6.貴族らしさのない令嬢
アシェルは驚いた。
跳ねた明るい声もそうだが、令嬢が歯を見せて笑ったからだ。
ぴかぴかの眼鏡のレンズが陽光をよく反射していたせいで、アシェルからは令嬢の目元は分からなかったが、それでも両の瞳は弧を描いていると思った。
驚きにまだしばらく観察を続けそうになったアシェルだったが、どうにか正気を取り戻して、アシェルは胸に右手を当てると、腰を折るようにして挨拶をする。
「お初お目にかかります。アシェル・イーガンです」
「まぁ、立派だわ!お父さま!わたくしたちもちゃんと挨拶をしましょう」
「気にしなくていいと言ったところだが。そうだね。挨拶くらいはちゃんとしようか」
アシェルには驚きの連続だった。
社交界で見る下位貴族の夫人たちは、いつでも薄く微笑み、ゆったりと動いた。
それが貴族のマナーであることもアシェルは彼女たちから聞いて学んでいたし、高位の貴族女性はもっと凄いのよと、とある夫人は言っていた。
父親の手を熱心に引きながら跳ねた声を出す令嬢を見てアシェルは思う。
──甘やかされて育ってきたのかな?
アシェルは自分がそう思われることを嫌っているのに、侯爵家の令嬢を自身の納得いく形で勝手に理解した。
「私はローワン・ウォーラー。不本意ながらウォーラー家の当主をしている。そしてこちらが娘の──」
「ソフィア・ウォーラーです。よろしくお願いしますわ」
ワンピースのスカートの左右の布を摘まみ上げた挨拶は、貴族の令嬢らしいものだった。
アシェルは少しばかり安堵する。
けれど直後にはさっと顔を上げて、にこっと歯を見せて笑ったから、アシェルはたちまちソフィアから令嬢らしさを見失った。
アシェルは考えた。
自分が選ばれたのは、この子の代わりに社交をしろということではなかろうかと。
侯爵家ならば優秀な人材に不足はないだろうから、婿の分際で当主に代わり領地の経営を一任されるなんてことはないことは、聡い子どもだったアシェルも分かった。
たとえ誰もが当主を嫌がろうと、余所の家の、それも子爵家の三男に家の大きな権限を与えるはずはない。
──顔を使ってこの子を守れということかな?
ちらと侯爵を見上げれば、侯爵もにこにこと微笑んでいて、アシェルはさすがに狼狽えた。
──父親も貴族らしくないかも?当主になりたがらないってそういうこと?
自分に厳しい視線が注がれていると信じていたアシェルは、ウォーラー侯爵の嬉しそうな表情と柔らかい視線の意味が分からず、これが高位貴族の恐ろしさだろうかと別の方向に悩み始める。
しかし悩み続ける間は与えられることなく、ソフィアが言った。
「ねぇ、アシェルさん!お庭を見せて!」
幼い頃から社交界で大人たちから美しい人形としておもちゃのように遊ばれてきたアシェルは、大抵のことには驚かない子どもだった。
そんなアシェルが固まっていた。
──おにわ?え、にわ?庭が見たいってこと?
手を取られる。
小さな手だなと感慨深く思う暇もなく、早く、早くとアシェルの手を引き、ソフィアは玄関ではなく外へと向かおうとした。
──ちょっと待って。裏庭だから。外から回ったら、大分歩かなきゃならないよ。
「あの──ウォーラー侯爵令嬢様。我が家の庭はとても狭くて」
「ソフィアでいいわ。お願い、見せて?」
「……でしたら外からではなく、邸の中から向かいましょう。その方が早いです」
「まぁ、私ったら。案内してくださる?」
「私でよければ喜んで」
ソフィアがゆったり歩き始めたことにほっとしつつ、アシェルは振り返り侯爵を見た。
「私からもお願いするよ、小さな紳士殿。ソフィアの願いを叶えてくれるかな?」
にこにこと微笑み言った侯爵が「大人のことは任せなさい。仕方なくだが当主だからね。それでいいよね、子爵?」と言えば、父親まで「え、えぇ、ご令嬢さまには息子を大変にお気に召していただけたご様子で──」と緊張しながら頷いている。
アシェルには父親が小さく見えた。
こうしてアシェルは訳も分からず、ソフィアを庭に案内する運びとなった。
──あんな小さな庭。見てもがっかりすると思うんだけどなぁ。
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