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二十七話

愛理SIDE


一刀様と華琳さまが五丈原の故司馬仲達さんの屋敷へ向かった後、私は一人だけで五丈原の様子を偵察し続けながら陣地を守っていました。


「行かせてよかったのか」


訂正致します。陛下も一緒でした。華琳さまが用意なさって行かれた陛下専用の上席に指一本たりとも触れずに私の後ろに立たれて凄く気になりました。


陛下の問いに私は後ろを向いて頭を下げて答えました。


「一刀様が調べられた事が正しければ、この状況は華琳さまだけが穏健な解決への鍵を握っています」

「そもそも余は前後の事情を良く知らぬのだが…」

「簡単に申し上げますと、司馬仲達は以前華琳さまに殺されたんですけど何故か蘇ってて今私たちの敵になっています。それだけでなく私たちから西涼を守れなくなった場合、西涼にある全てを破壊してでも奪われないようとする恐れがあります」

「……」


判りませんよね。私だって良く判りません。


「要は、華琳さまが司馬仲達さんを説得出来た時、私たちが安全に西涼を手に入れることが出来るということです」

「しかし、もし相手の罠であるとすれば…」

「もしというより、九分九厘は罠ですね」

「それを知っていて尚…」

「英雄とは時には危険と知っていても行かなければいけない時だってあるのでしょう。私はただそんな道があると申し上げたまでです。英雄の行き先に暗闇がないようにすることが軍師の努めですから。私は灯火であって、道を行くのは英雄です」


と、偉そうに言いましたけど、正直危険極まりないことも十分判っていますし、もしお二人の身に何かあった場合、五千程度では五丈原に潜んでいる三千を突破して救出に向かうのはかなりの難題です。


それを偵察を繰り返しながらどうするべきかずっと頭の中で考えてるんですけど…やっぱり雛里ちゃんみたいに上手くは行きません。私ってやっぱ内政の方が向いてる気がします。


「元直、あれは何だ?」

「はい?」


陛下が指差す方を向くと、五丈原の丘からいくつかの狼煙が上がっていました。


いや、狼煙というよりあれは…。


「火事?」


<pf>


華琳SIDE


「司馬懿…あなたなの?」


構えていた『絶』を下ろさず、私は頭から足元まで全身を外套で隠しているその人に向かって言った。


「はい、少女、紛れも無くあなたに殺害された司馬仲達でございます」

「っ」


彼女の声はまるで中が空になった枯木を通る風の音みたいでとても高く、そして軽かった。しかしその言葉は確かに私の心に痛く刺さった。


「貴様、馬騰に何をした」


転んで倒れていた一刀が立ち上がってそう言った。なんとか両足で立った彼だったが、あっという間に彼の顔からは真っ白になっていた。


「言え、馬騰に仕えたわけではなかったのか?例え馬騰を華琳に復讐するために利用しただけだとしても、馬騰が死ねば貴様も生き残れない」

「動いちゃダメよ、一刀!」


私が叫んだけど、一刀は良く動かない脚で司馬懿に近づきながら話を続けた。


「死が蘇って周りの事なんか何も見えないかも知れないがな、もう直くたばると言って貴様が何をやっても正当化されるわけじゃない。この戦で貴様が無駄にした人の数。蘇って来てから無駄に流した血の量。その重さを感じることもなくただ目的を果たすためにここまで出来る貴様に最初から華琳の軍師になる資格などなかった」


一歩一歩司馬懿に近づいていた一刀だったけど、小屋まで後数歩の所で力が抜けたのか膝を折ってしまった。


「一刀!」


私が彼のもとへ駆け付けた時、既に十分な歩きで毒を身体に回せてくれた馬鹿の身体は汗まみれになっていた。


「馬鹿!格好つけてる場合じゃないでしょう?!」

「…気に入らなかったんだ」

「へ?」

「最初に長安で会った時からこいつの事が気に入らなかった。あの時は何故か判らなかったが、やっとその理由が判った……」


そこまで言った一刀は、次に何か言おうとしたけど言葉を続けられず気を失ってしまった。



「一刀!しっかりしなさい!一刀!」


まだ息はあったものの、私が幾ら呼んでも目を開ける力ももうないようだった。


私は藁にもすがる思いで司馬懿を見上げた。


「お願い、彼を助けて!私には何をしても構わないから!一刀だけは…!」


敵のはずだった。私を仇のように思っている相手のはずだった。その彼女に私は今までに誰にもしていなかった命を乞う行為をしていた。それが自分の命ではなかったとしても、私は敵に命を乞っていた。私にとって一刀はもうなくてはならない存在。ここで彼を失ってしまえば、私の愚かな過去のせいで彼を死なせてしまうことになるのだった。そうなるぐらいならいっそ私の命で償って彼に生きて欲しかった。


