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十七話

愛理SIDE


みなさん、こんにちは。


今日は西涼遠征の先鋒部隊の出立日でした。今年新しく軍に加わった私にとってはこれが初陣になります。別に前に出て指揮を執ったりする仕事はないはずですけど。それでもとても不安なので、いつもより朝早く一刀様の部屋に行ったのでした。


でも一刀様の姿は見当たらず、寝床の上に一刀様の文字でこう書かれている竹簡だけが置いてあるのでした。


『先鋒の先鋒として出る。ゆっくり付いて来い』


意味が判りませんでした。朝ごはんも食べてなくて回らない頭で四半刻考えた後やっと気付きました。


ああ、私、捨てられました。

一刀様、私捨てて一人で先に長安へ行っちゃいました。


※ ※ ※


「あう…ひぅ……うぅ…」

「よーしよーし、愛ちゃん泣かんといてーな。隊長もきっと愛ちゃんのこと気にして連れてかんかったと思うで―」

「うっ…そうかもしれませんけど」

「何がそうかもしれませんですか!!非常識です!部隊が出立する前夜に一人で勝手に長安に行ったのですよ!私には華琳さまに邪魔にならないようにしろだの言っていた人の所行とは思えません!」


あう…稟さまが怖いです……。


「まあ、まあ、稟もそう怒んなって。怒るだけ損やしな。一刀のことは」

「せや、せや。長安に行ったらまた会えるで」


霞さまが呑気そうな声で稟さまを宥めて、真桜さんもまた呑気にそれに同調します。


「っ…華琳さまに禁じられていなければ、馬で追いかけて取っ捕まえてきています!何なのですか!あの無駄な行動力は!一人行動ならともかく軍事で将があんなことをするなんて職務放棄です!」

「まあ…でもやる時はやるで、隊長って」

「……」


稟さまの顔はとても晴れそうにありません。恐らく長安に付くまでずっとこの調子でしょう。


稟さまの焦りは多分、一刀様が自分たちが行く前に長安で起きているであろう西涼軍の謀略を解いてしまうのではないかというものだと思います。自分が功を立てる機会、謂わば見せ所をもっていかれるのが怖いのでしょう。普通にありえない心配なのに一刀様が出来てしまいそうだから不思議です。


「霞、今から急いで行って長安まで十日で着けるようには出来ませんか」

「阿呆!そんなことしたら長安に付く前に兵がへばっちまうやろうが。兵を西涼の騎馬隊の餌食にしたいんかい!」

「くっ…!」

「長安に近づいたら間者を送って一刀の様子も探るから心配せんでええ。今回の長安攻めは重要やから一刀も下手に動きことはないやろ」

「……いっそ下手に動いてくれた方が良いのですが」


そうぼそっと言う稟さまの言葉を私は聞き逃しませんでしたが、何も言わずに黙っていました。古より才ある者が妬まれたり、憎まれることは仕方のないことだと判っているのですから。


そう、まるで一刀様から聞いた、私の大先輩がそうであったように…。


<pf>


一刀SIDE


「……」

「……おお、やっと見つけたか。汝や良くこんな狭い箱の中で眠れたな。余は背中が痛くて…」


俺は行商人を装うために用意した荷馬車の箱の中を確認し、そっと蓋を閉じた。そしてそのまま荷馬車の外に下ろして、再び出発した。


「ちょ、ちょっと!北郷一刀!待て!よもや余をこんな所に置いて行くつもりではあるまいな!待て!待ってくれ!」


後ろからそんな声が遠くから聞こえてきたが気にしないことにした。荷馬車(古くて新調するという商人から安く買った)には行商に使う食材(流琉から買った)と砂糖(は無論時給用)しか入れていない。そう決して人なんざ入っていなかった。ましてやそれが帝だったなどと天が二つに割れて決してありえな…。


「おお、お嬢ちゃん、良い服来てんだ。お兄さんに譲ってくれねえか?」

「な、何者だ、貴様は!余は忙しいのだ!」

「まあ、まあ、そうと言わずに、迷子になったのならお兄さんたちが助けてやるからな」

「「しっしっし…」」

「う、うぅぅ、ぶ、無礼者!余は、天子ぞ!この国皇帝なのだぞ!汝らのような下賎な輩が軽々しく声をかけて良い身分ではない!」


……


……


タン!


