幕間2 チョイ√
拠点:チョイ 題名:それでも皆生きてゆく
この世界に来て一ヶ月とちょっとの時間が過ぎました。社長が長安に行かれた後でも、ボクはなんとかこの新しい世界で慣れていこうと頑張っています。
ボクがこの世界に来たのは本当に偶然、今でもどうやってそんな事が起きたのか判らない経緯ででした。それにヘレナさんもこの世界のどこかで彷徨っていると思うと、とても不安になります。ボクは運良く社長に会ったものの、ヘレナさんは誰一人知る人も居ない世界に独りで置かされたのですから。社長も曹操さんも、ヘレナさんに悪いことが起きた可能性もあると隠さず言ってくれました。それでもヘレナさんを探すことを諦めることはないと約束してくれて、探索はお二人とも城を出た後でも続いているそうでした。
この世界について何も判らないボクでしたが、軍師の荀彧さんから文字の書き読み(書き読みと言いましたが、不思議な事に読むことは出来ました。アメリカ生まれで、社長と同様東洋人の血が流れているとは言っても漢字なんて学んだことのないボクでしたけど、どういうわけか…なんと言いましょう、文字が英語に見えるというか、文字は漢字に見えるけど、それを頭の中では英語に自然と変換して自覚するというか…よくは判りませんが、とにかく読むことには不自由がありませんでした)を教えてもらってます。特にこの世界では紙が貴重で、文書には筆と竹簡を使わなければならないのでとても困っていました。そんなボクのために、軍師の荀彧さんが時間を割愛してくれているのです。一軍の軍師から教わるなんて凄く贅沢な課外授業です。時間にしてはせいぜい30分程度で、後は完全自習ですけど、それでも毎日こんなに時間を割ってくれるとはとても贅沢な教育を受けていることには違いありません。
そして今日も荀彧さんの執務室に訪れました。スマートフォンを見ると朝6時。夏でも日が昇って間もない時間です。本当にこの時代は日が昇る時に既に仕事が始まって暮れる頃に皆退庁します。
「…あぁ、そうだったね」
もちろん、君主が居ない間、しかも補佐として雇った軍師たちまで居なくなって城の総責任者になっているこの人にはそんな時間の概念はまったく関係なさそうです。
ボクがノックをしたら門を開けてくれたのは、目は赤く、表情は硬くなっている、どう見ても夜更かしして最悪のコンディションである荀彧さんでした。
「あ、の…大丈夫なのですか。顔色が凄く悪いみたいですけど。少し休んだ方が…」
「あんたが気にすることじゃないわよ」
「あ…はい…すみません」
寝不足なせいかいつもよりもっと冷たい荀彧さんはボクを中に入れました。
「あの、本当に疲れているのでしたら今日は抜いても…何なら少しでも目を瞑ってから昼にまた会った方が良いと思うのですが」
「昼にまた会う時間なんてないし、華琳さまに頼まれたあんたの勉強の面倒見を個人の問題で抜くほど腐ってもないわ。良いから見せるものさっさと見せなさい」
ボクは今この人に何を言っても無駄だと思ってとりあえず持ってきた昨日出された課題を荀彧さんの前に出しました。
30分という短い時間はこんな風に配分されます。まずボクが荀彧さんから前日言われた課題を提出して、荀彧さんはそれを5分ぐらい目を通します。課題は読むようにと出された本の筆写(文字数はそんなに多くはありません)、それがどういう意味か講解した本を更に要約した後、そこに自分の考えを加えます。これが結構量があって、竹簡五巻分ぐらいになります。
そうやって書いた要約文と筆写文を見ながら荀彧さんは文字の書きが間違った所などを指摘したり、ボクの考えを書いた部分ではその考えについて荀彧さんから質問したり、異義を提起し、ボクがそれに答えることを繰り返します。逆にここでボクが一人で本を読んで理解出来なかった部分を聞くこともあります。これらが約15分ほどを消耗します。
