67.痴話喧嘩も出来ない
「ねぇ、ソフィア?どうしても駄目かな?」
絨毯に膝を付くアシェルから、とびきり甘い声が出た。
ふかふかのクッションを抱えてソファーに座るソフィアは、顔を真っ赤にして、それでも首を振っている。
「そんな顔をしても駄目なのよ」
「怒っていないんだよね?じゃあ、ソフィアは俺がどうしたら嬉しい?」
「アシェルがいたらそれだけで私はいつも嬉しいのよ」
「でもソフィア。今は嬉しそうに見えないよ?」
「違うのよ。違うのよ。アシェルと一緒にいられて本当に嬉しいわ。だけど……」
ソフィアの言葉が止まってしまう。
アシェルは眉をすっかり下げて謝ることしか出来ない。
「俺が気付けない男だからソフィアは元気がないんだよね?ごめんね、ソフィア。俺のせいで」
「違うのよ。アシェルのせいではないの」
「ねぇ、ソフィア。俺も同じなんだよ。ソフィアのことで分からないことがあると辛いんだ。どうしても教えては貰えないかな?」
「────っ!」
声にならない叫び声を上げたソフィアは、クッションに顔を隠してしまった。
アシェルは小さく息を吐き落胆する。
──嫌な感じはあったけれど、あの二人からは挨拶があっただけ……。アカデミー長はひたすらローワン様に頭を下げていただけだった。
見逃したものはないか。聞き逃したものはないか。
アシェルはこの二日間、アカデミーに行った日のことを繰り返し思い出していた。
それでもあの日邸に戻ってから、ソフィアの様子がおかしくなった原因は見付からない。
──ソフィアならすぐに教えてくれると思っていた。
隠し事をされたら悲しいと言ってくれたソフィア。
過去を話して楽になった日々が嘘のように、今やアシェルの心は陰り、身体も重い。
──ソフィアに甘えていたのかな?俺はどうしたらいいんだろう?
日に何度もソフィアの目は揺れ、お喋りは止まった。
それなのにアシェルがいくら促しても、ソフィアはいつものようには話さない。
理由が分からなければ反省も謝罪も難しく、アシェルは改善案すら検討出来なかった。
そして落ち込むと、人は悪い方にばかり考えてしまうもの。
──実はもっと前からで、俺は浮かれて見落としていたのかもしれない。
──ソフィアの前なのに、あのパーティーではやり過ぎたかな。あいつが暴れないようにするだけで良かったのに、怒りに任せて肩まで外しちゃって……あれは俺にもイーガン子爵家の血が流れていると証明したようなもの。
──俺はあの人たちと違うと思っていたけれど、本質は変わらないのかもしれない。そんな俺に幻滅した?結婚も嫌になってしまった?それなら俺には言えないよね。ソフィアは優しいから。
──あぁ、駄目だな。浮かれ過ぎていた。ソフィアが可愛くて。可愛くて。可愛くて。あんまり可愛かったから。
──そうだ。俺の母親のことなのに。ソフィアが色々言われていたのに、すぐに口を挟まなかったから。それに幻滅したのかもしれない。
──ソフィアに嫌われた。それなら結婚は……。
──あぁ、駄目だ。嫌だ。今さら離れるなんて。どうしよう?どうしたら?
深刻な表情で考え込むアシェルの頬に手が添えられた。
アシェルは本気でこれを女神の救いの手だと思った。
「アシェル、違うのよ?本当にアシェルのせいではないのよ?だからお願い。悲しまないで」
クッションに隠れていたソフィアの顔が、目のまえにあった。
頬の手を握り締めれば、もうそれだけでアシェルの心は軽くなってしまうのだが。
それでもソフィアの様子が変わらないことには、すっきりと晴れることはない。
──駄目だ。手離せない。手離さない。俺はこれ以上嫌われないように、自分で気を付けるとして。
──俺以外の原因と疑われるもの……すべて潰そう。
青空を閉じ込めた瞳の奥にこれまで感じたことのない昏い雲を見たような気がして。
ソフィアの心が飛び跳ねる。
アシェルはその目のままに、にこりと微笑むと言った。
「ねぇ、ソフィア。アカデミーでの講演はやめようか」
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