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二十九話

華琳SIDE


長かった西涼征伐も終わりを告げ、私たちは長安へ戻った。まだ青野戦術の傷が残っている長安。しかし、長安に辿り着いた私たちを待っていたのは、城の外に集まった大きな人の群れとそこから聞こえてくる歌声と歓声。


「ライブ、もとい演舞でもやっているのだろ」

「演舞?一体誰がそんなものをここで開くというの?」


わけが分からず私は一刀に聞いた。


「長安で保護した張三姉妹のことを覚えているだろ。陳留から来たチョイには、沙和の補佐とついでにその三人の管理を頼んだ。群衆を操縦…もとい安定させることには、古今東西酒と娯楽があれば十分だ」

「荒れた地で不安がっている長安の民たちが暴動化することを防ぐために、張三姉妹を利用したってわけね」


一刀は沈黙で肯定した。


一時は黄巾党という、大陸をひっくり返そうとした大群れの首魁だった張三姉妹だった。不安がっている人々の心に入り込むことに一見識を持つあの三人に、生きる場所を戦地とされ動揺しきっている彼らの心を掴むことは朝飯前だったわけね。


「でも、どうやってこれだけ大きな声を出しているのかしら。以前は太平要術書の力でそれを成していたとしても、今はそれが出来ないんじゃないの?」

「司馬仲達の術もまた太平要術によったものだったことを忘れたか。書を持っていることが術を使用、維持するために必ずしも必要な条件ではないということだ。特に三姉妹の次女、張宝は妖術を扱うことに才能があったらしく、書を失った後もちょくちょく妖術を使えたそうだ」

「それじゃあ、太平要術書がなくとも、また黄巾党みたいな群れを集めることが出来るということですか」


一刀の説明に稟が気掛かりそうに聞いた。


「書に力があるのは確からしい。書がなければ拡大な範囲に術をかけることはできないようだ。例えば直接人の思考を弄って操ろうとするならせいぜい近くの何百人に妖術の力が届くぐらいだ。それ以上の効果は単なる群集心理によった連鎖作用だ。長安でもこれを使って民たちを西涼軍に立ち向かわせたのだ」

「これを軍に応用できれば大きな助けになるわね」


例えば彼女らを敵の領域に潜ませて演舞を開けば敵が知らないうちに内側から騒ぎを起こしたりして、敵の注意を引くこともできるし、味方に仕えば士気を作興することも出来る。


「というかあなた、最初に彼女らに会った時にこんなことができるって知っていて彼女らを私の前に連れて来なかったの?」

「あの頃のお前には過ぎたな力だった。彼女らの力は何十万ものの兵を率いている時にこそ本当に効果的と言えるものだ。たかが何千ものの兵を率いていたあの頃のお前の軍では豚に真珠だった」


少しくらい刺々しく言われたぐらいで今更挑発される私ではなかった。むしろ西涼にいる頃よりも少し本調子に戻ったかと私は少し安心した。


西涼に居た頃の彼はずっと元気がなくて、会議でもあまり口を言わなかった。紗江に会った以来、彼はあまり調子が良くなかった。紗江の真意が読めなくて、最期の最期でやっと気づいたことが気の毒らしかった。そんなこと気にしなくても良いと言って聞く彼でもなかったから私は黙っていたけど、だからと言って心配してないわけでもなかった。


