50.最近知った声
アシェルはそれをかつてローワンから聞いて知っていた。
それでずっと夫人たちにはお礼を伝えたいと思っていたのだ。
アシェルたちはしばらく同じ席でケストナー男爵夫妻と会話を続けたのち、途中で立ち上がって各テーブルを回ることにした。
夫を連れているのは一部だけで、夫人一人で参加している女性が多かったのは、かつてアシェルによくしていた人だけという縛りを持って、このパーティーの参加者を定めたからだろう。
「あの頃はお世話になりました」
「幼い夫を守ってくださり、ありがとうございます」
どの人に挨拶とお礼をしても、皆が皆、懐かしそうに目を細めて、アシェルの成長を喜び、そして二人の結婚を祝ってくれた。
はじめはソフィアに対して付き合わせて悪いと思っていたアシェルも、研究中によく見られるソフィアの得意気な顔を何度も見ていたら、二人で来て良かったなと思い直して、その頬も緩んでいく。
特にソフィアは、夫人たちから語られるアシェルの昔話に興味津々だった。
「まぁ、以前もこの庭園で?ふふ。小さなアシェルもこの場所にいたのね」
この場所の話題に触れたときには、急に庭園の空気を感じたくなって、アシェルはそっと息を吸い込んだ。
──あの夜から、息がしやすい。
過去は過去だ。
変えられない過去について話しても何にもならない。
今までそう考えてきたアシェルだったけれど、語る夜を重ねるうちに、自身に変化が起きたことを実感していた。
──過去を共有することが、気持ちを楽にしてくれるなんて。知らなかったよね。
ウォーラー侯爵領に移ってから、過去を思い出して辛かったと嘆いたことはないアシェルだったけれど。
ここ数日の今までにない解放感、晴れやかな気持ちを知れば、意外に自分は過去を気にして生きてきたのかもしれないと思えてくる。
それくらいに、心も身体も軽くなっていて、何故か五感は研ぎ澄まされた。
いつもよりソフィアの声ははっきりと聴こえるし、触れた体温はより鮮明に感じられて、視界は明るくなってソフィアがさらに美しく可憐に見える。
この庭園だって、特別にいい思い出があった場所ではないけれど。
美しい花々の鮮やかな色と、新鮮な花の香り、頬に触れる柔らかい風が、今を輝かせるだけでなく、アシェルの過去までも、素晴らしいものに変えようとしていることが、アシェルにも分かっていた。
──ソフィアが聞いてくれた。それで世界がこんなにも美しく変わるなんてね。
宴たけなわ、この場に悪い者もおらず警戒心も緩み、アシェルはもう何度目か分からない感動に身を預けていたから。
「お二人の仲のよろしさをこの目で確かめられて、わたくし安心しましたわ」
「えぇ、本当に。お二人にお会いすれば、皆さまご安心なさることでしょう」
いつもなら逃さない含みある表現もアシェルは流してしまう。
ソフィアもまた、アシェルの昔話に夢中でそれどころではないようだ。
しかも夫人たちは、二人の研究に興味を示してくれて。
これが二人の意識を、含みある表現から遠ざけた。
「ウォーラー侯爵領の蜂蜜も頂きましたわ。え?お土産に頂けますの?」
「蜂蜜のクリームですって?まぁ、気になるわ。どこで買えまして?え?頂ける?」
お礼も兼ねてと持参したお土産は大盛況で、夫人たちは大層喜んでくれたのである。
これはアシェルもソフィアも、研究者として嬉しいことだった。
──王都を出る前にジェイムス様とシエンナ様には改めてお礼をしないとね。
楽しいガーデンパーティーも終わりの時刻が近付いていたときだ。
庭園を管理する支配人に声を掛けられたケストナー男爵夫妻が、慌てて門の方に歩き出したあと。
アシェルは聞いた。
──最近知った声がするね。
アシェルを見上げたソフィアと目が合えば、ソフィアが力強く頷いている。
アシェルはそれだけで心がほぐれた。
──そうだね。やり返してもいいかもしれない。
過去を共有した絶対的な味方がいること。
それがどれだけ心強いことか、アシェルは今学んでいる。
アシェルとソフィアは立ち上がって、門の方へと歩き出した。
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