幕間3 華琳√
拠点:華琳 「理想の裏側」
「此度のお招き、感謝いたすのね」
天水に来て一ヶ月、私たちは西涼にざわめく各部族たちを安静させ、西涼の現状を調査しながら時は過ぎていった。各部族たちの反応は、やはり西涼の英雄である馬騰への忠誠心は強く、特に老年の人たちの発言力の強い部族ではまだ馬騰の死を信じない者たちも居た。しかし近年にあった西涼での内乱や、西涼の戦士らしくない馬騰の行いを批判する若者たちも多かった。
結果的に言うと、西涼は今内側から混乱していた。仲間同士でも意見が合わず膠着していたのだ。協力的なわけでもなくだからと言って反旗を起こすべく力を集めることもできなかった。。求心であった馬の一家が居なくなったせいであるとしても、馬騰が居なくなって直ぐこんな醜態を見せるのは、さすがにこの西涼の部族連盟というものが如何に脆くなっていたかを見せる所だった。
そんな中、秋蘭を通って漢中からの連絡がきた。五斗米道の教祖である張魯が直接私に会いたいと申し立ててきたのであった。秋蘭が世話になり、そして私も彼らに借りがあった。彼女を合わない理由はなかった。
「歓迎するわ。張教祖。五丈原ではあなたの教団から恩を受けたわ。礼を言いましょう」
「堅苦しい話は好きじゃないのね。西涼は近年内乱で苦しんでいたと知っていたのね。そのまま放っておくより、曹操殿に任せた方が西涼の民のためと思って手伝ってやっただけのことなのね」
秋蘭の話によると、張魯は秋蘭から私について聞いてかなり期待しているらしかった。
「妙才殿から頼まれた食糧を持ってきたのね。米で十万石に雑穀五万石。西涼の民を半年は問題なく食わせられる量なのね」
「無理な頼みに応じてくれたこと感謝するわ。借りたものはいつか利息をつけて返しましょう」
一刀が秋蘭宛に要求した米十万石、陳留へも手を伸ばしたが桂花もこれだけの量を工面するとなると一ヶ月だけじゃどうにもならなかったはずだった。それがこれだけの量をぽんと出してくる所、さすが五斗米道という所だった。兵糧の生産力に置いて、今漢中に勝る都市はどこにも居ないでしょう。
「いや、これはただ救恤のためのものなのね。曹操軍と打ち合わせしたいものは他にあるのね」
「…何かしら」
「曹操殿、うちは漢中を出る前にこう思ったのね。今こそうちの夢を叶う時であると。今この天下にうちの夢を叶えてくれる人が居るとすれば、それは曹操殿一人しか居ないと思ったのね」
「あなたの夢…それは一体何かしら」
「誰も飢えない世を作りたいのね」
飢える者の居ない世。
それは人が生きる世に置いてとても基本的なことであると思われる一方、とてもむずかしい目標でもあった。一時都だった洛陽は疲弊して餓死するものが後を絶たなかった。今の陳留さえもその日食すものに悩む者は居るはず。それを消すと言っているのだった。
「曹操殿、あなたが目指す覇道というものがどういうものなのか、うちは知らないのね。でも、私の理想を叶うためには曹操殿の手を借りるしかないと思ったのね」
「…あなたは私が何を目指すかも知らずにあなたの理想を私に託すと言っているの?」
「知らないのね。だけど曹操殿がいつか天下を手に入れる英雄の器であるなら、うちは曹操殿が作った天下の上で、うちの理想を叶うために頑張ることが出来るのね」
私は張魯の宣言に少し考えてこう言った。
「張教祖、私は覇道のために人を戦場に立たせて居るわ。覇道というのは、己の望みを叶うために人の命を犠牲にする道。民を扱う概念があなたの望む理想とは正反対よ」
「……!」
覇道とは結局力によって己の考えを広げること。そんな覇道で民とは結局は兵、労働力、消耗品だった。覇道の前では人も馬や米、鉄や水のように一つの資源でしかなかった。
天下に残る最後の一人までも飢えないようにするという、人の命を大事に思う張魯の理想とは相容れないものだった。
「あなたが私を支援するというのなら、私はその支援を背負ってもっと多くの人々を戦場に送り、更に多くの人々を殺すでしょう。飢えて死ぬ人の数よりも戦場で死ぬ人の数が多くなるわ。それでもあなたは、私を助けるというのかしら」
「……どうやらうちは曹操殿の覇道というものを誤解していたみたいなのね」
張魯は静かにそう言った。
何故私は敢えて支援するという相手に対して考える変えるように言ったのだろうか。
私はもう秋蘭みたいなことが二度と起きることを見たくなかった。覇道というものが人に理解できるとも思っていないけど、だからといって誤解されたくもなかった。このまま私が張魯に支援を受ければ、張魯は思ったのと違った私の覇道に反対するかもしれない。それで起きる騒ぎ自体もたまらなかったし、何よりも私の理想が人に誤解され、見定められるのが嫌だった。だから例えこれが私の覇道に大きな損失だとしても、張魯に覇道を誤解されたくはなかった。