※ ※ ※


「いやはや、さっきの連中の逃げる姿は滑稽だったな。汝のその砲を小さくしたような武器が腕に掠っただけで連中怖気づいて逃げるとは情けない」

「……」


ちんぴら共を逃亡させ、『荷物』を荷馬車に放り入れて後改めて馬車を走らせてた。


「まったく、汝のせいでひどい目にあったではないか。せっかくこの前街で買った服が台無しだ」

「何故俺が出ることが判った」

「ふふーん、余の情報網を侮ってはならぬぞ。洛陽に居た者たちの中で陳留に流れた董卓の兵たちとは連絡が行くのだ。彼らの情報を使えば、その日街であったお祭りのことから、魚屋の魚を盗った猫の毛色までも判れるのだぞ」

「……」


…そんな偉い帝さまがたかが荒野に捨てられて十歩離れただけで、洛陽で人質になっていた頃の凡愚に戻ろうとしていた事を、俺はどう解釈すればいいのだろうか。


これ以上聞きたいことは山ほどあるがーどうやって屋敷を抜けてきた、文遠はこの事を知っているか、この荷馬車は流琉に預けていたのだがまさか流琉も一枚噛んでいるのかなどーこれ以上耳にしたらその時は本当にこいつをこの荒野に放り出して行きたくなりそうなのでやめておこう。


「一つだけ聞こう。何故来た」

「面白そうだったから…こら!どこを触るか!降りのぞ!余の靴にもう一度あの汚い土が付いたら霞に言いつけてやるからな!」

「文遠がお前の無断外出を許すとでも」

「その時は汝が無理やり連れてきたと言う」


いっそこの荒野で死んでくれないかと本気で思ってしまうぐらい清々しい顔だった。さっきのちんぴらに脅威射撃するのではなくこいつにとどめを刺すべきではなかったのかと本気で思ってしまう。


「不敬なことを考えておるな。どこまでも失礼な輩だ」

「…遊びに行くのではない」

「判っておる。偵察であろう。だからこうして丁寧に荷馬車まで用意したのだ。馬を替えながら行けば軍隊よりは早く長安に付くだろう。ただ、別に行商人を装う意味はあるのか疑問だがな」

「向こうは警備が厳しい。間者もほぼ入れないしな、こちらの動きに必要以上に警戒している。恐らく洛陽当たりから既に東から長安に来る者たちはすべて監視していると見てもいいだろう」

「そこまでか?さすがにそれでは守備範囲が広すぎではないのか」

「洛陽が廃墟になった今長安より東から来る人の流れは日に数えるぐらいしかない。だから相手が間者か普通の民か見分けることもそう難しくはない」

「だからこんな遠くから形を決めて向かうのだな」

「そういうことだ。というわけで、俺について来るのであれば、次の兗州の最後の街で服を変えてもらう」

「なんと!この服に問題があるのか。忍びの時に着る一番地味な服ぞ」


今帝が着ている服は地味…ではあるが材質が絹だった。もちろん行商人がそんな高いものを羽織るわけがない。ちなみに俺も行商人が着る古いものを着ていた。


「しかし…ふむ、なるほど。汝が余に服を買ってくれるのか。これは後で自慢出来るぞ」

「金はお前が出せ」

「余は一文無しぞ」

「威張るな。俺だって俺が食って寝る分の金しか持っていない」

「寝るのは別に馬車で良かろう。男の子ではないか」

「貴様本当に放り出すぞ」


先が長そうだ。


<pf>


「うぅ…服がかさかさする」

「平民の服装はそれが普通だ」

「余が着ていた服も、民の着る服だと文遠がいっておったぞ」

「それは貴族か富裕層の連中が仕入れる特殊な絹だ。皇帝の着る袞竜ほどでなくても、あれ一着でお前が考えている平民の数ヶ月の食費に当たる」

「そ、そんなにするのか…知らなかった」

「くさってもお前は皇帝だ。平民の服が欲しいと言っても華琳や文遠が本当に平民が着る服などお前に仕入れられると思うのか」


他の軍にバレたらそれだけで皇帝を酷に扱っていると天下にばら撒かれるだろう。


「もっと民たちを触れ合うことが多ければこんな不甲斐ない間違いなどしなかったであろう…」

「……」

「のう、北郷一刀」

「なんだ?」

「この前、河北に行って来たのであったな。月は…元気にしていたか」

「そうだな…見たところ特に病気などはなさそうだったな」

「幸せそうだったか」

「……特に身に不自由な所があるようには見えなかった。自分の立場に満足しているのだろう」

「そうか。良かった…」


董卓は名前を含めたすべてを捨てて侍女として生きていた。それが果たして幸せな生き様なのか俺には判らな。ただ自分の立場を考えて妥協しているのか、それとも本当にそれで良いのか。