最後に荀彧さんが新しい課題と内容についての簡潔な解説をしてくれて、ここの文化を良く知らないボクが一人では解らないだろうと思う部分は更に砕けた説明をしてくれます。それで丁度30分が満ちるという感じです。
「あ、私が読んでる間にこれを読んでくれる?」
そう言って荀彧さんはボクに卓にあった竹簡を一つボクに渡しました。ボクがその竹簡を読むと、こんな内容が書かれていました。
『近日、廬江にて江東の者ではない、白い肌に金色の髪に碧眼を持った女性が孫家に保護される。体が弱いらしく輪のついた椅子に乗って移動する様子が見受けられる、今は孫家が用意した敷地内で戦争孤児たちを集めて面倒を見ている様子を確認。孫策の妹である孫権が敷地に良く行き来しているのを確認』
内容を読み終えたボクは確信しました。金髪碧眼で車椅子に乗っていて、常の戦争が起きる危険があるこの世界で孤児たちの面倒を見てあげている人。間違いなくヘレナさんです。
「どう、あんたの探してる人だと思う?」
「多分、間違いないと思います。あの人は子供に愛される体質なので、周りに子供たちが集まってるって言うと間違いありません」
子供たちのことを言うと、ふと今頃元の世界では残された孤児院の子供たちがいなくなったボクたちと心配しているだろう事に気付きました。。なんとしてもヘレナさんを無事に連れて戻らなければ…
「この廬江というのは、確かここから南にある都市でしたね」
荀彧さんと社長に一番最初に教えこまれたのがこの世界の地理でした。さすがに細かい地理までは覚えられませんでした。主な都市と位置関係は覚えています。
「そうよ。ここから南、袁術が治める豫州の更に下にあるのが廬江、そして更に南には孫家の本山の江東。つまりあんたの妻は今孫策の保護下に居るというわけね」
気持ちだけなら今でも直ぐにでもあそこに駆け付けたいのですが、ボク一人じゃああそこまで無事にたどり着けるという保障もありませんし、社長も曹操さんも居ない今勝手に動くわけにも行きません。
「なんとか、ヘレナさんに連絡することは出来ないのですか」
「報告によると警備がかなり厳しそうね。どうも孫策は、あなたの妻を私たちが最初の頃一刀にそうさせたように天の使いとして祀り上げるつもりみたいよ。つまりは天女ね」
「天女…」
ヘレナさんが天女ですか…ヘレナさんになら似合いそうです。
ではなくて…
「じゃあ、ヘレナさんが危険な目に合うかもしれないじゃないですか」
「可能性がないとは言い切れないわね。何よりも袁術がこの事を知れば孫策に彼女を渡せと言ってくるかもしれないし、もし孫策が断ればその時は袁術と孫策の全面戦争になりかねないわ」
「そんな……」
「あくまで可能性の話よ。孫策はそんなヘマをするような英雄じゃない。孫策の元にいる限りは、ひとまずあなたの妻は安全と言ってもいいわ。こっちに返してもらえるだろうかはまた別の話だけれど」
「……」
ボクは運良く社長に会えてここに居ますが、こんな誰も頼りに出来るない世界でヘレナさんが宣伝物として利用されて犠牲にされてしまったらたまりません。早くヘレナさんを連れて帰らないと……。
「気持ちは判るけど、今私たちに彼女を力で奪い返す余裕はないわ。こちらからあなたの存在を伝えて正式に要求することは出来るかもしれないけど、向こうでただで返すとも思えない。。何か対価を求めることは明らかよ」
荀彧さんはそう言ってボクの手から竹簡を持って行きました。
「これはそのうち長安に飛ばすわ。多分華琳さまもアイツも、しばらくは様子見と言うでしょうから、もし早く返事が来なくても焦らないように。いいわね?」
「…はい」
居場所が判れば直ぐに会えると思ったのも最初だけ。どこに居るか判るのに会いに行けないこそばゆさでボクは居ても立ってもいられませんでした。
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「なるほど、奥さま方の居所が判ったのですか。それは良かったですね」
