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十八話

時間が遡り、先鋒部隊が出発した後の陳留


華琳SIDE


「華琳さま!陛下がなくなられました!」


咄嗟に断りもなく入ってきた桂花に驚いて、書いてあった命令書の筆が滑ってしまった。


…あら、おかしいわね。


「桂花、今、皇帝陛下が…なんだって?」

「だからなくなられたそうです!」


なくなられた、という言葉には似ていてもまるで意味が違う複数の意味を持つ。


一つは皇帝陛下が崩御なさったという意味…は考えたくないから排除しましょう。


もう一つは別宮から姿を消した…と言う意味も考えたくないから排除…


できるわけないわね。


「申し訳ありません。午前の治安の仕事を優先して陛下の護衛に手を回すのを遅らせてしまった私の責任です」


霞の代わりに陛下の護衛を承っていた凪が桂花の後に付いてきてそう言いながら頭を下げた。


正直凪はそうでなくとも街の治安維持だけで十分忙しかった。これにチョイの教育がかりも桂花と一緒に承っているし、とても陛下「なんか」に気を配ってる暇なんてなかった。だから彼女を責める気はまったく起きない。


「…当ては?」

「恐らく霞の部隊にでも隠れこんだか…」

「それなら朝出発したから昼に見つかると今日中にはここに何か知らせが届くはずよ。それとも…」


一刀と一緒に居るか。


「今直ぐ伝令を出して先鋒部隊を捜索しましょう」

「いえ、陛下が先鋒隊に行ったはずがないわ。霞に見つかったら容赦なく帰らされるだろうにそんな無意味なことをするわけないでしょう?一刀と一緒に行った可能性の方が高いわ」

「しかし、一刀様の行方が我々も…」

「誰もも知らないわね。でも行くであろうこと自体は予想していたでしょう?」


凪はため息をつきながら、桂花は虫でも噛んだような顔で頷いた。


「最初から後をつけていたなら不可能なことでもないわ。とりあえず陛下のことは一刀に任せましょう」

「危険過ぎます、華琳さま。アイツと一緒に居るとすれば、なおさら今回はアイツを捕まえて来るべきです」

「彼が自分で陛下を返して来ないのならそれは最初から陛下を連れて行くつもりがあったか、それとも陛下を抱えてでも急ぐべき理由があるからよ。私からその意図を潰すわけには行かないわ」

「しかし、さすがに何もしないというわけには…」

「そうね…さすがに陛下が行方不明なのに何もせずに待つというわけには行かないわね…桂花、風はこの事を知っているの?」

「はい、凪が私たちが一緒に居る時に来たので」

「なら風をまず先鋒隊に送りなさい。ただし、陛下がいなくなったことは話さないように。もし向こうで既に見つかっているなら連れて来れば結構。それでなければ風は先鋒隊に合流して長安に向かいなさい」

「もしアイツと一緒に居た場合は…」

「…さっきも言ったけど、彼が連れて行ったのならなりの考えがあるはず。陛下の独断である場合でも場の判断は一刀に任せることにするわ。こちらから騒ぐより、彼に任せた方が寧ろ安全よ」

