというわけです」


しかしこれも国がすべきことの一つであった。へれなが言ったように、国のすることが体系的にこのような孤児や乞食を作っているというのなら、そうして作られた彼らを援助することまでが国が担うべき義務であった。


「で、そこで私のような金を持った豪族たちの出番というわけでしょう。私財である以上、基本的にどこに金を使うかは我々の勝手なのですから」

「だけど普通そんなことするはずがないわよね?」

「もちろん、まさに金を溝に捨てるような真似ですから…そこが国が入る所でしょう。どうやって豪族たちの寄付を促すか。それ以前の江東の経済を建て直すことが先決でしょうけど…どの道伯符さまはそんな悠長に待ってくはくれないでしょう」


豪族相手なら姉様は容赦ないかもしれないけど、民のための政策となると姉様を説得できる可能性があった。少なくとも私はそう思っていた。問題は冥琳の方だろ。現実的にこういったことが孫呉のためになることを示さない限り、これを政策的に拡張することは難しい。


「この件はわたしももっと工夫して見ましょう。名符の問題は少し遅れてしまう可能性もありますけど」

「それはもう構わないわ。私も急ぎすぎていたかもしれない。しばらく豪族たちだけではなく、もっと広い所を見て廻ってみるつもりよ」


一ヶ月ほどの間、私は豪族たちを味方につけることばかりを考えていたけど、本当に重要なのは江東の人口の絶対的多数を占める庶民たちの支持得られるかの問題だった。それを知るためには今までよりもっと下の者たちの視線で見る必要があった。例えば私が前にここに来た時は、私がこの建物がこれだけボロいかなんて見ていなかった。ただへれなが行きたいって言うから付いてきただけで、何も見ていなかった。呂蒙が目が悪いということも私は気づいていなかった。へれなははじめからこんなことを見抜いて居たからこれだけここに執着していたのだ。視線の違い。これも私がへれなから学ぶべきことの一つだった。


「レンファ!」


そう考えていると向こうからヘレナが明命と呂蒙と一緒にこっちに来ていた。


「へれな、どうだったの?」

「はい、皆ちゃんとした家に住めるようになるって言ったら喜んでくれました。今呂蒙の下の弟たちが皆を引率して引っ越しの準備をしています」

「へれな様が来たら毎日人形劇をしてあげるって言ったら皆さんほぼ堕ちました」


思った以上に凄かったわね、へれなの人形劇。


「寝具などは今必要なものでない限り置いて行っても構いません。どうせ禄な質のものではないでしょうし、宿には置いてある寝具がありますから。新しく建てる時には寝具や他の生活に必要な道具も置いて新しく仕入れますから、古いものは勿体ぶらずに捨ててしまっても構いませんよ」

「はい、ありがとうございます」


魯子敬に礼を言った呂蒙はふと私の方を睨んできた。目が見えないと判ってもやっぱり気になったので、私は彼女の方に近づいた。


「わっ」

「どうしたの?私に何か言いたいことでもあるの?」

「あ…えっと……へれな様」


私が近くに来ると、呂蒙は私と顔を合わせられずへれなに助けを求めたけど、


「駄目ですよ、呂蒙ちゃんが自分で言うんです」

「うぅ…」


何の話だろう。


「あ、あの、孫権さま、私、今まで何も学んだことがありません。戦う事もできませんし、字を読むことなんてほぼできないことと同じです。だけど、私、頑張って勉強します。それで、いつか孫権さまの下で働きたいです。それで今日私たちを助けてくださった恩をお返ししたいです」

「……」


実際は何の根拠もないただの感謝の言葉に過ぎなかった。本当にそうなるだろうとは、私は思っていなかった。だけど数日前まで誰の助けも拒否していた、心を閉じていた娘が希望を持って、誰かに感謝しているのを見たのだ。これが元あるべき姿なのだ。これがこの娘の元の姿。へれなが居なかったら、この娘はいつまでも誰も信じられないまま死んでいったかもしれない。


「そう。ありがとう。期待しているわ」

「…はい!」


江東に来る前まで私は我々孫家が江東に帰ってくることが単に孫家が江東を取り戻すことだとばかり思っていた。元から持っているべきもの、失われたものを取り返すだけだと。取り返すことは当然であると。


だけど、江東の民にとって、帰ってきた私たちが何かを与えてあげることができなければ、魯子敬が言った通り、私たちも、袁術も彼らにとってはあまり変わらないものだった。江東を袁術から取り返すためには、単に土地を取り返すだけでは駄目なのだ。江東の民たちにとって希望になり、正しき道で連れて行ってあげる親とならなくては、民にとって孫家の帰還は何の意味も持たなくなる。ただ暴政を振るう主体が袁家から我々に変わっただけで、何も変わらないと思われてしまう。それでは母様が治めていた孫呉を本当に取り戻したとは言えない。我々が自分たちを愛し、育むために帰ってきたことを口だけではなく行動で示さなければならない。そうやってこそ、孫呉は初めて乱世の波に乗る準備を整ったと言えるようになるだろう。


民に希望となる王。


姉様にはそんな王になって欲しかった。


・・・


・・



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