43.名乗らない人
アシェルたちをその場に残して、女性はローワンと、ローワンより年上と思われる男性を引き連れ、部屋の奥へと向かい歩き出した。
どうやら高い家具の奥に、まだ空間があるようだ。
アシェルたちの元には、先ほど紅茶とお菓子を運んでくれた侍女が現れて、それは見事な早さで二人の着崩れした衣装や髪を整えてくれる。
ソフィアにいたっては、目元を冷やされ、軽く化粧直しまでされていた。
二人が丁寧に礼を告げると、侍女はまた嬉しそうに微笑んでいる。
「終わったな。では二人もこちらに来て座ってくれ」
アシェルとソフィアは、王の間に向かう際にそうしたように、アシェルの軽く曲げた左腕にソフィアが右手を置いて、二人並んで女性の方へと歩き出した。
ふかふかの絨毯はやはり慣れず、気持ちでは急いでいるが二人の歩みは通常よりもゆったりしたものになってしまう。
女性たちに近付くにつれ、アシェルは迷いはじめた。
──最上位に向けた挨拶をした方がいいのかな?
名乗られていない手前、アシェルだけでなくソフィアもこの場の挨拶には迷っていたようだ。
高い家具の横まで辿り着いてから、二人の動きがぎこちなく止まってしまう。
──王様にもしなかったことをしていいのかな?
王の御前ではそこまでしなくていいと事前にローワンから伝え聞いていたから、アシェルたちは型通りの挨拶の口上も述べず、床に膝を付けなかったのだ。
それを越える礼を、王ではない人に向けてしていいものか。
それもこの場は同じく王城。しかも同じ日。
誰かが外に漏らすとは考えにくいが、それでも伝われば面倒なことになることはアシェルたちにも予測出来ていた。
領地の運営にまで知識が明るい二人も、上位者に対しては経験不足で、即座に判断が出来ない。
迷える若い二人を助けたのは女性だった。
「素直ないい子たちだね、ローワン卿。二人はそのまま何もせずに座りなさい。今の私は私的な時間なんでね」
高い家具を越えるとそこにはソファーが円形に並んでいた。
すべて一人用サイズで、はじめからここに集う人数分用意されていたようである。
アシェルとソフィアは、本日ここ王城にて、はじめて触れ合えない距離に落ち着くことになった。
軽く頭を下げたのち、手を離した二人がそれぞれに着席すれば、またすぐに女性から声が掛けられる。
「すまないが、慣例通りウォーラー家の君たちは、名で呼ばせて貰う。ソフィア卿(※)、それにアシェル卿。まずはそうだな。無事の成人をお祝いしよう」
ソフィアと共にお礼の言葉を返しながら、アシェルは思った。
──この方は名乗らないつもりなのかな?
このときアシェルが女性の衣装に一切興味を抱かなかったのは、ウォーラー侯爵領で育ってきたからに違いない。
白い騎士服を纏い、高い位置にひとつに束ねた髪には飾り一つなく、彩りを感じない顔は化粧をしているかどうかも怪しい。
通常の貴族なら、女性を少年と見間違っていたことだろう。あるいは女性と理解して、怪訝に眉を寄せていたかもしれない。
しかしアシェルは正しく女性だと認識していたし、女性の外見に対し何の想いも持たず、それはソフィアも同じだった。
「それから結婚だね。おめでとう、二人とも。私は、心からソフィア卿とアシェル卿の結婚を祝福しているよ」
──含みある言い方だなぁ。
「左様な祝い続きの嬉しいときに、今日はろくでなしの話し相手などをさせてしまい、悪かったね。お詫びと共に、あれに良き思い出を与えてくれたことに礼を言う」
今までは言葉を返してきたアシェルとソフィアも、ここでは微笑だけを返すことになった。
「ソフィア卿も、アシェル卿も。あれに会っては国政が不安になったことだろう。しかし安心して欲しい。まもなくあれは、病に倒れる予定だ」
アシェルもソフィアも、今度は微笑むことも出来ない。
──ねぇ、それ、俺たちが聞いていい話?
女性は愉快そうに笑うが、アシェルたちはとても付き合えなかった。
<補足>
(※)あえて女性も卿と呼んでいます。物語上の設定です。
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