四十話
孫権SIDE
時間が大分遡り、
反董卓連合軍が正式に解散した後のことだった。
連合軍に参加する時、私たちには目的があった。一つ目はもちろん連合軍での働きで世の名を挙げること。これは劉備、曹操軍にほぼ活躍の場を持って行かれたものの、ある程度叶ったと言えるだろう。二つ目は、これの方がより大切だったが、袁術の戦力を出来るだけ削ること。これも劉備軍に居た北郷一刀が虎牢関で袁家の二人が争うように仕向けたことによって袁術は多くの兵を失った。
だがそれに加えて私達は、前の二つよりも大きい成果を手に入れることとなった。
連合軍以前、袁術は豫州刺史ではあったが、揚州刺史でもあった。母、孫堅を罠にハメ殺した袁術は君主を失った江東の諸侯たちの紊乱を静めるという名分で朝廷から揚州刺史の位をもらい、江東及び揚州を制圧した。そして我ら孫家と江東の母様に忠誠していた諸侯の重鎮たちを豫州、揚州の各地にバラバラに引き離され、姉様を良いように扱き使いながら私たちを監視してきた。
それが今回の連合軍で袁術は他の軍とは違って、正式な軍を持つ行政官の位である州牧の座を皇帝より授かれなかっただけではなく、揚州州牧の位を姉様に譲ってしまうハメになったのだ。
本来袁術は、時が来れば姉様が再び江東を取り戻せるように手伝うと言ってずっとその約束を遅延していた。それが只今私たちは朝廷より、江東を取り戻す許可を正式にもらったことになったのだ。袁術はもう揚州に残っている名分を失ったのであった。
少なくとも私はそう思っていた。
「正直なところ、余計なコブが付いたようなものです」
「あら、どうして?」
と、移動中に私が思ったことを話すと冥琳は懐疑的な意見を言った。一方冥琳に聞き返す姉様はどうやら私と似たようなことを考えていたらしかった。というより、姉様なら今直ぐ軍を引き返して移動中の袁術軍を討とうと思ってらっしゃるかもしれなかった。
「今回の連合軍で確かに袁術は大きな被害を受けた。兵も大きく削られたし、袁紹の失態に自分自身も爵位を受けられなくなってしまい、袁家の名声は完全に地に落ちたと言えるだろう」
「そうでしょう。だから…」
「しかしだ。それでもまだまだ袁術の兵は数が多いのだ。少なくとも今の私たちが特攻を仕掛けて袁術を打とうなど危険が大きすぎる」
そして冥琳もそんな姉様の考えを読んでいたのか早速ダメと言い出した。
「江東を取り戻す名分はもう立ったじゃない。袁術さえここで仕留められれば後は残党狩りも同然よ」
「今こっちの軍は一万に満たない。対して袁術の軍は被害を受けたとは言え三万弱。士気が落ちているとは言え危険は避けるべきだ」
冥琳が言う通り、確かに袁術の軍は数が減ったとは言え私たちより断然多かった。いくら姉様が一騎当千に戦えると言っても、数で負ける戦は始めるものではない。それは兵法の基本であった。
「ここでの戦闘で勝てるとしよう。もし、袁術を逃してしまったらどうなる?袁術が自分の城まで逃げ切って引き籠もれば今の私たちの兵ではどうしようもない。その上袁術が腹いせに揚州に散らばっている兵たちを動かしたらどうなる。江東の民に対しての殺戮が始まるかもしれないぞ」
「じゃあ、これからもずっと袁術に媚を諂えと言うの?こんなモノももう既にもらってしまったのに?」
姉様は揚州州牧の任命書をふりふりしながら言った。
「だからコブだと言ったのだ。この勅書、今の私たちでは実現することが出来ないし、袁術は自分が受けられなかった爵位を私たちがもらったことを良くは思わないだろう」
「私があの時コレを受け取らなければよかった?」
「結果的には袁術以外には全部もらった物だし、もらえなければそれは即ち朝廷から見捨てられたことを意味した。名ばかりの朝廷とは言え、そっちの方が不味かっただろう」
「もらっても困る。もらわなくても困る。つまりそういう意味なわけね」
そこまで言われると流石に姉様の危険だと感じたのか溜息をついた。
「じゃあ、どうする。これ、袁術にでも渡しちゃう?」
「それも手だが…せっかくもらったものだ。利用しなければ話にならないだろ」
「まあ確かに、豪族たちを言いくるめるのには丁度いいか」
「袁術側についていた連中も今回の事件が広まれば私たちの方に寝返ろうとするはずだ。既に豫州、揚州にその噂を流すための細作を放っている」
「何だ。ちゃんと抜かり無くしてたんじゃない」
「問題は袁術だ。アレをどうやって言いくるめるか。そこはお前次第だぞ?」
「うへぇ…なんか私だけ損する気分だわ」
「何を今更…」
「確かにね……ねえ、蓮華交代して?」
「何故そこで私に振るのですか!」