「なんか楽しそうです。春蘭さま、ボクたちもあそこに行っちゃダメですか?」

「まだ軍の片付けが残っているだろ。将が兵士たちをほったらかしにして遊ぶ気になってはならん」

「うぅ、ですよね…」


春蘭に叱られた季衣はカクリと肩を落とした。


「落ち込むことはないわ、季衣。あと夜に宴会も兼ねて三姉妹もう一度演舞を披露してくれるように頼みましょう」


私がそう言うと落胆していた季衣は再び目を光らせた。


「のう、余は今から行っても構わないよな。余は将でもなければ君主でもない。特にここですることもないから遊びに行っていいよな」

「お前、自分で言って悲しくならないのか」


陛下のいつものーもう慣れたーわがままぶりに呆れつつ一刀が言うも、


「ならぬ。そんなことより早く連れて行き給え。西涼でもずっと何も出来ずにいて退屈だったのか。たまには自由に遊ばせろ」

「これ以上どんだけ自由になれば気がすむというのだ、お前は。文遠」

「あいよー。はい、陛下はウチと一緒にあっち行きましょうなー」


結局は後ろから現れた霞の手によって無理やり後ろの方に連れて行かされる皇帝陛下の様子を見て、私はなにか言おうとしたけれど、もう言うだけ無駄だと悟って口を閉じた。もう陛下への対処はどっかで野垂れ死しない程度に取り扱った方が良いと思えてきた。


「…疲れているのかしら?」


ふと一刀の顔を見ると、顔に明らかに疲れが溜まってるように見えた。長い行軍で疲れているのは当たり前ではあったけれど、普段はあまりそんな疲れなどを顔に出さない彼だったからそんな明らかにつかれた彼の様子はおかしかった。


「別にいつも通りだ」

「そうかしら。いつもより疲れたように見えるけれど」

「きのせいだろ。さっさと入って文則からの報告でも聞こう」


先に馬を歩かせて行ってしまう彼を見て私は視線は去る彼を横で同じく心配そうに見ている愛理の方に向いた。


「愛理、あなたはなにか知らないのかしら。彼が何故あんな疲れてるのか」

「へ?い、いえ、私は何も知りません」


とても何かを知っているような人が言いそうな慌ただしい否定だったけれど、まだまだ彼女には厳しく問うことが出来なかったから、私はそれ以上追及しなかった。


<pf>


そしてその夜、長安に設けられた演舞場ー定期的にここで演舞を開いたらしくかなり場が整っていたーで宴会が開かれた。季衣に約束した通り、兵士たちの慰問公演として張三姉妹に再び演舞をお願いして、快く承諾された。正確には彼女らにはなく、彼女たちの…ぷろじゅーさ?になったチョイにだったけれど。


「昼間には後ろから見て良く見えなかったが、今回は一番前だからしっかり見えるな」


陛下は-その後、結局霞の監視を抜け出して見に行ったらしい-演舞場の一番いい席、いわゆる特等席に座って今か今かと演舞が始まるのを待っていた。


チョイは私たちに一番前のいい席を用意してくれた。あまり気が進まないという娘たちも居たけど、私はかつてその歌と踊りだけで何十万の黄巾党を集めた彼女らの演舞というのがどれだけのものが興味があったので、彼の好意を受けることにした。嫌な人は不参加でも構わないと言ったものの、案の定皆参席。演舞を見に来ていなかったのは一人だけだった


「愛理、一刀はどうしたの?」

「その…身体の調子が良くないと仰っていて……」


どうやら昼のあれは気のせいではなかったようね。演舞が終わったら行ってみないとね。


「しかし、これだけの数の人々に演舞を見せるといっても一体何をどうするのでしょうか。人の声が届く距離には限界があります。戦場でも指揮をする時には太鼓や喇叭を使いますし、声をいくら大きくするとしてもせいせい何十人に音が聞こえるぐらいでしょう」

「妖術の力を使っているとは言ってましたけど、本当にこれだけの人々に音が届くのでしょうか。期待なのです」


演舞場には何千、何万ものの兵士たちが公演を見に集まっていた。一刀の言うとおりだと、『太平要術書』なしで使う術ではせいぜい周りの何百人にまで声を届かせることが精一杯なら、どうやってこれだけの数の人を相手の演舞をするのかしら。


その時、演舞場に突然灯りが灯された。


「「曹操軍の兵士の皆様、長い遠征、どうもお疲れ様でした」」


大きくて明確な声が演舞場の全体に広まっていた。


「この声は、チョイ?」

「「今夜は皆様のためにちょっとした遊戯を用意しました。楽しめましたらどうか大きな歓声と拍手で呼応ください」」


良く見ると舞台の片方にちょこっと立ったチョイが何かを手に握って、それを口に近づけながら話をしていた。どうやらあれが例の妖術を使って声を増幅させるからくりらしいわね。しかし席の中央のやや前に座っていた私たちがいる所はもちろん一番後ろにまでも届きそうなその声は、聞いたのを威力が全然違うのだけれど。