「そんなに、その人のことが大切なのですか?」


司馬懿はさっきと変わらない抑揚で私に尋ねた。


「その人の事が曹操さまご自分の命よりも大事なのですか?天下よりも大切なのですか」


私は何も言わず頭を頷いた。彼にまだ喋れる力があったならこんな私に向けて怒鳴っていたかもしれない。だけど今私の頭の中には彼に死んで欲しくないという気持ちだけだった。


司馬懿は少しの間止まっていた。一刀を抱えて泣きそうにしている私を見下ろしていた司馬懿はその場に座って顔は隠したまま私の耳に呟いた。


「安心してください。死にませんから」

「…へ?」


司馬懿の通告に私は面食らった。


「馬騰さまが使ったのは西涼にある蠍の毒です。効果も即効ではあるもののせいぜい麻痺程度で死ぬまでには至りません」

「いや、でも…だって…この汗や顔色とかは…」

「あれは発汗を誘う薬を調合しただけです。顔色は麻痺毒の効果ですけど、さっきも言いましたけど少し時間が経てば身体が自力で回復出来ます」

「…本当なの?」

「はい、そもそも華琳さまに使われるはずの毒だったのですから」


たかがこんなもので死んでもらっては困る、とでも言いたいのだろうか。


でも、今の話からすると馬騰に毒を渡したのは司馬懿だった。何故猛毒だと彼女を騙して私を麻痺させようとしたのだろうか。


「どうぞ、詳しい話は中でお話いたしましょう。その方は中の寝床に寝かせれば半刻経たずに目覚めるはずです」

「馬騰はどうするの?」

「あぁ……アレはもうどうでも……」


司馬懿は手を振りながら中へ入っていった。一刀の両脇に腕を挟んで小屋の中に引きずり入れながら、ふと小屋の扉の前に項垂れた馬騰のうなじに見ると細い傷があって血が流れていた。彼女にも毒を使ったのだろうか。


「はあ…馬鹿な人」


司馬懿は部屋の中で外の馬騰を見ながらそう呟いた。


「あなたは…あなたが馬騰をこうさせたの?」

「お話は座ってからに致しましょう」


司馬懿は私の問いに答えず中にある卓に座った。そして反対側の席を私に勧めた。


私は一刀を引きずり空いてる椅子の後ろにある寝床に寝かせた。ただの麻痺だともう判っていても、痙直した彼の姿を見ることは決して愉快なことではなかった。


「解毒剤はないの?」


私は後ろを向いて、大人しく座って私を待っている司馬懿に聞いた。


「毒は人を殺すためのもの。何故解毒剤が必要でしょうか」

「……」


司馬懿の返事にそれ以上文句をつける気も失った私は再び一刀の方を見た。正直、本当に司馬懿の言った通りにただの麻痺毒なのかも定かではなかった。もし使ったのが人を殺せるような毒なら、彼の死は全部私の責任だった。


なんとしても、彼と一緒に帰らなければ…。


拳を握りしめながらそう心に決めた私は後ろを向いて司馬懿の相席に座った。小屋は窓があるわけでもなくて、日差しが入れる場所は入り口からだけ。それも私と司馬懿が座っている卓にまでは光りがあまり届かず暗かった。外套と頭巾で全身を隠している司馬懿の姿は未だ見ることは出来なかった。