「最近時折思うのだ。余も月みたいにできてれば良いなと」

「……お前は皇帝だ。董卓…月は、自分の意志でそれを捨てることが出来たが、お前には自分の座を捨てる権利がない」

「判っておる。これが余が犯した過ちへの罰なのだと、そう思いながら生きておる。しかしだな。ここに来て、何も出来ぬまま別宮を歩いていると、皇宮に居た頃の無力である以前に何かをやろうと思わなかった自分に戻っている気がするのだ」

「……」


正直、あの頃はあまりにも嘆かわしくてあんな事もしたが、今になっては本当に黙ってこもっていてくれた方が楽ではある。


が、……


「余はそんな姿になるのはもういやだ。だから」

「次にこんな事する時は俺と相談しろ」

「……良いのか?」

「どうせやるなって言っても聞かないんだ。不意打ちされるぐらいなら無茶ぶりしてくれた方がへし折ることも出来て楽だ」

「……ふふん、相変わらず素直に物言いの出来ぬ男だ」


そう言った皇帝は斜陽のある荷馬車から御者台に乗っかってきた。


「大人しく後ろに座ってろ。狭い」

「良いではないか」

「良くない。真夏にくっつかれると暑くてかなわん」

「まあ、嫌でもこれから長安に行くまでは二人きりなのだ。慣れてもらう他ない」


ああ…華琳が早く気付いて駆けつけて来ないだろうか。


<pf>


皇帝SIDE


北郷一刀曰く、陳留から長安までに行軍すれば十五日ほど掛かるらしい。北郷一刀は「もし曹丞相が余がここに居ることを知れば先鋒に捕まえて来るように命じるはずだからその時は捕まる覚悟で居ろ」といたが別にそんなことはなく無事に十日後には長安に着くことが出来た。


ここに来るまで余はなかなか楽しめたが、その話は今は置いておこう。ただ不満だったのは寝る場所が不便だったことぐらいだ。他には別に大きく不満を抱くことはなかった。不便はあったが、それぐらいは耐えるつもりで来たのだがな。面白そうだという興味本位で来たとは言え、ワガママを言ってお荷物扱いされるつもりで来たわけではないのだ。


「長安には何用で来た」

「…ご覧の通り商売です」


今我々が長安城の城門に居る。


稀に見る北郷一刀の敬語であったが、それほど重要な偵察だと判っていたため、余も黙っていた。


今余も北郷一刀もここに来る間砂嵐を避けるための毛布を全身にかぶっていて、顔も隠しておった。別に余がこんな姿で顔を現した所で余が皇帝だと思う者は居ないだろうと思うがな。行商人なのに肌が焼いてないと疑われるって言われて仕方がなかった。ちなみに今余が居るのは御者台ですらなく、荷馬車の影の中だった。北郷一刀も思いのほか心配性だな。


「よし、通れ」

「……」


北郷一刀が門番の許可をもらって無言で馬を操り、城内に無事に入るの確認してした後、余は御者台の方に顔を出した。


「うまく行ったようだな」

「まだ内側に居ろ」

「これからどこへ行くのだ?」

「品を実際に納品してもらうことになっている店がある。そこへ行く」


ただ形だけではなく、実際に商売する相手までも陳留から用意していたのか。用意周到しているな。


※ ※ ※


取引をした飯店で品を確認した後、丁度腹が減っていた我々はその店で飯にすることにした。外側の見える野外の席を選んだが、丁度大通りに位置する店では人々の通りがひと目で見えた。