「……」

「風さまと別に、私が一刀様を探すというのは如何でしょうか。元を言うと私が陛下のこと疎かにしたことが原因ですし」

「凪は陳留の守りを任せているわ。残りなさい」


どこまでも無茶なことをやってくれましたね、皇帝陛下。


この件は後悔することになりますよ。


「それよりも桂花。本隊の出征について加えたいものがあるわ」

「はい?」



<pf>



風SIDE


とまぁ、そんな使命を持って半月前、華琳さまと共に本隊から来るはずだった風も稟ちゃんと一緒に行動することになったわけでした。


お兄さんが抜けたことで代わりに来ましたという言い訳でなんとなーく誤魔化した風は、進軍中にも特にやることもないのでお日様の光りを浴びながら絶賛居眠り中なのです。


「「「「起きろ(や)(てください)!!」」」」

「おおっ?!」


四重奏が脳に響くのですよ。


「いやはや…皆さんお元気なもので…ところで、何の話でしたっけ」

「全然聞いていなかったのですか!」


まあ、まあ、稟ちゃんそんな怖い顔をしなくともちゃんと聞いてましたから。余裕がなくなってますね。風は親友として心配です。


「で、先鋒隊の出発と共に送った新しい間者たちから長安に着く前に全部捕らえられたかもしれないって話ですよね」

「ちゃんと聞いてたやん」

「偵察に送った者も予定された日まで軍に合流できず、長安の中に既に居る間者とも連絡が取れない状態です。最悪、両方捕まっていると見た方が良いでしょう」

「訓練された間者たちも捕まってちゃ…隊長は大丈夫やろうか」

「あう…」


おやおや。いけませんよ、真桜ちゃん。そんな話をするから愛理ちゃんの顔が曇ってるではありませんか。


「お兄さんならきっと大丈夫ですよ」

「…そうでしょうか。でも無事に着いているのなら知らせるための伝令などを送ってくれても…」

「そんなことをしているぐらいなら最初の時から断りもせず一人で長安に向かったりもしなかったでしょう」

「ほら、稟ちゃんもお兄さんのことを信用しているじゃないですか。愛理ちゃんもお兄さんの部下なら信じてくれないとですよ?」

「……はい」

「いや、いい話にまとめようとしてる所悪いんやけど、今稟の話絶対嫌味やろ」


もう、なんで関西の人たちはこうも空気が読めないのでしょうかね。

(※すみません。関西の方々、悪意はありません)


ところ関西ってどこですか?


「でも、それじゃあどないするん?情報が入らんとなると、長安にまんま歩いて行っても危ないんちゃう?」

「しかし、止まっていると言って向こうの企みが自然と判るというわけでもありません。寧ろ相手がより堅固になるように待ってあげてる様でしかありません。霞、部隊を割って長安の周りを先に占領してくだい。そこを拠点にして情報を確保しましょう。

「まあ、そうでもした方が良さそうやな」


稟ちゃんと霞ちゃんが話し合っている間に風は少し違うことを考えていました。


仮にお兄さんが無事に長安に着いたとして、単独行動ならゆっくり行っても十日で長安に着いたはずです。お兄さんの普段の行いを考えれば、私たちと差のある五日間何かを準備していてもおかしくありません。そしてその策が成ったのであれば、きっと敵側の防諜にも隙が生じていることでしょう。だけど今はそんな様子が全くありません。


これは二つのうちどっちかだと風は思うのです。一つは本当にお兄さんの身に何かあったのか、それとも…。


「稟ちゃん、長安を守っている者が誰かは判りますか?稟ちゃんと春蘭さまが長安を通る時に入った情報があると思いますけど」

「長安に行った時に間者と接触しましたね。長安にはすこしばかり防衛のための兵が増えた以外に大した動きは見当たらないとのことでした。副将級の将たちも特に名のない者たちばかりで、馬家の者たちも見当たりませんでした。そして、長安の太守ですが、間者はおろか長安に駐屯する将兵もその正体を知るものがないらしいです」

「なんやそれ、西涼軍でも知らんちゅうの?」

「どうやらそうみたいです。ただ、洛陽が燃えた後流れてきた難民の多数は長安に住み着いたのですが、それでも大した混乱なく彼らを抱えた、内政においては手腕のある人材と見ていいでしょう」

「…西涼にそんな文に長けた奴ってあったっけなあ…馬騰の所って若い連中の中では脳筋ばかりで政治向きの連中はほぼ全滅なはずやけど…」


霞ちゃんは頭を掻きながら言いました。


確か洛陽から長安に流れた難民の数は一万以上。こんな数の難民がいきなり流れてきたら太守としてはいろいろと大変なことになるのですが、これを無事に収めたとなると大した手腕でしょう。


風と稟ちゃんは天下のいろんな所を見まわったつもりですが、残念なことに西涼の方はあまり眼中にありませんでしたね。もし西涼に来ていたなら、華琳さまが風たちに隠していることが何なのかも判ったかもしれませんが。