「「皆様、大きな声援でお迎えください。数え役満姉妹です」」


チョイの話が終わると同時に音楽が流れ始め、木で建てられた舞台の下から綺麗な服をまとった張三姉妹が現れた。


「「夜空咲く星一つ」」

「「銀河へと思いを馳せる」」

「「今ここに始まる物語」」

「「「眩しい夢舞台舞い踊れ!」」」


三人の声が演舞場に響き渡った。間違いなく舞台から一番遠くに離れていた兵士までもちゃんと聞こえるような大きな声だった。


「みんな~、集まってくれてありがとう」

「今日は戦なんて忘れて、ちいたちと一緒にいっぱい楽しもう!」

「それじゃあ、皆」

「「「いっくよ~」」」


そして演舞が始まった。最初は初めての経験に戸惑っていた兵士たちも歌が続くにつれどんどん大きな音楽と声、そして彼女たちの踊りに魅了されて呼応し始めた。


後でチョイから聞いた話だけど、兵士たちが座ってる所々に長安で既に彼女たちの演舞を楽しんでいた人たちーふぁんーを潜ませていたらしかった。彼らの熱い声援からどんどん熱さが電波していき、兵士たちを雰囲気に馴染ませ気安く呼応できるように出来るのだと言った。演舞だからこう言えるけど、裏を掻けば見事な煽動だった。


「確かにこれは陳留だけを治めていた頃の私には活用しきれない力だったわね」

「ほわああああーーー!!!」

「……」


隣ですっかり他の観客の波に飲み込まれてしまった陛下が一生懸命声援を送っていた。あれだけ生声を出してくれれば明日ぐらいは静かにしてくれるのかしらね。


一方、将の中では空気に飲み込まれたのは最初に見たがっていた季衣と、その季衣の勢いにに圧倒されてしまって一緒に声を出してる春蘭ぐらいだった。秋蘭は久々に見る姉の乱れる姿を微笑ましく見つめていた。別の意味で気を抜いているとも言えた。そういうための場だから咎めはしないけれども。


戦争も終ったからと完全に羽目を外して来た霞は横に真桜を座らせて酒絡みをさせた挙句、両方ともほろ酔いになって呼応ではなくただの騒ぎをし始めた所で演舞場から退場された。きっとどこかでまだ呑んでるでしょうね。普段なら当然罰を与えなければいけないけれど今日ぐらいは見逃してあげましょう。


長安で頑張ってくれた沙和はどうしたかと言うと、久しぶりに真桜にも出会えるわけだし霞と真桜と一緒に絡むのかと思いきや、明日の朝議の報告の準備があると早々と場を離れた。そういう人柄じゃなかったはずだけど、長い重役任せのせいで人が変わったのかしら。


稟と風は演舞の雰囲気に負けずとこの音を遠くまで届かせる術を如何に戦場で利用できるかについて議論していた。というのも、横に話をかけている稟の話に風は適当に答えつつ実は舞台の上を見上げている様子だったけれど。真面目すぎるのも考えものね。