「だけど曹操殿もどうやらうちの理想について誤解しているみたいなのね」
「…どういうことかしら」
思って居なかった反論に私は驚いて聞いた。
「曹操殿はあの十万石という米がどうやって出来るのか解っているのね?あれは数万の教団の皆が一年をかけてその血と汗を地に染み込ませて作ったものなのね。結実を得るために犠牲はつくのは当然のことなのね。そんなもの漢中では子供でも知っていることなのね」
「戦争では実際に人が死んでいくわ。農事とはわけが違うわよ」
「そう思うのかね?どうやら曹操殿は農事の大事さがわからないみたいなのね」
「なっ!」
見下されたのかと思って私は思わず席を立った。目を鋭くして張魯に向けて怒気をぶつけたけど張魯はケロリとしていた。
「農事というのは実際大変なのね。戦争なんて人と人との戦いでしかないさね。でも農事は人が、天と地を相手に戦っているようなものなのね」
「天と地を相手に戦うですって?」
「そうさね」
張魯の言葉が私は少し理解できなかった。普通農事というと、天地神明に豊作を「祈る」ものであり、戦うという表現は使わないはずだった。それがどうして天と地と人が戦っているのだというのか。
「天は気まぐれさね。いつは畑にヒビができるまで雨を降らせないかと思ったら、嵐を連れてきたりもする。どっちも一年の農事をダメにしてしまいかねない大変なことなのね。だから農民たちはいつも雨が適時に振りますようにと天に祈ってばかりいたのね。でもうちはそんなことは馬鹿馬鹿しいと思ったのね。畑を耕すのが人なら、守るのもまた人の仕事なのね。天がうちらの作物を荒らすのなら、天さえもうちらの敵なのね」
「天を敵にするとしても一体人に何が出来るというの?旱も洪水も嵐も、人にはどうにも出来ないことよ」
「本当かね?そういう曹操殿はいつも天が味方していて、今まで戦争に勝ってきたのかね」
「それは…」
そんなことはなかった。天はいつも私の味方をしてくれるわけではなかった。でも、例え天が私に背を向けるとしてもくじけずここまで来た。いつもなんとか、そう、なんとかして窮地を乗り越えてここまで来た。
「旱が来るなら事前に水を用意すればいいさね。漢中には今まで都でも作ったことのない灌漑水路があるのね。これらは逆に洪水が来た時に水を畑まで行かないようにさせる道にもなるのね。嵐は来ても漢中では教団の人たちが一心になって畑を守るのね」
「……」
「そんな風にして今の五斗米道があるのね。うちもここまで来るまでどれだけの人たちを殺したか、覚えてないのね。その血のついたお米だからこそ、誰にでも渡すわけではないのね。その犠牲の価値が解るような英雄に託したいのね」
私は張魯のことを誤解していたのかもしれない。彼女の言うとおり、彼女が通ってきた道は、決して簡単な道のりではなかった。
まるで桃香のようだった。あの娘の理想もまた甘かったけど、それを叶うための道は決してあの娘が思ってるほど優しい道のりではなかった。それでもあの娘もまたその道を歩いていた。甘いまま、でも決して払った犠牲を無駄にすることがないようにしていた。
「あなたの理想を、甘く見ていたようね。謝りましょう」
結局どんな夢を見ても、それを叶うための道は険しく苦しいものであると、私はもう一度悟った。それがどんな理想でも、それを夢見た人の苦労は他の人たちのそれと比べられるものではなかった。
そして私の理想はそんな理想たちを潰して立つものであることも、また忘れてはいけないものだった。
ただし、今目の前に居る張魯とは分かり合える気がしてた。
「いいわ、張教祖。あなたと協力しましょう。互いの理想のためにね」
「よろしくなのね」
「ええ、よろしく」
「あ、うちのことは、命でいいのね」
「いいのかしら。教祖ともなるお方が、そんなに軽々しく真名を許してしまって」
「分かり合えた人信頼を示してるだけなのね。それに教祖とかそんな堅苦しい肩書きは教団内で聞いて十分なのね」
「ふふっ、そう、それなら私も華琳と呼んでくれて構わないわ」
思うと部下ではなく、助力者として人に真名を許したのは覇王になろうと誓った以来初めてだった。
「それじゃあ、早速本題なわけなのね。今漢中から長安に部隊が出発してるはずなのね」
「部隊?どういうことかしら」
「補給部隊なのね。聞くと長安もかなり厳しい状況らしいし、それに洛陽も荒れ果てたと聞くのね。役に経てばと思って、ざっと百万ぐらい用意したのね」
「……はい?」
百万って、米百万石ってこと?
