70.事変まで
アカデミーに着いてから。
前回訪問時と同じ受付係の女性が案内してくれた部屋で待っていたのは、王子ひとりだった。
ローワンに続き、アシェルとソフィアも王族に向けた挨拶の口上を告げていく。
しかし今日もアシェルたちは膝を折らない。
窓辺に立っていた王子は微笑を浮かべるばかりで返事もしないため、ウォーラー家のこの対応をどう捉えているかは分からなかった。
受付係の女性は、次はアカデミー長の部屋に案内すると言って、ローワンだけを連れて行こうとする。
アシェルたちのことは、この王子が講堂まで連れて行ってくれると言うのだ。
ざわりとした小さな不安の種が、アシェルの胸に埋まった。
しかし笑顔のローワンがすぐに二人に合流すると言ったので、アシェルはソフィアを連れて、大人しく王子についていくことにする。
「あの。どうぞ、お気をつけて」
受付係の女性が、二人と別れるときにそう告げた。
ここでアシェルの胸に埋まった不安の種は芽吹いている。
しかし王子の手前、アシェルは女性に何かと尋ねることまではしなかった。
女性の瞳に、王族に対する怯えが見られたからだ。
それから王子は、アシェルたちを後ろに連れて、長く広い廊下を無言で歩き続けた。
二度目とはいえ、相手は王族。貴族の会話は上位者からはじまるものだ。
それは挨拶の口上を済ませたあとだろうと関係ない。
だからと言って、アシェルたちだけで楽しくお喋りをするわけにはいかず。
アシェルは無言で王子の後に続いていたのだけれど。
──この廊下も幅を狭めたら、まだいくつも部屋を作れるのにね。
夫婦で同じようなことを考えていたのだろう。
時折ソフィアと目を合わせて、あとで話そうねと確認し合い、歩みを進めていたところで。
「安心してくれ。何も心配は要らない」
急に声が掛かった。
二人が前を向けば、振り向いた王子がアシェルを見ている。
──安心?黙っていたから、緊張していると思われたのかな?
「私のようなものにまで、お心遣いありがとうございます」
アシェルは余所行きの美しい顔をして頭を下げた。
ソフィアも同じように頭を下げて感謝を告げたけれど。
王子はすっと前を向き、反応を示さない。
──王族って本来はこういう人たちなのかな?
アシェルが知る王族は、城で会ったあの王と、名乗らなかった王女だけ。
今回アカデミーで元王族、王子、王女とさらに三人知り合ったけれど。
──皆ばらばらで一貫性がないから、正しい姿が分からない。
この場で答えの出ないことは、後で確認するとして。
不意に思い出して、歩きながらアシェルは辺りを探った。
──アカデミー内には護衛は置かないのかな?
先日からアシェルが気になっていたことだ。
王子の異母姉であるオーレリア王女に会ったときにも、室内には護衛などいなかったが。
城のそこら中に兵士が立っていたし、幾人かの護衛役が廊下で待機していたことも知っていた。
ここは城の外だ。
自分たちでさえ、街歩きのときには護衛を付けた。
特に危険のない場所に出掛けるときにも、馬車の御者席にはいつだって護衛が最低一人は座っている。
今日だって当主ローワンもいるからには護衛は付いて今は馬車で待機中だ。
王子ならば大人数の護衛役が付いて回っても良さそうなもの。
それでどうしてこの王子は一人で歩いているのか。
そしてどうしてこの建物内に兵士は見当たらないか。
──気配は何も感じない。それに王城と違って、この建物には潜めそうなところもないし。それで隠れているなら……凄いな。
さすが王族の護衛役だと、アシェルは称賛したいし、是非姿を拝見したいところ。
出来れば話もしてみたいと思っている。
それはアシェルにとってはいい経験となり、いい土産話にもなろう。
──帰ったらソフィアと話したいことがまた沢山出来た。
隣の妻を見やる。
視線に気付きにこりと微笑むソフィアは、ここ数日の様子が嘘のように落ち着いて見えていた。
──本当に友人を作りたくて緊張していたのかな?それなら今日は、いい出会いがあるといい。
アカデミーの学生ということで、ソフィアの相手としてどうなのかという懸念はアシェルとて抱えていたが。
友人作りに学力は関係ないだろうとまだ考えられたアシェルは、このとき若く、そして甘かった。
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