「司馬懿仲達」


その時、その『名前』がすっと会話の中に上がってきました。


「愛理ちゃん?」

「西涼と長安の合間に住んでいた、司馬仲達という人が居ました。水鏡先生が誰よりも愛した弟子でしたけど、政略、軍略ともに長けていた天才だったそうです」

「その名前はウチも聞いたことはあるんやけど、でもあいつ死んだはずやで。黄巾の乱始まる前に五丈原に埋められて、月っち…董卓だってあそこに参りに行ってたんや」

「死んだように皆を騙したかもしれません。司馬仲達は世に出ることを拒んでいました。だけど周りに自分を求める人が集まると死を装い再び隠れたかもしれません」

「仮にその話が本当であるとしたら、何故今になって馬騰を助けるのです。あなたの言うことが正しければ、こんな戦に参戦したくないはずです」

「それは…」


風も司馬懿仲達について風の噂で聞いた話を思い出しました。確かその才があまりにも恐ろしく、並の君主であればその長けた才で自分を裏切ることを恐れて司馬家の者を殺してしまう君主も少なからずあったそうです。その中で司馬懿仲達は誰にも仕えることなく散っていった唯一の司馬家の者。


もしその死が自分を守るための大掛かりな嘘だとしたら…。


「しかし司馬仲達ほどの手腕を持った者が西涼に居ないこともまた事実ですよ」

「風!」

「それに太守が正体を隠しているという事実も愛理の仮説を裏付けているのですよ。もし相手がかの司馬家の秀才だとするなら、風はこのまま先鋒部隊だけで行動に移るのは危険と思うのです。本隊と合流するまで待ちましょう」


そして司馬八達の頂点とも言える司馬仲達は仕えた君主こそないものの、人の相を見抜く目を持つと言われた先生水鏡の評価は現世代の臥竜鳳雛をも越えるのです。甘く見て良い相手ではありませんよ。


「司馬家が滅門してもう幾年経ちました。今までずっと死んだふりをしていて今更表に出てきたという話は信憑性がありません。それにもし司馬懿が帰ってきたのだとしても、私はあの乱世に出ることを拒んだ臆病者の前で怯むつもりはありません」

「風も司馬懿本人が怖いというわけではありませんよ」

「では…」

「でも、風たちは今何の情報も持っていないのです。もし相手が司馬仲達なら、尚更無策で長安の圏内に脚を踏み入れるわけには行きませんよ」

「うーん…まあ、情報が欲しいことには変わりはないな」

「でも、そもそもそれが出来るんやったらこんなこんがらがる話もしとらんよ」


まあ、そういうわけですけどね。お兄さんが中で何か起こして敵を混乱にさせない限り、こちらから攻め入ることは容易ではありません。でも他の手を提案しなければ、稟ちゃんは意地でも長安に強行するでしょう。


それならいっそ…。


「もう一度間者を出しましょう」

「どうやっても長安にまで辿り着くのは無茶です」

「相手が間者だと絶対に判らない人が行けばいいのです」

「はい?」


風は愛理ちゃんの肩にそっと手を置きました。


「愛理ちゃん、出番なのですよ」

「…あうううう!!!」


愛理ちゃんは本当可愛い鳴き声をしますね。


「な、なんで私ですか!」

「稟ちゃんと風は昔から天下を見まわってるので顔が知られているのですよ。でも愛理ちゃんならずっと徐州に篭っていましたし、曹操軍に入って日も浅いのです。多分向こうも愛理ちゃんの事までは把握していませんよ」

「でも……」

「なるほど、確かにこんなちっちゃい子が間者だとは思わんな」

「こんな小さい娘が一人で遠くから来たというのもあからさまに怪しいのでは?」

「そこはこう愛理ちゃんの可愛さで警備などを籠絡してもらうことにしてですね」

「ろ、籠絡って私そんなこと…」

「大丈夫なのです。世には愛理ちゃんみたいな体格の娘にも萌える人だって居るのですよ」

「風さまも私とそう変わりないじゃないですか!」


おお、これは互いに傷しか生まない争いが勃発する予感ですよ。


「ほら、お兄さんと逸れちゃって寂しがっていたじゃないですか。いい機会なのですよ。単身で長安に乗り込んだらきっとお兄さんも関心するのです。運が良ければ真名で呼んでもらえるかもですよ」

「ま…真名で…一刀様に真名で……」


迷っているのです。こうなれば後ひと押しなのです。


「ご褒美で長安のお菓子買ってもらえるかもですよ」

「行ってきます!」


寧ろ先にこれを言った方が良かったかもと思うぐらい早い決断なのです。


「護衛とか要るんちゃう?」

「そんなものが居たら彼女を行かせる意味がありません。一人で行ってもらうしか…」

「大丈夫です、一人で行けます!」


いきなりやる気まんまんな愛理ちゃんを見たら実に微笑ましいのです。


お兄さんに会うことではなくお菓子の方に釣られてる感じが実に残念ではありますけど。


<pf>


愛理SIDE


軍議で話し合った後の昼に、私を含めた偵察がもう一度放たれました。他の偵察者さんたちは長安まで行く無理はせず外郭で出来るだけ情報を集めて素早く撤退するそうです。


一方私は単身で長安まであるいて行かなきゃいけないので大変な仕事です。だけど風さまの言ったように、私だと比較的に怪しまれないと思うので、多分大丈夫だと思います。念のため賄賂で使う金も隠して来ましたから大丈夫です。


