幕間2 皇帝√
皇帝SIDE 題名:人の心を掴み取るということ
余の感動的な演説があったにも関わらず、無礼にも北郷一刀は余を張三姉妹の家に置いて消えてしまった。今更探しに行くわけにもいかなかった。
…むぅ、しかし、もし北郷一刀がまた無茶のことをしたとなれば丞相が余に何をしてくるか分からぬぞ。やっぱり探した方が良いのだろうか。いや、余が一人で出掛けた所でまた彼を見つけられるとも思えん。
「まあ、自分で行くって言ったんだから自分でなんとかするでしょうよ」
「そう、そう、その間にお姉ちゃんたちと仲良く待ってようね」
一人取り残された余のために地和と天和が慰みの言葉を投じた。が…
「さっきから思ったが汝ら余が皇帝であることを信じていないだけでなく、余を子供扱いまでしているな」
「でも実際子供だし」
「子供に限って自分は子供じゃないって言うのよね」
「そうね、どう見ても子供だし」
「余は大人だ!成年式の時なんてすごかったのだぞ!実録に記したぐらいに、天下で一番盛大な成年式だったぞ!酒池肉林だったんだぞ!」
そりゃ即位と同時に成年になったわけだからな……思い返せば恥ずかしくなって来た。国が衰える時期に盛大な即位式なんて…酒池肉林ってなんだ、自慢じゃないぞ……いや、余が設けた場ではなかったのだが。
「ねえ、お姉ちゃん昼に難しい話聞いてたらお腹空いちゃったよ」
天和が食事の話題を持ってくると他の姉妹たちも空腹なことに気がついたのか頷いた。
「そろそろ日も暮れるし夕飯の食べないとね…って、確か昨夜残った食材全部使ったんだった」
「ああ、そうだった!わたしたち仕事終わって買い物する予定だったじゃん!そこでいきなり天和姉さんが髪飾りなんて買ってどっか行っちゃうから…」
「あはは…ごめん。でも、おかげで一刀さんにもあったし、いい機会にも巡り会えたから良いんじゃないかな」
「どうだか…」
そういえばあの時天和からもらった髪飾りなのだが、まだ余の手に握られている。庶民用の安物ではあるが、こんな生活をしている娘たちにも負担が過ぎるだろう。
「天和よ、この髪飾りは店に返して食費の足しにし給え」
「え、でも…」
「あの時のはただの人の目をごまかすための演技だったに過ぎぬ。余の飾りなどは別宮に戻れば幾らでもあるのだ」
普段そんなに使わないのだがな。高価なものは洛陽でほぼ分けちゃったが公式な場に皇帝が付けるためのものや皇宮の宝で売買が困難なものは手中に残った。宝と言っても古臭いものなのでとても付けて出回れる品物ではないがそれでもこんな町中で買える安っぽいものよりは確かに良い。
無論付けないけどな。余にも目というものはあるのだ。
「…話の内容はともかく、本人がそう言っているのだからそうして頂戴、天和姉さん。ウチもそんなに余裕があるわけじゃないって判ってるでしょう?」
「…うん、仕方ないね。ごめんね、えっと…帝ちゃん?」
「…帝ちゃん?」
「うん、自称皇帝ちゃんだから帝ちゃんかなって」
「自称じゃない!本当だ!」
こいつらまだ信じてないのか!北郷一刀と違って悪意がないから尚悪い!