場所は変わってここはボクの現在の仕事場。ここでは陳留の警邏隊長楽進さんの補佐(やってることは社長の秘書の時と然程変わりありません)役として働きながらこの世界のことを学ぶ切っ掛けにしています。
「はい、今はどこに居るかが判っただけで満足するしかありませんが…」
「きっとまた逢えます。一刀様と華琳さまを信じて待ってください」
「はい…」
楽進さんはとてもいい人です。仕事中はとても真面目な姿で、そうでない時でも軍人のように固い所がありますが、率直で、根が優しい人です。
「あの、楽進さん、前々から言おうとしてたのですが、一応ボクはここで楽進さんの部下なので敬語は必要ないと思うのですけれど…」
「そ、そういうわけには行きません。チョイさんも一刀様のように天から降りられた方、それに一刀様に以前より仕えた方であるなら自分の大先輩に当たります」
「先輩ってそんな……」
「先輩です。先輩に敬語を使って当たり前です」
このように自分が正しいと思うことには凄く愚直で、軍人タイプの人です。
「楽進さま、警邏午前班、午後班と交代しました」
「そうか、ご苦労」
その時午前中警邏をしていた班の長が報告に来ました。
警邏隊は4交代体制になっていて、午前、午後、夕方、深夜の4つの時間帯に分けて警邏を行っていました。そして午前、午後の班が入れ替わる時間が大体12時から1時ぐらいなので丁度昼食の時間です。
「チョイさん、では私たちも行きましょう」
「そうですね。いつもの所ですよね?」
「はい」
昼食を取る場所はほぼ決まりで、警邏隊ではとても有名な店です。
以前社長の世話をしていた武将の方が出した店らしく、軍からの将兵の皆さんからの贔屓が多いそうです。
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「いらっしゃいませ」
るんるん飯店に入ると既に多くの人々が店に座っていて、午前警邏をしていた警備隊の皆さんも多く見当たります。店の店員さんがボクたちを席に案内してくれてボクたちは奥側に予約席に座りました。元々はボクたちの予約席ではなく、社長のための席ですが、社長が居ないので代わりにボクたちが使っています。
「それじゃあ、炒飯二つにしゅうまいお願いします」
「かしこまりました」
菜譜を見て注文をした楽進さんは菜譜を店員に返そうとしました。
「あ、ちょっと菜譜はちょっと持って行かないでください。また何か注文するかもしれないので」
「かしこまりました。では、しばらくお待ちくださいませ」
店員さんが行った後、ボク菜譜をもう一度ちゃんと見ました。
「何か食べたいものでもあるのですか」
「そうですね。いつも炒飯ばかり食べてますから、たまにはもうちょっと高いものも注文してあげないと贔屓になりませんよ」
この店、見まわってみると多分半分は炒飯を食べています。値段が一番安いってこともあって、それに比べて材料の質も良く、味も(他の所と比べるほど行ってみたことはありませんが)とても良いです。
だけど、この世界の物価概念がだいたい掴んできた今頃に気付いた話ですが、この値段はちょっと安すぎる気がします。店の主人、典韋さんとは直接関わりがあるわけではないのでなんとも言えないのですが、原材料の質を考えると、この値段で売ると炒飯で残る利益はほぼありません。そこにこの炒飯の選好度の高さは少しマズい気がします。
「というか楽進さんはこんなに頻繁に来るのでしたら炒飯以外にでも中もしてやってください。どうせ経費で落ちるじゃないですか」
「…自分は炒飯にこれがあれば十分なので」
と言いながら見せるホットソースはまさに地獄の調味料です。まんまと地獄が味わえます。
「すみません、ここの酢豚一つもお願いします」
「はい、ありがとうございます」
それは店員からではなく厨房から聞こえる声でした。多分典韋さんですね。直接顔を合わせたのは一度社長と元直さんと一緒に店に来た時にあったそれっきりです。
※ ※ ※
「はい、ご注文の炒飯二つにしゅうまい、酢豚持ってきました」