こうして場にあまりにも簡単に馴染む娘、場の空気など考えず勝手に楽しんでる娘、楽しむという概念を喪失している娘と、宴会を楽しむ方向性は人それぞれだった。


が、一人にその中のどれでもなく、ただ場に馴染めずにそわそわしてる娘が一人居た。


「……」


愛理、そんな如何にもこんなことより一刀のことが心配だと思っている顔をしていながらも場の空気のせいで席を外せなくて困ってるのがもうかわいいとしか言い様がないわね。


「愛理?」

「あうっ!」


私が愛理を呼びながら肩に手を置くと彼女はびっくりして変な声を上げた。でも前のように怖がられているわけではないと判れば、逆に可愛くてもっとそんな表情が見たくなる。


「行ってみたらどうなの?」

「え、あの、でも…」

「ここは皆を楽しませるために用意した場よ。そんな不便そうな顔で座っているぐらいなら、居たい所に行けばいいわ」

「華琳さまは気にならないのですか」

「私はこの場の主催者だもの。席を外すわけには行かないわ。行って私も心配しているって伝えて頂戴」

「…分かりました。ありがとうございます」


そう言って愛理はぺこりを頭を下げて一刀の居る所を向かった。


「汝も行きたければ行けばよかろうに…」


消えてく愛理をみつめていたら、演舞に夢中だと思った陛下がふと私を横見ながら仰った。


「皆の居る前で、そんな露骨に彼を贔屓するわけには行きません」

「何を今更…既に汝の北郷一刀への贔屓は度がすぎるほどではないか。汝の北郷一刀への待遇は他の部下とは違うではないか。」

「それは贔屓ではありません。私の理想を理解してくれる人に対して当然の待遇です。」

「そう、そこについても余は問題があると思うのじゃ」

「……どういう意味ですか」


それを聞いた陛下は私に顔を向けられた。


「少し場を変えようではないか」

「陛下、私は」

「何、どんな盛り上がった場ではどうせ一人や二人居なくなっても誰も気づかぬ。大事な話なのだ。汝にとっても、北郷一刀にとっても」


そう仰った陛下が席を立って群衆の中を割っていくのを見ると、さすがにお一人にするわけには行かないので私はその後を追った。


<pf>


長安の城壁の上まで演舞場の張三姉妹と兵士たちの騒ぐ音が聞こえてきていた。


「お勤めご苦労である」

「へ、陛下!」


城壁の上で番を見ていた兵士たちが陛下を見てその場にひれ伏せた。


「良い。それよりも、ここまでしっかりと演舞の音が聞こえてくるな。汝らも行って楽しめばどうだ?」

「い、いえ、いくら祝宴と言っても任務を怠るわけには…」

「うむ、いい心構えだ。だが、あんなにうるさく遊んでるのを見ながら真面目に番が務まるとも思えん。余が許可するから行くが良い。丞相もそう思うであろう?」


陛下が後ろに立っている私を見ながら仰った。


「…陛下の言う通り、今晩だけは許しましょう。城壁の他の者たちにも伝えて行きなさい」

「は、はい!ありがとうございます!」


兵士たちはそう言って背を見せず、顔を上げずに場を去っていった。


「……周りの者まで下げて、一体何の話をするおつもりですか」


兵士たちが見えなくなるのを確認してから、私は陛下に尋ねた。


「丞相、北郷一刀は汝にとって何だ?」

「……」

「汝の口からはっきり聞いて置く必要があると前々から思っていたのだ。今までは余が口を挟む所ではないと思ったから見過ごしていたが、この前の醜態と良い、どうも汝らを放ってみているわけには行かないようだ」


この前の醜態というのは、この前長安で彼と喧嘩した挙句手錠までかけたことについてなのだろう。あの時確かに私は馬鹿なことをした。でも、あの件についてはもう話が済んだはずだった。何故今更この話をまた持ち込むのか。


「周りは下げた。聞く耳は余しかおらぬ。言ってみろ。余が手伝ってあげられるかもしれないではないか」

「…恐れ入りますが、この前の件は既に解決済みですし、彼との信頼関係は今も健在です。陛下のお言葉は感謝しますが、これはあくまでも私と彼との間の問題です」

「ここまで言うてもまだ今までのように過ごすと申すか。やはりどっちも頑固なのは同じよ」


陛下は腕を組んで私をじっと見つめました。


「よろしい。汝が余にも本音を出せないのなら本人の前に出すことはより難しいだろう。でもそれは向こうも同じようなもの。これではっきりとわかった。汝らをこのまま放っていてはいつまで経っても進展はおらぬ。ここは余が上に立つも人としてしっかり背を押してやらねばな」