「もうそんな話はどうでも良いから早く買い物行こう?ちいはもうお腹ペコペコだよ」
「ふう…じゃあ私が買い物行ってくるからお姉さんたちは待ってて。天和姉さんその髪飾り頂戴」
「あ、うん…」
天和が人和に髪飾りを渡すと人和は夕飯を買いに家を出た。
「じゃあ、人和ちゃん帰ってくるまで、帝ちゃんはお姉ちゃんと遊ぼうね」
「よし、百歩譲って皇帝ではないと思うことは許してあげよう。北郷一刀にもそれは言われてるからな。だが何だ、その子供扱いは!こう見えても余は二十五才はあるのだぞ!」
……まあ、嘘だけど。
「…嘘はダメだよ」
「嘘じゃないぞ!」
「ダ・メ・だ・よ?」
「……」
「めっ!」
「いたっ」
天和は余の額に向けて指を弾いた。
何この子、呑気そうな娘だと思ってたのになんか怖い。
「じゃあ、何して遊ぼうか」
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「お、おねえ…ちゃん…帝お腹すいた…」
「帝ちゃん、しっかりして…ああ、ごめんね。お姉ちゃんが不甲斐ないばかりに帝ちゃんの薬が買えないから…」
そして一食頃ぐらい過ぎた頃、余は姉妹の長女とおままごとをしていた。
「おいこら!開けなさい!そこに居るの判っているんだからね!ドン!ドン!」
あ、次女も一緒だ。
なんか貧乏な姉妹を騙して暴利でお金を借りさせて毎日のように家に来て脅かしてる悪男…って設定だそうだ。
…余が知っている庶民のままごとはもうちょっと明るい雰囲気で土団子なんて作ってするやつと思ったのだがな…。
「やめて!それは帝ちゃんのお薬を買うために貯めていたお金なの!」
「ちいの知ったことじゃないじゃん!お金を借りて返さないあんたたちが悪いんだから!」
なんか病弱な妹の設定の余だけ置いてきぼりで二人だけで凄く盛り上がっているのだが……おかしいな。これ本当に余がしっているおままごとか?
「なんでもするから、なんでもするからそのお金だけは取らないで?」
「ん?今なんでもするって言ったな?」
「…へ?」
なんだあのちょっと現実感出てる演技は?まるで本当にあった話だ。
「見ると結構べっぴんさんじゃない?うちの店で働いてくれたら借金はチャラにしてやらなくもないわ」
「ほ、ほんとですか?」
「や、やめてお姉ちゃん…」
その店はきっとまともな店じゃない…!
「本当だ。ほら、ちいについていらっしゃい」
「はい」
「……そうは行かないわ」
「「あ、人和ちゃん」」
お姉ちゃん(天和)が金貸し業の男(地和)に付いていこうとする時、人和(人和)が乱入してきた。今帰ったのか。手には飯店から買ってきたような料理を入れた紙箱があった。
「お金を借りたなら契約書ぐらいはあるはずね。見せて頂戴」
「こ…これだ。文句あるのか。お前の姉の印もちゃんとあるぞ」
男(地和)契約書(家に転がってた竹簡に適当に書いたもの)を出した。
「…この契約書はデタラメね。ちゃんと書いてあるのは借りた額だけで利息がどんな風に付くか、いつまで返すかさえもかかれてないわ。こんなもの契約書にならないわよ。こんなもので人を脅かせると思うなら今からでも官庁に行って誰が勝つかやってみる?」
「「すみません」」
「何故天和まで謝ってるんだ?」
結論:この姉妹は人和が牛耳る。
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次の日、三姉妹は仕事に行かねばならなさそうだったが、余を家に置いていくかどうするかが問題になった。姉妹のうち一人が残ろうって案も出たのだが人数が減った分、日当が減るということで(食費に直撃になるらしい)、却下になった。置いていくと言う案は(凄く不愉快ながら)こんな子供を家に一人で置いていくわけには行かないという天和の猛反対に当たり没になってしまった。
「じゃあ、残るはひとつ、職場に連れて行くしかないわね」
「いいの?そんなことして」
「遠い親戚をしばらく預かることになったから数日だけ事情を訴えたらなんとかなるはずよ」
「でもこの娘、確か兵士たちにバレたら捕まったりするんじゃなかった?」
「それなら問題ないわ。朝はやく外に出てたんだけど、傍にこんなのが付いてたわ」
人和が見せた紙には(というか傍を取って持ってきたらダメだと思うが)北郷一刀の似顔絵が描かれていた。