しばらくして料理を持ってきたのは店員さんではなく、チャイナドレスに前掛けをした、店長で厨師である典韋さん自らでした。
「って、凪さんとチョイさんだったんですね」
「お久しぶりです」
「店員雇ってからは顔見づらいな」
「昼時は忙しいんですよ。兄様が来たわけでもなければずっと厨房に居っぱなしでも時間が足りません」
典韋さんは細い体型にしては力があるらしく、中国があの重い厨具を一日中扱ってる割には疲れもあまり見当たりませんでした。
肉体的には…。
「典韋さん、何か悩みとかあるんですか」
「え?」
「ボク、分かるんですよ。典韋さん、顔では笑っていても今店の経営、良くないんですよね」
産業スパイなどをしていると時に人との触れ合いもとても大切です。そこで人のポーカーフェイスを見抜けるようになりました。顔では笑っていても中では焦っていたり、凄い利害を計算していたり。
典韋さんの顔はこういう顔を見たことがある人があるなら判るぐらい明らかに辛いことを隠している顔でした。
「…はあ、実はそうなんですよね。最近利益どころか損をしないのがやっとって感じで」
「経営が悪いって、こんなに人が一杯来てるのにか?」
「それが、私も良くわからないんですよ。店はいつも忙しいのに、残るのはあまりなくて…材料をいいのを使ってる分には確かに材料費は高いんですけど、それでも値段もそれに合わせてるつもりですし…実は忙しくなりすぎて厨師ももう一人雇いたいんですけどそんな余裕もありません」
…どうやら典韋さんは厨師としての才能はあっても、お金の感覚とか、というより経営についての概念は疎いみたいですね。
うーん、でもどうしましょう。典韋さんとはそんなに仲が言い訳でもありませんし、人の経営に責任も持たずに口を挟むというのも…。
でも、このままだと社長が帰ってくる前にこの店が潰れかねませんし…。ここは社長のために一つ…。
「あの、典韋さん、店の帳簿などは書いていますよね?」
「はい?はい、それはもちろん書いてますよ。その日の売上とか、買った材料の量や購入費ぐらいは…」
「それ、今日店を閉めた後ちょっと見せてもらえますか」
「え?それはどうしてですか」
「…ボクってこの店だいぶ気に入って来たんですよ。だから、潰れたりしてほしくないんです」
「……」
ええ、今ボク店主にこの店潰れそうだって言っちゃいましたよ。
「社長が居てもきっとボクと同じことしたはずです」
<pf>
他人に店の帳簿を見せることは、本来やって良いことではありません。
ですが今回、社長の名前を売った甲斐があってか、典韋さんがそれだけ切実だったせいか、典韋さんは頭を縦に降ってくれました。
その夜、仕事が終わった後、ボクはるんるん飯店に向かいました。
「って、どうして楽進さんは一緒に…」
「よ、夜出歩いたら危ないから護衛に付いただけです」
「典韋さんの事、心配してるんですね」
「……」
夜でも顔が赤くなってるのが簡単に想像できるぐらいに分かりやすい人です。
店に着いて裏門を叩くと店仕舞いをしていた典韋さんが門を開けてくれました。
「どうぞ」
「失礼します」
店の裏口は直ぐに厨房に繋がる入り口でした。
厨房に入ると、なんか凄く豪華な料理が一品作られていました。
「おお、これってなんですか?試作品なんですか?」
「いえ、たまに余る材料で高級な料理って作ってみたりするんですよ。最近いつも炒飯ばかり作ってるから感が落ちそうだったので。材料は普段使ってるのとそう代わりありません」
こんな高級な料理も作れる人が毎日炒飯しか作ってないというのはどう考えても才能の無駄遣いです。
「典韋さん、いっそのこと店を上流層向けに変える気はありませんか」
「それは店を初めて開ける時にも考えたんですけど、やっぱり今みたいに警邏の人たちが負担なく食べられる所にしたいので…幾ら店が大変でもそれは譲れません」
確かに…店の経営が悪いなら、幾ら経営観念がなくても真っ先に一番売れてる炒飯の値段を上げようとしたはずなのに、典韋さんはそれだけはしたくないから今までやってなかったのです。