話し合いに参加せず聞いているだけだった私に突然袁術と話し合いなさいと振ってくる姉様に私はそうと以外答えることが出来なかった。本当にいきなり何を言い出すのだろうか。孫呉の長は姉様なのに。
「蓮華さまに他にして頂きたいことがあります」
「私に?」
「私たちより先に建業へ向かい、豪族たちを説得して頂きたいのです。さっき話したように細作を放って話を流してはいますが、直接孫家の人が向かって説得する方がより効果的に支持を集められるでしょう」
「そういうことなら…判った。任せて頂戴」
「ええ、なんかそっちの方が楽そう。蓮華、本当代わって」
「だから何を言っているのですか、雪蓮姉様。私なんかが行っても袁術が更に侮辱されたと思うだけでしょう!」
あんなことがあった後姉様ではなく妹の私が行けば、袁術がもう姉様は自分のことは怖くないと思っている(最初から恐れてなどいないが)と思うだろう。そしたら私たちが袁術と反旗を翻す時間を稼げなくなる。
「ふざけたことを言ってない貴女も今からさっさと袁術の所へ行く」
「ぶーぶー」
とてもとても嫌そうな顔をして雪蓮姉様は頬を膨らませた。子供でもあるまいし…その様子を苦笑いで見ていた私は、ふと空から落ちる奇妙なものに気がついた。
「あれは?」
「何…?」
私が指でそれを指すと、冥琳と姉様もそっちの方を向いた。長い光が斜め下へと線を引いて落ちていっていた。
「流れ星?」
それが何か最初に判ったのは冥琳だった。
「流れ星?まだ昼間なのに?」
「昼に流れ星が見えることもある。私も実際に見るのは初めてだが」
明るい真っ昼間だったけど、その流れ星の光は確かに目で見えるほど明るかった。
「なんか結構近くない?行ってみましょうよ」
「ちょっ、雪蓮!」
冥琳が止める間もなく、姉様は流れ星が落ちていく先へと馬を走り始めた。
「アイツ、ただ袁術に会いに行くのが嫌なだけだろ!」
「とにかく追いかけなきゃ…冥琳はここに居て。私が行くから。思春!」
「御意」
一人で行って姉様の身に何かあってはならない。そう思った私は姉様の後を追いかけて、思春も私の後に付いた。
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ヘレナSIDE
「…んん」
目を開けた時、わたしは強い日差しに再び目を閉じました。どうやらまた倒れこんでしまったいたみたいですねえ。
少し目が光に懐いだ後、座って目を開けると、目の前には広い荒野が見えました。
「おかしいですねえ」
確かわたしは博物館に居たはずなのに、いつの間にこんな所に来ていたのでしょう。孤児院の皆さんと…チョイさんは…あ!
「チョイさん?」
思い出しましたあ。博物館で、とても強い光に目を当てられ目の前が真っ白になり、そしてどこかに吸い込まれるような感覚に襲われて、握っていたチョイさんの手を離してしまいました。
早く見つけないと…。
「チョイさ……あっ!」
歩き出してたった数歩、わたしは足首に力が抜けて倒れてしまいました。
わたしの脚にはちょっと問題がありました。足首の神経が少し辺に絡まっていて、立っているだけなら大丈夫なのですけど、歩こうと脚を動かすと神経が刺激されて痛んで、直ぐに脚に力が入らなくなり倒れてしまうのです。だから普段は車椅子に乗っていました。
「…あ」
周りを見ると、後ろの十メートルぐらい離れた所に車いすが倒れてありましたあ。わたしは荒野の砂場を両手で這いずって車椅子へ近づいて行きました。なんとか車椅子の倒れた輪にまで手が届いた時、わたしの手の上に粗野な男の手が重なりました。
「あらあ?」
そして太陽の真下だったはずの荒野に影がかかってことに気づいたわたしは顔を見上げました。そこには黄色い頭巾を巻いた三人の男性の方たちがニヤニヤしながら立っていましたあ。わたしと手が重なった男性は他の二人より背の高い人でした。
「えっと…?」
「どこの箱入りのお嬢さまかは知らんが、こんな所にまで一人で来るなんて馬鹿だな」
「えっとお…すみません、なんか気がついたらこんなところでしてえ」
「まあ、俺たちには好都合だがな」
「へ?あっ!」
そう言った男性は突然わたしの手を強く握って引っ張りあげました。
「い、痛いです!離してください!」
「まあ、大人しく従ってくれたら痛くはしないようにするよ。約束は出来ないがな」
「「しっしっし」」
そしてわたしはその人たちがわたしに何をしようとしているのか気付きました。
「い、いや、離してください!チョイさん、助けて!!」
「諦めろ!周りに人なんざ居ねえよ」
嫌。またあんなことされるのは嫌!やっと、やっと忘れられたのに。もうあんな目に合わなくても良いと思ったのに!あの人と幸せになれると思ったのにこんな所でまた汚されるなんて…!
