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四十三話


蓮華SIDE


生姜茶を作りたかったけど船上なのでお湯は湧けなかった。なので水だけもらってへれなの部屋に入った。


「へれな、ちょっと入るわ」


一応断ってから中に入ると、へれなは部屋の寝床に寝かせた時と同じく寝込んでいた。うつ伏せになって完全に視野を遮断し、寝床にあった木枕は気に入らなかったのか寝床の横の床に落ちていた。近づくと脂汗をかいていて、呼吸するのもとても苦しい様子だった。私が入ってきたことには恐らく気づいていたはずだけど、それに応える余裕すらないようだった。


「かなり重症ね」


持ってきた手拭いでへれなの汗を拭いてあげたけど、へれなは嫌と言う気配もない。そういう態度を取る余裕もないのだった。これは最後の手段を使うしかなさそうだった。長江の船室にはどこでも必ず用意されている木桶がある。その用途は、船酔いに対応する最後の手段。つまり吐くための桶だった。


「へれな、起きて。もうこれに吐いてしまいなさい」


へれなを助け起こして桶を持たせて背中をさすってあげたけど、それだけじゃ吐けなかった。仕方なく私はへれなの顎を上げさせて、彼女の喉奥に指を差し入れた。


「うぶっ!」


突然の異物感にただでさえ気分が悪かった彼女は即座に桶の中に吐き始めた。そんな風に何度か吐かせて、すっきりさせた後、水を飲ませながら細く切った生姜を何枚か食べさせた。生の生姜の味に慣れないのか顔を皺めるへれなだったけど嘔吐感が和らぐと言って小さい生姜二、三個分の生姜を食べさせた。


「……ちょっと楽になった気がします」

「そう、良かったわ」


ひとまずへれなの調子は少し好転したようだった。だけど彼女には辛いことに、まだ船は三分の一地点にも辿り着いていなかった。船酔いは本当に酷い人は腹に何もなくなっても胃液まで吐き続けるというほどなのでまだまだ彼女には辛い思いをさせることになる。こうなると判っていたから休んでから行こうと言ったのだけれど…いや、へれなのためと思うのであれば彼女がどんな態度であったとしても自分の考えを押し通すべきだった。結局折れたということはへれなへの心配はその程度のものだったということだった。


「辛いと思うけど、船を途中で降りることが出来ないし、このまま耐えてもらうしかないわ。向こう岸の船着き場に着いたら夕暮れだから、それまで頑張って頂戴」


部屋を出ようかと思ったけど、このままへれなを一人にさせるというのも癪だった。さっきまでは彼女とギクシャクしていたから別室にいたけど、彼女の世話をするためにもここで待機している方が良かった。


「私、到着するまでここに居るから、何か必要なことがあったら言って」

「……」


そう言って私はー他に椅子が置いてあるわけでもなかったのでー部屋の片方に固定させたへれなの車椅子に座った。座った所が思いの外ふかふかしていてちょっと驚いた。


「これとても座り心地が良いのね。まるで雲の上に乗っている気分だわ」

「……」


何を言っても、へれなからは何の反応もなかった。こんなことで機嫌が取れるものだったらここまで来る途中で仲直り出来ているはずだった。こんな時に優しくするのって逆に卑怯で現金だと思っているやもしれない。


「ねえ、へれな。あなたに言わなきゃいけないことがあるわ。体調が悪いのは判ってるけど、私が待てないから聞いてほしいの」


だけど私は本当にへれなと良い友達になりたかった。こんな誤解をされたままではたまらなかった。


「あなたと交わった約束、ここで訂正させて頂戴」


最初からやり直そう。そうするのが一番だ。そう思った。


「あなたが今私のことをどう思ってくれているかははっきり判らないけど、恐らくいい方向ではないでしょう。あなたの立場を利用しようとしているだけだと思われているかもしれないわ。確かに私は私以外にあなたが頼る所がないことを利用して、あなたに一方的な条件を押し付けて強制的にこちらの条件を飲ませた。あなたが陥っている状況はとても辛い環境だということを理解できなかった私が悪かったのよ。はっきりと謝るわ、ごめんなさい」


