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四十七話

蓮華SIDE


「そう、結局何も見つからなかったと…」


明命が江東に着いた翌朝、私は明命からへれなを見つけた周辺の探索結果を聞いた。へれなの夫らしき人はおろか、人の痕跡すら一切発見されなかったらしかった。


「へれなが失望したでしょうね」

「それに、曹操軍の北郷さんも未だ重態です」


へれなには家族に帰してあげると約束した。決して偽りでそれを言ったつもりはない。けど探索の結果へれなの夫へ繋がる如何なる緒も見つけられなかった今、他に手当たりがなかった。北郷一刀もまだ目を覚めていないし、例え目覚めているとしても敵国側の将にこちらの情報を渡すとなると姉様や冥琳が良しと思うはずがなかった。


「にしても、今は北郷一刀の目覚めを待つ他方法がなさそうね」

「陳留の細作たちにも北郷さんのことは最優先報告事項と伝えています」

「…逆にあの男が自分の友人が居ると知ったら何をしてくるかも怖い所だけどね」


その時、外から門を叩く音が聞こえた。


「誰?」

「レンファ、ヘレナですけど」

「へれな?」


へれなと私の部屋は向かい合っていて距離はそう遠くなかったけど、それでも一人だったはずのへれなが自分で部屋を出たという事実に驚いて私は慌てて門を開けた。誰も居ない状態に不安になって脚を引きずって出てきたのかと思った。


「へれな!」

「ひゃっ!びっくりした。どうして叫ぶのですか」


でも慌てていた私が思った様子とは違って、へれなはちゃんと車椅子に乗って、身嗜みも綺麗に整っていた。


「へれな?どうやって車椅子に乗っているの?」

「はい?別に乗ることに必ず人助けは要るってわけじゃありませんよ。あったら楽ですけど…わたし、歩くのが『ほとんど出来ない』ってだけで、『不可能』ってわけじゃありませんから」


ほとんど出来ないというのは『だけ』とは言わない気もするけど、とにかくへれなは微笑みながら答えた。思うとへれなは私と出会う以前からもこうして生活して来たんだ。自分なりのやり方があって当然だった。


「そうだったわね。ごめんなさい。で、どうしたの?」

「いえ、ただ起きてみたら誰も居なくて…もう私に言わずに出たのかなと思いましたけど、にしてもはミンメイも居なかったので。コウハさんはいらっしゃらないんですか」

「思春はちょっと別の任務を任せているわ。今日は私も豪族たちを見に回らずに休むつもりよ」


というのも、このままの作戦では手詰まり感があったから中断したのだった。昨日へれなと話し合ったこともあったけど、皆が姉様を良しと見ない以上、何か彼らに得になる話を持ち込められなければ交渉が出来ない。思春には別の方向から豪族たちの動向を探るために諜報活動に行かせていた。へれなに詳しい事情を話さないのは無駄な心配をかけたいないのと、これは自分で悩むべきことだと事前に昨日言ったばかりだったからだった。


「そうですか。丁度良かったです。それじゃ、今日はわたしとお出かけしましょう」

「それは構わないけど、どこか行きたい所でもあるの?」

「はい、えっと、この世界にも孤児院とか、保育施設とかはありますか」

「保育施設…そうね。公営のものではないけれど、豪族たちが慈善事業のため後援してるものがあるはずだけど、場所までは良く…」

「あ、この辺りのものなら私が知ってます」


昔居る時は保育施設なんて行ってみたことがなかった私は言葉を濁らせたけど、そんな時明命が自信ありげに言った。


「本当ですか」

「はい、というか、私が育った所なのですけど」

「え、明命って孤児院の出だったの?」

「何年ぐらいですけどね。あの頃は施設もあまり状況が悪くて、食べるのも碌に出来なくて、豪族の慰み者として売り出される所を逃げ出して河賊に入っちゃいました」

「あ…なんか、ごめんね」

「いえいえ、もう昔のことですし」


明命にそんな過去があるなんて全く知らなかった。


「ミンメイ…」

「私は大丈夫ですから。へれな様もそんなお顔なさらないでください」

「……」


明命がそう言ったものの、へれなの悲しい顔はなかなか晴れてくれなかった。へれなは何も言わず車椅子で両腕を開いて見せた。それを見た明命が少し戸惑いつつもへれなの胸の中に入ると、へれなは明命とぎゅっと抱きしめた。