半日歩いて、目標としていた村に辿り着いた時にはもう日が暮れていました。間者への警備が激しいことに比例して、盗賊なども見当たらないので比較的に安全に来れました。


「止まれ、何者だ」


村の周りを囲っている厳重な西涼軍の兵たちの警備を見るまでは私もこの仕事が楽なものだと思っていました。


「あ、あの…わ、私…長安に住んでるお婆様に会いに来てて…あの……その…日が暮れちゃったからここで泊まって行こうと思って……」


事前に準備していた言い訳を述べてますが、この震えてるのは決して演技ではありません。素で怖いんです!西涼の兵士って凄く怖いです!兗州の兵の倍はデカイです!


「ひぃ…」

「おい、あまり小娘怖がらせるなよ」

「別に何もやってねーだろうが!仕事やってるだけだ!」

「あう!」


脚が震えてきました。やっぱ来なければよかったです…!


「ほら、大丈夫だ。コイツが今気が立っていてな。そりゃあんな任務のために来てたら気も立つがな」

「おい、余計な事を口走るな!」

「おっと、そうだったな。まあ、別にいいだろ。こんな小娘が間者なわけでもないだろうに」


ごめんなさい、隣の兵士さん。私間者です。


「…通って良いぞ」

「あ、ありがとうございます!」


私は逃げるように村の中に入って行きました。


「嫌われてるぞ、お前」

「…黙れ、そんな気分じゃねえ」

「まあ…気持ちは判るがな。俺だってあんな任務好きでやっているわけじゃないし」

「おい」

「へい、へい、判りましたって」


警備の兵士二人の会話を離れた所で聞きながら私は思いました。


あんな任務ってなんだろう。長安の太守が仕掛けている策の一環なのかな。でもどうして兵士たちがあんなに嫌々としているのだろう。


村の中に入っていくと村の中にも規則的に兵士たちが道で警備をしていました。日が暮れてて、道を歩く人も見当たらず、皆の視線が私に注目していました。


私は後ろめたい気持ち半分、素直に怖い気持ち半分で早くこの雰囲気から逃げ出したくて一番優しそうな兵士さんに村に宿屋があるか訪ねました。


「あるにはあるが、今は俺達が全部使っているから空き部屋はないはずだ」

「そ、そんな…」


そうか。兵士さんたちも宿屋を使っているのでした。となるとここにいる兵士さんたちの数は村に陣を張るほど多いわけではなさそうでした。そして兵士さんが差す宿屋の方を見ると、馬たちの声が夜でもうるさく聞こえてきました。


仕方なく、どこかの裕福そうな家に行って屋根を借りることにしました。運良く初めて尋ねた家は、親子が皆徴兵されて、残っているのは奥さんだけの家でした。


「あの、入れてくださってありがとうございます」

「良いのよ。私だって家に誰も居なくなって寂しい思いしてたのだから。うちにもあなたみたいな娘が居てくれたらね」


おばさんは快く私を家に入れてくれました。しかも丁度お腹を空かしていた所にもう時期も過ぎた晩御飯まで用意してくれました。


「さあ、お食べ」

「ありがとうございます!」


正直、進軍中に食べる食べ物なんてお世辞でも美味しいとはいえないので、こんなご馳走は久しぶりでした。甘いものなんて想像も出来ませんしね。


「本当に腹ペコだったのね」


おばさんは美味しそうにご飯を食べてる私を反対側の椅子に座って嬉しそうに見つめていました。私はそんな人の目は気にせずにとにかく美味しく料理を頂いちゃいました。


「ふう…」

「もっと食べる?」

「ううん、もうお腹一杯…あ」


一瞬ここが自分の家かのように勘違いしていました。


「ご、ごめんなさい」

「良いのよ。おばさんだってあなたみたいな娘が出来るの大歓迎だから」

「あ……」


この人の夫、そして息子は今頃長安のどこかで私たちと戦うために訓練しているでしょう。そして、その戦いで命を失うかもいしれません。そしたらきっと、このおばさんは……。