「助けて!チョイさん!誰か助けて!!」
「うるさい女だな。大人しくされてればお前だって気持ち良くして……っぶ!」
目を閉じてただ叫んでいたわたしは突然男の声が止まると同時にわたしの顔に何かが吹かれたのを感じました。
「へ…?」
ゆっくり再び目を開いたわたしの前に写っていたのは、私を犯そうとしていた男性の喉を貫いた銀色の剣と、その剣からぽたぽたと落ちる赤い血でした。
「まさかこんな所まで逃げ込んできていたとはね。この虫けらどもが…」
「ぐぅ…がああ」
「兄貴!」
「ひ、ひいっ!そ、そんさく!」
残っていた二人の男性は逃げようとしましたが、
「蓮華!興覇!逃がすんじゃないわよ!」
「はい!」
「はっ!」
大きな返事が聞こえて間もなく、他の男性の悲鳴が二つ上がり、そのまま静かになりました。
「…ふん!」
そして手前に居た男性の首に刺された剣が捻ねると、最初に刺された男性は更に悲惨な悲鳴を上げ、やがて剣が抜かれた穴から血を吹き出しながら横に倒れました。
その吹き出す血を浴びた私は男性の後ろに居た赤い血に染まった顔と服、そして剣を持った女性を見ることを最後に気を失ってしまいました。
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蓮華SIDE
「蓮華さま、ご無事ですか」
「私は大丈夫よ」
私たちの方に逃げてきた黄巾党の残党に、思春と私は一合で切り捨てた。人の肉を斬る感触は幾ら感じてもなれるものではなかった。
「姉様、大丈夫ですか!その人は…」
「…私は大丈夫よ。どうやら間一髪だったみたいね」
姉様は顔に付いた血を拭いながら仰った。
「特に怪我は見当たりません。手首に荒く掴まれた跡が残っていますが、それ以外には傷はありません」
思春が倒れた女性の様子を確認して言った。倒れた女性は助かった安堵感に気を失ったみたいだった。
「流れ星を探しに来て、とんでもないことに会ってしまったわね」
「どうしましょう、ここに置いて行くわけには行きませんし」
「連れて行くしかないわね。面倒なことになったけど、目が覚めたら家に帰してあげることにしましょう。にしても珍しい車椅子ね」
姉様は倒れた女性の隣にある車椅子を見ながら仰った。車いすの車体と車輪の形を支える枠も、良く磨いた鉄か白銀のように光っていて、それなのに立て直すために持ち上げて見るととても軽かった。
「この光、まるでさっき見た流れ星みたいですね」
「なあに、蓮華?この娘がさっき空から落ちた流れ星とでも言いたいの?」
「何を馬鹿なことを…人が空から落ちてくるはずがないじゃありませんか」
「そうね。そういう人がいたらそれは人ではなく天女でしょう」
「……天女…」
「まあ、とにかくこの車いすも恐らくこのお嬢ちゃんの物みたいだし、一緒に持って行きましょう」
「あ、はい、思春、その人をこっちに」
「はい」
思春が女性を抱き上げ、私が立てた車椅子に座らせると、誂え物みたいに彼女の身長や脚の長さにぴったりと合った。
「脚の筋肉がとても細いです。一日の大半を座って暮らす人なら納得がいきます」
「どうやらそうみたいね」
車体だけでなく、後ろから握る摘みや車輪なども木の代わりに、黒く柔らかい材質でできていた。この車椅子のすべてが私が一度も見たことのない資材でできていた。怪しさでいえばさっきの黄巾党の連中よりも質が悪かったけど、襲われていたこともあるし、それに見た所、体に不自由ありそうだった。連れて行った所で何か危険な行動を取るとは考えにくかった。
「馬ではこれを運べそうにないわね。これを押しながら歩いて行った方が良さそうです」
「仕方がないわね。ゆっくり帰ることにしましょう」
姉様の場合、あくまでも袁術に行きたくなくて鈍く帰ろうとしているようだったけど、とにかく他に車椅子を運ぶ方法もなかったので、私たちはゆっくりと進軍中の軍へ戻った。
・・・
・・
・
「遅い!」
そして案の定、姉様に冥琳の雷が落ちた。
「し、仕方ないじゃない、あのまま荒野に置いて帰ってくるわけにも行かないでしょう?」
「思春を先に行かせて運ぶための兵を頼めば良かっただろ。袁術に会いに行きたくなくてのろのろとしていただけではないか」
「むぅ…」
「無駄だぞ。丁度さっき袁術からお前を探していた。帰ってきたら早速に来るようにと命令していたぞ」
「……あの小娘の嫌味を聞いてやる日ももうそう長くないわ」
「判っているならもう少し我慢しろ。さ、さっさと行く」