「思い出して辛かった時は、いつでも来て良いですから」

「へれな様、私は本当に大丈夫です。別にされそうになっただけで、されたわけでもないですし」

「その恐怖を感じただけでも…その記憶は頭から消えにくいですから……」


へれな自身が孤児院で養われてに居た頃に、実際そんなことを、しかも誰でもない院長にされたことがあるという事を知ったのはこれよりずっと後のことだった。それを聞いた時は私も明命も、へれなの前で泣いた。その時もへれな本人は微笑みながら私たちを抱きしめていた。


<pf>


鬱になっていた場の空気を戻して、へれなのお願いで私たちは建業にある孤児院へ向かった。明命の話を聞く限り、あまりまともな孤児院とも思えなかったけどそれもかなり昔の話。今はどうなっているかは見てみなければ判らないことだった。


明命が案内した孤児院は私たちが来た港方向へ進んだ森にあるところだった。以外と市街地から近いところで、移動にはそんなに時間がかからなかった。


「聞いていませんでしたが規模はどれぐらいですか」

「わたしが居た頃は四十人ぐらい人がいました。明らかにそれだけの子供たちを収容できる施設ではありませんでしたけどね。あの頃は割りと子供たちを豪族たちに売っちゃうことが多かったので、保育施設というよりある意味奴隷市場のようなものでしたね」


それを聞いてへれなはまた嫌な顔をした。もちろん私もなんともない顔で心を抉る過去を語る明命を見て、もう二度と昔のように彼女を接することが出来ないだろうと思っていた。明命がこんなとんでもない爆弾になるだろうとは思っても居なかった。


「別に誰もが嫌な思いをしたってわけじゃありませんよ。あの時は食べさせてくれさえすればなんでも良い時でしたし…私はただ連れて行こうとした人がちょっと危ない人だったので逃げただけで…」

「ごめん、明命。もう聞かないから…それ以上言わないで」

「はい…?はい」


聞いていて胸がチクチクと痛んだ。もし孤児院の状態が同じだったら、私の中の母様の評価が少し下がるかも知れなかった。


「着きました。ここが私が居た孤児院です!」


森の表側に建てられたその孤児院は民家と然程変わらないごつい建物だった。恐らく、昔火田民たちが建てて捨てた民家を改造したものなのだろうか。建物は外から見ると結構大きく、詰めれば子供四十人もなんとか寝られただろう。と言ってもまともな生活であっただろうとは思えないけど。


「勝手に入っちゃっても良いのかしら」

「私が先に入って責任者と話をしてみます。もしかすると私が居る時の人がまだ居るかもしれませんし……」

「やっぱり皆で入りましょう!」


もしそんな状況になったら本当シャレにならないわよ!


庭に入ったが、庭には人の気配はなかった。一隅に食用に育ててるらしい野菜畑が見えたが、そういうものは普通の民家でも良く見るものだった。家の中央には洗濯物を干してあるひもが何重も見えた。洗濯物の量を見る限り少なくとも二十人以上の子供たちがここに住んでいたいた。


「ごめんくださあい」


私が周りの様子を見ていた間に、へれなは建物の近くまで進んで、建物の中央で大きな声で叫んだ。


しばらくして匚の形になっている建物の真ん中の所から十五、六歳ぐらいの女の子が姿を現した。頭には小汚い頭巾と手は洗い物をしていたのか濡れていた。


「えっと…どちら様でしょうか」


私たちを見た少女は先ず警戒する様子だった。石段を降りてくる彼女の後ろにもっと幼い、七、八歳程度に見える子供たちが四、五人ぐらい頭だけをひょこっと見せながら様子を窺っていた。


「急に押し込んできてごめんなさい。えっと、ここを管理している大人の方はいらっしゃいますか?」

「……今は私がここで一番大人です。用があるなら私に言ってください」

「え」


少女の応えにへれなは少し驚いた様子だった。少女の返事からして、ここには『大人』が居ないか、居るとしても彼女にあまり信頼されていないみたいな雰囲気を漂わせた。


「…判りました。ではお話しましょう。三日後、ここで劇をお披露したいのです」

「……はい?」


へれなの話に少女はもちろん、一緒にここまで来た私も内心驚いた。そういえば何のために行くかは全く聞いていなかったのだった。


「劇って…」

「こういうものです」


そう言ってへれなは車椅子の椅子の下を手探って何かを取り出した。へれなが手に取った、正確に手に付けたのは布で造った手で付けて操る人形だった。頭の方には大きな耳が生えている、兎の人形だった。


