三十四話
愛理SIDE
ガシャ―ンという音と共に地面に落ちた料理を惜しむ間もなく、典韋さんから発される凄い剣幕に私は身を震わせました。いつもはあんなに優しくて、いくら店が大変でも笑顔だけは失わなかった典韋さんの顔は、笑顔が消えた歪んでいました。
「料理、作りなおしてもらえるか」
そんな異変に気づかないのか一刀様は全く動じない姿で言いました。
「兄様、今…なんと?」
「しばらく謹慎することになってな。こいつも居所がないから一緒に俺の屋敷に住まわせることになった」
「……どうして、ですか」
「西涼の件で責任をとられることになってな。まあ、点心はいつものように食べに来る」
「そうじゃありません。私は、何故、兄様と元直ちゃんが一つの屋根の下で住むことになったのかってお聞きしているんです」
「……?」
一刀様!そこで典韋さんが何を言ってるのかわからないような顔をして私を見ないでください!
「え、ええっとですね。典韋さん。私も休職することになりまして…街の宿は高いですし、だから一刀様が部屋を貸してくれると言ってくださったんです」
「……」
「うぅっ!」
典韋さんは私の方に首だけをくるっと回して来ました!
いちいち怖いです!こんな典韋さん初めてです!
「料理」
こんな重い雰囲気の中でも一刀様はまだまるで空気なんて読んでいないかのようにまた言いました。
「…出ないなら他の所に行くが?」
「…っ!すぐに作り直してきます」
他の飯店に行くという一刀様の声に反応した典韋さんは一瞬一刀様を睨みつきましたが、一刀様が何の反応もなく見返し続けるとクルッと回って厨房に戻ってしまいました。
「か、一刀様…」
「…せっかくの料理が台無しになってしまったな。どこか具合でも悪いのでなければ良いが」
一刀様は最初から最後まで何も察して居なさそうに言ってましたけど、どれだけ鈍感な人であろうと今の剣幕を感じなかったってことはありません。
一体一刀様は何をお考えなのでしょうか。
<pf>
二度目の料理を典韋さんからでなく普通の給仕さんから頂いて食事を終えた後、一刀様と私は再び街に出てきました。
「で、さっきの話の続きだが、古い屋敷なせいであっちこっち古い所があるかもしれん。それと、食器などもまだ置いてないから買って置かないとダメらしい」
「え、でもそうなると、買わなきゃいけないものってたくさんありますね。厨房は見てませんでしたけど、まさか厨具とかもないということはないですよね?」
「ないな。それに食材なども全く無い」
螺鈿工芸品とか部屋に置いてる場合じゃなかったじゃないですか!
「早速今日の夕飯作れないじゃないですか!今から買おうだって厨具に最小限に必要な食材だけでも二人じゃとても運べません!」
「そうだな。どうしたものか」
しばらくは外食ばかりになるのか(しかもさっきの典韋さんの反応だとあそこも行きづらいですし)、と思っていた頃でした。
「一刀様!愛理!」
振り向くと、凪さんがこちらに向かって走ってきていました。
とても慌ただしい様子でした。恐らく一刀様が謹慎をくらったことを朝議で聞かされたせいでしょう。
それだけならまだ理解できましたけど、おかしい点は他にありました。
「凪……武装はどうした」
仕事中は常に武装をしている真面目っ子さんで有名な凪さんが、仕事の真っ只中なはずの昼間に武装無しの姿で居るのでした。
「まさかとは思いますけど…辞職してきたとか言いませんよね?」
「え?どうして気づいたんだ?」
なんてことを!!!