私が座ると、司馬懿はいつ用意したのか卓にお湯と茶っぱを用意して、湯のみに私にだけお茶を出した。


「どうぞ」

「目の前で人二人に迷いなく毒を盛った人のお茶なんて、飲めるわけないでしょう?」

「……その通りですね」


司馬懿が首を竦めるのが頭巾の動きから見えた。


「しかも、お茶を入れた自分は飲まないと来た」

「陳留で曹操さまと一緒にしたお茶はとても美味でした」


突然の話題に私は顔をしかめた。しかも、彼女が陳留に来た事はたった一度、彼女が死ぬ直前のその時だけだった。


「あの日飲んだお茶の匂いと味、今でも忘れられません。…もう私にはそんなものが感じられませんけど」


そう言いながら、司馬懿は覆っていた頭巾を外した。


「!!」


司馬懿の顔を見た私は手で口を塞いだ。司馬懿の顔は腐敗が進行している死体の姿そのものだった。先ず鼻があるべき所に穴が空いていて、目はもとの彼女の目ではなく瑠璃細工で作った目玉を穴にはめ込んだだけだった。その他にもところどころ皮膚が腐って亡くなった部分があった。残っていた皮膚は真っ白だった。また違う処理をしたのでしょうね。ふと部屋の中にとある香りが充満していることに気付いた。死体の腐敗を止めるという強い没薬の匂いだった。


「醜いでしょう?」


司馬懿の口角が少し上がった。片方の頬の所の皮膚がなくなっていて歯と歯茎が見えていた。


「曹操さまは少女の美貌に惚れて少女を求めていましたね。それが自分の手に入らないからと言って、自分の手でこんなにしてしまって…」

「…あなたの死について、私は言い訳をするつもりはないわ」


否定しようとも思った。


だけど本当にあの日の事件は私のせいじゃなかったのだろうか。そうなる事を知らなかったのだろうか。


いや、例え知らなかったとしても、その責任もまた私にあるものだった。


彼女の死は私のせいだった。そしてその死は間違っていた。


「あなたはあの時あんな風に死んで良い人ではなかった」

「…今更そんなことを仰っても…」

「私の話を聞いて頂戴。私もあなたの死で一生を無駄にしそうになった時もあったわ」


私は馬騰の方を向きながら言った。


私より遥か先に、馬騰は太平要術書の存在を知っていた。それを使った時から、馬騰はもう既に私が知っていた馬騰ではなかったのだと思う。いや、それさえも司馬懿を殺してしまった私のせいだとすれば…


急に胸がぐっと締まってきた。過去の罪が私の心臓を潰さんとばかりに握りしめていた。今まで振り向かなかった過去が、振り向けなかった過去が、今私の目の前に居た。


「あなたを取り戻そうと私も馬騰のように太平要術書を探しまわった時期もあったわ。でも、そんな中あそこに居る、北郷一刀に会ったわ」

「……」

「彼は不思議な男だった。最初は彼の事も太平要術書を探すため、そして引いては私の覇道のための、少し使い勝手の悪い駒としか思わなかったわ。だけどどんどん私の中で彼が示す部分が多くなって…」


私は…


「あなたの事を、忘れてしまったわ」

「……」


忘れられない罪だった。忘れてはいけないものだった。なのに彼女への罪悪感も、それ以前に彼女が欲しいと思っていたその欲求が、彼に会ってからどんどん消えていった。彼女のように美しかったわけでもなかったし、それ以前男だった。あの頃の私にとって前代未聞の抜擢だった。


だけど私は一刀を選んで、司馬懿の事を諦めた。


「彼から馬騰があなたを蘇らせたと知った時は驚いて何も言えなかったわ。だけどそれよりも彼がそんな私の過去に怒った事がもっと衝撃だったわ。あなたにまた出会うことよりも、彼を失うかもしれないということの方が怖かった」