『こんにちは、うさちゃんだぴょん』


うさぎの模様の布人形にぺこりと頭を下げ挨拶をさせながらへれなはちょっと声を少し高く変えて言った。


『三日後にカメ太郎と競走することになったぴょん。だから皆にも見てほしいぴょん』

「えー、兎と亀が競走って亀が勝つわけないじゃん」


後ろでちら見していた子供たちの中から最もな意見が出てきた。前に立っていた少女が後ろを睨みつけると、子供たちは隠れた。


『そうだぴょん。うさちゃんが亀なんかに負けるなんてありえないぴょん。でも、亀太郎がどうしてもやりたいというからやってあげるのぴょん。その代わりに大勢の人たちの前で負けちゃって笑わせちゃうぴょん』


声を変えてるとは言え、とても性悪な言葉を言っているへれなに私はゾッとした。


「カメ太郎は一緒じゃないの?」

『……カメ太郎はノロノロだから一緒に来てないぴょん。カメ太郎なんて家からここに来るだけでも三日はかかっちゃうぴょん』

「えー、カメ太郎遅すぎ」


子供たちが興味津々そうに思っているのと裏腹で、前に立っている少女の表情は厳しかった。


「こら!まだ洗いものが残ってるでしょう!早く戻りなさい!」

「ねー。お姉ちゃん、わたし人形劇みたい」

「あたしもー」

「戻りなさいって言ってるでしょう!」


少女が後ろを向いて怒鳴ると子供たちは渋々と姿を消した。


「あの、別にお金を取るとかそういうつもりではありません。ただ、子供たちに…」

「居るんです。あなたみたいな人達が」


少女をへれなの話の腰を切って冷たい態度で言った。


「一年に何度も…思いつきでここにやってきて子供たちと遊んでやっては姿を消しちゃう…そんな人たちが一旬ぐらいやって来ては姿を消すと皆聞いてくるんです。あのお姉ちゃんまた来ないの?あのおじさんもう来ないの?って」

「……」

「そんな気持ちで来る人なんて申し訳ありませんが逆に迷惑です。寄付とかならいつも歓迎しますが、子供たちに虚しい希望を持たせたくはありません。どうぞお帰りください」


少女の対応は、少し無礼だったが後々考えると納得の行くものだった。人との触れ合いが少ない場所で住む子供たちにとって、外からやってくる優しい後援者というのは助けにもなるが毒にもなった。慈善と言って一度寄付してやったり、子供たちと一緒に遊んでやったりすると、やってあげた本人が気持ちが良いかもしれないけど、施設や子供たちにはそんなに助けにならない。寧ろそんな断続的な奉仕が続くと、それからどんな人が来ても『結局また行っちゃう人』になるだけだった。それでは子供たちの助けになるという目的を果たせないだけではなく、逆にその心を荒ませてしまうだろう。少女はそれを知っていたから敢えて突然現れたヘレナの善意を拒絶していた。


「また来ます」


少女の話を黙って聞いていたへれなはそれだけ言って後ろに居た私を見た。


「帰りましょう」

「え、ええ」


私は車椅子を後ろに回してそのまま孤児院を出た。


「立派にやっているみたいで良かったですね」


孤児院を出た後、へれなは微笑みながらそう言った。


「へれな様はなんとも思わないのですか。せっかく来てやったのに冷遇されて追い出されたのに」

「だから良かったのですよ。寧ろそうじゃなかったらちょっと不安だったかも…流石にあんな子供が統べ括っているのはちょっと驚きでしたけど」


門前払いされることを判っていてここまで来たというのだろうか。しかし、何のために…。


「どうして急にこんな所に来ようと思ったの?」

「急ではありませんよ。ずっと前からこんな所に訪れようと思っていました。今まではただ機会がなかっただけで…ミンメイが来てくれてやっと行けるって感じでしょうか」

「やっぱりまた来るつもり?」

「はい。信用を得るにはそれぐらいしなければいけませんから。ただ連日はまだ警戒されるので、明後日にまた来てみましょう。それまでわたしはカメ太郎を完成させなければいけませんね」


まだ出来てなかったのね、カメ太郎。


「ところで、それって何で造ったの?」

「あ、材料は前にコウハさんにこっそりお願いして買ってもらいました。それからちょこちょこっと作ってました」

「え、私見ても聞いてもいないのだけど」

「レンファが帰ってから縫ってましたからね。……見られるの恥ずかしいし」


縫物に一体何を恥ずかしがる要素があるのだろう。


「でもその様子だと作るのに結構かかるのかしら」

「いいえ、前はレンファとずっとお出かけてしていて疲れてるからあまり造る時間がなかっただけで、やろうと思うと半日で出来ますよ?本当に苦労なのは舞台づくりですね。これはミンメイが手伝ってくれると嬉しいな」

