5.売られる日と思っていた
その日、アシェルは11歳だった。
父親共々不敬を働かないことを祈りながら早朝に目覚めたアシェルは、身支度を整えながらついに自分が売られていく日がやって来たと感じていた。
高位貴族家から縁談の話があれば、アシェルはイーガン子爵家を出る確約を得る。
それは嬉しいことだったが、まだ少し先で良かったなと、このときのアシェルは思っていた。
兄二人と母がいない王都の子爵邸が存外に快適だったからだ。
悪くないと思えたところで、売られていく。
美の女神の愛し子なんて勝手なことを言ってくれる大人たちに、アシェルは言いたかった。
むしろ自分は忌み子なんじゃなかろうかと。
苦痛のない状態が許されないのだと思えた。
次に与えられるのはどんな苦痛か。
アシェルはまだ見ぬ侯爵と令嬢を想像してみた。
自分の意思が求められることはなさそうだと思った。
会ったこともない子爵家の三男を求めるならば、それは美しい人形として令嬢の横にいろということだろう。
当主になりたがらない一風変わった人たちだと聞いていたアシェルは、婿になる人間にも何も期待をしない変わった人たちではないかとも考えた。
そこから転じて、もしやこれは、嫌々当主になる令嬢に、その褒美として美しい婿が用意されたということなのではないか、という考えにまで至る。
アシェルは失望しなかった。
家族のおかげで、諦念を持って成長してきたからである。
しかし同じ理由で希望も抱けない。
この美貌に魅せられた令嬢が、少しくらいのお願いを聞いてくれたらいい、アシェルの願いはそれくらいだった。
早々に飽きられてしまい捨てられたなら、それこそ平民として生きていこうとも考えていた。
まだアシェルは考えに甘さが残る11歳だったから。
王都の子爵邸は大きな商屋の主人が持つ家と大きさは変わらない。
そんな小規模な子爵邸の玄関前に、大きな馬車が横付けされた。
ついアシェルは侯爵らを出迎えるため玄関前のポーチに出て来たことをひととき忘れ、馬車を見詰めた。
大きいと感じたが、よく見てみれば、造りの立派な荷台であるものの、子爵家所有の馬車とはそこまで荷台の大きさに違いがないことに気付く。
この馬車は車輪が大きいのだ。その分高くなって、大きく見えていたことが分かった。
思えば他の馬車と同じ道を通るのだから、横幅の大きな馬車では快適さより不便さが目立つだろう。
そうしてアシェルは馬車の車輪に釘付けとなる。
よく見る金属の車輪とは違い、外側に何かが巻かれていた。
──大きい方が一回転で距離を取れるということか。この馬車は他より早いのかな?だけど馬の引く速度が変わらなければ……走るところを早くから見ておけば良かった。あの巻かれたものの役割も分かったかもしれない。見送りのときには長く見ておこう。
「馬車が気になるかい?」
不敬を働いたことに気付き、アシェルは慌てて頭を下げた。
隣からは「よ、ようこそ。お越しくださいました」と緊張に震えた父親の声を聴く。
直前まで「婿入り先は侯爵家よりもっと上だぞ、いいな?」と念を押していた男と同じ人間とは思えないなと、頭を下げながらアシェルは思った。
「あぁ、いいよ。顔を上げて。無理を言って急に来てしまったのは私たちだ。マナーなど気にしなくていいからね」
恐る恐るゆっくりとアシェルは顔を上げた。
アシェルの両目に馬車の前で穏やかに微笑む男性と手を繋ぐ令嬢の姿が映る。
聞いたところによると同い年である令嬢はアシェルより小さく、顔には大きな眼鏡をかけていた。
「あなたがアシェルさんね!会いたかったわ!」
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