「にしても妹扱いとは無礼極まりない奴だ」


そうだ。店の長が品を確認する際に余の顔を見て誰かと尋ねる時に、北郷一刀は迷いもなく自分の妹だと返事したのだ。皇帝の兄上を名乗るとはいい度胸だ。


「あの場で他になんと言う」

「婚約者とか」

「…はっ」


…あとで文遠に言いつけてやる。


「それにしても陳留ほどではないが、活気のある街だな」

「全体的な商売の額はこちらの方が上だろう。長安は陳留よりは大きな城だ。陳留も長安ほどの大きさがあったなら、あれほど混むことはないだろうが、そろそろ本当に他の所に移さなければ……」


そう自分でペラペラと喋っていた北郷一刀は咄嗟に口を止めて顔を顰めた。


「余計なことを言うな」

「余が何をしたというのだ」

「お前が街の話を振ったせいで不意に治安や都市計画などに付いて考えただろうが。密偵中だと何度言えばわかる」

「それが余のせいだというのか?!汝の頭は一体どうなっておるのだ」


この遠い長安まで来て仕事の事しか脳にないとは逆に可哀想になる。


「…注文は如何いたしますか?」


給仕の者が我らの前に来た。


「一番高いので揃えてくれ。後後食で甘いものを用意してくれ」

「いや、待ってくれ。せっかくだから余はこのチャシューメンとやらを…」

「高いもので頼む」

「かしこまりました」


何故だ!余が高いものを注文して無視されるのはまだしも、何故素朴な庶民たちの食を経験してみたいと思う些細な思いが打ち砕かれねばならぬのだ!


「商人を装うのではなかったのか。店で高級な料理を食す行商人などあるものか」

「俺が食べたいからだ」

「いやがらせだな!余への嫌がらせに決まっておる!」

「そうだ」

「認めるでなーい!!」

「声を静めろ。目立つ」


きー!何故だ!何故余がこんな目に合わなければならぬ!後で丞相に言いつけてやる!余のこと虐めたといいつけてやる!


「お待たせしました。お店で一番お高い料理の人…」

「「戻せ!!」」


あとで北郷一刀に謝れた。変な気分だった。

ラーメンというのが美味しかったから許した。


<pf>


それから数日、北郷一刀は本当に商人を装って街や城のあっちこっちを見渡りながら市場の品を見て回ったり、民家などを回りながら市場から買ったものを直接小売りしながら城の情勢を聞いて回ったりした。行商人の真似はタダのまね事であるはずなのに何故間者の仕事をしながらもあの無愛想な商売で黒字で出るように出来るのかそれだけが疑問であった。


「遠出は楽しかったか」


三日ぐらい時間がすぎた頃、北郷一刀は初めて自分から余に話をかけてきた。


「そうだな。市もいっぱい回れたし、汝が民の住居などを回りながら商売をするのを見ながら人々の住む姿も見れた」


中には洛陽から避難した者も幾つか居た。その中では変装した余と北郷一刀を見抜く者もいたが、大事にはならなかった。


「楽しんだなら結構だ。当分はまた軟禁のような生活が続くだろうからな」

「…無愛想でも良いからたまには街になど連れて行ってやるって行ってほしかったな」

「こんなこと何度もやっていたら身が持たない」

「…その余を面倒な女みたいに扱うことが気に入らないのだが」

「面倒とは行っていない。連れていて疲れると言ったのだ」

「一緒だろうに」


しかし、偵察しながら何か分かったのか?単に街を回りながら商売をするがてら話を聞いて回ったぐらいしか頭にないのだが。


「街を見ながら、何か分かったことはあるか」

「…いや、特にはないな。一番知りたかったことも端緒すらなかったしな。敢えて話すことなら…馬騰が長安にて防衛する気はないようだな」

「何故そう思う?」

「敵が目の前にまで来ているのに、街の動きも制限せず、門もそのままにしておるし…よもや馬騰は長安をこのまま丞相に渡すつもりか」

「…まあ、そう思うことも仕方ない。が、それなら兵がまったく見当たらないのが正しい。実際には、結構な数の兵が城にまだ駐屯しているし、出入りも激しい」

「しかし、あの数では丞相の先鋒部隊すらも止められぬぞ」

「止めるための采配ではないからだ」

「…どういうことだ?じゃあ、やっぱりこのまま引き渡すつもりか」

「それはない。長安は衢地だ。馬騰がただで長安を渡すとなっては、幾ら西涼の騎馬隊が強くても西涼が落ちるのが時間の問題だからな」

「……ますます分からぬ」


いったい馬騰は長安が何をしているというのだ?