謝る時の第一原則、自分が何に対して謝るのか明白にする。


「だからあなたとの関係を改めようと思うわ。姉様にはもうあんな風に言っているけど、姉様にはあなたに関しての事は全て任されている。あなたがこの軍に居る限り、あなたを守ることは私の義務よ。あなたが家族をまた会えるまで、私は必ずあなたの事を守ってみせるわ」


第二原則、以後自分が何をどうするのかを明白にする。


「あなたを今直ぐに北郷一刀の元へ行かせることは出来ないわ。彼自身、まだ生死がはっきりとしないし、生きたとしても、彼が居る軍の都合が私ではわからない。ただ連れていくだけ解決出来る問題ではないの。今私があなたに約束できることはあなたの身の安全…そして私があなたのことを信じているという事、この二つだけ」


第三原則、「だけど」、「しかし」みたいな言い訳をしない。


「あなたにしてあげられることは今はこのぐらいよ。他にあなたが欲しいものがあるなら、言ってくれれば出来る限りのことはするわ。だからお願い。私にもう一度やり直せる機会を頂戴」


……と、言い直したものの、最初に言ったこととあまり変わっていなかった。でも逆に無理な約束をしてももっと信頼を失うばかりだった。


「…最初に出会った時わたしに言ってくださったことからあまり変わっていませんよね。少し言い変えただけです。…わたしをいいくるめるおつもりなんですね」

「違う…それは違うわ!」

「安心してください。今更こんなことをして仲良くなろうとしなくて取引したことはちゃんとします。チュウボウさんが知りたいわたしの世界の事もお話しますし、天女という役も演じます。わたしにはどうせ他の選択肢なんてありませんから。だから今更そんな風になさらなくても結構です」

「違う!!」

「!」


何で判ってくれないの。最初からそうじゃなかったのに…。


「私はあなたと仲良くなりたいのよ!友達になりたいの!何で判ってくれないのよ!」


曹孟徳と劉玄徳、この二人が北郷一刀と接するのを見て思ったことがあった。あの二人はあの男と隔たりなく話し合っていた。それだけでなく、曹孟徳はあの男が居るというだけで燃える洛陽の中に飛び込み、劉玄徳ももうあの男が曹孟徳の所で戻ると判っているはずなのに皆が去る洛陽に曹操軍と最後まで残っていた。それだけあの男を大切にしていた。あの二人にとって、北郷一刀は単なる部下でも、客将でもなかった。北郷一刀はあの二人にとって君主のお面さえも構わず大切に出来る相手、謂わば親友だった。常に完璧で絶対であるべき君主のお面を外せる相手、それが北郷一刀だった。


私はへれなと私がそんな仲になれると思っていた。思春がいるけど、思春はあくまでも部下としての立場だった。姉様と冥琳みたいにはなれない。


姉様と冥琳の仲みたいに心の中の凝りを隠さずに話せる相手が欲しかった。


「…クス」

「…?」


かなり絶望を感じていたその時だった。へれながクスクスと口を隠して笑い始めたのは。


「友達、いらっしゃらないんですねえ」

「ええっ?!」


何よ、いきなり!


<pf>


へれなSIDE


わたしって、基本的にのほほんとした性格ですけど、決めなきゃ行かない時はちゃんと決めるんです。院長先生ですからね。わたしのことを頼ってくれてる子供たちが何十人も居るわけですから、頑固な時はとても頑固なんです。時には意地を張ってでも孤児院のために必要なものを勝ち取る必要だってあったりするのです。時には意地を張ったせいで大変なことになったりもしますけどね。


まさに今がその時間でした。


船酔いってこんなに辛いんですね。もう頭がずっと揺れっぱなしで、横になってるのに体がゆらゆらして既に倒れてるのにまた倒れそうでした。そしてさっき船に乗って15分ぐらいで胃の中にあったものを全部魚の餌にあげたはずなのにまた吐きたくなってしまってました。


そんな時チュウボウさんが部屋に入って来ました。船に乗って即吐き始めたわたしを部屋に入れた後、しばらく顔を見せなかったチュウボウさんはわたしが吐くのを手伝ってくださって、船酔いの薬だって生姜の皮を剥いたものとお水をくれました。