お願いしますからいつまでも黙っていてもらえますでしょうか。


「丞相、その指輪は相当気に入ってるみたいだな」

「はい?」

「知っておるか、丞相。最近の丞相を見ていると、不安な時にいつもその指に嵌めた指輪をなぞっているのだ。さっき演舞場に居た時もだ」

「へ?」


そう言われて私の手を見た。私の右手の親指と指し指が左手の薬指に嵌められた指輪をいじっていた。陛下に言われるまでこの癖ができたことを気づかないなんて…というより君主としてこんな感情が表に出る習慣を身につけてはならない。


しばらく指輪は外して置いた方がいいかしら。


……いや、いくらなんでもこれを外すことは…。


「それは北郷一刀からもらったものだったな」

「…はい」

「その指輪をその指に嵌めてくれたのは北郷一刀か」

「…はい、それが何か?」

「羅馬というここから遙か西にある国では、左手の四番目の指に嵌める指輪はとある通例で行われる儀式の一つらしい」

「羅馬?儀式?…話が見えないのですが」

「羅馬という国ではな、曹丞相。左手の四番目の指に嵌める指輪は…」


・・・


・・



<pf>


愛理SIDE


華琳さまからお許しを頂いた私は直ぐ様一刀様のお部屋へ向かいました。


「一刀様?」


何度か部屋の門を叩いても返事がなかったので、少し戸惑いましたが、どうも最近の一刀様の様子が気になっていたので私は部屋を開けて中を覗きました。


窓が塞がれて部屋は光も入らなくてとても暗かったです。私が開けた部屋からだけ少しばかり光が入ってきて一刀様の物影がやっと見えるぐらいでした。灯りもつけていない部屋で一刀様が机の前に座っていて、机の上に両足を掛けたまま椅子を前の方は浮かせて後ろの二つの足だけで前後ろを漕いでいました。


「一刀様?」

「元直か」


答えられる一刀様の声は沈んでいました。


ここ最近、一刀様はずっと憂鬱な顔をなさってました。


憂鬱…とても一刀様に似合うものとは思えません。憂鬱というほは人が自分のことを無力だと思う時に訪れる負の感情です。私が知っている人の中で、一刀様は『無力』という単語に最も遠い方でした。そんな一刀様が憂鬱になっていられる、つまり自分に対して無力だと感じていられる。想像だにしなかった、そんな一刀様の姿が目の前にいました。


そしてその原因も、一刀様らしくもなくとてもわかり易いものだったのでした。


「華琳の近くにいるように言ったはずだが。まだ馬家の残りの行跡が判らない状況だ。いつ暗殺などを仕掛けてくると判らない」

「そんなに心配になられるのでしたら、自分でお側に居てあげたらいいじゃないですか」


私がそう言うと一刀様は横目でこちらを睨みました。


一刀様がこんな様子になられたのは五丈原での事件があった以来でした。五丈原に一刀様と華琳さまだけで向かわれた後、そこで何があったのかその詳細を私は知りません。ですがあの時華琳さまを危険にさらしてしまったことが、一刀様がここまで鬱になっていられる原因なのでした。


五丈原での事件は確かに通常であればあり得ない事件でした。大将が敵将が待ち受けている所に自ら入ったこと。そこで天運が重なっていなければ命を失うことになったことから、一刀様が責任を感じることも無理のないことでした。ですが、仕事などに支障を出してないとは言っても、いつも側にいる私から見て気になって仕方がないのでした。こんなの、関わるなという方が無理な話でした。


「華琳さまが一刀様のことを心配なさってました。私に様子を見てくるように言ってくださって来たのです」

「お前が親を見失った子鹿みたいな格好をしていたから行かせたんじゃなくてか」

「はい、それで来てみたら親鹿が天が崩れ落ちるかのような表情で虚空を見上げてました」

「馬鹿なこと良いに来たのなら帰れ」


西涼からここに来るまで一刀様の機嫌を直してみようと思わなかったわけじゃありません。でも私が何を言おうとしても一刀様は相手自体をしてくださいませんでした。


思えばこうして一刀様に何かを強く求めたことがありませんでした。


陳留で桂花さまが一刀様の考えに異見をする一刀様はそこから更に反論したり、ご自分の考えを直したりしました。凪さんでも時には一刀様に意見をする時があって、一刀様はいつもそれを傾聴しました。いつも昼ご飯を食べに行く典韋さんには逆に一刀様がほぼ意見ができないぐらい胃袋を捕まっていました。