「ん?どうしたの?」

「い、いえ…なんでもありません。…あの、外に兵士たちが街中に立っていましたけど、この辺りに何かがあるのですか。戦争が起きるのですか」

「みたいね。城を守るだけでも大変でしょうに、村にも衛兵を付けて…村に男たちが居なくなると、戦争紛れに盗賊が湧いてくることがあるらしいからありがたいことだわ」

「でも、ちょっと怖かったです。なんか、兵士さんたちも気が立ってるみたいで…さっきは怒鳴られてびっくりしちゃいました」

「まあ、こんな可愛い娘に怒鳴るだなんて何を考えているのかしらね。気をつけた方が良いわよ。世の中にはあなたみたいな小さな娘でも手を出そうする獣じみた輩もいるのだから」

「き、気をつけます……」


何故でしょう。おばさんの声がまだ元気だった頃の母様の声と重なって聞こえてきます。


「徐州からおばあさんに合うために来たっていってたよね?来る間にちゃんと洗っても居ないでしょう?お湯を用意してあげるわ」

「あう?!そんな、ご飯まで頂いたのにそこまでされたら…」

「良いのよ。代わりにおばさんの話し相手にくれたら」


久しぶりに家に誰かが居ることが嬉しいのか、おばさんは私が断る前にせっせとお湯を沸かしに向かいました。


正直お風呂に入ったのも結構経ちましたけどね。でも間者に来てこんな歓迎されると胸が痛みます。


厨房で一人で息抜きしていた私はふとおかしなことに気付きました。厨房には厨具の他にも農具もありました。鎌とか鍬とかそういうものです。夏ももう終わりが近づいていて、秋が訪れます。募兵で兵を集める陳留違い、徴兵で兵が集まる長安は、秋が来て収穫が始まる前に人々を帰らせなければなりません。つまり、向こうは最初から籠城などを考えてないと考えた方が良いでしょう。籠城をしようとしても米が実ってないこの時期に籠城を始めたら、攻める側としては早々に攻めないで残った米が実るのを待って……。


ガシャーン!


「どうしたの!」


私がパッと立ち上がった勢いで食卓にあった茶碗が床に落ちて割れてしまいました。その音に外に居たおばさんが厨房に入ってきました。


「あ、あの、ごめんなさい」

「大丈夫よ。怪我はないわよね」

「だ、大丈夫です。ごめんなさい。お茶碗が…もしかしてご家族の使ってるものでは…」

「大丈夫よ。これは客用の食器だから…ほら、怪我するから退いていなさい」


おばさんが地面に落ちた茶碗の欠片を拾う様子を見ながら私の頭の中ではある考えが浮かんでいました。


この曖昧な時期の戦争。そして攻められる側にしてこれは非常に厄介に頃合いの攻めです。だからこそなのか収穫を目前にした農民たちまで徴兵して防衛を準備してはいますが持久戦になったら周りの地を包囲できるこちらの方が穀物を独占できます。防衛する側にしてそれを防ぐ唯一の方法は…


まだ実っていないこの畑をすべて無くしてしまうこと。


「青野戦術…?」


冗談じゃありません!だから村単位で部隊が配置されているんですか!


村の男たちが徴兵されたのもそのせいでした。恐らく今長安城と周りの村の部隊配置は正反対になっています。つまり精鋭、もしくは長安が地元でない兵は村に回して村の男たちは長安内に駐屯させて、青野戦術を抵抗なく成します。その後は長安で西涼からの物資で耐えるか、或いは洛陽のように捨てて西涼に引く可能性もあります。


「その…村の避難などは準備しないのですか」

「そうね…もう避難した所も居るらしいけど、私はここで家族たちが帰ってくるのを待つつもりよ。それに出来るだけ村には被害が出ないようにするらしいし、曹操さまも人望が高い方だからね。なんでそんな二人で戦争するのかしら」


当たり前ですが青野戦術は民の命とも言える畑を焼き、村の井戸なども埋めてしまう極めて危険な策なので、村の人々の抵抗はあります。だけどだからと言ってこの策を行う時に村の許諾を受けないわけにはいきません。なのに未だにここの人たちはこの村で何が起きるだろうか想像もしていない様子…敵さんはこちらの動きに合わせて全部焼いて、村の人たちの避難も考えず逃げるつもりです。


「ん?どうしたの?顔色が良くないのだけど」

「あう?!な、なんでもないです。いきなり立っちゃって血が抜けてきて…」


今本当に自分が考えたことに頭から血が抜けてきちゃいます。もし私の考えが正しければここの人たちはどうなるのですか?この長安の人々は…このおばさんは?