「でも典韋さん、ボクが今日ここで食べた後警邏兼ねて他の飯店も見て回ったのですが、やっぱりこの店の炒飯は他の店に比べても安いですし、この飯店の他の料理と比べても安すぎます」
「でも、入る材料の費用もちゃんと考えて、一番抑えた値段がそれでしたから」
「その気持ちは判りました。でも、あまりにも安すぎます。こんな状態が続くと、値段を上げずにお金をより稼ぐ方法なんて営業時間を伸ばすぐらいしかありませんし、そうなると典韋さんに負担が掛かり過ぎます。厨師である典韋さんが疲れると自然と料理の質も落ちてしまって、それじゃあ本末転倒です。典韋さんの目的は良質の料理を皆さんに安く振る舞うことであって、質の落ちる料理を安く売り飛ばすことではありませんから」
「……」
「だからと言って、値段をぐんと上げろとは言いません。とりあえず帳簿見せてもらえますか」
「判りました、一応準備はしたんですけど、量が結構あって…」
帳簿は案外ちゃんと整理されていて、売上やどの料理がどれだけ売れたかも旬単位で整理されていました。元の世界ならいろいろプログラムも使って早く分析していたはずですが、それらを全部手でしなくちゃいけなくてちょっと時間が掛かりました。
月の損益を見ると典韋さんが言った通りにプラマイゼロって感じで、売上から材料費が抜けた分に、薪や道具の替え費用、人権費に税金を抜くとほぼ残るものがありませんでした。店の売上の様子を見ると炒飯によるものが6割以上占めしていて、ここから出る利益は現在ほぼないと見ても良いでしょう。
一番簡単な解決方法はやっぱり炒飯の値段を上げることです。この店で炒飯は謂わば客引き用のメニューです。他の一般的な品の半分ほどの値段しかならない、安すぎる値段のせいで、客は集まりますが、売れば売るほど店が傾くわけです。これを他の料理の値段と合わせるだけでも、利益はぐんと上がるはずですが、それだけだと典韋さんが受け入れそうにありませんね。
とりあえずボクは既存の炒飯の値段を五割ほど上げて、代わりに他の一品料理の値段を少しずつ下げる方法を提案しました。
「それだといきなり上げすぎです。今まで贔屓してもらえたのに、いきなりこんなに値段を上げると皆さんが困惑しちゃいます」
「しかし、典韋さんの料理の質を考えると、これでも安いぐらいです。今までが安すぎたんですよ。今帳簿を見てわかったんですが、こんな高価な材料を使っていたなんて、これじゃあ本当に材料費しか落ちません。他の人件費などを考えると売るほど赤字なんですよ」
「…それでもこれは上げすぎです。こんなに高いと警邏隊の皆さんが料理が食べられません」
「うっ」
何故か後ろの警備隊隊長さんが呻き声を出しました。
「…判りました。じゃあ、この値段にしましょう。これ以下は相談役として認められません」
ボクは最初に提案した五割増しの値段の代わりに、三割増しの案を提示しました。実は最初から五割増しの案は通るとも思っていませんでした。最初から三割を出しても高すぎると言われるはずなので最初は五割を提示して三割が控えめに見えるようにしようとしただけです。
ただ、これだけだとちょっと足りないのでボクは他の戦略も一緒に提案しました。
「くーぽん?」
「はい、これはボクが住んだ世界で客が常連するように誘うために使う方法なのですが、一定額以上の料理を何回か食べに来てくれると、その度に判子を押して判子を集めた分によって料理をタダで出してくれるというものです」
「料理をタダで?」
「それだと寧ろ損が増えるだけなんじゃないのですか」
「それがそうでもないんですか。ボクの考えでは、とりあえずこのクーポンを炒飯より値段の高いの料理注文する度に、その料理の品数によって判子を押してあげるのです。そして判子を十個集めると、炒飯、二十個集めると麻婆やかに玉、三十個集めると酢豚みたいにどんどん値段の高い料理を提供するのです。そうすると店に常連する警邏隊の方々は十分に利益を得ることが出来ます。後は日替わりオススメなどを出すのもいいですね。日々店からオススメする料理を食べると、その人は一つの料理に判子を二つ売ってあげたりして、人たちがその料理を食べるように促すのです。もちろん、この場合でも炒飯は除外されます」