それなのに、どうして私だけはいつも無視されるのですか。


「私だって……私だって…」

「…おい」

「私だって心配してるのにぃ…」


なんで…私だけ無視するんですか……。


「…お前はなんでここまで来て泣いてるんだ」

「だって…だって一刀様が分からず屋だから…ふええ…」


私が泣き始めると、一刀様はため息をついて涙を拭いている私の手を取りました。


「行くぞ」

「どこへ…」


私が聞くも一刀様は答えず、私は腕を引っ張られるまま連れて行かれました。


・・・


・・



一刀様がまず行った所は皆さんが演舞場に向かって空になっている宴会場でした。そこにまだ残ってる酒や肴など大雑把にかき集めた一刀様は今度は長安の城壁の上に登りました。


「…何故見張りがいないんだ。あとで文則に一言言って置かなければならないな。まあ、いなくて好都合ではあるが」


そう仰りながら一刀様は城壁の外側の壁の上に腰掛けて杯に酒を注ぎました。


「一刀様…あの私、酒はあまり…」

「葡萄汁もって来てからこれでも飲んでろ」


一刀様は強い酒をぐいっと呑みながら言いました。私も座って一刀様が持ってきた葡萄汁を飲みました。


「元直」


何杯が肴もなしで連続呑み続けた一刀様はやっと私を呼びました。


「はい」

「あまり、必要以上に俺の問題に深く関わろうとするな。それがお前のためにもなる」

「…迷惑ですか」

「この件に置いては…そうだ」


一刀様は私を見下ろしながら仰りました。


「一番俺の近くで見ているお前が気になることは判るが、この件に関しては俺の問題だ。俺がなんとかしなければならない」

「それでも、人に相談することぐらい出来るはずです。助けになれなくても少なくても話ぐらいはしてくれてもいいじゃないですか。いつまでも一人で黙りこんで考えていたって変わることはありません」


一人で考えて解決することがあって、できないことがあると思います。一ヶ月も抱え込んでいる問題は明らかに後者です。


「そんなに私が頼りないんですか」

「言ったはずだ。お前だから無視しているわけではない。もしそうだったら五丈原でお前に兵権を任せたこともなかったはずだ」

「そういう意味で言っているわけではありません」


軍師としての実力を認められることはもちろん、一刀様に頼りにされる、そう、凪さんや典韋さんのように心から頼りにできる人に私はなりたいのです。


「何度言っても答えは同じだ。俺の問題だ。この件には関わるな」


…一刀様はいつも自分勝手です。

解ってましたけど…。


……


「おい」


その一瞬自棄になった私はぶどう汁を置いて一刀様の杯を奪い取って一気に飲み干しました。


「ぐっ…!やっぱりまじいです…」

「何人の酒呑んでるんだ」

「うるさいです。酒も自分の問題だから関わるなとかいうつもりですか」

「……お前まさか…いや、酔うのが早すぎるだろ」

「そもそもなんでふか。一人でかっこつけようとじて。凄くみっともらいんですかぁにぇ?わかってましゅかあ?ひとりでもんもんしてるろに『おれのもんだいだ。かかわるな』じゃねえれふよぉ。まじきもちわるいです」

「…この葡萄汁、もう発酵してるじゃねえか」

「こぉらあ、人が話をしてるとひゃんとききあがれです!」


人のこと無視する悪い一刀様は愛理がこの魔法の杖(細剣)で……あれ?うまく抜けない。


「おい、剣を抜けようとするな。座れ」

「うるちゃいです。かずとしゃまこそ分裂してるじゃないれふか、ずるいです。かずとしゃまがごにんとかもう天下統一とおりこじて天下崩落してまふ…うわ」

「はぁ…」


倒れてお尻ぶっちゃいました……うっ。


「ふえぇぇ…いたいですうぅ。かずとしゃまひどいいいい」

「俺のせいじゃないだろ」

「かずとしゃまのせいらもん!ぜんぶ、じぇんぶかずとしゃまがわるいもん。ふええええん…」


おしりも痛いし、胸も痛いし…全部一刀様のせいです…!