「青野戦術というのがある」

「青野戦術?」


「戦争で軍の物資調達がどうやって行われるか知っているか。今まではその大体を自前で調達して来たが、実際の所は敵城を占領し、その場の物資を使う方が多い。黄巾の乱の時などは賊が民から盗んだ兵糧など使ったら名が落ちるから使えなかったが、反董卓連合軍の時には防衛戦が崩れるたび、だいたい関の中の物資は持っていったので実際この戦術が行われたと言っても良い」

「つまりその青野戦術は…負けても相手に物資を渡さぬためにすべて持って後退することを言うのか」


しかし、物資を持って後退などしたら後を追いつかれて終わりと思うが。


「もちろん、すべて持っていくことは出来ない。それでは追撃されるからな。だが、この戦術は物資を持っていくことではない。相手に物資を渡さないことだ。こちらが使うものではなく、相手に使わせないことが肝心」

「……一緒ではないのか?」

「…例えば、今は真夏、米の収穫はまだまだ先だ。だが長安が落ちてしまって、我軍が長安を占領すれば、秋を待ってその米を収穫して物資に加えることが出来る。それを止めるためにはどうすれば良い?夏にまだ実ってもない米を収穫することは出来ない。長安をそれまでに守りぬくこともまた適わない」

「…まさか……まだ実ってもない畑を…」

「そう、燃やす」


絶句した。そんなことまでするのか。


「それだけでは終わらない。長期戦になれば農作物を燃やした後の肥沃になった畑さえも相手の資産となる。だから馬などを走らせて畑を荒廃にする。井戸なども埋めるか毒を入れるかで使えなくする。この戦略は本来城の周りにこんなことをした後、城や周りの要塞などに篭もり防衛戦で持久戦で持ち込む、という戦術だ。さすれば攻撃してきた方は時間が経つにつれ不利になる一方だからな。だが今回はそれでも長安が守れなくなった場合、隙を見てこの長安さえも荒らして西涼へ後退することも出来る」

「馬鹿な!そんなことをしてしまっては長安の民は…!」

「曹操軍が兵糧を民に分けたりしない限りは飢え死ぬだろう。無論、それでも一年の農事を無きことにされた長安の民をいずれは飢え死ぬ」

「ありえない。そんな外道な策を本当に使うというのか!」


余は北郷一刀が悪い冗談をしているのだと思いたかった。洛陽を燃やす蛮行も躊躇わなかった北郷一刀だから考えられるそんな邪悪な考えだと思いたかった。だが北郷一刀の顔はとても真剣で、これがそんな冗談ではないと言っていた。


「それを確認するためにここまで来たのだ。正直、長安を渡すと言ってきた頃から思惑はあったが、お前が言った通り、外道極まりない策だ。普通考えもしないし、実行する者も居ない。だが西涼の連中にとっては長安は必ず守らなければならない場所でもない上に、伊の洛陽と長安が両方とも荒廃になれば都は完全にその機能を失い、華琳にとってはただの土塊でしかないようにする大きな被害を与えられる。効果は抜群だ」

「何故馬騰がそんな策を使うと判るのだ。余が聞いた馬騰の噂では、彼女は荒れものではあっても西涼の民たちを想う良き盟主だった」

「さあな、しかし、積極的に長安を守るための采配も見当たらず、特に他の策を用意している様子も見当たらない。青野戦術の肝は敵側が策に気付いて間者が本隊に戻ってそれを伝え、軍がそれを阻止するため早駆けしてくる前に策をすべて終わらせることだ。小部隊に分けて軍の移動が頻繁に行われたのはそのためだ。各地に軍が分けられて、時期が来れば一斉に行動を開始するのだ」


先鋒部隊が策が実行された後にこの事を知ればもう遅い。未然に策を妨害しなければ長安を得ることは適わないということだ。


「で、ではどうするのだ。何か止める策はあるのだろ?」

「なくはないが…いや、ない」

「なんだと!」

「既に軍は各地に送られた。これを止めるには大軍の奇襲が必要だが、まず例によって間に合うかも怪しいし…もっとも俺が行っても奉孝が信じない他に何があっても俺が言う事だけは聞かないようとするだろう」