「なんか、本格的に稼ごうとしてるみたいな感じがしますね」
典韋さんにとっては、今までのやり方と違って、ちょっと打算で働きすぎてるのではないかと思うかもしれませんが、こういうのは基本とも言える戦略です。出来るだけ値段をイジらないようにして経営を改善するにはこういう方法が飲食業では基本です。
「典韋さんが料理を安くしてより多くの人たちが料理が食べれるようにした気持ちは分かりますが、ぶっちゃけ店を経営することは奉仕活動とは違います。料理を振る舞いたくて月に一度孤児や老人たちにタダで料理を振る舞う店などは見たことはありますが、そんな店も普段は自分たちが働くことに正当な対価を要求します。そしてそれは間違ったことではないのです」
「判っては居るんです。判っては居るんですが……」
「……流琉、実はこれは言わないようと思っていたのだが」
典韋さんがはっきりと心を決められない時、楽進さんが典韋さんに言いました。
「最近警邏隊の休んでる隊員たちがこういう話を聞いたんだ。お前の店の料理の味が変わったって」
「…へ?」
「なんというか、確かに美味しくはあるが、昔はもっと美味しかったとか、そんな風に言っていたな」
「そんな…」
典韋さんは楽進さんの話が本当に衝撃だったようです。ここは押し切りましょう。
「典韋さん、これで分かりましたね?典韋さんが知らないうちに、店の経営が悪くなっていくのが客にも影響を与えているのです。このままだと店はなんとか維持出来るとしても、料理の質がどんどん落ちていって、結局は安い値段が無意味なものになるかもしれません」
「……チョイさん」
悩んでいた典韋さんは覚悟を決めたようにボクに言いました。
「私が何をすればいいんですか」
※ ※ ※
「どうして一刀様は流琉にこんなことを言ってあげなかったのでしょうか。一刀様ならとっくに流琉の経営が良くないことが判っていたはずなのですが」
夜の灯もなくすっかり暗い道を帰る途中、楽進さんがそう言いました。
「社長はそういう助言はあまりしない方なんです。典韋さんが自分でなんとかして欲しかったのだと思います。それに幾ら軍と縁があるとしても、あまり深く関わると贔屓みたいに見られるじゃないですか。今は安い値段を売りにしているので他の飯店などが、この店に兵士たちが集まっても不満を言いませんが、社長みたいな軍の高位官僚が目に見えるように店を手伝って上げ始めると、飯店の主人たちが抗議してくるかもしれません」
「あ」
「実際に典韋さんの店だからと言って、曹操軍から明らかに贔屓していることはないじゃないですか。人が多いのは値段が安いせいですし、社長や曹操さんみたいな人が通うのは料理の質が良いからです。でも経営に関わったり税を贔屓しはじめると、それは全く別の話なんですよ。常連に行って、たまに高い料理なんて売ってくれる、それぐらいが丁度良い贔屓なんですよ」
「……」
…あ、しまった。
ボク、明日も荀彧さんに課題出さなくちゃいけないのに、すっかり忘れてました。まだ出された本全然読んでません。
とほほ、今日は徹夜です。
<pf>
そして次の日
「今日はちょっと遅かったわね…何よその目は」
「あはは…徹夜しちゃいました」
うっ、荀彧さんの視線が痛いです。
「毎日課題を出されるのが負担なら減らしてあげても良いけど」
「いえ、大丈夫です。昨日はちょっと事情があって遅くまで課題に手が出せなくて…」
「流琉の店の助けてあげたんだって?凪から聞いたわよ」
「え?そうなんですか」
帰ってきたのに昨日の夜だったんですが…あれ?もしかして楽進さんってボクより早く起きてここに報告あげてたんですか?楽進さん一体何時に起きてるんですか?