「傍が付いたのは一刀さんだけ。少なくともこの娘の顔は知られていないと思うわ」
「うーん…じゃあ、大丈夫…なのかな」
「少なくとも一刀さんが一緒じゃないとこの娘を疑うことはないはずよ。それにこちらの従妹だと言い切ったらいい話だし」
三人がそう話している間、余は北郷一刀の似顔絵が描かれた手配書を見た。誰が描いたか知らないが細密な所まで詳しく描かれているなかなかの腕の絵だった。まるで以前より彼のことを知っているように…。
段々と彼の事が心配になって来た。
※ ※ ※
そんな感じで話が決まり、余は三人の働く店に連れて行かれ、店の片隅の小さな椅子に座って三姉妹が働く様を見ていることになった。一人でぼっとしているのも何なので仕事の手伝いをすると言ったのだが三人+店主合わせて拒否された。子供にこなせる仕事ではないそうだ。汝ら余が二十五才と言ったら嘘だがだからと言ってそこまで子供ではないぞ。
三姉妹の仕事は給仕としての働きで、客を席に案内して、注文を取り、料理を運び、客が去った食卓を片付けるものだった。可愛い女の子たちが料理を運んで来る様を見るためだけに店に来たような客も何卓か見えるぐらいで、三姉妹はとても忙しく働いていた。家ではとにかく文句が多かった地和も猫をかぶって客を相手している様を見ると自然と嘆声が出てきた。
「ちーほーちゃん、こっちにしゅうまい一人前お願いね」
「はーい、追加注文しゅうまい一人前頂きました♡」
店は昼になってとても賑わっているにも関わらず客を相手する声にはその疲れが一切篭っていない。これが一日を生きるために働く庶民の苦労というものなのか。
仕事は時間が過ぎて日が暮れるまで続いた。不思議な事に、ただ座って見てるだけでも飽きることがなかった。
「おーい、人和、ちょっと良いか」
「あ、はーい」
その時店長が人和を呼んだ。余談ではあるが、仕事の時のと平常時の姿が一番変わったのは地和ではなく人和だった。主に声が。
「そろそろ夜働きの奴らが来るから、来たら三人に一曲頼めるか」
「あ、はい、判りました。あ、後、公演は別料金ですからね」
「判ってるって」
そして人和は姉たちを呼び集めた。そして三人は余と反対側にある、店の床が他の所より一段上がっている所へ上った。
「お、今日やるのか?」
「おお、久しくやるのか。蝶三姉妹の公演を」
「戦争が始まると言ってから初めてじゃねえか」
日が暮れる頃、昼が過ぎた後比較的客が少なくなっていた店が再び賑やかになり始めた。三人が店の片隅で舞台を準備しているのを見かけた通りの人たちまで店に入り始め、直ぐに店は満席になった。夕方に新しく来た店員たちが突然集まってくる客たちの案内に忙しく動きまわっていた。
「おい、その話聞いたかよ」
「何の話だ?」
「長安太守が長安周りの村を焼き付けようとしてるって噂だよ」
「ああ?!誰がそんな天罰食らうような噂をしてるんだ」
「今長安に曹操軍がやってきてるって判ってるだろ。だからそいつらに長安を渡さないようにもし負けた時にはまだ実ってもない畑も全部荒らして逃げるってさ」
「西涼から太守さまがやって来てくださってここでしてくれたことがどれだけ多いのにそんな天罰くらう噂を流してるんだ、ボケ」
「だ、だって判らねえじゃねえか。いざ戦争になったら怖気づいて俺らのことは気にもせず」
「こいつが酔っ払ってもいないのにボケたこと言いやがって!」
「な、なんだよ!俺も聞いた話をしていただけだ!そこまで言われる筋合いはない!」
ある卓で噂話をしていた男二人が席から立ち上がって今でもぶつかり合いそうになっていた。あれでは店に迷惑が掛かるのだがな。
話していた内容は確かに北郷一刀が言っていた噂の内容だった。どこかでもう活動を開始しているのだろ。それでも長安太守を信用している奴らも多そうだ。
「前髪かすめた旋風」
その時、なんの予兆もなく、伴奏もなく天和が歌を歌い始めた。今でも喧嘩を始めようと拳を握っていた男たちが一瞬裏の舞台を振り返った。既に多くの卓の人たちが舞台を注目していた。三姉妹が舞台に立っていて、天和が前に出て歌の始めを切っていた。
「選ばれし運命動き出す」
次は人和が一歩前に出ながら天和から歌詞を継げる。
「飾りじゃないのよ、あたしたち」
「「「なんだってやれる、信じてる」」」