「…ああ、でも連れてきた娘の審問が…」
「は・や・く・い・け」
「ハイ」
結局、姉様は冥琳の気迫に押されて袁術の軍へ向かった。
「そして、蓮華さま、その者は…」
「目が覚めたら私が住処などを聞くわ。今日はもう直ぐ日が暮れるし、ここに陣を張るんでしょう?」
「そうなりますが…蓮華さまが直になさる必要はないと思いますが」
「姉様と一緒に最初に見たのが私だから私がやるわ。賊に犯される直前だったこともあるし、それにこの車椅子、平民だとは思えないわ。それなりの待遇はしてあげるべきでしょう」
「…判りました。では、その者の審問はお任せします」
「いや、別に審問というわけでは…単に住処を聞いて帰らせてあげれば…」
「甘いですよ、蓮華さま。この当たりには民家も城もありません。こんな荒野にあんな豪華な車椅子など持っていて、それも一人で居たのです。何か裏があるはずです」
「……大丈夫よ。確かに何か事情はあるでしょうけど、だからと言って危険な者というわけじゃないわ」
冥琳が警戒しすぎだとも思ったけど、確かに怪しい所があるのも事実だったので私はそれ以上のことは言わず思春に車椅子の取っ手を任せながら言った。
「思春、陣を張る時彼女の寝床も用意して頂戴。そして彼女が目を覚ます次第私に連絡を入れるように伝えて頂戴」
「御意、審問時に私がお供します」
「お願いするわ」
その後私は馬の武装を外し、陣の構築を手伝うために動き始めた。
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陣を張り終えて日は暮れ、兵士たちの夜の食事も済んだ後、やっと思春から昼に見つけた人が目を覚ましたという報告を聞いた私は直ぐに思春と共に彼女に会いに行った。
「……っ………うっ」
「あ」
彼女のために用意させた別室へ訪れた時、彼女が寝床で息を殺して泣いているのを見て私は驚いてつい声を出してしまった。
「…あっ」
私の声を聞いた彼女はぱっと驚いて涙を拭いた。
「すみません、見苦しい所を…」
「い、いえ、こちらこそごめんなさい」
あんな事があった直後だった。まだ心を落ち着かせる時間もなかっただろうに。もう少し時間を置いて訪れるべきだったのかもしれない。
「さっき、そちらのお方から話を伺いました。危険な所を助けてくださってありがとうございます」
心を乱していたのも束の間、彼女は寝床から脚をおろして、座ったままだがちゃんと礼儀正しく頭を下げた。
「偶然そこに居たから助けたまでよ。運が良かったわ」
「運が良かった……ですか……」
が、私の言葉に彼女はとても寂しそうな顔に戻った。
「お、お腹が空いているだろうと思ってとりあえず食事を用意したわ。一緒に食べて、話を聞くのはその後にしましょう」
「…すみません、今はあまり食欲は…」
「あ…」
起きた後、一人で居るより誰かが一緒に居た方が良いだろうと思って食事をせずに待っていたけど、やっぱり一人に居させた方が良かっただろうか。でも今になって後悔した所で、既に時は遅しだった。
「ごめんなさい。やっぱり、少し間を置いて来るのだったわ。今日はとりあえず休んで詳しい事は明日にでもお話しましょう」
「……」
「行きましょう、思春」
まだ時間が必要なのだろう、そう思った私は思春を連れて引き返そうとした。
「あの」
その時、再び彼女から声をかけてきた。
「すみません。お話、させて頂けないでしょうか」
「良いの?無理をしなくても」
「大丈夫です。わたしの方も今右も左も分からなくて…混乱していました。ここがどこなのか、どうしてこんな所に来たのか、チョイさんはどうなったのか。何もわからなくて…だからお願いします。なんでも良いから話を聞かせてください」
一目で見ても、彼女は心身ともに疲れていた。あまり無理はさせたくなかったけど、彼女も彼女なりの事情があるみたいだった。今の話からして、中間が居たのかもしれない。彼女のためにも、今は話を聞くべきかしら。
「それじゃあ、今からお話、伺ってもよろしいかしら」
「はい」
ぐぅー。
「…ふえ!?」
「…あら」
な、なんという事を…こんな時に私の腹は…!
「食事、待たせてしまっていたのでしょうか」
「うっ…うう…」
「ふふっ……ああ、すみません、大変失礼なことを…やっぱり、先に食事をいただけないでしょうか。お腹が空いては話もちゃんと出来ませんし」
「…そうしましょう」
後ろで黙って見ている思春の視線が何故か呆れてみているような気がした。