「私はあそこそんなに行っては居ないけど、行く度にちょっと気になってはいたんだよね。流石に面前で指図できる立場じゃないから黙っていたけど。多分一刀も同じだったでしょうよ」
「多分、そうだったでしょうね」
「それを、あなたは簡単に指摘しちゃったわけね」
「ボクは…あまり深い仲ではなくて、完全に関係がないわけでもなかったりしましたから…丁度良かったんじゃないですか」
「あと、普通面倒くさいから関わらないわよ。人の店経営なんか」
「それでも、ほら、やっぱりあんな美味しい店なのに、営みが悪くて潰れたりしたら勿体無いじゃないですか」
「まあね……」
あと、もし社長が帰ってきて典韋さんが店を諦めていたら、多分真っ先にボクが締められてますから。
「そんなわけだから、どうですか。今日お昼、ボクたちと一緒に典韋さんの店で食事しませんか」
「…まあ、考えとくわ」
「はい、それじゃあ、時間になったら楽進さんと一緒に来ますね」
※ ※ ※
そしてあっという間にお昼になりました。
<<○○日から炒飯の値段が上がります>>
「いらっしゃいませ。ご注文は如何なさいますか。今日のオススメは麻婆豆腐の白飯付きになります」
典韋さんと話し合った内容は、とりあえずクーポンやオススメみたいな値段に直接関わらない制度は直ぐに導入して、抵抗がある炒飯の値段上げは十分に広告をしてからにするという事でした。こんなに広告をすると、逆に炒飯が高くなる前に食べようとする心理を促すようでオススメできなかったのですが、それでも典韋さんにとっては咄嗟に値段を上げることは客の皆さんの期待を裏切る行為に当たるのでできなかったそうです。
「それじゃあオススメ三つに八宝菜お願いします」
「かしこまりました」
店をさっと観てみると案外心配していたのとは違って、オススメである麻婆豆腐と炒飯の比率は半分ずつって感じでした。
「こちら、今日からるんるん飯店で今日から始める『喰本』というものでして、この竹簡に判子を集めてお持ちして頂きますと、判子の数によって麻婆や酢豚などの料理を無料で提供しています」
「私は別に良いわよ。ここに良く来るわけでもないし」
「私はこんなものは良く忘れがちなので結構です」
一緒に来た荀彧さんも楽進さんもクーポンは要らないそうです。
「じゃあ、あの、このお二人の分までボクに判子押してもらえますか」
「かしこまりました。オススメ三つに八宝菜まで七つになります」
そしてボクの手には一気に七つの判子が押されたクーポンが入ったのでした。
「自分で作って置いてちゃっかり集まるのね」
「ふふーん、ボクこういうのはしっかり集める人なのですよ。部署の皆さんと会食してクーポンだけで全部払ったこともあるんですから」
「せこいですね」
「倹しいって言って欲しいですね」
少し時間が経って、今日も典韋さんが厨房から出て料理を持ってきてくれました。
「あ、今日は桂花さまも一緒なんですね」
「チョイがなんかやったっていうから来てみただけよ。どんな感じ?」
「まだ初日で判りませんけど、炒飯だけ作ってるよりは腕がなります。皆さん注文するものが前より多彩になった感じがします」
現代では注文される料理の数を絞ろうとしている中、注文される品の数が多いと喜ぶ人はこの人ぐらいのはずです。本人が喜んでるからいいんですけどね。顔も昨日より張り合いがあります。見た目は昨日遅くまでクーポンを作ったりオススメの料理を決めたりしてて疲れてるみたいですけど。
「いきなり始めたわけだけど、麻婆を作る材料は足りてるの?」
「じ、実はあともう少ししかありません。後十人前ぐらい作ったらもうないです」
「あ、それはちょっとマズイですね」
オススメメニューを決める時には普通ならそれに入る材料も事前に多く調達しますが、流石に考えた次の日にそれは無理です。
「典韋ちゃん、ここ麻婆二十人お願い」
「ええ!?」
「…お前ら!!」
いきなり供給量を越えた注文をされて慌てた典韋さんを前に、突然楽進さんが席から立ち上がりました。
「今ここに居る警邏隊の奴らの今日の飯代は私が出す!だからお前らが好きなものを選べ!」
「おお!!」
「マジですか!」
「隊長ばんざーい!」
「じゃあ、俺はこのフカヒレというのを…「調子に乗るな!」はい!申し訳ありません!」
そう叫んだ楽進さんを、典韋さんは驚いた顔で見ました。
「凪さん」
「ほら、もう注文の嵐が来るぞ。早く入って準備しないと間に合わん」
「…はい!」
そう言って典韋さんが厨房に戻り、兵士さんたちは普段絶対注文出来ない高い料理(流石にフカヒレ以上は殴られると察したのか出ませんでした)を注文し始めました。
「…桂花さま」
「経費、落ちないから」
「そこをなんとか…」
「…………今回だけよ」
「あ、じゃあ、ボクこのツバメの巣というの食べてみたいです」
「それは落とさせないわ」
「ええー」
こんな風に、社長の居ない戦国時代の日々が流れます。