「凪さん!!これって小芝居ですよ!何ヶ月も経てば一刀様も私も復帰できるのにそれにカッとなって凪さんが辞職なんてしちゃったら話がごちゃごちゃになっちゃうじゃないですか」
「凪…お前…」
「あ、ち、違います、一刀様!辞めて来たわけじゃありません!」
え?でもいまさっき辞めたみたいに。
「私も休職届を出しただけです。有給なんて腐るほど余ってますし。これを気に全部使ってみただけです」
「桂花がそれをよしとしたのか」
「受け入れられなければその時こそやめるだけです」
「お前な…」
「政治的な小芝居だとか、そんなこと私にはどうでも良いんです。演技だとしても華琳さまがまた一刀様を蔑ろにするなら、私もそんな華琳さまのために働くつもりはありません」
華琳さまの今回の決定はやむを得ないものでした。溜まってきた官僚たちの不満を静めるためのただの小芝居。どうせ一刀様を好む人なんてこの軍で一溜りしか居ませんしね。でもだからと言って一刀様を好む人が居ないってわけじゃありませんし、その群れの一番槍が凪さんってわけです。
凪さんは警備隊長なんて聞いたらとても地味な役割ですけど、実際一刀様が立てた陳留の街の改革案の数々を実行に映したのはほぼ凪さんの功でした。陳留の城内の半分は凪さんの考えによって建て替えられたようなものでした。そしてその陳留の治安の良さは曹操軍の他の領地に適用するのはもちろん、他の軍からその機密を奪おうとしてるぐらい効果的なものでした。それだけ凪さんの功は大きいってことです。
それぐらいの人が一刀様が謹慎をくらっただけで華琳さまを脅迫するかのように休職届出して、事実上一刀様が戻ってくるまで無期限で休むと宣言したのでした。
もちろん華琳さまが一刀様を連れ戻すつもりはないとは思いもしませんが、これで反対する側の声をある程度黙殺はできるでしょう。
「お前後で復帰すると痛い目に会うぞ」
「それで一刀様が一日でも早く戻って来られるのでしたら結構です。華琳さまも何をお考えなのか判りません。あれだけの事があってやっと戻って来られた一刀様を一年ちょっとでまた謹慎なんて」
「政治なんてそんなものだ。あいつも自分なりに苦労してるんだよ。お前まで怒ってくれるな。俺は久々に周りの目なんか気にせずに休めるから丁度良い」
あの、そのまるで普段は周りの目を気にしているかのような言葉遣いはやめて頂けますか。いつも一刀様の横暴に絶叫する人たちから目を逸らしたくなる人としてのお願いです。
「それで、お二人はこれからどうなさるんですか。それに一刀様、住む所はどうするんですか」
「屋敷を一軒買って置いた」
「屋敷…ですか?」
既に住処ができてあるという話を聞いて凪さんは少し残念そうな顔をしました。ちょっとは隠してほしいです。しかも私に対しては住処の心配はしないんですね。このまま徐州の実家に帰れば宜しいのでしょうか。
「ああ、しばらく一緒にしばらく住むことにした。それより問題は雑貨なんだが…」
「…!!」
と、その瞬間私は持っている杖の細剣を抜いて一歩後ろに下がって構えました。本当に本能的なものでした。
「…どうしたんだ?」
「え?え、えっと…あの……」
私も一瞬自分が何をしたのか、何故剣を抜いたのか解らなかったのですけど、すぐに理由が分かりました。
「あ、愛理と一緒…ですか…なるほど」
凪さんから殺気が溢れ出ていました。もう駄々漏れです。主に私に向けて。だから一刀様、その何が起きてるのかまるでわからないみたいな顔で私を見ないでください!さっきもですし私に本当に殺されるかもしれませんから!!
さっき典韋さんの時もそうでしたけど、お二人とも私が一刀様と一緒に住むことになったと聞いた瞬間顔色が変わって、凪さんに至っては殺気さえ隠してくれません。いえ、思い返せば典韋さんの時がもっとひどかったかも知れません。二度目の食事が出た後もなんか厨房から視線を感じてうまく料理が味わえなかったんです。
後に出たおやつなんて真顔で食べました。
この私が真顔でお菓子を食べたんですよ!
「…まあ、そういうわけだ。お前も休職したのならしばらく休むといい。俺たちはやることがあるからまた後で詳しい事情は話そう」
「荷物…さっき雑貨がないと仰ってましたよね。家具とか食器なども置いてないとしたら、お二人だけでは運ぶのに無理があるはずです。良ければお手伝いします」
大変です!今の凪さんと一緒に居させられたら私絶対殺されます!背を見せた瞬間事故を装って背中から気弾打ち込まれます!どう考えても事故とは言えませんけど!
「いや、別に良い。重い厨具なんかは後で送ってもらえば良いし、それでも無理なら手車でも一台買えば良い話だ」
そうです、一刀様!一刀様に凪さんなんて必要ありません!車と私さえあれば良いんです!