「はぁ……」


倒れて泣いてた私の両脇に、一刀様の手が入ってきてぎゅっともち上げられました。そして一刀様は私を持ち上げたまま城壁の壁際に戻って座り、私を膝の上に座らせました。


「…らんれふか?いまさらきげん取ろうとしたってむられるからね?」

「知るか。お前もう二度と酒飲むな」

「ふん、かずとしゃまの言うことなんかきかないですもんれ?あいりのしたいようにしますもんれ?」

「黙って聞け」

「いたいっ!」


デコピンされました!母様にもデコピンされたことないのに…!


「うぅぅぅ…っ!」

「もう寝ろ。お前にこんなこと求めてるわけじゃない」


そう言って一刀様は私の帽子を外しました。


ああ、それダメ。頭撫でちゃダメです。


それ……ずるい…。


「ふわぁ…」

「……」

「こえで…終わっらと…思うんじゃないでふ…」


……。


<pf>


一刀SIDE


頭を撫で始めて五分経たずで元直はそのまま眠ってしまった。


今じゃなければもっといじっていたかもしれないが、生憎そこまで上機嫌でもない。


「くぅん…」


膝の上で丸くなる元直を見ながら俺は残った酒を呑み続けた。


空を見ると月も見当たらない。朔月だ。


あいつの側で守ると誓った時から半年と少しの時が過ぎていた。今まで俺はその約束を遂行しようと全力を尽くしたつもりだ。


だけど今回の一戦で俺の誓いは大きく揺らいだ。彼女を死地へと送った挙句、危うく死なせるところだったことに苛立ちと、それ以上の虚脱感を覚えていた。


誰かはいうだろう。如何にお前にそれが分かったであろうかと。司馬懿が最初から味方(それが果たして正しい表現であるかは別として)であったことも、馬騰の狂気があれほど長いものだったことも、そもそもこの惨事の原因を作ったのが華琳自身であることも…。


しかしだ。そんな言い訳は現状に『責任』をとる『義務』を持っている人たちに通用する言い訳だった。


『義務』というのには限度がある。自分が成すべきことを成した上での非常事態においての『責任』というのは、その責任者に取りかねるし、取らせるという方が問題だ。


だけどこれは義務ではなく、『誓い』だった。彼女との誓い、俺自身との誓い。なんとしても彼女を守るという誓いに対して俺が持つ責任は無限で、その責任を背負うために俺がすべきことの限度もまた無限だった。誓いを守るために、俺は何でもしなければならなかった。


今回運良く俺も華琳も生き延びた。しかしその運というのもこれからはないだろう。その時になって俺は彼女を守れなかった俺の罪に如何にして言い訳を取るだろうか。その時も俺は自分にできることは全てやったと、それでもできなかったことは仕方ないのだと言い張るだろうか。


いや、まだあるだろ。


俺に出来たことがあったはずだろ。


俺には知ることが出来た。司馬懿の本心を、華琳の過去を、華琳を完璧に導くための答えを探すための手段が俺にはあったはずだった。


「こういうことののためのものじゃなかったのか」


タイムマシーン。


既に別次元へジャップするあの機械をタイムマシーンと命名するのがおかしな話ではあるが、要はやろうとさえすればあれを使ってこの世界の未来へも跳べるという話だった。


神になりたいわけではない。全知になどなってしまった暁にはつまらなさで死んでしまうかもしれない。そしてその死さえも退屈だろう。


だけど神にでもならなければ、『天の御遣い』でなく自ら『天』になるつもりでもなければ、これから彼女を守れるという確信がもう出来なかった。


だがそれで何になる?タイムマシーンなど使って華琳を守れればそれでいいのか。彼女の覇道においてアレを使ってはいけないというのは言わずとも分かる不文律だった。実は本物の太平要術書は俺が持っていたと宣言するレベルの彼女への裏切りだった。