思うとここまで来るまで、チュウボウさんはなんだかんだでずっとわたしの側に居てくださいました。きっとわたしが冷たい態度を取るから機嫌を取ろうとしているのだと思いました。チーフな手法だと思いました。一度厳しく当たった人が弱まっている時に優しくして自分に依存するようにする。人の制御するに当たって一番基本的に使える手法…だってチョイさんから聞きました。


それを知っていたから私はわざわざ、今更優しくしようとするチュウボウさんの厚意に冷たく当たってしまいました。どうせ私を上手く利用するために機嫌を取るつもりなのだって。私がチュウボウさんの提案を聞く他に道がないと言っても、快く協力しているわけではありませんでした。結局の所、私は何も得られる確信も無くただ利用されるばかりになるかもしれないのでしたから。いい気にはなれませんでした。


でも今日介抱された後チュウボウさんが言っていることを聞いていると、どうでしょう。長い事話を続けましたけど、結局のところ最初に私に強圧的に言った言葉とあまり変わらない話を自信無さげに繰り返していました。何がしたいのか判りませんでした。だから私ははっきりと言いました。今更こんなことしなくても構わないと。取引したことはちゃんとしたけど、それであなたとお仲良しになるつもりはないと。


チュウボウさんがぶち壊れたのはその時でした。


それまでは謹厳そうな人、優しそうな人として振る舞ったチュウボウさんが喚き始めたのでした。演技かなと思いましたけど直ぐ本気で泣いていると気づいて、流石にここまで来てこれが私を騙すためだとは思えませんでした。それにここに来て初めてその言葉を聞いたのでした。『友達』になりたいって。最初にチュウボウさんが私に助けてあげると言った時、それは『条件付きの取引』でした。私を守る代わりにチュウボウさんもわたしのことを利用すると。それがさっき、チュウボウさんが自信なさげにその内容を繰り返しました。アレはチュウボウさんなりの謝罪であり、互いを利用する『取引』だった内容を『約束』として改めていたのでした。そしてそんなご自分の真心が私に伝わらないから泣いちゃったのでした。


そこまで考えが追いついた時、私はつい笑ってしまったのでした。


「な、なんで笑うのよ!」

「ごめんなさい。だってチュウボウさんがあまりにもヘタレでしたから…」

「なっ!」

「お詫びにわたしの方から言わせて頂きます」


わたしはベッドから立って気をつけて歩いてチュウボウさんの方を行きました。わたしが歩いているのを見て驚いたチュウボウさんは車椅子から立ちましたけど、わたしはそんなチュウボウさんの両手をぐっと握りました。


チュウボウさんは初めてわたしに会った時からわたしにこう言いたかったのですね?


「わたしと、友達になってくださいますか?」

「…!」


まるで好きな女の子にいたずらをする男の子のように、本当に言いたいことが出来ずに空回りした様子は孤児院の子供たちのそれみたいでした。一度その本心に気づいてしまうと、ギクシャクしていた気持ちも晴れて今までのチュウボウさんの行動が返って可愛らしく思えて来ました。


「ごめんなさい。早く気づいてくれなくて。わたし、心細かったものでチュウボウさんのことずっと疑っていました。でもチュウボウさんの気持ち、ちゃんと伝わりましたからもう大丈夫です」

「なんで…急に」

「チュウボウさんがさっき言ったじゃないですか。友達になりたいって。だからです」

「…それだけで?」

「それだけのことじゃありません。一番大事なことです。ちゃんと言ってくれなければ伝わりませんから。それにここに来るまでチュウボウさんはずっとわたしに優しくしてくれましたから」


最初に会った途端にチュウボウさんが私に友達になって欲しいと言ったとしても、わたしが「はい、そうしましょう」とは言わなかったでしょう。会ったばかりの人が友達になろうなんて言ったって、どんなことをされるか判りませんから。チュウボウさんは最初の時以来に、ずっとわたしのことを大切に接してくれましたけど、わたしはその目的がわたしを利用するためだと思っていたからチュウボウさんのことを良くは思えませんでした。行動と言葉、この二つが合わさってやっとチュウボウさんが何をしたかったのか気づいたんです。