「そう?疲れが溜まってるみたいね。家に何か薬があったはずよ…」

「い、いえ!大丈夫でしゅ!休んだら平気でしゅ!」

「ふふっ…そう。お風呂は湧いてあるはずだから入ってから寝て頂戴。寝室は空いた息子の部屋を貸すわ」

「は、はい…ありがとうございます」


長安まで辿り着いている暇がありませでした。私たちの軍が長安の近くに来た時点でもういつ策が実行に移してもおかしくありません。幸いまだ実行命令が降りてない様子。明日にでも急いで部隊の方に戻ってこの事を知らせなくちゃ……。


<pf>


皇帝SIDE


民家から逃げて人の往来の多い街に入ると馬から降りて人込みの中に紛れ込んだ。


「焦っている表情を見せるな。まだ俺たちの顔が知れ渡っているわけではない。怪しい者を見かけたとかそういう報告を受けて嗅ぎつけてきただけなら怪しい動きをしない限りここでバレはしないだろう」


北郷一刀の指示通りに余はゆったりした顔で前を見て歩いた。


「…そのバレバレな表情と歩きをやめろ」

「失敬な。これは余が生まれてから身に付けた姿勢ぞ」

「だから言っている。そんな貴族の娘みたいに慎ましやかに歩いて貴族だと広告してるつもりか」

「普段は人が見て不安になるような歩き方をしている奴が良く言う」

「今は普通にやってるだろうが……」


その時突然北郷一刀が真上から余に拳骨を食らわした。


「痛っ!貴様…打ったな!刃でもなく手で…!」

「うるさい!ダメって言ったらダメだ!駄々をこねるな」

「は?」


余は突然北郷一刀が何を言っているのか判らなかった。


だけど、直ぐに周りを見て彼の意図を察した。


「良いから来い。母さんが待っている」

「や、やだー!やだ!あれ欲しい!」


演技のために適当に指差した場所には装身具を売る店があって、平民向けのものなども売ってあったが決して安いとはいえなかった。


「そんなもの買うお金があるわけないだろ。良いから来い」

「いや!買って!買ってー!」


すると北郷一刀が余の手首を掴んで無理やり連れて行く様を見る人々の姿もあった。が、街並で捜索をしていた兵士たちが一度此方側を見て、ただの単なる兄妹争いだと思い他の場所へと移っていった。我らを追っていた兵士たちは正確な我々の姿を知らなかったからこうして逃れる事ができたのだ。


しばらく装身具を強請る妹とそれを無理やり連れて行く兄の姿を装いながら余と北郷一刀は大通りから人が通らない細道の方に曲がった。


「…やだー、兄上のケチー!」

「もう良いから」

「そうなのか」


つい役にはまっていた。


「しかし咄嗟にあんなことしだして驚いたぞ。もし向こうが我々の顔を知っていればどうするつもりだったのだ」

「だから敢えてそうしたのだ。静かに通っていれば奴らは我々の顔を見て正体を知っただろう。でも我々の行動が自分たちが探している者であるはずのない行動だったからこそ深く考えずに他の所を探しに言ったのだ」

「そういうものなのか」

「逃走劇で明らかに姿をバレ安い場面なのに突然道で無作為に異性を掴まえて口づけしたり宿屋入って肌合わせてると逃れるのと一緒だ」

「なんだ、それは!余も駄々こねる妹よりそんな役が欲しか…!」


…いや、これは違うな…ははあ…。


「そ、そんなふしだらな真似を余にさせては幾ら汝とて容赦しないぞ。丞相に言いつけてやる」

「喩え話だ。誰がお前とやるか」

「…余が役に不似合いと言うのか」

「お前はさっきみたいな役がお似合いだ」

「何なら汝が余を襲ってる役になってやろうか」

「余計なことをするな」




「あの……」

「む?」

「…!」


気兼ねない会話をしていた我々の横から声をかけてくる女が居た。余は突然現れたその桃色の髪をした者が我々を見つめていた。しかし彼女を見た途端北郷一刀は潜んでいた銃を取り出し銃口を女の額に向けた。