「あ、はい!なんでもお任せください!」


何故私ではなく先に明命を頼りにしているのだろう。そんな不器用に見えるのかな。


「とにかく、重ねて尋ねることが大事です。彼女が言ったことは正しいです。善意だからって一度出会っただけでこちらの言うことを信じてくれるだろうと思ってはいけません。突然現れてこちらのことを信用してくれだなんて厚かましいことです」

「……!」

「レンファ、人形劇の舞台を造る材料を買いたいのですけど、宜しいでしょうか。……レンファ?」

「え、ええ、資金にあまり余裕があるわけじゃないから出来るだけ抑えて頂戴」

「はい、ありがとうございます」


その後、私たちは市場に行って少し買い物を済ませ、昼食を取った後宿へ戻った。


・・・


・・



その夜、向こうの部屋で明命がへれなの人形作りを手伝っている間、私は思春の報告の内容を聞いていた。


「やはり豪族たちは私たちに関して裏で情報を共有しているようです。常時我々の動きを監視していると見ても良いでしょう。それに、一部では私たちが話したことを袁術側に流そうと企んでいる輩も居ます」

「……」

「このままでは埒があきません。奴らが文台さまがお亡くなりになった途端現れた袁術に従った臆病者です。力で示せばこちらに従うしかありません。廬江に戻りそう報告致しましょう」

「もしそうしたら、姉様は間違いなく建業の豪族たちに対して粛清を始められるわ」

「!」


私のその考えに思春は驚いた様子だった。


「何故雪蓮さまをそんなことをなさると…」

「あなたの言うとおり、彼らがより強い軍に従うのなら、姉様は間違いなく豪族の何人かを見せしめに粛清なさるはずよ。逆らえば、次はお前たちもそうなる。そう豪族たちに警告するために。彼らが母様に従ったのもそのためだった。母様はが強い人だったから従った。それなら姉様は自分もそうであると見せようとするはず」

「ですが、そんなことをすれば、表では従っても、裏で何を企むか判りません。内側に敵を持っていては天下を目指せません」

「だから最初から私がここに来たんじゃない。彼らを説得して、私たちと同じ目標を見るようにするため。私が姉様の飴よ。私が通らなければ残るのは鞭だけ。姉様にとって、江東は出発点にすぎない。ここで時間を捨てるつもりはないでしょう」

「……」

「そうならないようにするためにも、豪族たちを束ねて私たちに協力するようにさせなければならない」


それに恐怖政治で江東を手に入れては、それが本当に母様が納めた江東を取り戻したと言えるのだろうか。母様が江東の支配者だった頃、たしかに母様が怖くて従ったということもあるだろう。でも母様は単に恐怖ではなく、英雄としての器で彼らを惹かせたのだ。姉様も江東の民にとってそんな王でなければならない。


「蓮華さま、お解りですか。今蓮華さまが、雪蓮さまがなさるだろうと仰ったこと、魯子敬が言っていた言であると」


実はそうだった。ここに来て初めて合った豪族、魯子敬はこの事を私に予言していた。私はその時彼女の言葉を全否定した。姉様が江東に害をなすことをするはずがないと。だけど姉様は自分の邪魔になる奴は斬り捨てて判らせる人だった。私を通っての懐柔策が失敗すれば姉様は強硬策に出る。魯子敬が言ったとおり、袁術の時と変わらない状況、いや、それ以下の恐怖政治が始まる。姉様を暴君にしたくはなかった。


「思春、明日はもう一度魯子敬の所へいくわ」

「また行くとして、魯子敬がこちらの話を聞いてくれるでしょうか」

「聞いてくれないなら聞いてくれるまで尋ねるだけ。信じてもらえるまで何度も行くだけよ」

「…御意」


魯子敬はあれでも建業の豪族の中で最も発言力のある一人だった。彼女を懐柔することができれば、建業の多くの豪族たちを引き入れることが出来る。


私にとって魯子敬には一番危険な、会ってはいけない人物だった。だけど今はその危険さが逆に江東を救う嗅ぎになるかもしれない。江東のために、自分のことを危険に陥れてもやらなければならなかった。


・・・


・・




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