7.はじめは困ってばかりだった
邸内を通り抜け、中庭に出たところでアシェルは慌てた。
「トム爺、今は──」
侯爵と令嬢の訪問は、何日も前から子爵邸の少ない使用人たちには周知されており、おかしいなと思いつつ。
庭に佇む子爵家唯一の庭師に声を掛けようとしたところで、アシェルは固まった。
「お待ちしておりました。こちらにございます」
子爵家の庭師──アシェルがトム爺と呼ぶ老人が、そう言って頭を下げたからだ。
「え?トム爺?」
アシェルが素で声を出したのは、中庭にはトム爺の他に大人はなく、隣にいるのも令嬢らしくないソフィアだったことで、気が緩んでいたのだろう。
不意にアシェルの手がきゅっと引かれた。
アシェルはまた驚く。
「おじいさんを怒らないでくれる?私がね、無理を言って聞き出したのよ」
「え?え?おじいさんってトム爺のこと?」
こくりと頷いたソフィアは、しばらくは照れたように視線を左右に揺らした。
──もしかしてお花摘みかな?こういうときはえぇと……。
アシェルが見当違いに気を遣おうと動かずに済んで良かったと思ったのは、後のアシェルだ。
ソフィアは急に決心したかのように視線の揺らぎを止めて、そして真剣な目をしてアシェルを見上げた。
このときにはじめてアシェルは光に遮られることなくソフィアの瞳を捉えた。
──あの双葉の色だ。
「良かったらその……あなたのノートも見せていただけないかしら?」
──ノート?
分からないことが続いて、アシェルも呆けた。
するとソフィアは急に焦ったように早口になり言う。
「やっぱり嫌よね。急に来て研究結果を見せろだなんて」
「け、研究?」
「おじいさんから見せていただいたのではないわ。話を聞いただけなのよ?それがとても素晴らしいと思ったの。無理にとは言わないから。でもね、良かったら。もし少しでもいいと思えたら。そのときは見せてくれないかしら?あのね、見るだけよ?本当に見るだけなのよ?奪ったりしないわ」
わーっと言葉を受け止めているうち、アシェルも冷静になってくる。
──この状況。あれのことだよね?
「すぐに取って来ます。あ、ここで待たせるわけにはいかないかな。えぇと」
「ここで待っているわ!待っている間、観察していてもいい?」
「それは構わないけど。あ、失礼しました。問題ありません。そうだ、椅子やテーブルを──お茶と菓子も──」
「なにも要らないわ。それからアシェルさん、お父さまも言っていたでしょう?普通に話して?」
普通と言われて、アシェルは困った。
あれだけ婿入りがなんだと言っている父親は、アシェルを大人の集まりにばかり連れ回していたので、年上の夫人たちとの付き合いには慣れていても、アシェルは同世代の令嬢と話したことがなかったのである。
アシェルはいつも自分が場違いという意識を抱え社交界に出ていた。
「今みたいな感じでいいの。私もその方が話しやすくていいから。ね?お願い」
この日のアシェルは困ってばかりだった。
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