「では私も家にこの際買っておきたいものもありますし同行させてください」
「……そうか、それなら分かった」
「ええっ!?」
はい、死んだ。私死にました。私が背中を見せた瞬間凪さんの気弾一発で体粉々になって死ぬんです。長くはない人生でしたけど、未練もありまくりです。
「あうぅ……」
完全に死を予想した私は脚に力が抜けてその場に座り込みました。
「大丈夫か!」
そんな私を見た一刀様は驚いて私を様子を診ました。
「…熱があるな…脈も荒い。何故具合が悪いと言わなかった?凪、悪いが買い物はまた今度にしよう。俺は元直を医院に連れて行かないと行けないみたいだ」
そう言った一刀様は私を抱き上げては、凪さんの返事も聞く前に歩き始めました。
「あ、一刀様!」
後ろから凪さんの声が聞こえましたが、殺気がどんどん遠くなっていくのを感じて私はなんとか助かったと胸を撫で下ろすのでした。
<pf>
「大して悪い所は無くてよかったな。とりあえず薬はちゃんと飲んでおけ」
医院に行ったんですが、もちろん体に何の問題もなくただちょっと気力が弱ってるみたいだって湯薬の材料を渡されました。いや、屋敷に帰っても煎薬壺はおろか器一つもありませんけど。
「あの、分かりましたからもう降ろしてください」
どうして私は診察が終わったらまたすぐに抱き上げられてるんでしょうか。
「途中でまた倒れたりしたら困る。いっその事今日はもう屋敷に戻るか」
「いや、どうせ屋敷に何もないじゃないですか。せめて食器と食材ぐらいは買って帰りましょうよ」
「……仕方ないな」
そう言って一刀様はやっと私を降ろしてくれました。
…なんか一刀様の顔を見ると本気で私のこと心配してるように見えます。もう良いですから。凪さんもう居ないじゃないですか。
「あの、私本当に大丈夫ですから」
「……」
「あっ」
そしたら一刀様は私の帽子をとり上げては私の頭を撫で始めました。
「うん…んへへ…」
駄目、それやられると顔ニヤけちゃうんです。
「あまり心配かけるなよ」
「ん……はっ!」
なんとか正気を取り戻した私は一刀様の魔の手から離れて帽子を被りました。
「か、勝手に撫でないでください。怒りますよ?」
「そうか。怒られても困るからもうしないようにするか」
「え」
いえ、それはちょっと…。
「さ、先にことわってからだと構いませんけど」
「……」
「べ、別にいつも私が許すとは限りませんけどね」
ただでさえお菓子食べるとだらしない顔になってお菓子食べたら軍の機密もなんでも吐きそうだと悪評が広まってるのに、頭なでられるだけでも落ちるとか本当に洒落になってませんから。
「まあ、とにかく今日は食器など買って帰るか。鍋とか重いものは後からでも良いだろう」
「そ、そうですね」
そこからは本当に真面目に買い物を始めました。
炊飯のための小型の釜とかは注文すると完成まで十日ぐらいはかかるそうなのでまともな白飯を食べられるとは当分るんるん飯店でだけになりそうでした。
…ああ、またあそこに行かなきゃいけないんですね。また行ったら食靠れしそうです。
それから同じ食器で茶碗や箸などを2つずつ買いました。二人だけで暮らすのに余分の食器なんて買っても洗い物が溜まるだけなので、食べてすぐに洗うように2つだけにしました。それ以外に皿や包丁などなどの厨具と、食材と基本的な調味料…
「あの、一刀様、砂糖そんなに要らないと思うんですけど」
「お前の手にあるその蜂蜜を戻してから言え」
両方とも調味料として買おうとしたわけではないことは確かですね。
「とりあえず急いで必要なものはこれぐらいでしょうかね」
「後は燃料だが…薪は残りが少しあった気がする」
「じゃあ、油を買いに行きましょう」
・・・
・・
・
火を灯すための油屋に行くと、向こうに本屋がありました。…とても危険な配置ですね。どこが先に入店したのか知りませんけど。
「油を買うのは俺一人で良いだろう。お前は本屋にでも行ってろ?」
「良いんですか。丁度買いたい本もあったんですけど」
「好きにしろ」
私は言葉に甘えて一刀様だけを油屋に行かせて本屋へ入りました。
