62.子爵夫人の鬱憤
「ちょっと美しく成長したからって何よ。偉そうに。あなたが美しいのは、産んであげたわたくしのおかげでしょう?」
カツカツカツカツ。
まだ音は鳴り続けた。
普段運動などしていないだろうに、足は痛まないのだろうか。
「昔はあの女に似て嫌な子を産んだと思っていたわ。その綺麗な顔で、いつもわたくしを下に見て。それでも成長して、あの女から離れて、わたくしに似てきたと思ったのに!」
これにはソフィアが黙っていられなかった。
「夫人に似てきたですって?どこをどう見たらそう思えたのかしら?まるで違っているのよ!」
イーガン子爵夫人が忌々し気にソフィアを睨みつける。
「嫁選びだってそうよ!わたくしより美しくない女を選ぶだなんて!あの女と同じことをして!」
今度黙っていられなかったのはアシェルである。
「私の妻は美しいですが?それもあなたとは比較にならないほどにね」
息子から一段と低い声が出ても、イーガン子爵夫人の激情は静まらなかった。
「そういうところよ!それが嫌なのよ!あぁ、なんてことなの!美的感覚まであの女に似ているなんて!あなたはもっと子どものことを考えなさい!母のせいで、わたくしがどれだけ大変な想いをしてきたと思うの!」
──子ども?もしかして俺たちの子どもの話……?
予測出来なかった言葉に、アシェルとソフィアは頬を赤らめ見詰め合った。
当然ながらイーガン子爵夫人は、新婚夫婦のために空気など読まない。
「わたくしこそは、子どものために、いい顔の男と結婚する予定でしたのに!なのになんですの!お母さまの娘だからと縁談を申し込んできた殿方たちは、わたくしを見てはお断りばかり!あの程度の顔で、わたくしを下に見て!」
もはやアシェルたちとは関係のない話題に、照れ合っていたアシェルとソフィアも冷静になって、イーガン子爵夫人に意識を戻した。
──セイブルが悔しがるね、これ。
この場にどうしていられなかったんだと悔むセイブルから、仔細話せとしつこく懇願される未来が見えて。
アシェルは遠くにいる友人に少しうんざりした。少しだけの話だ。
「わたくしを選んだあの男だってそうよ。わたくしだってあんな醜い男、誰が夫にしたいと思うものですか!それなのにあの人は、わたくしの子に期待すると言ったわ!どうか綺麗な娘を生んでくれですって!あの程度の顔で、いつまでわたくしを下に見て!」
──はじめて聞く話だ。だけど聞いたところで、この人は俺にどうしろと言うんだろう?
父親が娘であればと繰り返していた理由を、今になって深く理解したアシェルも、知ったところで出来ることはない。
──あいつも知らなかったみたいだね。
肩を押さえ相変わらず石畳に座っていたダニエルは、茫然とした顔で、喚く母親を見上げていた。
──愛情に飢える子どもは、問題行動を起こしやすい。セイブルが言っていたね。
アシェルはこれを自身の行いを諫める言葉として受け取って来たが。
セイブルはそういう意味で伝えていなかったのではないかと、今さらに知る。
──俺のせいじゃない。俺は悪くないよって。セイブルらしく、励ましてくれていたのかな?
さっきはうんざり思ってごめんね、と。アシェルは遠くにいる友人に心の中で謝罪した。
「息子を二人も産んで差し上げたのよ!それなのに何なのよ、あの男は!どちらも自分に似ているくせに、偉そうにして!うるさいから三人目を産んであげたわ!なのに今度は産まれた美しい子が女でないと騒いだのよ?わたくしだってもう嫌にもなるでしょう!美しく産んであげたのだから、あなたはお母さまの気持ちを分かりなさい!いいわね?」
──通したい主張があるなら、せめて破綻しない内容で頼みたいね……。
研究に夢中になって育ってきたアシェルとソフィアは、ここまで言葉の通じない相手と深く関わったこともなく、すぐに言葉が出て来なかった。
カツカツカツカツ……。
しばらく庭園に小気味よい音だけが響いた。
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