最後に地和が前に出てきて、三人が同時に歌い始めた。歌に合わせてくれる他の楽器もなく、ただ三人の声だけで始まった歌は、それだけでも店の人たちの耳と食べる口を止めるに十分だった。声は舞台で一番離れた余が居る隅っこにまで鮮明に聞こえたものの、店の皆は三人の美しい声が自分たちが食器をガタガタする音や、食べ物を噛む音に遮られることすら嫌かのようにすべての動きを止めてただ歌声に集中していた。店は物を食べる音も、話す声も聞こえず静まり、ただ歌声だけが聞こえた。
店の皆、店の外に漏れる歌声に誘われた人たちも街からその声を聞こうと店に入ってきて、店に入りきれなかった人たちまでも入り口に留まってその声に耳を澄ませた。
彼女たちの歌にはそんな力があった。不安で辛い時に人々の心を安らげられる力。
乱世の火蓋を切った、いや、初めて民の声を聞いてくれた三人の声は、今でも民たちのためだけにあった。
「「「希望の空へと、舞い上がれ 夢 蝶ひらり」」」
歌が終わった後、少しだけ寂寞となった店は一気に人々の声援と拍手に満ちた。
「今日も良かったぞ!」
「蝶三姉妹いつ聞いても最高だ!」
「もう一曲頼むよ!」
「あ、いいの?じゃあ、もう一曲行っちゃうよ?」
天和がそう言う時に人和は素早く店長と視線を交わした。そして天和の方を見て頭を頷いた。
「よーし、じゃあ蝶三姉妹、次の曲は…」
結局それから更にもう一曲歌って、三曲も歌って、やっと三人の仕事は終了したのだった。
<pf>
「素晴らしい歌だったな」
仕事を終わらせた三人と帰る道に余は疲れた顔の三人に言った。
「当たり前じゃない。皆の前で歌う時だけは全力なのよ」
声援を浴びる時の元気一杯の姿は消え去り疲れた顔でも意地だけは一人前な地和が言った。
「ねえ、ねえ、帝ちゃんは私たちが歌うのちゃんと聞いてくれてた?」
「うむ、余も思わず軽挙妄動になりそうになったぞ」
「もっと声上げたり拍手打ってくれたりしてくれたらお姉ちゃん嬉しかったのにな」
行動では見せなかったが感動したことだけは事実だった。
「流石に三曲も歌うことになるとは思わなかったけどね」
「普段は違ったのか」
「普段はあれほどじゃなかったわ。一曲歌っても皆食べながら耳だけで聞いてるのが普通だったし。二曲目を頼まれることも稀だったわ。それだけ長安の人たちの中に今不安が宿って居るってことかもしれないわね」
余はさっき喧嘩をしようとしていた男たちの事を思い出した。人々の心の中に恐怖と不安が宿っているから直ぐに攻撃的になるのだ。一方その人々の心は自分たちを慰めてくれる、安らがせる何かを求める。彼女たちの歌が丁度彼らの欲を満たしてくれたのだろう。
「この調子なら、思ったより簡単に人たちを扇動することが出来るかもしれないわね。後は声が届く範囲を広められれば準備は出来るわ」
「そんなことが出来るのか」
「昔では良くやってたからね」
天和と地和は完全に歌うことだけを楽しんでいたに比べ、人和は北郷一刀との契約を常に頭に入れながら行動しているようだった。
「でも嬉しいわね。皆が私たちの歌で喜んでくれるのを見ると」
天和が疲れた顔でも笑いながら妹たちに言った。
「うん」「そうね」
その時余は気づいた。三人は歌うことを本当に楽しんでいたのだ。
仕事をしている時の疲れきった顔でも客の前だから見せた作り物の笑顔と違って、舞台で歌っていた時の笑顔、そして今疲れた顔でしている笑顔は本物の笑顔だった。彼女たちは本当に歌って踊ることに幸せを感じていて、またその幸せを自分たちの歌が届く人々に分けてあげる力を持っていた。
「汝らをもっと早く知っていたならな」
「うん?」
「いや、なんでもない。明日も店で歌うのか」
「普通旬に一度か二度ぐらい頼まれるのが普通だったけど、今日の調子を見ると多分明日も頼まれそうね」
「明日も余が付いていっても良いのか」
人和の答えに余はちょっと嬉しさを隠せずに聞いた。
「あ、帝ちゃんも私たちの歌のこと楽しみにしてくれてるんだね。どうせなら今から家に帰って帝ちゃんだけのためにもう一度歌ってあげようか」
「本当か」
「ダメよ、お姉ちゃん。もう今日は夜遅いから歌ったりしたら周りに迷惑」
「ええー、ぶーぶー」
「ぶーぶー」
思わず余も天和に続いて頬を膨らませるほど、余は彼女らの歌をまた聞くことを楽しみにしていた。