「これだから人のことを気にするのは嫌だ」


いつものようにやりたいようにやれば誰の気持ちも気にせずやっていけるものを…いつからこんなに弱くなったのか。




月が見えない夜空なせいで時間の流れも判らず、一ヶ月もこの出口のない難問の答えを見つけようと苦悩した俺は、結局その夜も答えなんて見つけられるはずもなく、人を敷地にしている元直を布団代わりにしてそのまま瞼を閉じた。


・・・


・・



<pf>


「夜中どこを探しても居ないと思ったらまさかここに居たなんて」


咄嗟に聞こえたその声に俺はパッと目を開けた。目の前に見慣れた人の下半身が見えていて、少し視線を上にやると腕を組んで俺を見下ろしている華琳の姿が居た。


「宴会にも来ないというから心配していたのに、こんな所で一人で酒を盛っていたの?」


一人という言葉を聞いて膝の上を見ると、愛理はまだそこで寝ていた。こいつが起きたら後でゆっくり話が必要だな。


「…別に人の多い所は好かなかっただけだ」

「いつもそれだと困るわ。いつも宴会やら会議やらある度に私を一人にする気?」

「別に一人というわけじゃないだろうが」

「あなたが近くに居ないことに問題があるのよ。察しなさいよ、馬鹿」


おかしい。


何かいつもとは違った。


これが違うとはっきりと言えなかったが、とにかく彼女の様子はいつもとは違った。それとも俺があまりにも篭っていすぎてその間に彼女の身にまた何かあったのか。


「何を企んでいる?」

「た、企んでるって何よ…」


いつもフォーカーフェースを維持してる華琳がこうも易く表情を崩すはずがなかった。ぶっちゃけ一ヶ月も録に話し合ってもいないのにこいつの思うツボなんて判るはずもない。向こうもそんなこと判っているはずだが、何故こんな簡単なジャップに崩れてるんだ。


「か…一刀」

「何だ」


そのモジモジしてるのをやめてもらえるか。気味悪いんだが。


「あなた……婚姻についてどう思ってるかしら」

「……は?」


これもまたどこからもなく飛ばしてくるな。そういうのは俺の仕事だぞ。


「何でいきなりそんな話を聞く?」

「いいから答えなさい!どう思ってるの?」

「…そうだな。この時代だとそこそこ…というか最高の政略なんじゃないのか」


乱世にて完璧な信頼や同盟など存在しない。そういう意味で、二つの集団において出来た契約を一番強く縛らせるものは結婚より良いものがないだろう。


「まあ、それは一般論で、大体のめぼしい英雄が女性であるこの世界で政略婚姻など最初から成せないが」

「…それだけ?」

「他に何がある?」

「いや、もっとこう…あるでしょう?互いの想いを互いに表すとか…世にしらしめるというかそういう…」

「お前はどこの生娘だ。本物はどこにやった」

「うるさいわね!私がそういう夢見ちゃ悪いの?!」


悪いも何も…何だ、この馬鹿げた話は?


「お前に限ってそれはないだろ」

「なんですって?」

「今まで黙っていたがこの際だから言わせてもらうと、この天下にお前ほど色好む奴も居ないんじゃないか。英雄の嗜みと言ったらいい話みたいに聞こえるかも知れないが、夜な夜な女の嬌声が絶たないお前の部屋だ。そんなお前が田舎の生娘みたいなこと言うとは…自分で言って恥ずかしくないのか」

「……いわよ」

「は?」

「ものすごく恥ずかしいわ…よ!!」


気づくと両拳を握りしめてぶるぶると震えていた華琳はその言葉と共にその辺に転がっていたあった酒瓶を取り上げ俺の頭にぶつけた。愛理が居るせいで避けることも出来ずに殴られた俺は瓶が割れる音を最後に気を失った。


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