66.浮かれ過ぎて
王都で城の次に目立つ真っ白い大きな建造物。
ここが貴族の若者たちの集う学舎、アカデミーと呼ばれる場所だ。
「見て、アシェル。凄いのよ」
「うん。これは立派だね」
初めて王都に来た者がアシェルたちと同じ場所に立ったなら、建物の大きさに圧倒されて、一時は立ち竦んでしまうものだけれど。
アシェルたちが今、目を輝かせて見ているものは違う。
その立派な建物でもなければ、巨大な怪物も入場出来そうな高く大きな入口でもなく。
二人の視線の先が捕らえるものは、その入り口の左側に鎮座する大木だった。
その幹の太く逞しいこと、一目で長い年月を感じられる大木の姿に、アシェルたちは夢中だ。
「この大きさ、軽く樹齢千年は越えていそうなのよ」
「建国前からありそうだね。この樹を象徴にして、ここにアカデミーを建てると決めたのかもしれない」
「凄い年月を生きているのね。この樹はどんなものを見てきたのかしら」
「樹に聞けたらいいのにね。樹々に心理はあるか、セイブルが研究してくれないかな」
「それは樹が可哀想なのよ」
「セイブルは樹が相手でも変わらないかぁ。帰っても言うのはやめておこう」
二人は地面を這う根も踏まないように注意して、太い幹の周りを歩き、大木の観察をはじめていく。
しかしすぐに声が掛かった。ローワンからだ。
「ほら、二人とも。後にしなさい。外の見学ならば、日を改めていつでも出来るよ」
アシェルとソフィアは、二人で肩を竦め合うことになった。
遊びに来たわけではないことを思い出したからだ。
とはいっても、ここで二人の気は締まらない。
今日は依頼された講演の事前打ち合わせに来ただけだからだ。
おかげですぐに二人は別のものに気を取られた。
今度は花壇の花を見て、二人で議論を始めている。
「やれやれ。いつまでも子どもなのだから」
小声で呟いたローワンも、しばらくは二人の様子をどこか嬉しそうに見守っていた。
そうしてアシェルたちが一通り満足した後、三人はやっとアカデミーの建物の内部へと足を踏み入れることになる。
大きな入口を通り過ぎれば、ローワンが何か言う前に受付係の女性から声が掛かった。
外から会話は聴こえてくるのに、なかなか建物に入って来ようとしない三人を女性は待ち詫びていたのだろう。
アシェルたちはそのまますぐに、女性の案内の元、二階の一室へと向かうことになった。
「見て、アシェル。建物が大きいと階段も大きいのよ」
「一段を高くすることはないのにね。転ばないようゆっくり歩こうか」
「どうしてこんなに天井を高く作っているのかしら?」
「低い方が階を増やせるのにね。何か高さが必要な実験でもしているのかな?」
「面白そうね。研究室は見てみたいわ」
「そうだね。何か参考になるところもあるかもしれない」
手を繋いでいつも通り楽しく会話をしながら遅れて歩く二人の様子を、先頭を行く受付係の女性は何度も振り返って確認していた。
振り返るたびその表情に変化が見られたことには苦笑して、ローワンは言う。
「いつもこうして仲が良くてね。新婚ということで、多少はしゃいでしまうところには目溢しいただきたい」
受付係の女性は「いえっ。そんなっ。許すも何もっ。素晴らしいことです」と慌てたように告げて頭を下げた。
後ろに続くアシェルたちは相変わらず二人で話していて、ローワンと女性のこのやり取りを聞いていなかったようだ。
そんな二人もローワンに続き室内に入るときには、口を閉ざした。
室内には、高齢の男性、それから若い男女の姿があったからだ。
入って来た三人を見て立ち上がったのは、高齢の男性だけ。
若い男女二人はソファーに座ったまま、しかも飲んでいる紅茶のカップを置こうともしない。
──今日はただの打ち合わせのはずだよね?
先日会った名乗らなかった女性の姿を思い出して、アシェルは急速に気を引き締めた。
──オーレリア殿下のときと違う。嫌な感じだ。
ソフィアも何か感じていたのだろうか。
自然に身を寄せてきたソフィアに、アシェルは普段しないことをする。
繋いだ手を反対の手で受け取ると、空いた腕をソフィアの背に伸ばして、その手をソフィアの腰に添えたのだ。
訓練やダンスの授業で身体が触れ合うことは何度も経験していたとして。
よくソフィアからは抱き着いていたとして。
アシェルは何もないときには、手を繋ぐことしかしなかったから。
ソフィアはほんのりと頬を赤く染めて、アシェルを見上げた。
しかしアシェルの視線は、いつまでもソフィアの元に下りてこない。
ソフィアがアシェルの視線を追い掛けて、変わらぬ微笑を浮かべ紅茶を嗜む男女を見詰めたあとには、その頬から熱は消えていた。
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