「ひいっ!ごめんなさい!助けて!」

「…何故貴様らがこんな所に居る」


北郷一刀の顔は厳しい表情をしていて、声かけただけで突然銃を向けられた少女は脚をガタガタとしながらも一歩も動けずに居た。


「北郷一刀、何をしている」

「お姉ちゃん!」

「…!」


道の向こうから彼女の姉妹らしき黄色い服を来た二人が自分の姉が見知らぬ男の前に体を震わせているのを見て驚愕し走ってきた。


「何よ、あんた!お姉ちゃんに何しようとしたのよ!!」

「ちぃ姉さん、待って」


その中で眼鏡をかけていた娘がゆっくりと我々の方に近づいてきた。


「…お久しぶりですね」

「二度と会いたくなかったのだがな」

「それはこちらも同じです。所で特に問題がないのでしたら、私のお姉さんの頭にあるソレを下ろしてもらえないでしょうか」

「そ、そうだ、北郷一刀。突然何の罪もない民に銃を向けるなどどういうつもりだ。さっさと下ろさぬか」

「……」


北郷一刀は銃口を桃色の髪の女から離した。安全になったと思った途端その娘はその場に崩れた。


「お姉ちゃん、大丈夫?怪我はない?こいつに何もされてないよね?」

「ふええ、ちぃちゃん、お姉ちゃん怖かったよぉ」


後ろに居た末っ子らしき小さな娘が姉の方に行って様子を伺っていた。


「私たちを捕まえに来たのですか?」

「自意識過剰だな。近づいて来たのはお前の姉の方だ」

「…だから知らない人に顔を見せるなって言ってたのに」


眼鏡の娘が額に手を当てながら言った。


「だって、遠くから見てたらちょっと可哀想だなぁって思って…あ、そうだ。ほら、これ、欲しかったんでしょう?」

「む?」


その時桃色の紙の女が余にさっきの店にあった髪飾り一つを出した。


「お姉ちゃん!またそんなの買って!うちもそんな余裕ないんだから!」

「大丈夫だよ。今日からお姉ちゃんが食べるしゅうまい一個減らすから、ね?」

「そういう問題じゃないってば!」


もしかして、さっきの芝居を見てわざわざ余にこれをあげようと付いてきたのか?


「…お姉さんたち、この人は…」

「説明は後だ。丁度良い。お前らどこに住んでいる。ちょっと場を貸せ」

「はぁ?!何言ってるのよ?いまさっきまでお姉ちゃんを殺そうとしていたくせに!」

「ここで騒いでいてバレたらお前らにも良いことはない。どうする?」

「…仕方ないですね」


眼鏡の娘はため息をつきながら自分の姉妹たちに言った。


「お姉さんたち、とりあえずこの人たちを連れて家に戻るわよ」

「でもれんほー…」

「れんほーちゃんがそう言うのなら大丈夫かな…?」

「お姉ちゃん!」

「騒いでる場合じゃないわ。多分、この人たち今追われてるから、静かに帰りましょう」


そう言って眼鏡の娘が先に歩き出し、姉たち(そのうち小さい方は北郷一刀の方を一度睨み着いて)が後に付き、我々もその後をおった。


「北郷一刀、彼女らは一体誰なのだ?丞相に内密に愛人でも作っているのか」

「いまさっきの会話の中でそんな空想を見出したお前の妄想力には頭が下がる」

「ふむ、そうであろう?暇だったから霞に頼んで街の恋愛小説はかたっぱしから読んだのだ。庶民の文化もなかなか良いものだ」

「…陳留にそんな痴話喧嘩なストーリーの小説が万延しているのか。そのうち規制を入れるべきか」

「で、実際のところ、誰なのだ」

「話は後だ。…お前その如何にも麗しそうな歩き方をやめろ」

「しつこいぞ。これは見に染みたもので…わっ!ちょっと、何をする!」

「静かにしろ。バレたくなかったら足首をくじいた役にでもハマっていることだ」


余の歩き方が見てられないと突然余を抱き上げる北郷一刀の横暴に、余は抵抗するすべもなく痛くも痒くもない足首を握りながら涙を流す演技をする他なかった。


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