「ちょ、ちょっと待ちなさい。あなた達一体どれだけの米を持っているの?そんな量がポンと出るわけ…」
「さすがにうちらもそんな余裕があるわけではないのね。これで五斗米道の蔵はすっからかんなのね。まあ、もう直収穫するから大丈夫なのね」
「そこまでする必要は…それよりいくら教祖と言ってもそんなことを勝手にして構わないの?」
「教団にはうちら五斗米道の教えを天下に広く広げる時が来たと宣言して賛同してもらったのね。まったく不満がないとはいえないかもしれないけど、とにかく今の所問題はないのね」
なにかしらね。頼りになる助力者を得たはずなのに、すごい負担が増えた気がするわ。
「うちの覚悟だと思って受け取って欲しいのね」
「……わかったわ。あなたの支援、確かに有意義に使わせてもらいましょう」
「あ、それと西涼と長安にに五斗米道の支部を建てたいんだけと構わないかね」
「そうね。もう一つだけ助力してくれたらよしとしましょう」
「何さね?」
「馬超を探しているわ」
「……」
一ヶ月の間、消えた馬超を探したものの探せなかった。西涼にまだ居るなら何かしら動きがあっただろうと思うし、東がこちらの領土であるからには残りは南に行ったかそれともこちらの捜索を抜けて劉備の所に行ったのどっちかだろう。
「……西涼から漢中に来る人は教団から把握しているつもりなのね。身元を偽って紛れ込んでいないか調べさせるのね」
「お願いしましょう」
「見つけたらどうするのね?やっぱり斬首なのね?西涼の反旗を鎮めるには一番手っ取り早いはずさね」
「いえ、馬超を見つけたら、彼女に西涼を返すつもりでいるわ」
「……は?」
呆気とられた表情をする命だった。それも驚くわね。これを言った時一刀を除いた皆が反対してたのだから。私の真意を分かってくれたのは一刀ぐらいだった。だからと言って賛同してくれたわけでもないけれど。
「これだけ苦労した西涼をまんまと返すということかね?この勝利のために死んでいった兵士たちの命を無駄にするつもりね?」
「返す、という表現は少し間違っていたわね。私は西涼の意見を束ねられる人材として馬超を探しているのよ」
正直に言って馬超に西涼を治められる能力はなかった。それが馬騰がご乱心だった間馬超が母の奇行に対して何もしなかったことからも十分に判る。馬超は昔の馬騰のように西涼を治めることはできなかった。しかし、馬一家の者が残っていれば西涼を安定させることが出来るのも確か。そこで私は馬超に西涼の返すと言いつつ、間接的に政を手伝った方が西涼の有効に使う道だと判断したのだった。
」
「なるほど。謂わば馬超を傀儡に使おうってわけさね?」
「……否定は出来ないわね」
確かにこれは馬超を傀儡として使うということと変わらなかった。けど、これが西涼を安定させるに一番有効であることは変わり無かった。少なくとも既に敗北して西涼から逃げた馬超に、全権を返すということはありえない話だったし、馬一家を中心にした西涼の連盟体を維持するというだけでもこちらとしては破格的な提案だった。
もっとも、本人が現れなければ協商も出来やしないわけだけど。
「でも馬超が帰ってきたとなると、やっぱりまた曹操殿に反旗を起こそうとするんじゃないかね」
「そうかもね。その時はもっと徹底的に潰させてもらうわ。歯向かう者には力で思い知らせる。それが私のやり方よ」
「……まあ、出来るだけはやってみるさね」
「お願いするわ」
五日後、命は漢中に戻った。
戦いの末、私たちは西涼を得た。戦争での得失と関係なく、私は今回の戦争に多くのものを失い、またそれ以上のものを得た。死んでまで私を恨んだ英雄と、死んでも私を愛してくれた忠臣。この戦争は私にとって過去の清算であった。特に一刀には、私の恥部を見せるような恥ずかしい事だった。でも彼は結局そんな私も受け入れてくれた。私と一緒に前を見て歩いてくれると約束した彼。今回の『振り返り』は彼なしでは出来なかった。
ありがとう、一刀。
これからも、私の側にいて頂戴。
<pf>
それから更に十日ぐらいが経ち、私たちは西涼を安定させて長安へ戻り、そこからまた陳留へと進んだ。
こうして長かった西涼遠征も終わりを迎えたのだった。