そのせいで馬鹿なこともしたけど、結局彼と一緒だったからここまで来れた。


「彼は…北郷一刀は私にとって大事な人よ。私の…私の覇道よりも、彼の方が大事だわ」


私は動かない一刀の姿を振り向いた。もし今彼が私の言った言葉を聞いたなら、彼は私の元を離れるだろうか。


「……もし」


静かに聞いていた司馬懿が口を開けた。


「もし、少女が死ぬ前の美しい姿でまた曹操さまの前に現れるとしたら、曹操さまは私と彼の中で誰を選ばれるのですか」

「…ごめんなさい」


もう少し前だったら…この戦の以前だったとしても迷ったかもしれない。


悪い女だと思わないで欲しい。一刀だって突然レベッカが蘇ってきて私との中でどちらかを選びなさいと言われたら迷うはずだった。


だけど、もうその選択は私には迷うべきものではなかった。


「あなたの策を見てきたわ。あなたは私を止めるために長安を廃墟に変えようとしたし、西涼を掌握するために西涼の兵の大半を内乱で消耗させ、ここ五丈原では戦と縁の遠い子供たちまで戦場に立たせたわ。あなたの策は、昔の私だったなら、ただ勝つための覇道を歩んでいた私なら歓迎したかもしれないわ。でも今は違うわ。目的のために手段を選ばない心構えが軍師の力量かもしれないけど、その非道のつけは君主の私に回ってくるわ。私はこの戦場で私に見せてくれたそんな戦術を平然と使えるあなたを、私の軍の軍師に入れようとは思えない。それは例え一刀がいないとしても、同じよ」


いつか、結構前に一刀が私に言った事があった。


『……何をしてでも勝ちたければ、孟徳、女でも老人でも病者でも六歳以上の子供でも徴兵して盾用の軍を作れ。そしたら俺がこれからでも天下をとれるような策を作ってやる』


もちろん私はそんな彼の提案に怒った。あの時の彼なら、本当にそんなことが出来ると思ったからだった。だけど今になって思うと、彼はあの時私を試してみただけだった。私がどこまで行ける君主かを見極めようとしていたのだろう。


今日司馬懿が見せてくれた五丈原の配置は、まさに彼が言っていた言葉を実現したものだった。


「それなら…あの時少女を殺した曹操さまの選択は、結局正しかったのですね」

「そんなわけないわ。あの日のことは確かに間違っていた」

「私のような軍師がいてはならない。そう仰ったのは曹操さまですよ?」

「それがあなたが死ぬべき理由にはならないわ。少なくとも隠居していたあなたを煩わせたのは私の方だった。あなたは自分のそんな性質が判ってこんな所に隠れていたのに、私がただ美しいだからってあなたの奥をちゃんと見ないであんなことをしてしまった。私が人をちゃんと見る目がなかったからあなたを犠牲にしてしまったわ」

「それじゃ、曹操さまは最初から少女を自分のもとへ引き入れようとしたことから間違っていた、そもそも少女と出会ったことから間違っていたと、そう仰りたいのですか?」

「それは…」


どうだろうか。私がいなければ、司馬懿はこの森の中で静かに暮らせていけただろうか。結局馬騰が自分のもとへ引きずり込んで、そして今回のようなことになったのではないだろうか。少なくともそうであったなら、彼女の命は無駄にしなかったはずだった。


「…私に出会っていなければ…その方があなたのためだったと思うわ」

「………」

「でも、少なくともあの時の私はあなたに出会ったことを後悔するつもりなんてなかった。私は確かにあなたのことも欲しがっていたわ。ただ私の欲望が過ぎたせいであなたを犠牲にしてしまった。それだけよ。あなたが悪かったわけじゃないわ」





「あいつが聞きたいのはそんな話じゃないぞ」


後ろから聞こえる彼の声に私は驚きながら後ろを向いた。


「一刀!」

「…っ」


まだ毒が完全に抜けてないはずなのに、彼は無理やり身体を起こして寝床に座った。


「にしてもお前…申し訳無さそうな声で言いたい事は全部いいやがるのは流石と言わざるを得ないな」

「…ちょっと待って、まさか全部聞こえてたの!」

「俺がくらったのは麻痺毒であって気絶してたわけじゃないぞ」

「今直ぐ忘れなさい!でないと私が殺すわよ!」

「それはどうでも良いとしてだ」

「どうでも良いとは何よ!」


私の驚愕した様子は構いもせず、彼は司馬懿を指さした。


「貴様、良くも俺をこけにしたな」

「…何?どういうこと?」

「やっとこいつが何を考えていたか判った。最初に会った時あいつは、俺に自分は天も地も関係なく、ただ『一人』だけ守れればそれで十分と言った。俺は当然それが自分を蘇らせた馬騰だと思った。そして華琳、お前に復讐したいという気持ちで利害が一致した二人が西涼という大きな犠牲を払ってお前に復讐しようとしているのだと思った」

「……じゃあ、そうじゃなかったっていうの?」

「違ってたさ。それも大違いだ。正反対と言っていい」

「どういうこと?」


そしたら一刀の指が司馬懿から私を指した。


「お前だったんだよ。司馬懿が守りたかったたった一人というのは」

「…へ?」


わけが分からなかった。司馬懿が守ろうとしたのが…私?