「辛かったんですね。わたしがずっと冷たいままで…友達になりたいのに」

「……」

「あなたに酷いことをしてしまいました。そんなわたしと、友達なってくれますか」


いまさっきまで冷たく接していた相手におかしな話ですけど、今この誰も頼れない世界の中で、この人なら信じても良い。たった今そんな気がしました。


「…へれな、わたしと一緒にいる娘がわたしのことをあなたとは違うように呼んでいるの。気づいていたかしら」

「はい」


あだ名みたいなものだろうと思っていました。今までは親しくなる気にはならなかったので気にしてませんでしたけど。


「この国には、真名と言って家族や心から信頼できる人同士にだけ許す名前があるわ。その人の許し無しは決して呼んではいけない名前。蓮華、それがわたしの真名よ」

「とても重い名前なんですね」

「ええ、この真名を、あなたに預けるわ。これからは私のことは『蓮華』と呼んで欲しいの」


きっとチュウボウさん…レンファさんがわたしと友達になりたいという心の証なのでしょう。一国の姫様ですから、きっと今までちゃんとした友達一人も無しで生きてきたのです。


「はい、じゃあ、レンファさん」

「あの、さん付けは無しでお願いしたいのだけど…と、友達なのだから」

「……!」


何で…気づかなかったのでしょうか。この人。


こんなに可愛らしいのに。


「それじゃあ、これからはレンファちゃんて呼びますねえ」

「何でちゃん付け?!子供扱いは結構よ!」

「ええー?」

「ええじゃない!もう真面目に聞いて!」

「うふふ」


きっと自分の考えた事に真面目な人です。何をしてもとても真剣で強い責任感を持っている。仕方ありませんよね。毎日戦いが繰り広げられる時代の姫様なんですから。しっかりしていないと、きっとダメなんです。友達なんて本当は考える暇もないはずなのに。この世界について何も知らないわたしだからこそ頼めたのでしょうか。それならわたしも力になってあげたいです。


レンファは何歳なのでしょうか。きっとまだ成年していません。こんな年でこんなにしっかりしなければいけないということは逞しい一方とても悲しいことでもあります。きっと心のどこかでは辛いはずです。それこそ会って間もない人に友達になって欲しいと思う程に…。


「レンファみたいないい娘に助けられて良かったです。これからもよろしくお願いします」

「私こそよろしくね、へれな」

「……」


これってわたしも何かあだ名とか作った方が良いんでしょうか。でもへれなって碌なニックネームもないんですよね。昔レベッカちゃんをベッキーちゃんと皆に呼ばせようと企みましたけど、社長さんにガン無視されて頓挫されたことがありました。


「えっと、わたしは別名とかはありませんので…そうですね」

「構わないわ。こっちにも真名がない人だって居るし。真名は私があなたを信用してもらいたくてあげたのだから。あなたが私のことを信じてくれてるのなら真名で呼んでくれればそれで十分よ」


そう言ってレンファは握られていた手を解いて私を寝床に戻させました。


「船は着くまではまだまだ長いからね。立ってると余計に船酔いが酷くなるわ。また顔が緑色になっているし」


正直な話、かなり無理して立っていました。


「看病するつもりが余計に騒いじゃったわね。ここからは本当にゆっくりしていて。話なんてすると余計に酔いが激しくなるから目を閉じて横になってる方が一番良いわ」

「はい、判りましたあ」


それからレンファは部屋を出ずに黙ったままずっとわたしの様子を見てくれていました。途中で寝ちゃいましたけど、船が到着した時レンファに起こされたので、多分ずっと一緒に居てくれたのだと思います。他の子に世話されるのは割りと良くあることでしたけど、『友達』に看病されるのってなんだか特別な気分になりました。


船から降りた時はもう日が暮れていて、夜にまともな灯もないこの世界で夜になると何もできなくなってしまうので私たちは急いで宿屋を見つけてそこで一晩を過ごしました。



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