「無責任ではないか!それなら何のために偵察に来たのだ!先鋒部隊の大将に伝えなければ偵察をした意味もなかろうが!」

「無責任で結構。華琳は俺ではなく奉孝に先鋒を任せた。自分に与えられた機会をモノにしたち目に火をつけていたのはあいつだ。今回で失敗すれば奴も自分の限界を知るだろう。ひいては華琳も自分の間違った采配に気がつく」


余が勘違いをしておったのか。そういうことには気を使わない人物だと思っていたが、まさか曹丞相の采配に不満を持って郭奉孝へすべての責任を押し付けて失脚させるつもり黙っているつもりなのか。


しかしそれでは長安の人々はどうなる。この辺にも洛陽に劣らぬ数の人々が住んでいる。北郷一刀が言っていた策通りなら、ここに居る人々は本当に大飢饉に遭遇するだろう。そんなこと、余は見てられない。


「どこへ行く気だ?」


荷馬車から降りて歩く余を見て北郷一刀は言った。


「ここの官庁へ行く。長安太守に行って余の正体を明かし、この愚かな策を皇命で中止させるのだ」

「…自分の服装を見ろ。官庁の入り口で止められる」

「持ってきた服に着替える。それなら太守と話しぐらいはできるであろう」

「玉璽は持ってきているのか。百歩譲ってここの太守がお前が皇帝だと認めようとも、玉璽を押した勅書がない限り馬騰の命には逆らえない」

「玉璽がなんだというのだ!たかが印一つないということだけで、余の、皇帝の命が聞けたり聞けなかったりするのは可笑しいだろ!」

「……お前はそんな世の中の皇帝なのだ」


北郷一刀は厳粛に言った。


悪足掻きなのは判っておる。北郷一刀の言う通り、誰も余のことを皇帝だとも思ってくれないだろうし、仮に信じてくれようとも何の力も持たない余の命など誰も気にしない。だが…ここに居る民たち…。


「ここには、余と月、そして汝があれだけの犠牲を払って守った洛陽の人々までいるのだぞ。彼らまでもすべて見なかったことにする気か」

「……」

「北郷一刀!」


余はこの場で唯一余のことを判っている人の前で膝を折った。


「余の願いだ。彼らを守ってくれ」

「……」

「何も分からぬ愚かな民たちだ。こんな…勢のある者どもの縄張り競争で訳も分からず死なせるのは酷すぎる!」

「…人の目が集まっているぞ。立て」

「嫌だ!汝が約束してくれるまで立たない!」


余が大声で民家の中で叫んでいたせいで、人々の目が余たちの居る荷馬車の方に集まっていた。いっそこの方が都合が良い。彼らがこの騒ぎを見て状況に気付いてくれたら洛陽の時のように長安から逃げてくれる。


「これをこの場で見逃すならここに居る民たちは!馬寿成や彼女の手下たちによって殺されるのではない!曹丞相や郭奉孝によって殺されるわけでもない!この状況を見て何もしなかった汝と余のせいで全部死ぬのだ!汝はそんなこと耐えられるかもしれないが、余は違う!余はそんなこと耐えられない。そんなものをこの目で見るぐらいならいっそ馬寿成で我が身を差し出して止めさせる方がマシだ!」


その時、北郷一刀は土塊の地面に跪いている余抱き上げた。荷馬車の馬の上に余を放り投げて荷馬車を外した。


「北郷一刀!」

「騒ぎに嗅ぎつけてきた。まずはこの場を凌げるぞ」


北郷一刀の話を聞いて後ろを見ると、武装した兵の二人がこちらの様子を見て走ってくるのが見えた。


「ど、どうするのだ?もう城門は…」

「馬鹿か。先鋒が来る前に長安を出れば二度と中の状況が把握出来ない。それではここまで潜んでいた意味がないだろうが」

「…では!」

「俺は俺に出来ることが何もないって言ったんだ。何もやってないとは言っていない」

「さ、最初からそれを言え、馬鹿者!」


皇帝が膝を折ったことを誰かが知ったら大騒ぎだぞ!


「良いから掴まえろ。ここで捕まったら全部水の泡だ!」

「わ、判った」


余は多忙な北郷一刀の声に馬に乗った北郷一刀に密着してその腰をぎゅっと締めた。


そして北郷一刀は予兆もなく馬の腹を叩くと馬は兵士たちの来る反対方向へと走り始めた。


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