「ありえないでしょう。西涼で司馬懿がして来たことは…」

「西涼の被害を最小限にしていただけだ」

「なんですって?」

「司馬仲達がお前に復讐しようと馬騰を利用したと思うのが確かに自然ではある。だけどそれだと糾明されない問題が幾つかある。何故あれだけ綿密に準備された青野戦術を、半分だけの成功で済ませたのかが先ず大きな問題点だ。そしてここに馬騰を呼んできたこともまた素晴らしい。馬騰がここに自分と一緒に居ることによって、あいつが余計なことをしないようにするためだったんだ」

「ちょっと待ちなさい。あなたの言い分だと、それじゃあ馬騰が…」

「そうだ。お前への復讐に狂っていたのは馬騰だったんだ。最初から、ずっと、お前の手に司馬仲達が死んだと知ったその時から、馬騰はお前への怒りを燃やしながら司馬仲達を蘇らせ、普通数日続かないはずの術を数年も続かせながらお前が西涼に足を踏み込む日ばかり待っていたのだ」


それは…それはあまりにもとんでもない話だった。狂ってるにもほどがあった。


「じゃあ、長安で青野戦術を組んだのが実は馬騰だと言うの?」

「それはあっちに聞け」


彼の言葉に私は司馬懿の方を向いた。


するとさっきまで私をまっすぐ見ながら皮肉染みたことを言っていた司馬懿はなんと視線を逸らしていた。


「司馬懿、一刀の言うことが本当なの?」

「……」

「あなたが馬騰から私を守ろうと、長安をあんな風にしたの?」

「…燃やすつもりでした」

「なんですって?」

「馬騰の本来の目的は曹操さまが軍を連れて長安へ向かう前に長安を草一本たりとも残さず燃やして、長安に城壁はもちろん、長安に立っている家の柱一本も残さず焦土化させてしまうつもりでした」


聞くにも恐ろしい話だった。


「それで、あなたがその代わりに提案したのが青野戦術だと言うの?」

「半端な策を挙げては取り入れられませんから。表側として馬騰の憤怒を表せるに十分と思える策でなければ幾ら少女の策だとしても聞き入れるはずがありませんでしたから」

「それでも、長安の半分が犠牲になったわ」

「本来は全部消えるはずでした。それに比べると大きな改善と思いますが」


私は絶句した。


「お前が言った通り、仲達の発想はどこか間違っている。尤も、実際都までも全焼させた人が言えた口ではないがな。だがあいつなりに、お前のためにやったことには間違いない」

「あなたはどうしてそれが判ったの?」

「お前を殺そうとする馬騰を止めただろう」

「毒もそもそも司馬懿の作品だったのでしょう?」

「麻痺毒を猛毒だと騙した時点でもうお前を死んで欲しくない気持ちが伝わらないか?」


伝わらない、と声を出して言いたかったけどやめた。

でも本当にその歪んだ気持ちを、私は理解することが出来なかった。


私が判らないという顔をすると一刀は肩をすくめた。


「判らないというなら仕方ないが、お前を打とうとする馬騰を止めたのは司馬懿だった。お前に復讐する気だったならそうする意味はない」

「いや、でも…だって……どうして?」


どうして司馬懿が私を守ろうとするの?