「すみません、赤鳥さんの本ありますか?」
「はい、あります。今日新作が入ったんです。左から二番目の棚ですよ。もうあと一本しか残ってないと思いますけど」
「そうなんですか。ありがとうございます」
赤鳥さんというのは最近女の子たちの中で人気が出ている恋愛小説作家です。変な筆名ですけどとにかく本が出たら本屋に置かれる日に全部なくなってしまいます。筆写には時間がかかるので一度買い損ねると一ヶ月は待たされます。遠征中で買えなかった分も含めて丁度出た新作も買いましょう。
先ず新作の方を確保してから他の本を探そうと思って、先に店員さんが行った本棚に行って例の新作を探しました。本当に最後の一冊だけ残っていましたので急いで手を伸ばしましたけど、
「あ」
「あ」
私の他に本に手を出した人が居ました。お互い同時に相手の顔を見た時、私は思いました。
ああ、運命というのは残酷なものです。
「…陛下」
「んな!?な、んのことかな?余は…いや、いえ、わたくしただの街の生娘ですよ?」
「陛下、何度も申し上げますけど、そんないい服を着てそんなつやつやな髪に白肌を持ってる平民は居ません」
「余にどうしろというのだ!平民になるために髪を雑に切って肌も日焼けしたら良いのか!そうだな!」
いえ、宮から出ないでください。
「どうしてこんな所に…霞さまはいらっしゃるんですか」
「霞は今日仕事だそうでな。今日はあかぴよの新作が出る日だと言ったが知らんぶりだった」
「陛下も読むんですね、こういう本」
「むしろこういうものしか読んで居ない」
たまには政の本とかも読みましょうよ。
「さて、元直よ。ここは余に譲ってくれるか」
「嫌です」
「少しは迷え!皇命だぞ!」
「本屋では静かにしてください。というか陛下、お金は持ってるのですか」
「ふふーん、あまり余を子供扱いしてもらっては困るぞ。これを見よ!」
と言った陛下が腰巾着から取り出したものは、ピカピカの金塊でした。
「……」
「ふふーん。どうだ。これがあれば本なんていくらでも買えるであろう」
「はい、そうですね。…そろどころかこの店が買えちゃいますね。…それで、その金塊で陛下は一体どうやってこの本を買うおつもりなのですか」
「ん?どういうことだ?汝も今これだけあればここにある本全部でも買えると言ったばかりではないか」
「はい、ですから本何冊かを買ってその金塊を店主に出すと、店主がどんな顔をすると思いますか?」
「余を解ってひれ伏すのか」
「凄く嫌な顔しますよ」
「何故だ?!」
やっぱり陛下は通貨…というか物の価値というものが良く解ってないですよね。というか普通の生娘装ってるつもりだったのに金塊なんて持ち歩いて凄い矛盾です。
「金塊はとても価値の高いものです。その金塊一つがあれば、余程のことがない限り少人数の家族だったら10年は生活に困らず生きていけます。そんな高価なものを出して本を買うと言ったら、店主は一体どうやってお釣りを用意すればいいのですか」
「むむ…そういうことならお釣りなんて取らずに欲しい本だけを持っていくと言ったら良いではないか」
「陛下はこれから街に出てくる度にそれをやりつづけるつもりですか。屋台で肉まんを買ってはぽんを金塊を出して、お茶菓子屋でお茶を一服してはぽんと金塊を出して…そんなこと続けたらあっという間に街の経済が荒れますよ」
「いくらなんでも大袈裟ではないのか」
「大袈裟ではありません。只今でも、豫州の袁術は自分が欲しいものなら相手がどんなにとんでもない額を申し出てもそれを買い占めて、汝南の経済はとても荒れているのですよ。噂では蜂蜜の壺を献上すると、それと同じ大きさの壺に金塊を詰めてやるんだとか。価は沸騰して、米一斗がそれと同じ重さの銭がなければ買えないとか」
「そ、そんなことが本当に起こっているというのか」
「欲しい物を正当な値で買う、これは経済の基本です。その法則を乱しては陳留の経済は崩れ落ちるのですよ。陛下のせいで」
「むむむ……なんと恐ろしいことだ」
「そうです。ですので、この本は私が…」
「店主よ!これでこのお店を買おう!」
陛下あああああああ!!!
