13.女神降臨
──そっかぁ、俺、これが当たり前だと思っていたんだ。贅沢だなぁ。
かつては家族からの視線や暴力に怯え、利用されることにも嫌気を覚えて、自身を女神の忌み子と捉え、自分はろくでもない人生を歩むものとばかり考えていたのに。
突然はじまったウォーラー侯爵領での暮らしは、いつまでも夢のように感じられて、いつかは覚めるときが来る、漠然と信じ覚悟していたのに。
それがいつしか当たり前に変わって、この先も変わらぬ日々は続いていくものと思えていた。
──これからか。一研究員として雇っていただけたら有難いけど。今までのようにソフィアの側にいるのは難しいかな。
ソフィアは言動がそうは見えないとして、侯爵家当主の娘なのだ。
冷静に考えれば、子爵三男であるアシェルが側にあること自体おかしな話だった。
──陛下は俺を邪魔に思っているのかもしれない。それで俺もソフィアと一緒に呼ばれたんだ。
王族や貴族たちが他家との親密な関わりを求めるとき。
使われる手のひとつが政略結婚である。
アシェルの父親は勘違いしていそうだが、アシェルとソフィアは婚約していなかった。
今はウォーラー侯爵家がアシェルの身を預かっているだけなのだ。
こういった場合について普通に考えれば、将来当主の側近として雇うつもりで側に置いていると捉えるところだが、ソフィアが当主とならないため、普通の貴族にはソフィアとアシェルの関係が理解出来ていないだろうと思われた。
──だけどウォーラー侯爵家だ。王家も高位貴族家も事情はよくご存知のはず。
彼らの考える普通が通用しない家、それがウォーラー侯爵家だ。
政略結婚なんて考えることも馬鹿げている家なのに。
──これはローワン様も陛下を怒るはず……え、待って。もしかしてソフィアは。
アシェルはソフィアを見やった。
──王族か王族に近しい貴族家の誰かと結婚させようと考えられているんじゃ……。
──え、嫌だ。
素直に嫌だと思ったアシェルは、けれどそれが自分には阻止出来ないことだというのも分かっていた。
二人の視線が交錯する。
すぐに眼鏡の向こうでソフィアの瞳が揺れ始めた。
久しぶりに見たソフィアの癖に、嫌だという気持ちも吹き飛び、アシェルは焦りを覚える。
──まだ俺に言いにくいことがあった?え?どうしよう?もしかしてもう大人だからこれからは別々に研究しましょうと考えていた?
アシェルの中に、いつまでも自信というものが育たない。
最初から家族に愛されなかったせいで、自分が誰かに求められる気がしないのだろう。
ソフィアが、ローワンが、いつでもアシェルがウォーラー侯爵領にいることを肯定してきたというのに。
二人のことをすっかり信頼して、裏切られることはないと信じられていたのに。
何が当たり前になろうとも、あの場所から連れ出してくれた二人に恩返しするために頑張ろう、そういう意識がアシェルの中で変わることはなかったから。
──俺から側に置いてとは言えない。これからもソフィアを守りたかったけど……どうしよう?これから……これから俺は、どう生きていく?
アシェルが答えを定める前に、ソフィアが話し始めてしまった。
「あのね、アシェル。その……無理にとは言わないわ。そう、嫌ではなかったらの話なのよ?」
揺れていたソフィアの視線が止まった。
真直ぐにアシェルを見る新緑色の瞳が、アシェルには潤んで見えた。
朝露に濡れたあの双葉のように。
「ねぇ、アシェル。私と結婚しましょう?」
時が止まった。アシェルだけ。
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