「少女の策が人々から見て歪んだものあることは既に知っていました。そんな少女を軍師にしてしまっては、天下を目指す曹操さまに大きな荷になることでしょう。少女は、少女をあれだけ求めてくださった曹操さまだったからこそ、仕えることが出来ないと思いました」

「ずっと私を拒んだのも…私のためだったというの?」


司馬懿は視線はずっと逸したままで頷いた。


そして私はやっと司馬懿の変な行動がどういう意味なのか気づいた。痙直した身体では、感情の表現も、声も変わりもほぼなかったけど、例え屍になった身体でも彼女の仕草は好きな人の前に出ることを恥じらう少女の様子だった。


「そんなことも知らずに私はあなたを殺してしまったのに…」

「司馬家に生まれた時から死はいつでも覚悟していました。寧ろ陳留から帰る時に少女は気付いていました。このまま家まで帰れないと、寧ろここで死んだ方が、曹操さまのためであると」


私がおかしくなってしまったのだろうか。今まで春蘭が自分の身を捨ててでも私を守ると言うことを何度も聞いてきたけど、司馬懿は私に尽くしたかったから死んでしまったといっているのだった。


「ただ一つだけ死ぬ時後悔したことがありました。一度でも良いから、曹操さまのために少女の知謀を振るいたかったのです。そして、馬騰が少女を蘇らせたことで、その願いを叶えることが出来たのです」

「じゃあ、最初から馬騰のために働いたことは…」

「一瞬たりともありませんでした。寧ろ最初は馬騰の行為に怒りさえ覚えました。少女の曹操さまへの思いを踏みにじった、そして曹操さまを穢そうとするあの人に手を貸すわけはありません」


私は頭がクラクラしてきた。謂わば馬騰は自分の全てを賭けて司馬懿を蘇らせたのに、むしろ憎まれて利用されただけだった。そしてその黒幕は、この私だという思いもしなかった結末だった。


「おい、馬騰はどこへ行った?」

「馬騰ならそこに倒れて……」


扉の前に倒れていたはずの馬騰の姿がいつの間にか見えなかった。


「逃げたのか?」

「……流石西涼で一生戦った英雄。あんなボロボロな身体でも、並の量では長く持たなかったようですね」


まずい。馬騰が二人の言う通り私への復讐心に燃えているのならこれから何をするか判らなかった。


「とりあえず五丈原から離れましょう。司馬懿、あなたもよ」

「……少女、どうせ馬騰とは一蓮托生。馬騰はもう残った生も長くありません。少女への病んだ愛と曹操さまへの怒りがその身体と精神を持たせていたのです。少女が最初から自分を利用していたのだと判れば、その最後の意志すらも失うはずです」


これが馬騰の最後だと言うの?こんなの…こんな結末を誰が望んだって言うのよ……。


「……とにかく五丈原を降りるわよ」

「華琳…」

「大丈夫かとか聞かないで!大丈夫じゃないから!最悪だから!私が覇王の道を歩むを決めた以来一番最悪の気分だから!」


長安は半分廃墟になり、西涼も多くの犠牲をした上に英雄馬騰の魂は穢された。そしてそれら全部私が幼い頃にした馬鹿な真似が招いた結果だった。両側に居るのがこの二人でなければ絶望してこの小屋で数刻は泣きじゃくる話だった。


「誰もそんなこと考えてないぞ…悪いが今降りることは出来そうにないと言おうとしたんだ」

「…どういうこと?」


というか何よその言い方、それはそれでムカつくわね。


「外の空を見ろ」


小屋には窓がなかった。私は扉を出て空を見上げた。そんなに遠くない所から真っ黒な煙が上がっていた。それも一つじゃなく、規則的に距離を置いて幾つも煙が上がってきていた。


「五丈原の森に火を置くつもりだ」

「なんてことを…」


ここの森だってここの住む人々にとってはなくてはならない所。いや、ここに火を置いたら五丈原が全部燃え尽きるまで止まらない。


「五丈原は風が強いです。それに西涼の乾燥な気候では一度火が起きると移るのはあっという間です」

「それに西涼の精鋭が周りを囲ってる可能性が高い。馬騰にこの戦に勝つ事は既に頭にない。華琳、お前され殺せればそれで十分だ」


遠くで火を置きながら狂気に満ちて笑っているだろう馬騰の声が想像して私は身を震わせた。


「陛下と愛理は中の状況を知らないわ。外の皆に何かあれば…」

「悪いが今俺たちに出来ることはない。最初から判っててここに来たのだろ」


一刀の言葉に私は唇を噛み締めた。私のその全てが私のせいだった。


二度も見ることはないだろうと思った赤い火魔が再び天下に覆おうとしていた。


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