「あうーーー!!何してるんですかー!」
「元直、書店であまりうるさくするでないぞ」
「陛下、私の話聞いてました?」
「聞いたぞ?要はこの金塊の価値に値するだけのものを買えば良い話だろ。だから余はこの店ごと買う。なんか大人っぽい買い物だな。そう思わぬか」
すごく子供染みたお買い物です!誰ですか、この人に金塊なんて渡したのは!
「お、お客さま、一体どういう…」
「店主、この金塊でこの店を余に売ってくれぬか」
「こ、これは…!」
大変です。このままだとこの本屋、皇帝陛下に買収されちゃいます。私の本が…!
「おもちゃだな」
「は?」
「え、一刀様?」
咄嗟にお店に入って来られた一刀様は陛下が店主に渡そうとしている金塊を見てそう言いました。
「ほ、ほほほほほ北郷」
「店主、悪いな。子供のいたずらだから許してやってくれ」
そう言った一刀様は、ご自分を見て固まってしまった陛下の方に近づきました。
「ほら、出るぞ」
「い、いやじゃ…助け…」
一刀様が近づくと陛下はその場に尻もちをついて、全身を震わせながらも少しずつ後ずさりました。しかし抵抗も儚く、陛下は一刀様に捕縛されてしまいました。怖くて声も出ないのか陛下は悲鳴一つ上げられずに一刀様に担われて店から強制撤去されました。
「……あ、本」
その後、私は無事にあかぴよさんの新刊と買いそこねてた既刊の本も無事に買い占めて店を出たのでした。
<pf>
本を精算して店を出ると、丁度一刀様が一人で戻って来ました。
「一刀様、陛下はどうされたのですか」
「警備隊の奴に文遠に渡すように言って置いた。しばらく固まってるだろうから騒ぎは起こさないだろ」
「ちなみにあの金塊は…」
「本物だ…一体どこで手に入れたんだ」
「洛陽でこっそり隠していた裏金だったのでしょうか」
「いや、あいつがそんな事をしたはずはない。多分偶然洛陽から持ってきた箱かどこかに残っていたものだろ。とりあえず没収しておいた」
一刀様は手に握った金塊を見せながら言いました。また陛下から集ったんですね。
本屋の前には油の樽を含め、今まで買った品物が全て手車に乗っていました。
「手車も買ったんですか」
「いい加減二人で持つには手がたりなさそうだったからな。…お前の手に持ってるその本の数は、とても物を分けて持とうとは思ってない様子だし」
「あ…あう…」
そういえば考えていませんでした。
「まあ、良い。もう日も暮れて来たからさっさと帰るぞ。乗れ」
「え、車にですか。でも…」
「もう乗ってるものも一杯だ。今更女の子もう一人乗せた所であまり変わらない」
私はちょっと戸惑いました。今日一日ずっと歩きっぱなしでしたし、確かに脚も疲れてます。でもそれは一刀様も同じです。車を一緒に引くというならまだしもその上に乗るなんてできません。
「私は平気です。自分で歩けます。買った本も自分で持ちます」
「…本当に大丈夫か。屋敷までは結構距離もあるぞ」
「大丈夫です。寧ろ一刀様が大丈夫か心配ですけど」
「それこそ余計な心配だ」
そう仰った一刀様は手車を引き始めました。手車はちょっと古いのか車輪からキーンと音を立てながら動き始まりました。
「明日からしばらく暇になりますね」
「それが嫌なら登庁しても良いぞ」
「一刀様が居ないと私も行きません」
お仕事私一人だけじゃ大変になるのが目に見えてますから。
「…一つ頼んで良いか、愛理」
「別に畏まって仰らなくとも……あう?」
今…あれ?でも…
「一刀…様?」
「今じゃ…お前にしか頼めない事なんだ」
凪さんに以前聞いた事があります。
その時はとても胸が熱くなって、頭が幸せで一杯で何も考えられないぐらいだったと。
でも私ってお菓子食べて頭が幸せ状態になることって沢山あるので、そんなに大したものなのかなぁと思ってました。
段違いでした。
なんという言いましょうか。まるでお菓子を口からじゃなくて頭が直接食べているような…ちょっと言い方が変ですね……まるで頭が蜂蜜漬けにされたみたいな……これはもっと酷いです。
ああ、別に良かったんです。他の人に説明できなくたって。
この幸せは私にしか感じられないものでしたから。
「はい」
だからあの時私はちょっと壊れていたんです。
そういう事にして置きましょう。